王妃選考に落ちましたが、外交成績は私が最上位です
本作は、全六章で構成された異世界恋愛短編小説です。
一気に読んでいただいても、お気に入りの場面で一度閉じて続きを楽しんでいただいても、どちらも大歓迎です。どうか、ご自分のペースでゆっくりお付き合いください。(*‘ω‘ *)/
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第一章 選ばれなかった才
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王妃最終選考は、三日間にわたって行われた。
初日はダンスと礼儀作法。
華やかな音楽の中で、候補者たちはドレスの裾を翻し、王子の手を取り、観衆の目を惹きつけることを求められた。
二日目は国民向けの弁論発表。
会場を埋めた市民たちの前で、それぞれがルーヴェル王国の未来について語った。
そして三日目——最後の審査が、外交模擬試験と国民投票の集計だった。
模擬試験の会場は、王宮内の評議室だった。
六名の候補者が別室に分けられ、それぞれ仮想の外交問題を与えられる。隣国との国境紛争。通商条約の交渉。他国の内政干渉への対応。制限時間は二時間。解答は文書で提出し、三名の評価官が採点する。
レイナ・アシュレイは、試験開始から十分で全体の方針を固めた。
与えられた問題は、表面上は単純な賠償交渉だった。だが条約の旧文書を読み込めば、仮想隣国には国際条約上の手続き瑕疵がある。それを理詰めで突きながら、しかし相手の面子を潰さない着地点を設計する。レイナは淡々と羽ペンを走らせた。参照した条約は七件。引いた統計は四種。文書は規定の三倍の密度で仕上がった。
提出の際、評価官の一人が無言でレイナの答案を見た。視線が、最後のページで止まった。何かを言いかけて、止めた。それだけだった。
結果が出たのは閉会直前だった。評価官の一人が、小声で宰相補佐に耳打ちするのをレイナは聞いた。
「——外交模擬試験、アシュレイ嬢が満点に近い評価です。過去十年の最高得点かと」
宰相補佐は短く頷き、それ以上何も言わなかった。
発表の会場は、白大理石の謁見の間だった。
六名が一列に並ぶ。レイナは列の端だった。隣には、三日間ずっと周囲の視線を集め続けてきたリリアーヌ・フォンターナがいた。蜂蜜色の巻き毛、磁器のように白い肌、場を満たす薔薇のような笑顔。弁論の日、リリアーヌが「この国の子どもたちのために」と語ったとき、会場全体が涙をこらえていた。国民投票の結果は、まだ発表前だったが——誰もが、もう分かっていた。
王子レオンハルトが前に立ち、一枚の文書を手に取った。
レイナはその瞬間、王子の視線がどこへ向いているかに気づいた。
発表の前に、ほんの一瞬だけ。王子の目が、列の中ほどへ——リリアーヌのいる場所へと、吸い寄せられるように動いた。それは意識的な動作ではなかったと思う。だからこそ、正直だった。
(ああ、そうか)
レイナは静かに目を伏せた。
「——新たなるルーヴェル王国王妃として、リリアーヌ・フォンターナ侯爵令嬢を選出する。理由は、国民の圧倒的支持と、王妃に求められる象徴としての輝きだ」
喝采が上がった。リリアーヌが優雅に一礼する。会場が、花が咲くように明るくなった。
周囲の貴族たちが囁き合う声は、喝采に紛れていても届いた。
「やはりリリアーヌ様ですわ。あの弁論には感動しましたもの」
「アシュレイの次女は頭が切れるとは聞きましたが……王妃には可愛げが要りますから」
「理屈ばかりの女は好かれませんよ。外交の点数が高くても、それが何のためになるのかしら」
レイナはそれらを全部聞いた。聞いた上で、表情を動かさなかった。
ただ一礼して、謁見の間を出た。
廊下は人気がなかった。春の午後の光が、石畳の上に長い影を作っていた。
レイナはしばらく歩き、人の来ない中庭の柱の陰に入ると——初めて立ち止まった。
石の壁に背を預けて、息を吐く。
怒りではなかった。落胆とも少し違った。もっと静かで、もっと深いところにある何かが、じくりと疼いていた。
(外交点数は最上位。国際法も条約も、誰よりも読み込んだ。三日間、ただ正確にやり遂げた)
手のひらが、かすかに震えていた。
「……私は、間違っていなかったはず」
