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短編小説

王妃選考に落ちましたが、外交成績は私が最上位です

作者: おでこ
掲載日:2026/03/02

本作は、全六章で構成された異世界恋愛短編小説です。


一気に読んでいただいても、お気に入りの場面で一度閉じて続きを楽しんでいただいても、どちらも大歓迎です。どうか、ご自分のペースでゆっくりお付き合いください。(*‘ω‘ *)/


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第一章 選ばれなかった才

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 王妃最終選考は、三日間にわたって行われた。


 初日はダンスと礼儀作法。

 華やかな音楽の中で、候補者たちはドレスの裾を翻し、王子の手を取り、観衆の目を惹きつけることを求められた。


 二日目は国民向けの弁論発表。

 会場を埋めた市民たちの前で、それぞれがルーヴェル王国の未来について語った。


 そして三日目——最後の審査が、外交模擬試験と国民投票の集計だった。


 模擬試験の会場は、王宮内の評議室だった。

 六名の候補者が別室に分けられ、それぞれ仮想の外交問題を与えられる。隣国との国境紛争。通商条約の交渉。他国の内政干渉への対応。制限時間は二時間。解答は文書で提出し、三名の評価官が採点する。


 レイナ・アシュレイは、試験開始から十分で全体の方針を固めた。


 与えられた問題は、表面上は単純な賠償交渉だった。だが条約の旧文書を読み込めば、仮想隣国には国際条約上の手続き瑕疵がある。それを理詰めで突きながら、しかし相手の面子を潰さない着地点を設計する。レイナは淡々と羽ペンを走らせた。参照した条約は七件。引いた統計は四種。文書は規定の三倍の密度で仕上がった。


 提出の際、評価官の一人が無言でレイナの答案を見た。視線が、最後のページで止まった。何かを言いかけて、止めた。それだけだった。


 結果が出たのは閉会直前だった。評価官の一人が、小声で宰相補佐に耳打ちするのをレイナは聞いた。


「——外交模擬試験、アシュレイ嬢が満点に近い評価です。過去十年の最高得点かと」


 宰相補佐は短く頷き、それ以上何も言わなかった。


 発表の会場は、白大理石の謁見の間だった。


 六名が一列に並ぶ。レイナは列の端だった。隣には、三日間ずっと周囲の視線を集め続けてきたリリアーヌ・フォンターナがいた。蜂蜜色の巻き毛、磁器のように白い肌、場を満たす薔薇のような笑顔。弁論の日、リリアーヌが「この国の子どもたちのために」と語ったとき、会場全体が涙をこらえていた。国民投票の結果は、まだ発表前だったが——誰もが、もう分かっていた。


 王子レオンハルトが前に立ち、一枚の文書を手に取った。


 レイナはその瞬間、王子の視線がどこへ向いているかに気づいた。


 発表の前に、ほんの一瞬だけ。王子の目が、列の中ほどへ——リリアーヌのいる場所へと、吸い寄せられるように動いた。それは意識的な動作ではなかったと思う。だからこそ、正直だった。


 (ああ、そうか)


 レイナは静かに目を伏せた。


「——新たなるルーヴェル王国王妃として、リリアーヌ・フォンターナ侯爵令嬢を選出する。理由は、国民の圧倒的支持と、王妃に求められる象徴としての輝きだ」


 喝采が上がった。リリアーヌが優雅に一礼する。会場が、花が咲くように明るくなった。


 周囲の貴族たちが囁き合う声は、喝采に紛れていても届いた。


「やはりリリアーヌ様ですわ。あの弁論には感動しましたもの」

「アシュレイの次女は頭が切れるとは聞きましたが……王妃には可愛げが要りますから」

「理屈ばかりの女は好かれませんよ。外交の点数が高くても、それが何のためになるのかしら」


 レイナはそれらを全部聞いた。聞いた上で、表情を動かさなかった。


 ただ一礼して、謁見の間を出た。


 廊下は人気がなかった。春の午後の光が、石畳の上に長い影を作っていた。


 レイナはしばらく歩き、人の来ない中庭の柱の陰に入ると——初めて立ち止まった。


 石の壁に背を預けて、息を吐く。


 怒りではなかった。落胆とも少し違った。もっと静かで、もっと深いところにある何かが、じくりと疼いていた。


 (外交点数は最上位。国際法も条約も、誰よりも読み込んだ。三日間、ただ正確にやり遂げた)


