名誉の人助け
目覚めてから数時間。この間に、達志の下を訪れたのは母みなえ、幼なじみの由香、猛、さよなだ。
その経緯は、達志起床の連絡がみなえに行き、そこから幼なじみの三人に伝わったというところだ。定期的に達志の下を訪れていた幼なじみの三人に真っ先に連絡したのは、みなえの気遣いだ。
代わる代わるこの部屋を訪れていた人足も、しかし今は途絶えて落ち着きを見せている。
達志としても、体感としては一日ぶりの会話なのだが、それでも実際には十年もの時間が経っているためか……立て続けの会話に、少々疲れていた。
そのため、屋上から部屋に戻り、猛とさよなが去った後はこうしてベッドに身を預けているわけだ。
「はぁ……やっぱ、時間経ってるからか……?」
喋り疲れる……しかもこんな短時間でなど、以前では考えられないことだ。やはり、体感時間と実際に経過した時間は違う……ということだろう。
何せ、実際には十年も喋っていなかったのだ。喋り疲れるどころか、むしろこうして会話が成り立つこと自体、本来ありえないことだ。
「これも魔法のおかげ……ってか?」
この十年間、眠っている達志には回復魔法がかけられていた。その魔法の詳細は聞きそびれてしまったが、これだけ設備の整った病院だ。
冬眠、コールドスリープ……そういった技術があっても不思議ではない。
次先生が来たときにでも聞いてみよう……そう考えた矢先に、ノックが響く。続いて入ってくるのは、この十年間達志のお世話をしてくれたドラゴン顔の先生、ウルカだ。
いかつい容姿とは裏腹にら中身はとても親しみやすく、人柄のいい先生だ。
「先生」
「やあタツシ君。お母上や友人との会話は楽しめたかな?」
人の足が途絶えたタイミングを見計らい、部屋を訪れたのだろう。手には資料を持ち、後ろには看護師が控えている。点滴の交換、というのは持っている道具を見て判断がついた。
「えぇ。ただ、情けないことに喋り疲れてしまって……」
「はは、無理もない。体は十年も眠っていたんだ、すぐに以前と同じように、とはいかないさ」
喋り疲れたことによる疲労感、しかし誰かと話していたいという、ひどく矛盾した感情が渦巻き達志は困惑する。
その葛藤を見抜いているのか定かではないが、ウルカは黙って作業を進める。達志の体を重んじてくれているのだろう。
「先生……聞きたいこと、あるんですが……」
「私に答えられることなら。ただ、無理はしないようにね」
「ども。……俺のこと治療してくれてた回復魔法って、どんなものなんですか?」
あくまで自分のペースで……ウルカの気遣いに感謝しつつ、達志は浮かんだ疑問をぶつける。回復魔法と単純に言うが、それは実際どんなものなのだろうか。
「そうだね……言葉の通り、回復、傷を癒す。……というのはタツシ君もわかっているね? 十年間、肉体の傷を癒し、肉体が腐らないように治癒を施してきた」
「えぇ。聞きたいのは……」
「十年もの歳月、その成長を肉体が受け入れていない……のはなぜか、だね?」
「……はい」
回復魔法に、傷を癒す以外に、不老の力もあるというのだろうか。もしそうだとすれば、なぜ肉体の成長を止めたのか……それが疑問だ。
無論、治療のため仕方のないことだったのならば何も言わないが……
「回復魔法に、肉体の成長を止める効力はないんだ」
……もしも、回復魔法の影響で肉体の成長を止めたのならば……それに何か理由があるのならば、その理由を聞きたかった。なぜ、肉体の成長を止める必要があったのか、と。
しかし、回復魔法と肉体の成長に、関係性はなかった。点滴を付け替える看護師には目もくれず、ウルカの言葉を待つ達志。その視線に答えるように、ウルカは口を開く。
「十年前、事故にあい意識不明となったキミを、我々は最高の治癒師達と最高の技術で迎え入れた。自惚れ……と言っても仕方ないだろう、当時は、これならすぐに目覚めると思っていた。
だけどね……目覚めなかった。打ち所が悪かったのか、何が原因かわからないが……」
ただの事故にあった患者が、魔法というとんでもない力でも目覚めない。それにどんな理由があったのかはわからないが、結果として達志は十年間も眠ることとなった。
「……だが、我々は諦めなかった。患者を見捨てることなんて医師としてできない。それに、お願いでもあったからね。……治療を続けていった結果、命の危機は去った。
なのに、目覚めない。いわゆる植物状態というやつさ。そして……治療を続ける最中に気づいた、肉体の成長が止まっていることに」
「成長が……」
「あぁ。何せ我々も、こんなに長い間患者と向き合うのは初めてだ。肉体成長の件は魔法の作用で、という可能性も否定できない。……すまない、原因もわからず、キミの時間を止めてしまった」
なぜ、肉体の成長が止まったのか……詰まるところ、その原因はわからないのだ。気付けば、肉体の成長が止まってしまっていた、と。不可解な謎に、頭を悩ませる……ことはなかった。
考えても仕方ないし、ウルカの話では目覚めた今、肉体の成長は再開しているとのこと。
ということは、少なからず魔法と肉体成長の件が関係している可能性はある。