声に出したのは、自分でも驚いた。誰に言うわけでもない言葉だった。ただ、言わずにいられなかった。
目の奥が熱くなる。レイナはそれを感じながら——目を閉じ、ゆっくりと息を吸った。三秒。五秒。
目を開けたとき、頬を拭った。
(泣いても数字は変わらない。感情は、後でいい)
彼女はもう一度、深く息を整えた。それから廊下を歩き始めた。歩みは止めなかった。
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第二章 外交危機
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選考から一ヶ月後。ルーヴェル王国の空気は一変していた。
国境の町リェーヴァで、隣国ヴァルディアの哨戒部隊と王国騎士団が衝突した。死者三名、負傷者十数名。規模は小競り合いを超えていた。
翌朝、隣国から使節団が到着した。代表はカイン将軍——ヴァルディア軍の強硬派として知られる大柄な男で、その目は常に値踏みするような鋭さを持っていた。求めるのは賠償と謝罪。そして国境の再画定だ。
緊急の外交会談が設けられた。レオンハルトの隣には、「未来の王妃」として正式に紹介されたリリアーヌが同席した。
最初の二十分は、まだ均衡が保たれていた。宰相が言葉を選び、将軍が要求を繰り返す。壊れそうで壊れない、薄氷の上の対話。
それを踏み砕いたのは、リリアーヌの一言だった。
「将軍、そもそも先に国境を越えたのは貴国の兵ではないのですか。被害者面をされるのは、いかがなものかと存じますわ」
笑顔だった。善意から出た言葉だったかもしれない。だがその一言は、外交テーブルで絶対に言ってはならない種類のものだった。
カイン将軍の目が、すっと細くなった。室温が二度下がるような静寂が満ちた。
「……ルーヴェルの王妃候補とやらは、我が国の兵の血を笑い飛ばすおつもりですかな」
「そんなつもりでは——」
「結構。貴国に対話の意思がないと、よく分かりました」
将軍が立ち上がる。副官たちが書類を閉じた。
「本国に戻り次第、陛下に上申いたします。国境の完全封鎖と——軍の再編成を」
宰相が蒼白になった。軍の再編成。それが意味するのは一つだ。
レオンハルトの拳が、テーブルの下で静かに握られた。
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第三章 静かな布石
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会談決裂から丸一日が過ぎた。
王宮は静かな混乱の中にあった。外交廊下では宰相と軍務長官が何度も顔を突き合わせ、評議室では将官たちが声を荒らげた。廊下を行き交う使用人たちの顔は強張り、誰もが互いの目を避けるように歩いていた。
「強行突破すべきです。国境警備を二倍に増強し、相手が動けないようにする。それが最も明快な解決策だ」
軍務長官の声が、分厚い扉越しに漏れてくる。レオンハルトは評議室の上座でその言葉を聞きながら、卓上に広げた地図を見ていた。国境線。リェーヴァの位置。駐屯地の印。
「強行策は最終手段です。現時点では交渉の余地がまだある」
「余地がある? 将軍はもう帰国しています。余地などどこにも——」
「帰国はしていない」
宰相が静かに割り込んだ。全員が顔を向ける。
「カイン将軍は現在も、王都の宿館に滞在しています。本国への上申前に、私的な書簡で三日間の猶予を求めてきた」
沈黙が落ちた。
「……三日間」
「おそらく、こちらの動きを見ている。完全な戦争は、向こうも望んでいないということでしょう」
レオンハルトは地図を見つめたまま、何も言わなかった。
宰相の読みは正しいと、王子も思っていた。だがその先——三日間で何をするかが、分からなかった。外交の糸口がない。言葉の届く相手の探し方が、分からない。
評議会が散じたのは夜半過ぎだった。
翌朝、レオンハルトが図書室に寄ったのは偶然だった。書類を取りに来た秘書官を待ちながら、何気なく棚に視線を流したとき——それが目に入った。
図書室の閲覧机の端。誰かが置いていったのか、あるいは返却し忘れたのか、一束の資料が重ねられていた。
