料理は愛情
「さあさあ! どうぞ座ってください!」
……リミが作った料理が、テーブルに並べられている。
記憶の中では四人用のテーブルで食事をしていた達志にとって、この横長の、まさにお金持ち感が強いテーブルで食事するというのはやはり違和感があった。
「……これ、リミが一人で?」
「はい!」
達志が驚いたのは、豪華に変わった物類よりも、テーブルに並べられた料理の品々にあった。
十人以上が座っても余りあるだろうテーブルいっぱい、とまではいかないものの、それに近しい量の品々が並べられている。
肉をふんだんに使いつつも野菜とのバランスを忘れていない栄養の考えられた品、てんこ盛りの刺身、鍋いっぱいの味噌汁、ホカホカのご飯、何だかよくわからないもの。
おそらく、異世界サエジェドーラの食べ物だろうか。
これを、たった一人で……しかも、決して多くなかった時間の中で、この量とクオリティは素直に称賛に値する。
見た目の良さは申し分なく、加えて部屋を埋め尽くすほどの香りは、それだけで食欲をそそられる。
正直、現時点では百点中千点越えは下らない。こんなもの、家では当然、お店でも中々お目にかかれるものではない。高級レストランと同等かそれ以上だ。
実際に行った経験などないのだが。
それだけに、この品々を目にして尚顔色のすぐれない後ろの四人が、達志にとっては理解できない。見た目、香り……どれをとっても、美味しくないはずがないのだから。
もしかしたら、自分は眠っている間に視覚や嗅覚がおかしくなってしまったのか? そう、思えるほどに四人とは温度差があった。それでも……
「すげー……いや、すげーよ!」
並ぶ料理に対して、称賛の言葉を贈らずにはいられない。端的な感想しか出てこない己の語学力がもどかしい。
それでも、たったこれだけの言葉でも嬉しそうにしている目の前の少女を見ると、胸が温かくなる。
「えと……た、タツシ様の退院祝いということで、張り切りました」
……加えてそんなことを言われれば、なおのこと。こんな可愛い女の子が、自分のためにと言ってこんな豪華な料理を作ってくれて、嬉しくないはずがない。
頬を染める少女は、チラチラと達志に視線を送っており、その視線に、想いに答えるために達志は、目の前の料理を食すことを改めて決意する。
しかし、問題はある。美味しいかまずいか……などということを考えているわけではない。この量を、果たして食べきれるかどうかということだ。
達志とリミを含めて六人だが、それでもこの量を食べ切れるかは疑問だ。しかも四人は顔色がすぐれないし、リミは食が細そうだ。
退院祝いとはいえ、この量はまるでパーティーのようだ。量だけを見るととても退院直後の人に出す量とは思えないが、リミ曰く、
「タツシ様の胃にご負担がかからないよう、その……食べやすいように、工夫しました」
……とのこと。もしかしたら、料理に対するこの驚きや湧き出るような食欲は、それの影響もあるのかもしれない。何はともあれ……
「こんな美味そうなのを前に、いつまでも立ち話ってのは限界だ。早速いただくよ。みんなも食べようぜ!」
今にもかぶりついてしまいそうな欲求を必死に抑え、未だ固まる四人へと呼び掛ける。
ついにその時が来た……と言わんばかりに四人が四人とも肩を震わせるが、リミに不穏に思われないために笑顔を浮かべている。わかりやすい、作り笑顔を。
それにリミが気づかないのは、鈍感だからかはたまた意識の大半を達志に集中させているからか。いずれにせよ、料理がまずいと思っているのをリミに知られてはならない。
これが、四人の共通認識であった。
四人……いや、達志含めた五人は、それぞれ適当な席へ。あまりに大きなテーブルだから、一瞬席順に迷ったものの……手近な席に座った達志を皮切りに、その隣にみなえ、その隣にセニリア。さらに達志の正面に猛、さよなが並んで着席。
リミは様子見のつもりか、立ったままだ。
達志達の反応を見てから自分も席につくつもりなのだろう。ウサギの耳を落ち着きなく動かしており、そわそわと体を揺らしている。
その姿を見ていても飽きないが、料理の感想を求めている相手にこれ以上の放置は野暮というものだ。
「じゃ、いただくとしますか」
こちらを見守るリミを見つめ、目の前に並ぶ料理を見渡し、自分以外の四人を見回す。それらの行為を終えた後、退院後初めての豪勢な料理にありつくこととする。そっと手を合わせ……
「いただきます!」
食事前の一言を、宣言。箸を持ち、何から手をつけるべきか頭を悩ませる。
……が、まずはやはりご飯だろう。ほかほかの白米が盛られた茶碗に目を移し、近くにあったのりたまのふりかけをかける。白米に味をつけ、箸でご飯を口に運んでいき、いざ……
「おー、美味そう。それじゃ……」
パクッ。モグモグ……
「…………」
ご飯を、口の中に運び噛んだ瞬間……口の中に広がる、甘く温かい食感。炊きたてのそれはふわふわで、ほんのりと甘い味はのりたまとの相性は抜群。
というより、これならば白米単体でも全然いける。噛めば噛むほどにその味が滲み出るようで、噛む度に苦味が増していき……
「……!?」
噛めば噛むほど甘味が増していく、というのは聞いたことがあるし、実践したこともある。だが、それとはまるで正反対の……噛めば噛むほど苦味が増していくというのは、達志にとって初めての経験だった。