 手のひらが、かすかに震えていた。


 「……私は、間違っていなかったはず」


 声に出したのは、自分でも驚いた。誰に言うわけでもない言葉だった。ただ、言わずにいられなかった。


 目の奥が熱くなる。レイナはそれを感じながら——目を閉じ、ゆっくりと息を吸った。三秒。五秒。


 目を開けたとき、頬を拭った。


 (泣いても数字は変わらない。感情は、後でいい)


 彼女はもう一度、深く息を整えた。それから廊下を歩き始めた。歩みは止めなかった。



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第二章 外交危機

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 選考から一ヶ月後。ルーヴェル王国の空気は一変していた。


 国境の町リェーヴァで、隣国ヴァルディアの哨戒部隊と王国騎士団が衝突した。死者三名、負傷者十数名。規模は小競り合いを超えていた。


 翌朝、隣国から使節団が到着した。代表はカイン将軍——ヴァルディア軍の強硬派として知られる大柄な男で、その目は常に値踏みするような鋭さを持っていた。求めるのは賠償と謝罪。そして国境の再画定だ。


 緊急の外交会談が設けられた。レオンハルトの隣には、「未来の王妃」として正式に紹介されたリリアーヌが同席した。


 最初の二十分は、まだ均衡が保たれていた。宰相が言葉を選び、将軍が要求を繰り返す。壊れそうで壊れない、薄氷の上の対話。


 それを踏み砕いたのは、リリアーヌの一言だった。


「将軍、そもそも先に国境を越えたのは貴国の兵ではないのですか。被害者面をされるのは、いかがなものかと存じますわ」


 笑顔だった。善意から出た言葉だったかもしれない。だがその一言は、外交テーブルで絶対に言ってはならない種類のものだった。


 カイン将軍の目が、すっと細くなった。室温が二度下がるような静寂が満ちた。


「……ルーヴェルの王妃候補とやらは、我が国の兵の血を笑い飛ばすおつもりですかな」


「そんなつもりでは——」


「結構。貴国に対話の意思がないと、よく分かりました」


 将軍が立ち上がる。副官たちが書類を閉じた。


「本国に戻り次第、陛下に上申いたします。国境の完全封鎖と——軍の再編成を」


 宰相が蒼白になった。軍の再編成。それが意味するのは一つだ。


 レオンハルトの拳が、テーブルの下で静かに握られた。



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第三章 静かな布石

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 会談決裂から丸一日が過ぎた。


 王宮は静かな混乱の中にあった。外交廊下では宰相と軍務長官が何度も顔を突き合わせ、評議室では将官たちが声を荒らげた。廊下を行き交う使用人たちの顔は強張り、誰もが互いの目を避けるように歩いていた。


「強行突破すべきです。国境警備を二倍に増強し、相手が動けないようにする。それが最も明快な解決策だ」


 軍務長官の声が、分厚い扉越しに漏れてくる。レオンハルトは評議室の上座でその言葉を聞きながら、卓上に広げた地図を見ていた。国境線。リェーヴァの位置。駐屯地の印。


「強行策は最終手段です。現時点では交渉の余地がまだある」


「余地がある? 将軍はもう帰国しています。余地などどこにも——」


「帰国はしていない」


 宰相が静かに割り込んだ。全員が顔を向ける。


「カイン将軍は現在も、王都の宿館に滞在しています。本国への上申前に、私的な書簡で三日間の猶予を求めてきた」


 沈黙が落ちた。


「……三日間」


「おそらく、こちらの動きを見ている。完全な戦争は、向こうも望んでいないということでしょう」


 レオンハルトは地図を見つめたまま、何も言わなかった。


 宰相の読みは正しいと、王子も思っていた。だがその先——三日間で何をするかが、分からなかった。外交の糸口がない。言葉の届く相手の探し方が、分からない。


 評議会が散じたのは夜半過ぎだった。


 翌朝、レオンハルトが図書室に寄ったのは偶然だった。書類を取りに来た秘書官を待ちながら、何気なく棚に視線を流したとき——それが目に入った。


 図書室の閲覧机の端。誰かが置いていったのか、あるいは返却し忘れたのか、一束の資料が重ねられていた。


 表紙には走り書き。几帳面だが力のある文字で「リェーヴァ周辺・国境地図(最新版)」とある。その下に、別の紙。「ヴァルディア王国・財政報告(昨年度/公開情報より抜粋)」。さらに「国境地帯の物資流通データ(過去五年)」「一八四二年締結・相互不可侵条約の解釈注記」。