表紙には走り書き。几帳面だが力のある文字で「リェーヴァ周辺・国境地図(最新版)」とある。その下に、別の紙。「ヴァルディア王国・財政報告(昨年度/公開情報より抜粋)」。さらに「国境地帯の物資流通データ(過去五年)」「一八四二年締結・相互不可侵条約の解釈注記」。
レオンハルトは一枚を手に取った。
文字が、びっしりと埋まっていた。ただのデータの羅列ではない。数字の横に、必ず読み解きの言葉が添えられていた。「この増加率は戦時準備ではなく、飢饉対策備蓄と見るべき。理由——」「条約第七条の解釈は従来通りではなく、付記Bに優先権がある。すなわち——」
十分で読み終えることができなかった。内容が、思っていたより遥かに深かった。
「……誰がこれを」
そこに秘書官が戻ってきた。レオンハルトが尋ねると、秘書官は少し考えてから答えた。
「以前こちらで調べ物をしていた方がいたようですが……詳しくは存じません」
レオンハルトは再び資料を見た。
表紙の隅に、小さく名前が書いてあった。
――レイナ・アシュレイ。
王子は、しばらく動かなかった。
謁見の間の光景が蘇る。列の端に立っていた令嬢。一礼して去っていった背中。外交模擬試験、満点に近い評価、という宰相補佐の囁き——そのとき自分は、何を考えていたか。
(気にも留めなかった)
苦いものが、胸の奥に広がった。
外交試験の得点は、選考の評価項目の一つに過ぎなかった。国民投票の重みは大きく、弁論の印象も加味される。バランスを取った判断だと、そのときは思っていた。
しかしこの資料は——三日間で、ひとりでまとめたのか。
呼ばれてもいないのに。
評議室では今も将官たちが強硬論を叫んでいた。外交の手詰まりを埋めようとする者は、誰もいなかった。にもかかわらず、落選した令嬢が、自分の屋敷で黙々とデータを整理していた。
「——外交成績最上位は、誰でしたかな」
振り返ると、宰相が入口に立っていた。いつからそこにいたのかは分からない。穏やかな顔をして、何かを待っているような目をしていた。
レオンハルトは答えなかった。
宰相も続けなかった。ただ一礼して、去っていった。
王子は手の中の資料を見た。
自尊心が、静かに抵抗した。——王族が、落選した令嬢に助けを乞う。それは決して、格好のいい話ではない。自分の判断の誤りを、公的に認めるも同然だ。選考の結果は、王家が下した決定だ。それを覆すに等しい行動を取ることは、制度そのものへの疑義を自ら生む。
しかし、とレオンハルトは思い直した。
自分は何のために王族なのか。格好をつけるためか。体裁を守るためか。
それは違う、と——王子は、初めて自分の内側にある何かと、真正面から向き合った。
目の前にある資料は、誰に頼まれたわけでも、評価されるためでもなく、ただ「必要だから」作られたものだ。呼ばれていない。称賛もされない。それでも手を動かした令嬢が、今、屋敷にいる。
だがそれより速く、もう一つの声が動いた。
三日後、戦争が始まるかもしれない。そのとき「格好」に何の意味がある。
レオンハルトは資料を抱えて、立ち上がった。
ルーヴェル邸に使者を出したのは、その一時間後だった。ただし文面は命令ではなかった。
「力を貸してほしい。——頼む」
返書は半刻で届いた。
「承知しました。明朝、参ります」
それだけ書いてあった。
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第四章 逆転交渉
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翌朝、王宮の控室でレオンハルトと向き合ったレイナは、昨日と何も変わらない顔をしていた。動揺もなく、怒りもなく、かといって媚びるわけでもない。ただ静かに、椅子に座っていた。
その落ち着きが、逆に王子には刺さった。自分が呼びつけた相手が、呼ばれたことに対して何の感慨も表に出さない。怒る権利があるはずなのに、怒らない。それは冷たさではなく——ただ、そういう人間なのだと、王子はようやく理解し始めた。
「……資料を見た」
レオンハルトが言うと、レイナは小さく頷いた。
「お役に立てるものがあれば」
「その資料は、いつ」
「会談決裂の夜から作り始めました。公開情報と図書室の蔵書だけで組めるものです。特別なことは何もありません」
特別なことは何もない——その言葉を、王子はしばらく咀嚼した。
