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非常食な私と悪魔さん

作者: 百華あお

 悪魔があらわれた。


 なにを思ったか、私の脳は勝手に目の前の光景をそういうふうに処理した。某ゲーム風に言うなら『やせいのあくまがとびだしてきた!』だ。いや飛び出すもなにもいきなりあらわれたんですけどね。人間っていうのはパニックに陥るとしあさって方向に逃避したくなるものらしい、そこまで考えてから私はようやく現実に引き戻された。……目の前の、悪魔(暫定)の言葉によって。

「久々に、美味そうな人間だ」

 え? なにが? 私ですかっていうかそれ以外ないですよねここには私しかいないし目合ってるしあれ目が金色だきれい。いや違う。そんなこと言ってる場合じゃ絶対ない。

 これは、おそらくあれだ。世に言う絶体絶命ってやつだ。

 ……どうしよう。


 私の記憶が正しいならば、私はたしか、放課後の教室でひとり泣いていたはずだった。

 窓の外は夕暮れ。傾いて燃え尽きようとする太陽を見ながら、私はひとりでさめざめと泣いていた。涙の理由? ちっちっ、乙女にそんなたやすく涙の理由を聞くものではないよ。しいて言うならそうだな、青春ゆえの傷心だと言っておこう。

 それがなんだ。今では窓の外にはなにやら赤黒い世界が広がり、ひとりきりだったはずの教室には気味の悪い落書きが蔓延って、さらには目の前に悪魔(暫定)と来るじゃないか。なんだ。私がなにか悪いことをしましたか神さま。許してくださいラーメン。まちがったアーメン。私は失恋の苦さに絶望し打ち拉がれていただけです。まちがっても悪魔なんか呼び出した覚えはないし、失恋の相手に復讐しようなんてことも考えてなかった。せいぜい失恋の憂さ晴らしに駅前にできた評判のケーキ屋さんのケーキをやけ食いしてやろうと思ったくらいで。

 だというのに、なぜ私の目の前にこんなやつがいる。

「グシオンが言ってた通りだな」

 金無垢の瞳を細め、悪魔(暫定)は言った。それにしてもこの悪魔(暫定)、イケメンである。

 年の頃は人間にして二十くらい。鼻梁は通っているし、燃えるような赤色の髪には艶があって瞳は切れ長だ。野性味溢れる大きな口にはそぐわないくらいの艶然とした笑みが浮かんでいて、私は思わずどきりとする。

 ただ。

 先ほどこの男は言いました。「久々に美味そうな人間だ」と。赤黒い世界と魔法陣のようにも見える落書きたち、それの意味するところはまあ……ひとつしかないでしょう。美味そうって。ていうかぶっちゃけ、この男の背中に翼生えてます。

 雄々しく広げられた黒い翼は悪魔(確定)の背で力強く羽ばたき、その圧倒的な存在感を主張する。それがなければ私もまだ目の前の存在が悪魔であるなんて不謹慎なことは考えなかったかもしれない。しかし、しかしだ。歴史にもしもは存在しない。いくら非現実的だろうがファンタジーだろうが、現に目の前の男には黒い悪魔っぽい翼が生えてるんです。

 どうしろっつーの。十七年間、平凡月並みに生きてきた私に。

「おい、人間」

「……私ですか」

「他にだれがいる」

 眉をひそめられた。そうですよねえ。悪魔(確定)と会話している割に冷静だ、私。冷静だろうが何だろうが食われる時は食われるだろうけど。

 というか、悪魔っていうのは人間が主食なんですか。初めて聞いた。いい勉強になりました、これからは夕暮れの教室になんか残らずさっさと帰ることにするからどうか見逃してくれませんか。

「おまえ、年は?」

 しかしそんな私の胸中など知るはずもなく。そう問われた私の思いは推して知るべし。

 年?

 これから私を食おうっていう悪魔が私の年齢なんて聞いて何になるだろう。

「……十七、ですけど」

「十七か」

 そう思いながらも慇懃に答えてあげる私に、ひとり神妙にうなずく悪魔(確定)。どういうことでしょう。もしや悪魔さんには特定の年齢の相手しか食べないとかいった非常に特殊な趣味というか嗜好があるんでしょうか。

「食べ頃はまだだな……」

 あっそういうことですか。人間にも食べ頃とかあるのね? 私の旬はまだなんですか。ちなみにいつになったら食べ頃なんでしょう。ていうか、もしやこれ、食べ頃じゃないからポイってパターン? 捕食回避できる? 少しだけ期待して高鳴る胸。

「――まあ、いい」

 わあ、無理でした。早。フラグはへし折れません、残念ながら、私一介の女子高生ですから。

 私は思わず何歩か後退する。おそらく無意味だとわかりながら。いいじゃない死ぬ前くらい、無意味なことさせてくれたって。道草寄り道大事よ。

「安心しろ。このオレが食うからには、美味しく調理してやる」

 しかし悪魔(確定)は直球だ。調理されるんですか。いっそひと思いに丸呑みにしてほしいんですが。ていうかいい男がそういう言い方すると、えろい。

「……あの」

「あぁ? なんだ」

 黄金色の眸をすがめ、私の声を拾い上げる悪魔(フェロモン放出中)。

「その……食べる、んですか」

「他になにがあんだよ」

 わかっている。確認だ、確認。

「私なんか……美味しい、んですか?」

 すると悪魔(腹ペコ)はすっと目を細めた。それだけで一枚の絵画になりそうだ、悪魔だけど。

「――あぁ。千年に一人いるかいないかの逸材だな。喜べ、人間」

 まさかの逸材でした。嬉しくない。

 そうなればやはり、捕食回避は難しいだろうか。なんの因果でこうなったかはわからないが、私はここで食べられる運命だったのかもしれない。


 ――なんて厄日だ。


 私は今日、ここで四年間想い続けていた人にフラれた。その失恋の痛みを涙にしてほろほろ流していると、突然景色が変わり、まがまがしい世界に包まれてしまった。そこで出会ったのは私を食べるという悪魔(グルメさん)。私の初恋が終わった日というだけでも十分いやな記念日なのに、まさか人生終了の日にもなるなんて。