 レオンハルトは一枚を手に取った。


 文字が、びっしりと埋まっていた。ただのデータの羅列ではない。数字の横に、必ず読み解きの言葉が添えられていた。「この増加率は戦時準備ではなく、飢饉対策備蓄と見るべき。理由——」「条約第七条の解釈は従来通りではなく、付記Bに優先権がある。すなわち——」


 十分で読み終えることができなかった。内容が、思っていたより遥かに深かった。


 「……誰がこれを」


 そこに秘書官が戻ってきた。レオンハルトが尋ねると、秘書官は少し考えてから答えた。


「以前こちらで調べ物をしていた方がいたようですが……詳しくは存じません」


 レオンハルトは再び資料を見た。


 表紙の隅に、小さく名前が書いてあった。


 ――レイナ・アシュレイ。


 王子は、しばらく動かなかった。


 謁見の間の光景が蘇る。列の端に立っていた令嬢。一礼して去っていった背中。外交模擬試験、満点に近い評価、という宰相補佐の囁き——そのとき自分は、何を考えていたか。


 (気にも留めなかった)


 苦いものが、胸の奥に広がった。


 外交試験の得点は、選考の評価項目の一つに過ぎなかった。国民投票の重みは大きく、弁論の印象も加味される。バランスを取った判断だと、そのときは思っていた。


 しかしこの資料は——三日間で、ひとりでまとめたのか。


 呼ばれてもいないのに。


 評議室では今も将官たちが強硬論を叫んでいた。外交の手詰まりを埋めようとする者は、誰もいなかった。にもかかわらず、落選した令嬢が、自分の屋敷で黙々とデータを整理していた。


「——外交成績最上位は、誰でしたかな」


 振り返ると、宰相が入口に立っていた。いつからそこにいたのかは分からない。穏やかな顔をして、何かを待っているような目をしていた。


 レオンハルトは答えなかった。


 宰相も続けなかった。ただ一礼して、去っていった。


 王子は手の中の資料を見た。


 自尊心が、静かに抵抗した。——王族が、落選した令嬢に助けを乞う。それは決して、格好のいい話ではない。自分の判断の誤りを、公的に認めるも同然だ。選考の結果は、王家が下した決定だ。それを覆すに等しい行動を取ることは、制度そのものへの疑義を自ら生む。


 しかし、とレオンハルトは思い直した。


 自分は何のために王族なのか。格好をつけるためか。体裁を守るためか。


 それは違う、と——王子は、初めて自分の内側にある何かと、真正面から向き合った。


 目の前にある資料は、誰に頼まれたわけでも、評価されるためでもなく、ただ「必要だから」作られたものだ。呼ばれていない。称賛もされない。それでも手を動かした令嬢が、今、屋敷にいる。


 だがそれより速く、もう一つの声が動いた。


 三日後、戦争が始まるかもしれない。そのとき「格好」に何の意味がある。


 レオンハルトは資料を抱えて、立ち上がった。


 ルーヴェル邸に使者を出したのは、その一時間後だった。ただし文面は命令ではなかった。


「力を貸してほしい。——頼む」


 返書は半刻で届いた。


「承知しました。明朝、参ります」


 それだけ書いてあった。



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第四章 逆転交渉

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 翌朝、王宮の控室でレオンハルトと向き合ったレイナは、昨日と何も変わらない顔をしていた。動揺もなく、怒りもなく、かといって媚びるわけでもない。ただ静かに、椅子に座っていた。


 その落ち着きが、逆に王子には刺さった。自分が呼びつけた相手が、呼ばれたことに対して何の感慨も表に出さない。怒る権利があるはずなのに、怒らない。それは冷たさではなく——ただ、そういう人間なのだと、王子はようやく理解し始めた。