「条件があります」
レイナが先に言った。
「会談室での発言権を、完全に私に委ねてください。途中で口を挟まれると交渉が崩れます。王族であっても、です」
「……分かった」
「もう一つ」
「何だ」
「リリアーヌ様の同席は、今日はお控えいただけますか。——責めているのではありません。ただ、将軍の感情を刺激する要因を減らすためです」
レオンハルトは一瞬だけ迷い、それから頷いた。
会談室に入ったとき、カイン将軍はすでに席に着いていた。三日間の猶予は、まだ一日残っている。将軍がまだここにいる理由を、レイナはそれだけで理解した。
将軍の目が、レイナを捉えた。値踏みするような鋭い視線。
「……前とは違う顔が来たな」
「レイナ・アシュレイと申します。本日より、本会談の交渉責任者を務めます」
「王妃候補ではなかったか」
「落選いたしました」
将軍がわずかに口元を動かした。
「正直な娘だ」
「では、正直な話を始めましょう」
レイナは卓上に一枚の資料を置いた。
「リェーヴァの衝突による実質的損害を整理しました。死者三名——これは取り返しのつかない痛みです。ご遺族への誠意ある補償を、わが国は当然行うべきと考えます。この点、対応が遅れたことを私は正式に認めます」
側近たちがざわめいた。自国の非を認める——それは弱みを晒すことだと、彼らは思っていた。レイナは構わずに続けた。
「次に、数字を確認させてください」
二枚目の資料を広げる。国境付近の地図、過去二十年の衝突記録、双方の損失統計。
「この二十年で、同規模の国境衝突は十四件。そのうち全面戦争に発展したものは、ゼロ件です。理由は単純です——双方に、戦争を持続するだけの資力がない」
「資力がない、とは言葉が過ぎるのではないか」
「では数字で確認しましょう」
レイナは動じなかった。
「ヴァルディア王国の昨年度国債発行額は前年比二百三十パーセント。軍事費の対国内総生産比は六・八パーセントと過去最高水準です。これは公開情報です。——一方、わが国の備蓄は長期戦に耐えうる三ヶ月分に留まります」
彼女は将軍の目を真っ直ぐに見た。
「将軍、あなたはご存知のはずです。全面戦争は双方にとって破滅です。私はあなたを愚かだとは思っていない。だからこそ、正直に話します」
沈黙があった。長い沈黙だった。
将軍の目の奥で、何かが変わっていく——レイナはそれを感じていた。怒りが、少しずつ理性に押し戻されていく。
「……続けろ」
「ありがとうございます」
三枚目の資料を置く。
「提案です。リェーヴァ周辺の係争地帯に、双方の監視員が共同で駐留する『共同監視区域』を設置します。管理は対等。衝突の事前察知と報告を、双方が義務として負います」
「……それは貴国にとって何が得だ」
「平和です」
間を置かずに答えた。
「ヴァルディアにとっては、係争地への実質的な関与が正式に認められます。将軍、貴国の要求の核心は——『我が国の存在を無視するな』ということではありませんか。その主張は、この枠組みの中で公式に満たされます。謝罪については、本日私が行います」
レイナはテーブルに両手をつき、深く頭を下げた。
「リェーヴァで命を落とされた将兵の方々に、心より哀悼を申し上げます。対応の遅れを、誠に申し訳なく思います」
静寂が、部屋を満たした。
将軍は動かなかった。長い間、その頭を下げた姿を見ていた。
レイナは顔を上げると、静かに言い添えた。
「勝利とは、戦わずに得る安定です。将軍も、それをご存知のはずだと私は思っています」
カイン将軍が、大きなため息をついた。昨日の殺気が、潮が引くように消えていった。
「……ルーヴェルに、こういう娘がいたとはな」
将軍は椅子に深く背をもたせかけた。その目には、もはや対峙の緊張がなかった。値踏みする眼差しが、初めて別の何かに変わっていた。——相手を認める、武人の目だ。
「共同監視区域——悪くない。補償額と監視員の構成について、明日もう一度協議しよう」
「承知しました。——将軍、もう一つだけよろしいですか」
「なんだ」
「今回の合意が軌道に乗った暁には、貿易協定についても話し合いたいと思っています。ヴァルディアの財政を安定させることは、この地域全体の平和に直結します。それがわたくしどもの、本当の目的です」
