8. 湿った落ち葉がブスブスと燻っている。
湿った落ち葉がブスブスと燻っている。
吹っ飛ばされた枝葉や土が無残に散らばって、強烈な匂いを出していた。森特有の香りは、今や火の粉と焦げた空気とが混ざり合って、物凄まじい臭気へと変化していた。
家から出た私の元に木の精達が、わらわらと集ってきた。
わあわあ言い募る内容は、『樹皮が焦がされた』『枝が折られた』『葉っぱや苔が燃やされた』等、皆、突然の事態に混乱し怒りに震え興奮している。
いつもは半分眠っているんじゃないかと思うくらい穏やかでマイペースな精霊達だから、私は努めてゆっくり息を吸って吐いた。
「……わかった。私が原因を見に行くよ。ここを守って待っていて。訪ねて来た子を、寝台の下に隠しているんだ」
木の精達はハッとすると、こくこく頷いた。
次々に家にはり付き、一体化する。さわさわと、木々や草花が芽吹いて伸びて、家が樹海にのみこまれた。
守りに特化した〝ドリュアデスの道迷い〟だ。どうやら樹海を突っ切って<森>の縁を来たハーディは、木の精達にいたく気に入られたらしい。
彼等は植物に親しむ子供が好きだ。
私が見ていないだけで歓迎の行動をたくさんしていそうだ。そういえば、転んだハーディは汚れてもいなかったと今更ながら思った。
焼けて剥き出しになった地面を、そっと歩く。
樹海に生息していた僅かばかりの下草は、灼熱の炎で炙られて炭となり、私の足の下で粉々になった。怒りが湧きそうになって、深呼吸をした。
私は、先程の爆発音に心当たりがあった。
鉱山で使われる爆薬の音と同じだ。火薬を用いた魔法道具の衝撃波は、呪文で呼び出しただけの魔力爆発とは違い、局地的で多量の熱を生む。
勿論、自然発生などありえない。
今は平和目的でしか使われない消耗品だが、その昔、それらは兵器として使われていた。
最早、襲撃と言ってもいい状況だが森林破壊される理由が解らない。
仄暗かった樹海に光が差し込んで、明るくなってる。被害の大きさに、握りしめた拳からミシリと音がした。焼けて枝垂れた葉を、そっと指で動かし。
開けた視界に、私はカッとなった。
樹海の一部が焦土と化していた。
丸く窪んだ爆心地の中央で、木々がザワザワと蠢いている。トレント達だ。
彼等は普段、森の木々と一緒に光合成や呼吸をしている。他の植生を思いやって根を張る為、お気に入りの場所から動く事は滅多にない。
その滅多にない事が、起こった。
木が軋む音は、トレントが動いた音だったのだ。初めて聞いたから、わからなかった。私は殆ど走るような歩調で近付いた。
焦土の中心に、国境兵のように武装した男が五人いた。
全員、蔦や蔓で縛り上げられた挙句、一番大きなトレントの太い枝から吊り下げられている。ギリギリと締め上げる動きに無駄がないのは人体構造を知り尽くした<森>側の植物達だからだ。今は、力の込め方も容赦は無い。
ゴキ、とこもった音がした。
骨が折れた音だ。男達は顔を覆う蔓の下で呻いていた。このままでは話を聞く前に、縊り殺されるか窒息死だ。
私は、手近なトレントに触れた。
『来たか』
『着たか』
『こやつら水に沈めてやろうか』
『土に埋めてやろうか』
『どうしてくれようか』
憤怒の思念が流れ込んでくる。
トレント達は、主根を軸に側根と根毛を器用に動かし枝葉を撓らせて囲みを解いてくれた。
私は囲みの内側に踏み込み、目を疑った。
怒りに我を忘れた蔦達が、自らを地面に打ち付けていた。ビタンビタン這い回る度に男達を拘束している仲間に力が注がれ、また骨が折れる音が聞こえた。
カッとなっていた頭が、すぅっと冷えた。
ハーディが引っ掛かったあの蔦類は、樹海の植物の中でも暖気な質だ。
一日の大半を風に揺れてみたり光合成をしながら寝そべって過ごしている。蔓類とも仲良しで、よく木の精達のブランコになって一緒に遊ぶ。
