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謝罪



 ……いったい、どれほどの時間が経っただろうか。椅子に座り、息子の手術が終わるのをただ待つだけの時間。


 何時間かもしれないし、ひょっとすると数分ダケカもしれない。時間を気にする余裕などないほどに、絶望的な時間。


 俯き、祈るように手を合わせる母親(みなえ)の姿は、非常に弱々しいものであった。



「…………」



 もし、このまま息子が一生目を覚まさなかったら……そんな悪い予感までもが、次第に湧いてくる。


 夫は、息子が小さい頃に亡くなった。もしも達志の身になにかあれば、残されるのは自分と六歳の娘だけだ。そんなことに、なったら……


 いや、そんなことを考えてはいけない。前向きに、考えよう。でないと、悪い予感が当たってしまいそうな気さえして……



 ダダダッ……!



「ちょっと! 病院ではお静かに!」



 静かなはずの空間が、ふと騒がしくなる。これは、誰かの足音だろうか。病院だというのに、走っている人でもいるのか。


 普段なら、うるさいな程度にしか思わないことも……神経がすり減っていく今、とても煩わしい。



「……っ」



 歯を、食いしばる。ここで叫んでも、なんの意味もない。待つしか、自分には出来ないのだ。



 ドタタタ……!



 ……気のせいだろうか。足音が、だんだん近づいてくる。


 通路の右方向……曲がり角の、向こう側だろうか。慌ただしいほどの音は、まるでこの場所を目指しているかのようで……



 ダンッ!



「はっ、はっ、はっ……」



 曲がり角の向こう側から現れた人物は、ブレーキをかけるように強く、その場で足を踏み込む。それにより、スピードは殺され……姿を、見せる。


 その人物は、女性だ。それも、若い……達志と同じくらいか、それか二十代の……



「ぼ、ボルテニ、クスさん!? 困ります、病院では騒いでは……」


「あの! 今、治療を受けている男の子の……勇界 達志さんの、お母さんですか!?」



 外国人であろうか。看護師さんが、呼び慣れなさそうに呼んでいる。確かに、髪が緑色であったり、名前が横文字であるが。


 ……それよりも。彼女は看護師の注意を無視し、口を開く。


 それは、今治療を受けているはずの達志の名を呼び、その母親……つまり、みなえに向けたものだ。ここのいることや、外見から推測したのだろうが。


 それにしたって、誰だろう。息子の知り合いなのだろうか?



「……はい、そうですが……」



 困惑しながらも、みなえは答える。ここで嘘をつく必要もないし、なによりも彼女の瞳からは必死さが伝わる。


 うなずくみなえ……その姿を、返答を、受けた彼女は……驚くべき行動に、出た。


 その場で、土下座をしたのだ。



「ぇ……」


「申し訳! ありませんでした!!」



 初対面の、年下の女性からいきなり土下座をされて、みなえは訳がわからない。ただでさえ困惑しているが、それに輪をかけるように。


 女性の動きには、一切の躊躇がない。まるで、最初からみなえに土下座をすることを決めていたかのように。


 あったことも、ないのに。



「ぼ、ボルテニクスさん!? いきなり走ったと思ったら、なにしてるんですか!」


「申し訳ありません……申し訳ありません……!」



 看護師に立たされようとしているが、彼女はそこから動かない。しかも、うわごとのようになにかを謝罪するばかり。


 みなえは、少なくとも初対面の相手に謝られる記憶はないはずだが……



「あの、顔を上げてください。私とは初めて会いますよね? なにかの間違いじゃ……」



 だが先ほど、この女性は息子の名前を呼んだ。間違いなんてことは、考えにくい……



「間違いじゃありません! 息子さんが事故に遭ったのは、私のせいなんです!!」


「……はい?」



 ……その台詞が、みなえの考えをすべて吹き飛ばした。そしてすべてが、繋がった。


 息子の名前を知っていたこと、母親だと確認したこと、いきなり土下座と謝罪をしたこと……すべてが、繋がった。



「……どういう、こと……?」


「……私の不注意で、車が来ているのも気づかず、道路に飛び出してしまい……息子さんに、助けられる、形で……」


「……代わりに、達志が事故に?」


「…………」



 無言は、肯定の証。どこかでそんな言葉を、聞いたことがある。彼女が今言ったこと、それが真実なのだろう。


 これで、合点がいった。彼女がこうして必死に謝るのも。彼女が、達志を……息子を、巻き込んだ。たった一人の息子を、あんな目に合わせた。



「……」



 みなえは、ゆっくりと足を前に出す。歩みを、進めていく。



「あ、あの勇界さん……」


「……ボルテニクスさん、だったわね」


「……はい」


「顔を、上げてくれる?」



 もはやすぐそこが集中治療室だとか、近くに看護師さんがいるとか、頭にはなかった。今あるのは、この女性の姿だけ。


 顔を上げてと、声をかける。それを受けた彼女は、ゆっくりと顔を上げて……今にも泣きだしそうな顔を見せる。



「……」



 よく、ドラマなどのフィクションでは、息子が誰かを助けたのね、とか、あなたが無事でよかった、とか、そんな台詞を聞くことがある。いいセリフだと、思っていた。


 ……きれいごとだ、そんなものは。誰を助けようが、それにより息子が、大切な人が怪我をした。死にかけている。死ぬかもしれない。それなのに、他者に気を向ける余裕などありはしない。


 あるとしたら、息子をこんなことに巻き込んだ、怒りと憎しみだけで……



「あなたが、達志を……私の、息子を……!」


「……!」



 みなえは、思いのままに叫び、手を上げる。ビンタ……それを覚悟し、女性は静かに目を閉じた。もとより、なにをされても文句は言えない。むしろ罰を受けるつもりで来たのだ。


 息子をこんな目に合わせた人物への、強烈なビンタ……それを止める者は、誰もいない。看護師の制止も間に合わない。振り上げられた手は、女性の頬目掛け振り下ろされて……



「だめー!!」



 ガシッ



「!?」



 止まるはずのなかったビンタ……それは、みなえの体に体当たりしてきた何者かにより中断される。いや、これは……抱き着いている?


 見ると、そこには腰に抱き着く子供がいた。ことりと同じくらいの年だろうか……いや、誰なのだこの子は。



「ひっ……」


「だめなの! ちがうの! せにりあは、わ、悪くないの! わた、わだじが、わるいの! わたじのぜいで、おに、ぢゃんが……だがら、ただくなら、わだしを……えぇーん!!」



 何事かを言おうとした女性……セニリアの無実を、少女は訴える。悪いのは自分だと、大声で泣きじゃくっていた。

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