正解を教えて
-意識が覚醒したのは、今しがたのことだ。
現在ベッドに寝ている男の名前は、勇界 達志。暗闇が支配していた世界をついさっきまで味わっていた。
音もなく、一筋の光もなく……ただ、闇が世界を支配している。それがどれほど続いたのか、どれほど続くのか途方もない空間。
圧倒的な孤独感。だがそれは、眠っている意識にはなんの意味も持たない。
途切れていた意識が覚醒し、視界を暗闇が支配しているのを確認する。視界を開くために瞼を開こうとするのだが、何故だか瞼か重い。
視界を開くだけの簡単な作業。それが何故か、とても難しい作業のように彼は感じていた。
しばらくの時間をおいて、ゆっくりと……ゆっくりと、瞼を開く。開けた視界に映るのは、ぼやけた景色の中にもわかる、白い壁であった。
「……あれ、ここは……」
ぼんやりと見つめているうちに、それが壁でないことに気がついた。壁じゃないなら、あれは天井だろう。
自分が横になっているであろうことは、そこで気がついた。体に感じる柔らかな感触から。自分がベッドに寝ていることも。
普段であれば、自室で目覚めたと理解するのだが……あいにくと目の前にあるのは見知った自室の天井ではない。
ならば自分は何故ベッドに寝かされているのか、何故ここにいるのか……そもそもここはどこなのか。
疑問が口をついて出る。が、声が思ったよりも枯れていることに気づく。その上寝起きにしては、いつもに増してだるさが体を支配している。瞼が重い。
一体……何が何だか。それに妙に頭が痛いように思える。ズキ、ズキと。痛くて我慢できないわけではないが、煩わしさの残る感覚。
まずは現状を確認しないことには、どうしようもあるまい。あれこれ考えるのはそれから……
「! ウソ、目が覚めた!?」
彼の思考は、しかし思案の直前に中断される。耳に届いたのは女性の声。驚きの乗った声色。さらに内容から察するに、達志の目覚めに驚愕している……のだろうか。
ただ寝て起きただけなのに、えらい反応だ。と同時にふと、疑問が浮かぶ。
……待て、なんでこの場に女の声がする?知らない天井なのは理解していたが……となるとここは誰かの部屋?そして声の主は、部屋の主?
目覚める前に眠った場所といえば、自分の部屋以外に考えられない…はずだ。はずだというのも、正直眠る前の記憶が混濁しているからに他ならない。
だが見知らぬ天井、知らぬ女の声……今の状況は、この場所=自分の部屋説の考えを完全に否定している。ならば、今まさに、ここはどこ状態だ。
第一に、寝る前のことがよく思い出せない、というのも奇っ怪だ。しかし思いだそうとすると、頭の痛みが増すのだ。
「はい、はい。そうです、患者が目覚めて……至急、お願いします先生」
頭の中で考えている間にも、声の主は行動を見せていた。声の主……先程の女性が、どこかに電話をかけているらしき場面。
その中の単語に、ひどく違和感を覚える。患者……と言ったのだ、女性は今。人のことを患者、と指す場所を達志は一つしか知らない。それはつまり、病院だ。
そういえば、先程から鼻をつく妙な匂いがしていたが…これは薬品の匂いか。それに腕にある違和感。首を動かし確認すると…点滴か刺さっていた。
部屋を見回す。ここは個室らしく、今居るのはベッドに寝かされた少年と、謎の女性のみ。つまり、患者というのは少年を指しているわけで。
「……気がつかれました? 体の調子は、いかがですか?」
電話を終えた女性は、声をかけてくる。その優しげな声色に安心しつつ、方向に目を向ける。よくわからないが、声の主から悪意は感じない。ならばひとまずは、彼女に現状を確認して……
「ご自身のお名前、わかりますか?」
「……へ?」
出鼻をくじかれ、思わず間抜けな声が出てしまう。だがその声は、記憶している自分の声と比べ、少しだけ枯れているように感じられて…
質問の意図はわからないが、条件反射ともいえる反応で達志は答える。
「……いさ、かい……たつし、です」
患者という言葉。加えて今の質問。もしかしたら自分は、記憶障害を疑われているのかもしれない。それ以外に、今の状況を説明する術を達志は知らない。
それとは別に、思うように声が出ないことが、さらに彼の不安を煽るのだ。
「ご自身の家族構成、わかりますか?」
次いで質問されるのは、やはり自分は記憶障害を疑われていると、疑問が確信へと至るに充分なものだ。しかしそんな質問は、無駄だ。
「ははといもう、と……ち、ちは、むかししんで……」
こうして答えることが出来るということは、自分は記憶障害などではない。たどたどしい口調で答えると同時、それを伝えようとする。
