恩人
僕は虐められている。
近所では暴れん坊として有名で、近所の大人達からは、専らガキ大将と揶揄されているような男にだ。もうすぐ制服を着て学校へ通う年齢だというのに、やっとランドセルを背負ったぐらいの幼い子供たちを引き連れて強がっている姿は滑稽そのもの。そして、そんな連中に何も抵抗できないでいる僕も、これまた滑稽だ。仲間内と比べても小柄な僕は、殴られたり、蹴られたり、投げられたりされても、反撃などできようはずもない。僕だって男として産まれてきた。せめてこの体が五体満足なら一矢も報いてやる。けれど、そんなことすら出来ない。困った僕は必死に助けを求める。そのぐらいしか出来ることはない。それをまた面白がってか、ガキ大将達はまた僕をぶん投げる。満身創痍な僕は受け身などとれるはずもなく、そして木の葉のように軽いわけでもないから、まともに地面に叩きつけられてしまった。さらには首根っこを掴まれ、川に捨てられる。まだ真冬ではないとはいえ、水温はとても冷たい。このままでは風邪を引く以前に、凍え死んでしまう。さて、どうしたものか。僕は悠長にそんなことを考える。なぜなら、助けを呼んでも誰も助けてくれないし、僕なんかを助けてくれるようなお人好しもいない。僕の体は少しずつ水の中へ沈んでいく。ああ、せめて一度くらい、両親の姿を見たかった……。
と、諦めたその時。僕は、暖かい何かに包まれた。
少年だ。僕よりは大きいが、ガキ大将よりも遥かに小柄だし、見るからに年下。しかし、その髪の色はどうしたものなのだ。太陽のように金色ではないか。小学生の分際で髪を染めるなど。大して長く生きているわけではない僕でも、最近の風俗が乱れていることぐらいは、彼を見れば分かる。棒のような細い腕で僕の体を持ち上げ、川岸まで連れて行かれた。草むらに僕を横たわらせた後、彼は果敢にも、たった一人で孤独にガキ大将達へ向かっていく。
感謝の言葉を埋め尽くすことで僕の余生を過ごしてもいいぐらい、僕は彼に感謝した。だが生憎、僕にそんな語彙はないため諦めた。ならせめて、生かされたこの体、孤独な彼に寄り添ってみるのも面白いと思った。
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苦節十年、色々なことがあった。美しい嫁に出会い、子宝に恵まれ、近所の人に愛され。もう私には、これ以上やりたいことも見つからない。けれど、どうやら彼は違うようだ。金色だった髪も黒に戻り、常に何かに飢えていた瞳は、近頃では活気に満ち溢れている。あれは一図に恋をした馬鹿の目だ。私もそんな経験があったから分かる。彼にとっては、これから先の人生こそ本物の人生。精々頑張ってほしい。応援はしてやろう。
そして今日、彼は愛する女性と共に旅へ出る。俗に言う、駆け落ちというものだ。私は駅のホームで彼を待つ。最後の姿くらい、この私が見届けてやろう。それが、彼を棘の道へ進むきっかけを作った私の、せめてもの労いだ。
もうすぐ列車がくる。そんな時間になって、やっと彼と、綺麗な女性が二人来た。
こんなところに忍び込んだ私を見て、彼は目を丸くする。座り込んでいる私の頭を撫で、別れの挨拶をする。その湿っぽさが、彼には似つかわしくない。けれど、春という季節はそんな『らしく』ない行動をさせてしまう魔力すら持っているのか。
「じゃあな、ネコ。肥満になって死ぬなよ」
最後くらい、名前をつけてくれてもよかったのに。
彼は列車が到着するまでの間、ずっと私を撫でてくれた。もう、彼にそうされることもなくなる。それを想うと寂しくなるが、ここは素直に、変化を喜んであげよう。
私は去っていく列車を見つめ、視界から消えるまで「にゃーお」と鳴き続けた。




