朝のひととき
目が覚めると僕は顔を洗って朝食の用意をした。納豆に白飯、ついでにスクランブルエッグでもつくって、こたつ机の上に置く。
スクランブルエッグの上に醤油をかけた頃には、この小さなワンルームの部屋が朝食の匂いで満ちていた。
ズルズルと納豆ご飯をかき込む、温かいご飯と納豆の粘り気が口の中で混ざり合い、時折トッピングの辛子が存在感を主張する。スクランブルエッグに箸をのばせば、いつもとかわらない安心するような甘さと、醤油の塩気がたまらない。
まだまだ熱さの収まらない内に朝食をすべて食べ終えると、僕はまだ窓のカーテンを開けていないことに気がついた。僕は立ち上がると窓の所まで行き、カーテンを開けた。
相変わらず外は異次元の空間だった。セットの絵の具を全部絞り出して、ぐちゃぐちゃとかき回したような世界。
ある日目が覚めると、窓の外がこうなっていた。これが本当の異次元の空間なのかは分からないが、そう呼ぶしか僕は思い浮かばない。
別に玄関から外に出れば、そこは普通の世界に繋がっている。いったい何がどうして窓の外がこうなってしまったか分からないが、普通に生活するにあたってこれまで支障がなかったので、あえてこのことはスルーして、何事も無かった様に生活してきた。
あれからもう半年になるか……。
半年経っても全く変わらず今も異次元で、また朝起きれば元に戻っていたと言うことも起きない。
そろそろ対策を考えた方がいいだろうか?
僕の住んでいるこのアパートは築5年と比較的新しく、内装もまだ綺麗だ。部屋は二階にあって、窓の外にはベランダも無く、腰ほどの高さのところに冊子の下がある普通の窓で、少し外に飛び出る様に手すりがあり、上の方には物干竿がかけられる器具がある。ちなみに僕はいつも近くのコインランドリーで洗濯乾燥までやるので、物干竿はおろか、洗濯機も持ってない。
換気口もあるし、だから滅多なことで窓を開けていなかったのだけど、窓の外が異次元になってからさらに開ける機会はなくなった。
でも一度だけ、この半年間で窓を開けたことがある。どうしようもなく窓の外がどうなっているのか気になったからだ。
結果から言えば(まあ特に結果しか無いのだけど)、窓の外の空間はこの部屋のアパートの外壁しかなくて、その四角形の面以外は何も無い、歪んだ世界の中にぽつんと1部屋分のアパートの外壁が浮かんでいて、それ以外何も無いという感じだった。
正直それだけ分かれば十分で、僕はそれ以来窓を開けていない。
不思議じゃないと言えば嘘になる。気にならないわけは無かったけれど、でも僕はどうしたらいいのだろうか? 窓の先が異次元だからといって、僕は何をすればいい? たとえ何かすることがあったとしたら、たとえそんなものがあったとしても、なんかもうどうでもよかった。
もう半年になると、初めからそうであったような気もしてくる。初めから窓の外は異次元で、不動産屋から紹介されたときからもうこうで、僕はそれを承知で借りて、むしろどの部屋だってこうだった。僕の部屋だけではなくて、それこそ世界中の部屋の窓が異次元に繋がっているんだ。
そう思うと何のことはない。
別に外に出られない訳ではないし、電気ガス水道も問題ない。テレビだって当たり前に映る。確かこうなる前は1メートルか2メートル先に建物があったはずだから、むしろ開放感があってこっちの方がいいくらいでもあった。
そうだ、考えてみれば窓の外が異次元に繋がっているだけであって、ただそれだけのことなんだ。
僕は窓から離れこたつの上の食器を片付けると、リモコンでテレビを付けた。最近買った22型液晶テレビには、綺麗なHD画質で朝の情報番組が映し出された。今は天気予報がやっていて、今日の東京は何でもすこぶる晴天らしい。
僕は窓の外に目を向けた。
そこには相変わらず、グネグネとうねる異次元の空間が僕を見下ろしているだけだった。
なんだかフラットなものが書きたいと思って書いたら、こんなものができました。