1. 魔女ばあちゃんは言った。
魔女ばあちゃんは言った。「掃除の手は抜くな」と。
具体的にどのくらいのレベルが良いのか判らず、パン屋の隠居の爺さんに尋ねてみたら「窓ガラスまで拭き上げろ。ウチの店はそれがふつうだ」とアドバイスを貰ったので心掛けてみた。
見習い期間が終わった後も続けーー昨日はたと気付いた。
家中ピカピカにするのは生家でも特別な客を遇する時くらい。私は一体何をやっているんだと脱力した。
けれどカッチリ済ませていたお陰で窓から樹海の木々が細部まで良く見える。
つい先程、遠くの枝葉がチラリと動いた。
書簡の先触れも無く我が家に向かって歩いて来る人の姿は稀に見るが、その全員が生薬絡みだ。この樹海で採取される薬種は希少で薬効が高い。ただ、遠路はるばる来られても、こっちにだって都合があるから出直して貰ったりする。
だから、暫くしてガサガサ音を立てて現れた小さな男の子に、そりゃあ驚いた。
思考停止した私は、ボケッと思う。
(え? 迷子か? お使いか?)
軽く混乱した頭にしては、我ながら常識的な語彙だ。
場所的にチビっ子が来るなんて想定してなかったし。細っこい足を一生懸命に動かして、あ。
あー、コケた。
ここの蔦って鉈でも切れないから。カバンでも引っ掛かったかな?
多分、斧でも傷つかないと思うから上手く避けて、そうそう。よく気を付けてね。樹海の鬱蒼とした風景の中に人家を見たら安心するの分かるけれど、……この辺けっこうヤバイよ?
私は窓を開け放った。
男の子は、ハッと立ち止まってコチラを見た。目が合うと、慌てたように被っていた革の帽子を取る。金茶色の髪が、汗でおでこに張り付いていた。
「あの! はじ、はじめまして! 僕は、ハーディと言います!」
声が大きい。
ただでさえ子供の声は甲高いのに、緊張のせいかキンキンしている。
樹海のざわめきに慣れた私には痛いくらいだ。
思わず両の手の平をハーディに向けて、目を閉じる。葉擦れの音の他に、息を飲む音が聞こえた。私は慎重に息を吸うと、そっと言った。
「……門前払いをしたり追い払ったりしないから、ゆっくり来なさい」