一昨日なんか、蔦と蔓が枝に並んでぶら下がって風に吹かれ、こんがらがって二進も三進もいかなくなり、転寝していた老木の古精に助けを求めた。慌てた古精に呼び出された私は、木に攀じ登って汗だくになって解いたが、瑞々しい葉っぱが、この時ばかりはクッタリしていた。
ビミョーに活動的な樹海の住民達だが、激しく動く事はない。
<森>を傷めるから。
木の精達と話した時も感じたが、この怒りようは尋常じゃない。他にも〝何か〟があったんだと、内心で気を引き締めた。
「……襲われた君達の怒りは尤もだが、待って欲しい。何が目的でココに来たのか、先ずは事情を聞かなければ」
『なんだと』
『なんだと』
『突然やって来て同胞を焼いたのだぞ』
『やっと芽吹いた草花が灰になったぞ』
『どれだけの若木が炭になったと思う』
『堆肥にしてやる』
『埋めてやる』
『埋めてやる』
『埋めてやる』
怒りに葉を振るわせたトレント達の樹皮は酷く焼け焦げ、樹液が爛れて異臭を放っていた。
樹海の植物を、守ろうとして守りきれなかった無念が感情の波となって流れ込んでくる。
私は、彼らの気持ちが鎮まるのを待った。
ザワザワと殺気立った気配が、時を置いて少しずつ引いていく。
まだ騒がしいが、先程よりずっとマシだ。私は、顔を上向けた。
「……話せるようにしてくれますか?」
自らを焦土に打ち付けていた蔦達は、一度だけバシンッと音高く地面を打つとスルスルと引き下がった。
男達を締め上げていた蔦達の力が止まり、顔を覆っていた蔓達はゆっくりと退いた代わりに首に巻きつく。
どちらも今以上に絞めてはいないが「絶対に動かないぞ」という意思を感じた。
鼻出血で服が染まり酸欠で膨れ上がった顔をした男達が、私を見下ろした。
『聞いてやろう』
『聞いてやろう』
『それから二度と来られない様に、匂いを付けてやろう』
『そうしよう』
『そうしよう』
トレント達の言葉は、私以外には聞こえない。
男達に次々と実が飛ばされた。柔らかい実は当った瞬間、簡単に弾けた。
甘い匂いが立ち込めたが、私は男達を観察しながら口を開いた。
「……私はここに住む事を許されているミヒルという者です。この樹海は禁足地で国の許可が無いと立ち入ることすらできない決まりです。その木々を、突然焼いた貴方達の目的は何ですか?」
男達は、顔を見合わせた。
そして、こめかみに傷のある男がニヤリと笑った。
「技師長の耳介飾りを着けたミヒル……魔力や薪を使わない〝温源台〟を作った発明技師だな。小僧を追っていたら大物を見つけた。ーーおい!」
上向いて叫ばれ、しまったと思ったが遅かった。
私は、その場から飛び退った。
歩いて解ったが、焦土は真円を描いて形成され周囲の植物は森のほうへと圧し倒されていた。
だから、少なくとも一度目の爆発は、樹海の上で起こった。恐らくは空を飛ぶ生き物に乗った仲間がコチラを窺っている。男はソイツに合図したのだ。
キッ、と空を睨んで。
私は息を飲んだ。
王都に住んでいた頃、論文で読んだ。
荒唐無稽だと評された〝飛空船〟が浮かんでいた。澄んだ空を背に、ぽっかりと浮かぶ船には帆の代わりに幾つもの袋が不恰好に括りつけられている。それらが風に煽られている光景は、海を知らない私にも、ただの帆船を転用しただけだと解らせた。
音も気配もしなかったのは、結界魔法を使っているからか。
次の瞬間、見覚えのある球が、飛空船から飛び出した。
採掘を専門にする友人に、鉱山の麓で見せて貰った。丸く加工した火薬と藻草を詰めた、筒型の危険物の中身。飛び出した球は、あの時の物よりも何倍も大きいが、間違いない。同じ物だ。戦場では爆弾と呼ばれていたと友人は教えてくれたが、水平に飛ばされた爆薬の球は、やがて失速し放物線を描いて落下する。
ここに。
私は<杖>を真上に突き出すと渾身の魔力を振り絞り、弾へと放った。