埃っぽい空き家にて
由香がリミをどこかに連れて行ってから数分後……帰ってきたリミの顔は、真っ赤だった。由香に真実を教えてもらったが故の反応に違いない。
いつも天真爛漫なリミが恥ずかしがっている姿はなかなか珍しいものであるが、反応が初心すぎる。
「由香、なにを吹き込んだ」
「なにって、そりゃあ男の人の……って、な、なに言わせようとしてるのバカ!」
人にものを教える立場になり、こうしてちゃんと教えることが出来ている。それなのに、その成長を素直に喜べないのは教えたことの内容によるものか。
まさか海に来てまで、子供の作り方講座をすることになるとは由香も思わなかったことだろう。
「まったく、私は保健の先生じゃないんだからね」
「うってつけなえろい体してるくせに」
「あぁ?」
由香ににらまれ、達志は黙る。その視線がとても鋭く、怖かった。
その視線に耐え兼ねつつあったが、そこへさよなが思い出したように、由香へと声をかける。
「そういえば、由香ちゃんの鞄からさっき音が鳴ってたよ。携帯の着信音じゃない?」
「え、ほんと?」
どうやら、達志、リミと共にジュースを買いに行っていた間に、由香の携帯に着信があったらしい。いくら幼なじみで長い付き合いとはいえ、勝手に鞄を開けてはいないので確定ではないが。
それを受け、自分の鞄を探る由香がスマホを取り出すと……確かに画面が光り、着信を知らせていた。
「ホントだ。わ、職場から……ごめんね、ちょっとかけ直してくる」
「あいあいー」
スマホの不在着信を確認し、それが職場……つまり学校からであることがわかると、由香はみんなに断ってから、その場から移動する。
今帰ってきたばかりなのに、忙しいのである。
「おい、なにやってんのさ達志」
「へ?」
「着いていってあげないと」
「俺!?」
由香の背中を見送りつつ、猛とさよながそれぞれ達志に言う。着いていけと、自分が言われると思っていなかった達志は驚愕に目を見開くが、なにも不思議なことではない。
「だって由香を一人にしたら……ナンパされるぞ?」
「それは……そうだろうけど。今度は猛が行けばいいじゃんよ」
「バーカ、俺はこの子の世話しないといけないから」
と、預かった赤ちゃんの頭を撫でつつ言う猛に、達志はぐうの音も出ない。ぶっちゃければ、ここにはさよなやセニリア、年長者のみなえだっているのだ。猛がいなくても問題はなかろうが……
猛が預かった子だ、そういうわけにもいかないのだろう。
「わかったよ……」
「おう、見失わないうちになー」
さっきから歩いてばっかだ……と嘆く達志をよそに、猛はさっさと赤ちゃんの世話に戻ってしまう。
それを最後に、達志は由香を追いかける。幸い、由香は歩きながら電話をしていたので、すぐに追い付くことができた。
後ろから声をかけるのも悪いと思ったので、電話が終わるまで待つ。ここからでは声は聞こえないし、盗み聞きをするつもりもない。なので、ただ待つ。
しばらくして、電話が終わった頃には……あまり人気のない場所にまで来ていた。電話に夢中で、どこまで来ているのか気づいていなかったであろう由香は、辺りを見回して……
「あれ、ここは!?」
と言った。
「いや、なにしてんだよお前……」
いくらなんでも無用心すぎだ。これでは帰り道を案内するとかなんとかで変な男に捕まりかねない。
なので、達志は素早く声をかける。どうやら追いかけられているとは思っていなかったようで、由香は目を丸くしている。
「た、たっくん? なんでここに……」
「なんでって……お前一人にしたら、ナンパされそうだろ」
先ほどもそうであるが、由香やリミなど、一人にさせたらナンパされてしまう可能性が高い。それは先ほど行動を共にしたことで実感している。
今は、電話中であることを考慮してか誰も話しかけてはこなかったが……
「……あれ、だったら俺、来なくてよかったのでは?」
もし電話中であることを廻りが考慮していたのなら、帰りは電話するふりをすればいい。そうなれば、誰も話しかけてこない可能性はあるし、むしろ年下に見える達志が一緒にいるより効果的だ。
つまり、わざわざ着いてくる必要はなかったということ。
「はめられた…」
猛に、さよなにはめられ、こうして二人きりの状況になってしまったわけだ。どうして二人きりにさせたのかはわからないが。
このタイミングでの二人きりというのは非常に気まずい。なにせ、由香は水着……それも、男子高校生どころか男にとっては年齢問わず凶器になるものだ。
「よ、用が終わったなら帰ろうぜ」
なので、視線を合わせられない。そんな達志の気持ちなど露知らず、由香は……
「わ、なんだろこの空き家!」
と、のんきに中へと入っていく。近くにあった空き家、それは由香の好奇心をくすぐるには充分だったらしい。子供か……と感じる達志だが、せっかく着いてきて放っておくわけにもいかない。
なので由香に続いて、空き家の中へと入っていく。
「うへぇー、なんなんだろここ。埃っぽーい」
「ならいいだろ。もう帰ろうぜ」
こういうのは本来、高校生である自分がはしゃぎ大人である由香が止めるべきものではないのか……そんな考えが浮かぶが、由香には関係ないらしい。
しかし、こんなところに留まったところで比較的目新しいものがあるわけでもない。なので、早々に立ち去ろうと、声をかける。由香も、興味を抱くのは早かったが引くのも早かったようだ。
「ん、そうだね……って、わっ!?」
戻るために踵を返した由香だが、突如なにかに躓いてしまったのか、その場で体勢を崩す。それを見た達志は、考えるよりも早く体が動く。
由香が転ぶのを、防ぐために。
「う、おぉ!?」
飛びかかり、手を伸ばす。だが、手が届いても倒れつつある由香を支えることはできない。残念なことに、体格の問題なのだ。いくら男女の違いがあるとはいえ、相手は10年上の女性だ。
加えて、達志の筋力は以前のものに戻りつつあっても完全にではない。よって、由香を支えきれずに倒れてしまい……
「きゃっ!」
「ぐへ!」
ドンッ、ドダッ! ……激しい音が響いたあとにお互いに瞑っていた目を開ける。すると、目の前の相手と目が合った。……目が、合った。
互いに吐息がかかるほどに、目先にあるのはまばたき一つない瞳。達志の胸板には、この世のものとは思えないほどに柔らかななにかが押し付けられ、由香の胸元にはたくましく硬いものがある。
それがなんであるか……考えるよりも、先に理解した。今、達志の胸に、由香の胸に触れているのは……互いの体だ。柔らかな由香の膨らみが、硬くたくましい達志の胸板が、互いの体に触れている。
その気になればキスできそうな距離に、互いの顔がある。今は、目の前にある顔や体に触れるお互いの体温で、思考の整理がついていない。
だから、気づいていない。まるで、由香が達志のことを押し倒したかのような光景であることに。
……そして、気づかなかった。
ガタッ
「っ…………」
空き家の入り口に、リミの姿があり……横たわる二人を見ていることに。物音が、二人の耳に届くまで。