達志の家族構成は、父親と母親、妹の四人構成というごくごく普通の家庭…とは言い難い。
父親は、妹が小さい頃に事故で亡くなっており、母親は女で一つで自分達を育ててくれたのだ。この記憶は、疑いようのない、達志の確かな記憶だ。
手元の資料を見て、看護師は頷いている。どうやら、資料の情報と一致しているか確認しているようだ。
何でこんなことになってるか覚えてはいない。聞きたいこともあるが、おそらくは眠っていた自分の面倒を見てくれたであろう看護師に、言いたいことを言うために、聞きたいことを聞くために視線を映す。
重かった瞼が開き、ようやく目が慣れてきた頃だった。
「あの、すみません。すこし、こんら、んしてて……」
首を動かす。声の主を瞳に映すために。……瞬間、達志は自分の目を、頭を疑うことになる。
……そこには、ナース服を来ている人。いや、人型のシルエットの……犬顔が達志の顔を覗き込んでいたからだ。
「……ん?」
目の前に映る顔に、目を凝らす。自分の目を疑い、擦るが景色は変わらない。頬を引っ張るが、景色は変わらない。軽くビンタする。景色は変わらない。
一度深く目を閉じ、深呼吸。深く深く、深呼吸。改めてゆっくりと、目を開ける。そこにいたのは、さっきの犬顔が見間違いだったかのような立派な人間で……
「いえ、無理もないです。何せ、十年も眠っていたんですから……」
……そんなことはなかった。達志の頭は、ただただ混乱する。だってそこにいたのは、人間……じゃなかったから。毛が生え、鼻が伸びてて、耳があって…まるで、犬の顔。
自分の目が、いや頭がおかしくなってしまったのか?自分が暮らしていた世界に、このような見た目の人間(?)がいるわけがない。
ナース服を着た犬顔の女性は、普段から達志が愛読していたファンタジー小説やライトノベルに出てくる、獣型の人間。
犬耳を生やした、二足歩行という……人間の体型に動物の顔、手足。何と呼べばいいのか、達志は知っている。安易な表現になるが、それは獣人というやつだった。
目の前に立つ獣人に圧倒されるが……さっき聞いた台詞が、今感じている驚きとは別の驚きを連れてくる。
「え…………じゅ、ね……は?」
何と言われたのか、一瞬理解できなかった。聞き違いでなければ……今、自分は十年、眠っていたと告げられたのだ。
そんな、バカな。そんなバカな話があるか。ただでさえ目の前の獣人に処理が追い付いてないというのに……
「はい、十年です。貴方は十年間、ここで眠っていたんですよ」
だが獣人は、達志に考える暇を与えてくれない。伝えられたそれは言葉の拳となり、達志に容赦なくボディーブローを打ち込んでくる。
一つ一つを処理しようにも、どうしても頭の中が整理できない。まずは目の前の獣人だ。今日がハロウィンでもない限り、こんな仮装はしないだろう。
それ以前にそもそも病院で、看護する立場の人が仮装とかふざけてる。
だが壁にかけられたカレンダーには七月とあった。ハロウィンの時期はまだ先だし、エイプリルフールでもない。それに何より、目の前の獣肌が作り物には見えないのだ。
次に、十年眠っていた。これも意味不明だ。普通に寝て十年も眠るわけがない。が、自分が最後に見て記憶している年度よりも、十年分の数値がプラスされているのはカレンダーを見て同時に確認出来た。
だとすれば病気? 事故? それにより、十年間も眠っていたのだとしたら……
とはいえ、病気にかかっていた記憶はない。となると事故だろうか。寝る前の出来事がうまく思い出せないのが、どうにも関係している気がしてならない。
いや、問題はそこではない。それよりもっと前の段階の……
看護師獣人が自分を騙す…わけがないだろうが、そもそもが十年も寝てたと言われて、はいそうですかと受け入れられるわけがないのだ。
一体、自分が寝ている間に何が起こった?寝る前に何があった?これは夢…ではないのか?
……考えろ。思い出せ。頭の中の情報をかき集め、パズルのピースを埋めていけ。そうすれば、おのずと答えが出るはず……と淡い期待を抱いていた。
結果、ピースははまらなかった。抜けているピースが多過ぎて、完成には程遠い。空白だらけだ。
自分の中の情報だけでは現状を把握するに限界がある。かといって、目の前の獣人にこちらから話しかけるのは些か抵抗がある。もう、何が正解かわからない。よって……
目の前の獣人、十年眠ってたという言葉……この二つの衝撃を受けた達志の起こした行動はというと……
「はは……そうか、夢だこれは…………へへへ……」
これはきっと特殊な夢だ。そう簡単には覚めないんだ。と……結論付け現実逃避として、その場でベッドに倒れ込む他になかった。