7. カップをじっ、と見つめた後。
カップをじっ、と見つめた後。
ミルクをごくごく飲んで、ハーディは大きく息を吐いた。
いーい飲みっぷりだぁ。食べ方もキレイだし、酒を嗜む年齢になったら枠と笊の友人達と物凄くウマが合いそうだ。
ハーディは口の周りの牛乳ヒゲをハンカチで拭ってから唇を開いた。
「お母……、家族が病気なんです。この森で採れると聞く薬草が欲しくて。そうしたら、弟のともだちの黒い鳥が〝ドルイドのミヒルから手に入れるのが一番だ〟って教えてくれたんです」
……君の弟は、気難しいあの鳥と仲良しなのか。すごいな。
私は思わず感心した。
〝元神子〟の一件で判るように、この国には「やった者勝ち」の犯罪不文律がある。
勿論、常識的にも法治国家的にもそんな事は罷り通らないし、粛正後の今では厳罰に処される。
しかし管理されている山野ですら、資源盗掘や作物泥棒が日常茶飯事だ。パッと見て未開の土地っぽい樹海では、薬種の盗掘が多い。全部とっ捕まっているけれど、ドルイドの私が渡す分には何の問題も無い。
「家族というと、……何人分かな?」
ハーディは、ハッとした顔になった。
コクリと唾を飲み込んで、手のカップをテーブルに置くと姿勢を正した。
「母と弟と妹の三人分です。〝魔力酔い〟なのに父は落ち着いた後が問題だって、だから薬がいるって言うんです」
眉根が寄ったのがわかった。
魔力酔いは、私がチビの頃は長老と呼ばれる人達が罹っていた病気だ。平和になって魔法が日常生活に浸透した今では、風邪並みに身近な病気になった。
別名を〝呪い中毒〟とも言う。
突発的に強い魔法に触れたり、長期間に渡り魔力に晒された時に発病する。
熱発はない。
眩暈を伴う頭痛・腹痛・関節痛等が主訴で、半日から二日不調が続く。が、安静さえにしていればケロリと治まる為、大概の人は〝日日薬〟で凌ぐ。
けれど、ここ一年で患者が急増し、調査に乗り出した医家達によって単純な病ではないことが解って来た。
中和剤が要る。
魔法医を含む専門家には知らされているが、世間一般にはまだ伝わっていない。
父親が知る立場にあったのは幸運だったとしか言いようがないが、その心境は複雑だろう。個体差はあるが、神子が持つ高い魔力に中って体調不良になる者が出るのは昔からよく聞く話だ。
頭の中で在庫を確認しつつ、椅子から立ち上がった。
不安そうな表情を浮かべたハーディの目が私を追う。安心させるために、少し笑って見せた。
「君のいう黒い鳥は、私の茶飲み友達でもあるんだ。直ぐに出そう。三人分となると量が多いけれど、」
持ちきれそうかい?
と、尋ねようとした言葉は、爆発音で遮られた。
咄嗟にハーディを抱え込んで、床に伏せた。分厚い窓ガラスが、ビリビリと震えて割れそうだ。
噴火でもあるまいに、空振なんて普通じゃない。
私は起き上がるとハーディを抱いたまま寝室のドアを開けた。遮光カーテンを引いていて暗いが、かえって良かった。もしガラスが割れても飛散しない。
でも念のためだ。私はハーディを寝台のそばに下ろすと、床に片膝をついて目線を合わせた。
「ハーディ、寝台の下に隠れていなさい。そして私が良いというまで何があっても出て来てはいけないよ。いいね?」
新緑色の瞳が、真っ直ぐ私を見た。
顔色が悪い。子供を独りにする罪悪感に、私の胸が締め付けられた。いたたまれなくて手を取って床に座らせる。ハーディの視線が寝台の下へと流れて、内心でホッとした。
「でも、僕は、あの、」
動揺して上手く言葉が出せないハーディを、やっとの思いで寝台の下に押し込んでから私は床に腹ばい、まろい頬を両手で包んだ。
「聞きなさい。黒い鳥がアドバイスしたとはいえ、君は真正面から私を訪ねて来た。だから、敵ではないと判断された。けれども、」
メキメキメキ、と木々が軋む音が外から聞こえてきた。
再び爆発音が轟き、今度は家が揺れた。パラパラと漆喰が落ちて来る。
私は、ひたりとハーディを見た。
「私はドルイドとしてこの騒ぎを鎮めなければいけない。このままでは人死にが出るからね。足手纏いだから、絶対にココを動かないで」
ハーディが頷いたのを確認して、立ち上がった。
寝室のドアを閉めて、壁に立て掛けていたドルイドの証である<杖>を手に持つ。
ハーディの荷物が置かれたイスに自分の外套を掛けてそれらを隠すと、玄関のドアを開けた。