将軍が目を細めた。そして今度こそ、声を上げて笑った。
「……外交とは、そういうものか」
「はい。戦は終わらせるものではなく、始まらせないものです」
一言も口を挟まなかった。挟む必要がなかった。目の前で展開されたのは、怒鳴り声も脅しもない、ただ言葉と数字と論理だけで成り立つ交渉だった。相手の要求の本質を読み、面子を守る形を設計し、双方が得をする出口を作る。
王子は、初めて気づいた。
(これが、外交だ)
そしてもう一つ。選考の三日間が記憶に蘇った。ダンスの審査、弁論の舞台、国民投票の歓声——あのとき自分は、何を見ていたか。何を「国力」と呼んでいたか。今この瞬間、一人の令嬢が言葉だけで戦争を止めた。その事実が、王子の胸の中で静かに、しかし確実に何かを書き換えていた。
会談室を出たとき、廊下の窓から差し込む光の中でレイナが一息ついた。その横顔を——レオンハルトは、しばらく目を離せなかった。
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第五章 評価の逆転
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後日。
協議で停戦合意書が交わされ、報が王都に広まるのに半日もかからなかった。
戦争が、回避された。
市場の商人たちが歓声を上げた。広場で子どもたちが走り回り、老婆が胸の前で手を組んで祈った。昨日まで、戦争の足音が確かに聞こえていた。だから誰もが、ただ安堵した。
そして人々は問い始めた。——誰が、あの交渉を纏めたのか、と。
名前が広まるのは早かった。
「アシュレイ殿」
「外交の才があると聞く」
「王妃選考で落選したとか」
そしてその後に続く声が、一か月前とは全く違った。
「選考の評価基準は正しかったのか」
「外交試験で最上位と聞いたが、なぜ選ばれなかったのだ」
「国民の人気だけで王妃を決めていいのか」
その声は、宮廷の外だけではなかった。
軍部は沈黙した。強硬論を唱えていた将官たちは、自分たちの主張がどこへ向かっていたかを静かに思い知っていた。誰も声を上げなかった。評議室では誰も「強行突破すべきだ」と言わなくなった。
王宮の廊下でリリアーヌが立ち止まっているのを、レオンハルトは見かけた。
彼女は窓の外の城下を見ていた。歓声の聞こえる方向を。その背中は、華やかな選考の三日間に見せていたどの姿とも違って——ただ、小さかった。弁論の壇上で「この国の子どもたちのために」と語ったときの明るさが、そこにはなかった。
リリアーヌは悪くない、とレオンハルトは思っていた。外交試験の点数が低かったのは、そもそも彼女が試されるべき場所がそこではなかったからだ。民衆の心を掴む力は本物だった。子どもたちへの笑顔も、老人への丁寧な言葉も、演じていたわけではなかった。
問題は——制度が、それを「全て」だと見なしていたことだ。
王子は声をかけなかった。かけられなかった。
リリアーヌが何かに気づいたとしたら、それはリリアーヌ自身の問題だ。責めることではない。ただ、現実がそこにある。
夕刻、宰相と二人きりになったとき、レオンハルトは静かに尋ねた。
「……選考制度を、見直す必要があるか」
「それは殿下がお決めになることです」
「君はどう思う」
宰相は少し考えてから言った。
「外交試験の点数が選考結果に与える比重は、現制度では全体の十五パーセントです」
それだけ言って、宰相は下がった。
十五パーセント。
レオンハルトはしばらく、その数字を頭の中で転がした。
翌朝、廊下でレイナとすれ違った。彼女は書類を抱えていた。外交合意の詳細条文を、宰相室に届けに来たのだという。
「レイナ」
呼んだ。気づいたら、敬称を省いていた。
レイナが足を止めて振り返る。その目が、わずかに揺れた気がした。
「……殿下」
「昨日はよく眠れたか」
それだけ聞いた。我ながら、不器用な問いだと思った。
レイナは一瞬だけ間を置いて、言った。
「よく眠れました」
小さな、しかし確かな答えだった。
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第六章 選択
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正式な辞令の話が出たのは、停戦から三日後だった。