「……資料を見た」


 レオンハルトが言うと、レイナは小さく頷いた。


「お役に立てるものがあれば」


「その資料は、いつ」


「会談決裂の夜から作り始めました。公開情報と図書室の蔵書だけで組めるものです。特別なことは何もありません」


 特別なことは何もない——その言葉を、王子はしばらく咀嚼した。


「条件があります」


 レイナが先に言った。


「会談室での発言権を、完全に私に委ねてください。途中で口を挟まれると交渉が崩れます。王族であっても、です」


「……分かった」


「もう一つ」


「何だ」


「リリアーヌ様の同席は、今日はお控えいただけますか。——責めているのではありません。ただ、将軍の感情を刺激する要因を減らすためです」


 レオンハルトは一瞬だけ迷い、それから頷いた。


 会談室に入ったとき、カイン将軍はすでに席に着いていた。三日間の猶予は、まだ一日残っている。将軍がまだここにいる理由を、レイナはそれだけで理解した。


 将軍の目が、レイナを捉えた。値踏みするような鋭い視線。


「……前とは違う顔が来たな」


「レイナ・アシュレイと申します。本日より、本会談の交渉責任者を務めます」


「王妃候補ではなかったか」


「落選いたしました」


 将軍がわずかに口元を動かした。


「正直な娘だ」


「では、正直な話を始めましょう」


 レイナは卓上に一枚の資料を置いた。


「リェーヴァの衝突による実質的損害を整理しました。死者三名——これは取り返しのつかない痛みです。ご遺族への誠意ある補償を、わが国は当然行うべきと考えます。この点、対応が遅れたことを私は正式に認めます」


 側近たちがざわめいた。自国の非を認める——それは弱みを晒すことだと、彼らは思っていた。レイナは構わずに続けた。


「次に、数字を確認させてください」


 二枚目の資料を広げる。国境付近の地図、過去二十年の衝突記録、双方の損失統計。


「この二十年で、同規模の国境衝突は十四件。そのうち全面戦争に発展したものは、ゼロ件です。理由は単純です——双方に、戦争を持続するだけの資力がない」


「資力がない、とは言葉が過ぎるのではないか」


「では数字で確認しましょう」


 レイナは動じなかった。


「ヴァルディア王国の昨年度国債発行額は前年比二百三十パーセント。軍事費の対国内総生産比は六・八パーセントと過去最高水準です。これは公開情報です。——一方、わが国の備蓄は長期戦に耐えうる三ヶ月分に留まります」


 彼女は将軍の目を真っ直ぐに見た。


「将軍、あなたはご存知のはずです。全面戦争は双方にとって破滅です。私はあなたを愚かだとは思っていない。だからこそ、正直に話します」


 沈黙があった。長い沈黙だった。


 将軍の目の奥で、何かが変わっていく——レイナはそれを感じていた。怒りが、少しずつ理性に押し戻されていく。


「……続けろ」


「ありがとうございます」


 三枚目の資料を置く。


「提案です。リェーヴァ周辺の係争地帯に、双方の監視員が共同で駐留する『共同監視区域』を設置します。管理は対等。衝突の事前察知と報告を、双方が義務として負います」


「……それは貴国にとって何が得だ」


「平和です」


 間を置かずに答えた。


「ヴァルディアにとっては、係争地への実質的な関与が正式に認められます。将軍、貴国の要求の核心は——『我が国の存在を無視するな』ということではありませんか。その主張は、この枠組みの中で公式に満たされます。謝罪については、本日私が行います」


 レイナはテーブルに両手をつき、深く頭を下げた。


「リェーヴァで命を落とされた将兵の方々に、心より哀悼を申し上げます。対応の遅れを、誠に申し訳なく思います」


 静寂が、部屋を満たした。


 将軍は動かなかった。長い間、その頭を下げた姿を見ていた。


 レイナは顔を上げると、静かに言い添えた。


「勝利とは、戦わずに得る安定です。将軍も、それをご存知のはずだと私は思っています」


 カイン将軍が、大きなため息をついた。昨日の殺気が、潮が引くように消えていった。


「……ルーヴェルに、こういう娘がいたとはな」


 将軍は椅子に深く背をもたせかけた。その目には、もはや対峙の緊張がなかった。値踏みする眼差しが、初めて別の何かに変わっていた。——相手を認める、武人の目だ。


「共同監視区域——悪くない。補償額と監視員の構成について、明日もう一度協議しよう」


「承知しました。——将軍、もう一つだけよろしいですか」


「なんだ」


「今回の合意が軌道に乗った暁には、貿易協定についても話し合いたいと思っています。ヴァルディアの財政を安定させることは、この地域全体の平和に直結します。それがわたくしどもの、本当の目的です」