この苦味はそう、ゴーヤを食べた時の感覚に似ている。
まあ、詰まるところ……
(ま、まずい……)
まさかご飯で、こんな感覚を味わうとは。感覚は炊けてない硬いご飯を食べる感覚に似ている。噛むほどに、苦味が増すほどに、顔が歪んでいくのかわかる。
だが、それを目の前の少女に見せるわけにはいくまい。ここは、堪えろ。
ちなみに、のりたまのせいかと思って白米単体でいったが、苦かった。ご飯が、苦いのだ。炊くだけだというのになぜこんなことになる。
……続いて、味噌汁に視線を移す。あれは何かの間違い。そう信じて、手を伸ばす。
みそ汁の中にはワカメと豆腐が浮かんでおり、なんとも馴染み深いみそ汁だ。香りは、全然いい。相変わらず食欲がそそられる香りだ。
先程のご飯の件が尾を引きながらも……味噌汁に、口をつけ、すする。
「……」
口から喉、そして胃へと流れ込んでいく熱い液体。とはいえ、程よい熱さのそれを一気に飲み込んでいく。味噌の味が効いており、なんとも濃厚だ。
ワカメや豆腐にも味噌の味が絡みこんでおり、素材の味と合わさり極上の味を引き出している。
濃厚なそれは、口全体に広がっていく。どろどろのヘドロのような食間が口内をつつき、まるでねちっこく口内を暴れまわっているよう。
今までに味わったことのない味噌。豆腐は粘土のようにねちねちしており、ワカメは噛みきれない。……まあ、つまり……
(……ま、ずい……)
恐ろしく、まずかった。これは一体、なんの味噌を使っているのか。味わったことのない以前に、こんなものが存在するのかと思えるほどの。
ご飯に続いて味噌汁ともなれば、単なる偶然とも思えない。おそらく、他の料理も……
料理に使った食材を全くの無駄にするような調理。どうやったらこんなものが生まれるのかと思えるほどに、理不尽とすら言える行い。
これはさすがに、調理者に一言言ってやらねばならないと思い、調理者……ウサ耳少女へと視線を向けて……
「あの……ど、どうでしょうか……?」
少女……リミは、不安げにこちらを見つめている。俯きがちの顔はチラチラとこちらに視線を送っている。その瞳は不安に潤み、期待と不安が高まり頬は赤い。
もじもじと体を揺らしており、落ち着けなく人差し指同士を合わせている。
リミの感情を表しているかのような耳は、しゅんと垂れていたかと思えば落ち着きなくそわそわと動いている。尻尾も同様だ。
極めつけは、「私、一生懸命頑張りました」と言わんばかりに、こちらに笑顔を向けてくることだ。その気持ちが本当ならば、この料理にはリミの愛情が入っている。
料理は愛情という言葉があるが、それは嘘だと達志は今をもって割り切ることとする。
リミの表情。それは不安を感じ、しかしそれを表に出さないように努め……それでもやっぱり、不安を感じているような笑顔。
その、儚げながら美しい笑顔を前に、達志は今の己の気持ちを素直に……
「……美味しい、です、はい」
……素直に、言える勇気は達志にはなかった。こんな期待と不安に満ちた少女を前に、残酷な一言を告げられるわけがない。
というか、あの不安を押し潰しような笑顔を向けられて、無理だ。リミのことだから、計算してるわけではないだろうが。
そして、美味しいと告げた瞬間……花が咲いたように、その表情に満面の笑みを浮かべるのだ。これを見てしまってはもう……まずいとは言えない。
なるほどセニリア達の気持ちがよくわかるというものだ。そのセニリア達は、今のやり取りをじっと見つめていたわけで……
目が、語っている。言っただろ、と。これは俺が悪かった……視線で返す達志は、いつの間にか隣に座っているリミに気付く。
達志の感想も聞いたことだし、自分も食事に参加するのだろう。ふと、そこで疑問が生まれる。
「あ、リミ……味見は、したの?」
「え? はい、料理を作る者として当然です」
この料理を作ったリミは、果たして味見をしたのだろうか。これだけのメニューだ、一つも味見をしていないというのは考えにくい。
とはいえ、今の状況ではいっそしていないと言ってくれた方が良かった。……のだが、リミは味見をしたという。
しかもその口振りから、今回だけでなく自分が作った時は毎回味見をしているのだろう。
味見をして、この結果だということなのだ。それはつまり……リミは料理だけでなく味覚も、ポンコツということらしい。
以前セニリアが魔法技術以外はポンコツだといい、先程は魔法技術『以外』を強調されたわけだが……これは、本格的にポンコツかもしれない。
現に、達志達が揃ってまずいと感想を持った料理を、隣ではリミが美味しそうにご飯をかきこみ、肉をモグモグ食べ、味噌汁をすすっている。
その様子は、少しだけ恐ろしくも見える。一体リミの味覚はどうなっているのだろう。そしてこの量、どうしよう。
リミは美味しそうに食べているが、さすがにこれを全て平らげるのは無理だ。となると当然、達志達も食べ切るしかないわけで……
「やるしかない、な」
残すという選択肢は、ない。義務感……というわけではないが、食べ切らねばリミに申し訳ない。そしてその気持ちは、達志一人のものではない。
リミの笑顔を曇らせないために、達志達は再び箸を手に取り……料理を食べ始める。そしてこれを食べ切るのは、かなりの時間を費やすこととなった。
達志にとって退院後初めての食事は、可愛らしい少女の殺人級の品々による、長い食事会によって幕を閉じた。