 私はたったひとつ、かなえたい夢があっただけなのに。

 それもかなわず悪魔(グルメさん)にぺろりと平らげられて、はいお終い? 運命というのはどうにも残酷だ。私の告白のなにが悪かったというんだ。天罰が下るくらいひどかったのか。

「お祈りは済んだかよ?」

 顔をうつむけた私の沈黙を神への祈りととったらしい。悪魔(確定)はからかうように笑うと、私の方へと一歩踏み出した。


 ――ああ。だめだ、もう食べられるんだ私。


 お祈りなんてしてないけど、というかお祈りより神への呪詛で私の頭はいっぱいだ。罰当たりでごめんなさい、でも私神とか信じてないんで。悪魔は信じたけど。

 思えば十七年間、私はなにをしてたんだっけ。なんのために今まで生きてきたんだろう? 死ぬ前には思い出が走馬灯のように浮かぶっていうけれど、正直、なんも出てこない。私の視界にあるのは落書きだらけになった教室と目の前の悪魔(イケメン)の顔のみ。


 食べられる。


 鮮烈に死の一文字が迫ってきた瞬間、私は無意識のうちに口を開いていた。

 ――どうせ食べられるのなら、せめて。

 せめて十七年、なにもなかった平坦な人生に花を飾りたい。終わりくらいせめて、私は私の夢をかなえて、死にたい!

 そう思い、私は数時間前、この教室で口にしたばかりの言葉を再び声にした――


「あのっ、結婚してください!」


 ……瞬間。


 まるで異世界のしかも失われた言語でも耳にしたかのように、悪魔(確定)の顔から表情が全てすっぽ抜けた。その変わり方といったらまあ名立たる俳優もかくやといった感じか。

 ――え? あれ?

 一体どうしたっていうんだろう。表情がない。怖い。マネキンも裸足で逃げ出す無表情だ……えーと。

 そんな怒っていらっしゃるのでしょうか、この悪魔さんは。

 もしかしたら彼はとてもプライドが高い方なのかもしれない。自分のことを『このオレ』とか言ってたくらいだし。それならたかだか人間の小娘に求婚されるのはさぞかし迷惑だったことだろう。……だけどね。

 結婚っていうのはやっぱり女の子の夢じゃない。結婚、死ぬ前に一度はしてみたいじゃない。いやそんなに何度もするもんでもないけど。

 私は今日、四年間想い続けていた人に対して同じ台詞を口にしてフラれ、彼との結婚の選択肢を失った。そしてすぐに悪魔(現マネキン)と出会い、捕食されそうになったのだ。

 この状況で結婚の夢をかなえるには、悪魔(イケメン)と結婚するしかない。もし出てきた悪魔が人型じゃなかったりしたら……さすがに私もあきらめただろうけど、相手は人型。その上イケメン。これは死ぬ前に私に与えられた奇跡にちがいない。

 そして悪魔(イケメン)も、私を食べる以上はその義務があるはずだ。おとなしく食べられてやるから結婚のひとつやふたつ受け入れなさい、こんないたいけな女子高生を食べるんだから。それとも目の前の悪魔は悪魔といえどもやはりイケメンだから、恋人や奥さんの一人や二人くらいはいたりするんだろうか? それなら話はわかるから、その際はぜひ自己申告してほしい。

 ――とか、私がひたすらそんな思考をだだ漏らしていると、ようやく表情を取り戻したらしい悪魔(祝・マネキン脱出)が、


「……っく、はははは!」


 いきなり笑い出した。

「……え」

「面白いな、人間。死の間際になって命乞いする輩は大勢いたが、そんなことを言う人間は初めてだ」

 え。え。

 私が驚いてただただ目を白黒させているのを尻目に、悪魔(高笑い)はさも愉快そうに笑う。

「金銀財宝や色情ではオレを出し抜くことはできないとわかってたのか。こんなに面白い命乞いをする人間は初めて見たぜ」

 え、あの、いや。……命乞いじゃないんですけど。

 しかし悪魔(勘違い)はそんな私のことなど意にも介さず、おもむろにその金の目を細め言った。

「気に入った。人間、名は?」

「え、……麻子、です」

「アサコか。――よし、決めたぜ」

 ひらりと身を翻して私から離れると、彼は笑みを深めて狼狽する私にこう告げる。

「アサコ。おまえはオレの〈非常食〉だ。おまえはオレが他の人間を全て食い尽くしたあと、最後に食ってやる」

 そう言い切った悪魔の瞳はやはりどこまでも鮮やかな金色で、私はどこかで選択肢をまちがったことを、心から後悔するのだった――。


 ……いや、だから私は、結婚したいだけなんだってば!




 日下部麻子、十七歳。暫定非常食。初恋が無残に破れ去ったその日から、悪魔(捕食者)との奇妙な生活がはじまりました。



続きません。

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