 将軍が目を細めた。そして今度こそ、声を上げて笑った。


「……外交とは、そういうものか」


「はい。戦は終わらせるものではなく、始まらせないものです」


 一言も口を挟まなかった。挟む必要がなかった。目の前で展開されたのは、怒鳴り声も脅しもない、ただ言葉と数字と論理だけで成り立つ交渉だった。相手の要求の本質を読み、面子を守る形を設計し、双方が得をする出口を作る。


 王子は、初めて気づいた。


 (これが、外交だ)


 そしてもう一つ。選考の三日間が記憶に蘇った。ダンスの審査、弁論の舞台、国民投票の歓声——あのとき自分は、何を見ていたか。何を「国力」と呼んでいたか。今この瞬間、一人の令嬢が言葉だけで戦争を止めた。その事実が、王子の胸の中で静かに、しかし確実に何かを書き換えていた。


 会談室を出たとき、廊下の窓から差し込む光の中でレイナが一息ついた。その横顔を——レオンハルトは、しばらく目を離せなかった。



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第五章 評価の逆転

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 後日。

 協議で停戦合意書が交わされ、報が王都に広まるのに半日もかからなかった。


 戦争が、回避された。


 市場の商人たちが歓声を上げた。広場で子どもたちが走り回り、老婆が胸の前で手を組んで祈った。昨日まで、戦争の足音が確かに聞こえていた。だから誰もが、ただ安堵した。


 そして人々は問い始めた。——誰が、あの交渉を纏めたのか、と。


 名前が広まるのは早かった。


「アシュレイ殿」

「外交の才があると聞く」

「王妃選考で落選したとか」


 そしてその後に続く声が、一か月前とは全く違った。


「選考の評価基準は正しかったのか」

「外交試験で最上位と聞いたが、なぜ選ばれなかったのだ」

「国民の人気だけで王妃を決めていいのか」


 その声は、宮廷の外だけではなかった。


 軍部は沈黙した。強硬論を唱えていた将官たちは、自分たちの主張がどこへ向かっていたかを静かに思い知っていた。誰も声を上げなかった。評議室では誰も「強行突破すべきだ」と言わなくなった。


 王宮の廊下でリリアーヌが立ち止まっているのを、レオンハルトは見かけた。


 彼女は窓の外の城下を見ていた。歓声の聞こえる方向を。その背中は、華やかな選考の三日間に見せていたどの姿とも違って——ただ、小さかった。弁論の壇上で「この国の子どもたちのために」と語ったときの明るさが、そこにはなかった。


 リリアーヌは悪くない、とレオンハルトは思っていた。外交試験の点数が低かったのは、そもそも彼女が試されるべき場所がそこではなかったからだ。民衆の心を掴む力は本物だった。子どもたちへの笑顔も、老人への丁寧な言葉も、演じていたわけではなかった。


 問題は——制度が、それを「全て」だと見なしていたことだ。


 王子は声をかけなかった。かけられなかった。


 リリアーヌが何かに気づいたとしたら、それはリリアーヌ自身の問題だ。責めることではない。ただ、現実がそこにある。


 夕刻、宰相と二人きりになったとき、レオンハルトは静かに尋ねた。


「……選考制度を、見直す必要があるか」


「それは殿下がお決めになることです」


「君はどう思う」


 宰相は少し考えてから言った。


「外交試験の点数が選考結果に与える比重は、現制度では全体の十五パーセントです」


 それだけ言って、宰相は下がった。


 十五パーセント。


 レオンハルトはしばらく、その数字を頭の中で転がした。


 翌朝、廊下でレイナとすれ違った。彼女は書類を抱えていた。外交合意の詳細条文を、宰相室に届けに来たのだという。


「レイナ」


 呼んだ。気づいたら、敬称を省いていた。


 レイナが足を止めて振り返る。その目が、わずかに揺れた気がした。


「……殿下」


「昨日はよく眠れたか」


 それだけ聞いた。我ながら、不器用な問いだと思った。


 レイナは一瞬だけ間を置いて、言った。


「よく眠れました」


 小さな、しかし確かな答えだった。



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第六章 選択

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 正式な辞令の話が出たのは、停戦から三日後だった。


 小さな応接室で、レオンハルトとレイナは向き合った。窓の外には奥庭が見え、遅咲きの白い花がひとつ、風に揺れていた。


「謝りたい」


 王子は最初にそう言った。


 レイナは無言で続きを待った。


「選考の場で——君の能力を、正当に評価しなかった。それは私の判断の誤りだった。外交の点数が何を意味するかを、私は分かっていなかった」


「殿下」


 レイナは静かに遮った。


「謝罪は不要です」


「しかし——」


「選考の結果は、適正な手続きによるものでした。私はそれを受け入れています。——殿下が申し訳なく思われるとすれば、私個人に対してではなく、制度そのものに対してではないでしょうか」