小さな応接室で、レオンハルトとレイナは向き合った。窓の外には奥庭が見え、遅咲きの白い花がひとつ、風に揺れていた。
「謝りたい」
王子は最初にそう言った。
レイナは無言で続きを待った。
「選考の場で——君の能力を、正当に評価しなかった。それは私の判断の誤りだった。外交の点数が何を意味するかを、私は分かっていなかった」
「殿下」
レイナは静かに遮った。
「謝罪は不要です」
「しかし——」
「選考の結果は、適正な手続きによるものでした。私はそれを受け入れています。——殿下が申し訳なく思われるとすれば、私個人に対してではなく、制度そのものに対してではないでしょうか」
レオンハルトが口を閉じた。
「国民の支持は大切です。象徴としての王妃に、民衆の愛着は必要です。リリアーヌ様はその点において本物です。——ただ、外交の現場は別の話です。それだけのことです」
「……それだけ、か」
「はい」
短い沈黙があった。
レオンハルトが、ゆっくりと息を吸った。
「レイナ。もし——君さえよければ、王妃として私の隣に立ってほしい。リリアーヌの件は……改めて考え直す。制度についても、見直すつもりだ」
レイナは、静かに首を振った。
「ありがとうございます」
その声に、拒絶の刺はなかった。ただ、揺るがない確かさがあった。
「ですが——私は、選ばれる立場ではなく、国を動かす立場でありたいのです」
レオンハルトが、目を見開いた。
「王妃という椅子は美しい場所です。でも私には、会談室のテーブルの方がずっと性に合っています。データを読み、言葉を尽くし、相手の本音を引き出す。交渉の糸を手繰り、合意を形にする。——それが、私のしたい仕事です」
「それは……王妃の仕事ではないと、そういうことか」
「今の制度では、そうです」
ほんの少し間があった。
「ですから、殿下にお願いがあります」
「何だ」
「国王外交顧問という役職を、正式に設けていただけますか。ヴァルディアとの合意は始まりに過ぎません。貿易協定、他国との均衡、国境の安定化——やるべきことは山積みです。私にはその仕事を続ける理由があります」
王子は、しばらくレイナを見ていた。
この令嬢は、王妃の座より仕事を選ぶのだ——と、彼は改めて理解した。打算でも遠慮でもない。ただ本気で、それを望んでいる。自分には想像もできない形で、この国への関わり方を、すでに選んでいる。
レオンハルトは、ゆっくりと頷いた。
「……国王外交顧問として、正式に任命する」
「ありがとうございます」
レイナが深く一礼した。そして顔を上げたとき——その表情には、謁見の間で一礼して去ったあの日には見せなかった、ほんの微かな笑みがあった。
「殿下」
「なんだ」
「選考制度の見直しを進めてください。外交評価の比重を上げることと——試験内容に実務想定問題を増やすこと。そうすれば、次の選考ではもっとよい結果が出ると思います」
王子は少し呆気に取られて、それから苦く笑った。
「……自分が落選した制度の改善を頼むのか」
「私が受ける立場にはもうありませんので、公平に言えます」
レイナが応接室を出ると、廊下に春の風が吹き込んでいた。
謁見の間を出たあの日と、同じ風だった。
あの日、柱の陰でひとり「間違っていなかったはず」と呟いた夜のことを、レイナは思い出した。あの涙は正しかった。怒りも悔しさも、全部本物だった。ただ——それを理由に立ち止まらなかったことも、また正しかった。
感情は、後でいい。そう決めて歩き続けた先に、今日がある。
ただ今日は——レイナは立ち止まって、その風を少しだけ顔で受けた。
後ろで、扉が静かに閉まる音がした。
王妃にはなれなかった。
けれどこの国の未来を選んだのは、確かに私だった。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!
「王妃選考に落ちましたが、外交成績は私が最上位です」、いかがでしたか?
スカッとした!と少しでも思っていただけたなら、
評価(下の方にある☆☆☆☆☆)や感想で教えていただけると、本当に飛び上がって喜びます。
また他の作品でも、お会いできることを楽しみにしております^^
※誤字報告くださった方ありがとうございました!( ..)φメモメモ




