6. ハーディの父親は。
ハーディの父親は、間違いなく私の手に余る。
良くも悪くも、十年以上前に還俗した〝元神子〟と呼ばれる魔法医の彼は有名人だ。
そもそも神子は、王家の子女から選ばれる聖職者を指す。
幼子のうちから神子の教育を神殿で施され生涯を奉げる。彼等は婚姻を結べないから、歴代の神子に伴侶と子供は存在しない。
王家から神殿に差し出された、まぁ体の良い人質だ。権力の集中化を防ぐ目的もあったが、定期的な刷新が無い限り組織の腐敗に例外は無い。
私は、温くなったお茶をもう一口飲んだ。
「……国の綱紀粛正に尽力した彼は、新しい神子が選ばれるのを待って引責退任し市井に下ったと聞いた。そのまま一介の魔法医として神殿に在る事も出来たろうに。潔癖だと思ったよ。私はね」
血こそ流れなかったものの、粛正による攪乱期は数年に及んだ。その責任を取っての事だった。
聞いた当初、私は耳を疑った。確かに国は荒れたが、恩恵を受けた民の方が多い。かく言う私も、その一人だ。
内乱になっていたら、今の平和は無かった。
頑ななまでに武力を持ち率らせなかった彼の物凄まじさは、あらゆる垣根を越えた連携にあった。
神殿だけでなく王家と国府、在野の有力者達をも巻き込んで纏め上げ遣り遂げた手腕は、尋常ではない。
閉塞された国の将来を、憂いて備え雌伏していた彼等を担ぎ出せたのは、念入りな下調べと周到な根回しだと聞く。
彼が王族のままであったのなら、速やかに協力が得られその後の混乱も長引かなかったと言う声があった。
だが、王族は城の奥にいるもので、そもそも民と接触しない。
神事と施療の両方を行うことで民と関わり、富める国と困窮する民の矛盾した実状を知ったからこそ、巧妙に隠された上層部の脱法行為に気付けたのだ。
王家と国府、神殿を。
不正とは無縁の〝神子〟だったから組織の改革に乗り出せた。
目に見えて発展し始めたこの国は、攪乱期で削がれた力を取り戻しつつある。その起因となった彼を「元神子」と呼び、歴代の神子と区別するのは敬慕の表れだ。
私はお茶を飲み干すと、ティーポットを寄せてお代わりを注いだ。
ハーディのカップにはミルクが半分ほど残っている。すっかり冷えてしまっているだろうに俯いたまま顔を上げず、
「……ドルイドは人嫌い、と聞きました」
私の事をポツリと言った。
直後に、ハーディはハッと息をのんだ。
顔を上げて私を見たが、失言を悔いて強張る表情に怒りはわかなかった。むしろ、思った事や感じた事、考えた事を、相手の都合なしに言えるのは子供の特性で、そこに年齢は関係ない。
躾が届いているというよりは、無理をして大人に近付こうとする子供の危うさを、幼馴染みで知っている私には良かった失敗だ。
思いがけないハーディの未熟さを知って、ホッとしたから。
同時に父親から「お前は人ギライだ」と指摘され続けてきたソレを思い出し懐かしいと感じた。
……我ながら謎の心境だ。
(それにしても、人嫌いって……)
あー、うん、まぁ、仕方ないかな。
私の「聴覚が発達し続けるドルイドは人の中で暮らせない」という事情を知らなければ、そんな話になってても不思議じゃない。
だって、辺鄙どころかココ前人未到の秘境だし。
会食に招いたパン屋の爺さんからも驚かれたけれど〝人嫌い〟でもなきゃ住まないわな。
あと、誰から聞いた話かは訊かない。
神殿から出奔した君の父親が国府や王家に近付くとは思えないし、必要があって情報が洩らされたのなら、私には魔女ばあちゃん達しか思いつかない。
幼馴染みからの漏洩は、ありえなかった。
発明仕事でマメに手紙を遣り取りしているからこそ防犯上お互いの住所を知らない事にしているし、この事情を見越して魔女ばあちゃんは使い魔の黒鳥を雁使として遣わしてくれた。
初対面がアレだったから、許して貰うまで時間がかかったが「あの子には、餌付けが一番だよ」と事も無げにアドバイスした魔女ばあちゃんは、本当のことしか言わない。
最悪な印象しか持たれていなかったものの、今では私の良い話し相手だ。
そう。
使い魔といっても自由意思を持つ黒鳥は、喋れる。
守られているなぁ、と思いながら私はハーディのカップを取り上げて熱いミルクを注ぎ足した。
「ドルイドだから人嫌いというワケではないけれど、世間並みには用心深いかな」
多分。……無防備に招き入れてて言うのもなんだけど。
私を見上げたハーディの表情は晴れない。何がそんなに気がかりなのだろう、と思いながらカップを渡し肩を竦めた。
「さ、君は何の用事があってココまで来たのかな?」