 レオンハルトが口を閉じた。


「国民の支持は大切です。象徴としての王妃に、民衆の愛着は必要です。リリアーヌ様はその点において本物です。——ただ、外交の現場は別の話です。それだけのことです」


「……それだけ、か」


「はい」


 短い沈黙があった。


 レオンハルトが、ゆっくりと息を吸った。


「レイナ。もし——君さえよければ、王妃として私の隣に立ってほしい。リリアーヌの件は……改めて考え直す。制度についても、見直すつもりだ」


 レイナは、静かに首を振った。


「ありがとうございます」


 その声に、拒絶の刺はなかった。ただ、揺るがない確かさがあった。


「ですが——私は、選ばれる立場ではなく、国を動かす立場でありたいのです」


 レオンハルトが、目を見開いた。


「王妃という椅子は美しい場所です。でも私には、会談室のテーブルの方がずっと性に合っています。データを読み、言葉を尽くし、相手の本音を引き出す。交渉の糸を手繰り、合意を形にする。——それが、私のしたい仕事です」


「それは……王妃の仕事ではないと、そういうことか」


「今の制度では、そうです」


 ほんの少し間があった。


「ですから、殿下にお願いがあります」


「何だ」


「国王外交顧問という役職を、正式に設けていただけますか。ヴァルディアとの合意は始まりに過ぎません。貿易協定、他国との均衡、国境の安定化——やるべきことは山積みです。私にはその仕事を続ける理由があります」


 王子は、しばらくレイナを見ていた。


 この令嬢は、王妃の座より仕事を選ぶのだ——と、彼は改めて理解した。打算でも遠慮でもない。ただ本気で、それを望んでいる。自分には想像もできない形で、この国への関わり方を、すでに選んでいる。


 レオンハルトは、ゆっくりと頷いた。


「……国王外交顧問として、正式に任命する」


「ありがとうございます」


 レイナが深く一礼した。そして顔を上げたとき——その表情には、謁見の間で一礼して去ったあの日には見せなかった、ほんの微かな笑みがあった。


「殿下」


「なんだ」


「選考制度の見直しを進めてください。外交評価の比重を上げることと——試験内容に実務想定問題を増やすこと。そうすれば、次の選考ではもっとよい結果が出ると思います」


 王子は少し呆気に取られて、それから苦く笑った。


「……自分が落選した制度の改善を頼むのか」


「私が受ける立場にはもうありませんので、公平に言えます」


 レイナが応接室を出ると、廊下に春の風が吹き込んでいた。


 謁見の間を出たあの日と、同じ風だった。


 あの日、柱の陰でひとり「間違っていなかったはず」と呟いた夜のことを、レイナは思い出した。あの涙は正しかった。怒りも悔しさも、全部本物だった。ただ——それを理由に立ち止まらなかったことも、また正しかった。


 感情は、後でいい。そう決めて歩き続けた先に、今日がある。


 ただ今日は——レイナは立ち止まって、その風を少しだけ顔で受けた。


 後ろで、扉が静かに閉まる音がした。



 王妃にはなれなかった。

 けれどこの国の未来を選んだのは、確かに私だった。


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!


「王妃選考に落ちましたが、外交成績は私が最上位です」、いかがでしたか?


スカッとした!と少しでも思っていただけたなら、

評価(下の方にある☆☆☆☆☆)や感想で教えていただけると、本当に飛び上がって喜びます。


また他の作品でも、お会いできることを楽しみにしております^^


※誤字報告くださった方ありがとうございました!( ..)φメモメモ

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― 新着の感想 ―
上に立つ者(王も王妃も)に求められる資質はその国の状況によって変わります。なので国民の支持の高さや見栄えの華やかさを重視する事も決して間違いではありません。唯、この国は隣国との小競り合いを少なからず繰…
リリアーナは戦争誘発王妃として居座り続けるのでしょうか? 手のひらクルーな王子が割とクズ
 『レイナ(Reina)』って、もう名前からしてスペイン語で王妃の意味ですね。  王妃は辞退しましたけど。
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