達志が眠り魔法による治療が始まってから肉体の成長が止まり、達志が目覚め魔法を必要としなくなった途端肉体の成長が再開されたのだから。
ならば、この件に関して達志が追求することはもうない。故意に肉体の成長を止めたのならば理由を問い詰めもしたが、それが仕方のないことであれば、達志としてもこれ以上聞くことはない。
だから、ウルカが謝る必要もない。
「や、やめてくださいよ。先生達のせいじゃないですし、気にしてませんから。……それより、今気になる単語が出てきたんですが」
実際、気にしてない……と言えば嘘になる。だがそれでも、この件でウルカ達を責めるのはお門違いだ。それに、悲観するだけでもない。
猛はこの姿の達志を見て「羨ましい」と言ったのだ。ならば、その言葉に少しだけ助けてもらおう。気にしてないを嘘にしないためにも、この姿でいるメリットを考えて。
これ以上話を続けると、ひたすらにウルカに謝られ続けられかねない。なので達志は、とっさに話題転換。実際、気になる単語が出てきたのは都合が良かった。それは……
「お願い……っていうのは?」
ウルカは、医師として患者を見捨てない、と告げた。同時に、それは『お願い』であるとも。その『お願い』とは、果たして誰によるもので、どういったものであるのか……
「言葉の通りだよ、頼まれたんだ。キミを必ず助けてくれって……キミが助けた少女からね」
「俺が……助けた?」
達志を助けてくれ……そのお願いをしたのは誰かと考えれば、一番に思い浮かぶのは、それは母であるみなえによるものだ。
母が息子を、必ず助けてとお願いするのは、当然であるはずなのだから。
しかし、それは直後に紡がれた『誰か』を示唆する言葉に否定される。ウルカは『少女』と言ったのだ。つまり、それは残念ながら母ではないということ。
……となると、次に浮かぶのは『少女』に当たる、幼なじみである由香とさよな。だが、その可能性も即座に否定。彼女らは当時『少女』ではあっても、達志が助けた、という言葉には当てはまらないのだから。
「助けたって……誰を?」
「キミが事故にあう原因となった少女……と言うのは聞こえが悪すぎるかな。……キミのおかげで、命を救われた少女だよ」
達志のおかげで、命を救われた……その突拍子もない発言は、達志が首を捻るのには充分だった。自分が誰かを助けたなんて、そんな記憶はない……はずだ。しかし、今の言い方だとまるで……
「俺の事故って、単なる事故じゃないんですか?」
「あぁ、まだ説明してなかったね。キミが事故にあったのは……車に轢かれそうになった少女を助けるために飛び出して、少女を庇ったのが原因なんだ」
事故の原因……それは、単なる交通事故ではなかった。実際はもっと複雑で、しかしそれでも単純な……
その瞬間、記憶の蓋が開くように……事故前後、曖昧だった記憶が、思い出される。
……そう、ウルカの言う通り……達志は、目の前で車に轢かれそうになっていた少女を助けるために飛び出し、咄嗟のことに少女を抱き抱え、我が身を盾に庇ったのだ。そして、達志は……
「……そう、か……俺は……」
少女を庇い、代わりに自分が車にはねられた。それが原因で、達志は十年間も眠ることになってしまったのだ。
その事実を、空白の記憶に色がついていくように、頭が、脳が、思い出していく。実際、達志の体感では昨日のことなのだ。思い出してしまえばそれは鮮明だ。
「……その、女の子は……?」
顔は覚えていない。だが印象に残っているのは、雪のように真っ白な印象を受ける白い長髪。そして、何故だか印象に残っている、頭を覆い隠す程のぶかぶかの白いニット帽。
当時は必死でそれどころではなかったが、今考えると、冬でもないのに不思議なことだ。むしろ暑い夏の日だった記憶がある。
彼女を助けるために咄嗟に体が動いたのは、単なる正義感だけではない。当時同じ歳くらいだった、妹のことりに面影を重ねてしまったからかもしれない。
我が身を犠牲にし庇った少女、その後を知りたい。もし、自分の健闘虚しく少女の身に何かあったら……
「キミのおかげで、軽く擦りむいた程度だったよ。今も元気だ」
「……良かった……」
健在……その知らせは、達志の心に温かな気持ちを芽生えさせる。己の身を挺してまで守った女の子が無事だったこと……それが達志に、一種の達成感のようなものを与えていた。
自分が守った命がある……そのことが、この十年間の眠りが無駄ではない気がして……
「いや、でも十年はな……」
……気がして、やっぱり思い直す。少女の命を救った代償として十年間眠っていた……こう言えば聞こえはいいが、実際には車に轢かれて十年間眠っていたのだ。
どちらも事実だが、言い換えるだけでこうもがらりと印象が変わるとは。しかも実際眠っていた原因としては、車に轢かれて、になってしまうのだからどう言いようもない。
「キミは、少女の命と……もっと大きなものを救った、英雄なんだよ」
持ち主の気性を表す優しさと、一つの命を救ったことに対する尊敬……その二つを瞳に宿し、消え入るように呟いたウルカの声は、しかしうんうんと唸っていた達志の耳には届かなかった。