ボディガード
家に帰っても、なかなか緊張が抜けなかった。
一ヶ月の“お願いを聞く”という条件付きとはいえ、
あの学校のマドンナ――高梨聖の連絡先が、俺のスマホに入っている。
それだけで、現実感が薄れる。
画面を開いては閉じ、また開いてを繰り返し、気づけば口角が勝手に上がっていた。
……やばい。完全に浮かれてる。
すると、そのタイミングを見計らったかのように、通知音が鳴る。
『学校では、普通に接してね。
放課後、また旧校舎の裏に来て』
短い文章なのに、胸が跳ねる。
立場的には、完全に俺の方が弱い。
秘密を握られているのだから。
それでも――
女子と一切縁のなかった俺にとって、この距離感は刺激が強すぎた。
その日は、なかなか寝つけなかった。
⸻
翌朝。
学校に着くと、やけに周囲が騒がしかった。
昇降口付近では、女子たちがスマホを見ながら小声で盛り上がっている。
「ねえ、聞いた?」
「磯貝先輩、昨日振られたらしいよ」
「え!? あの磯貝先輩が?」
「誰に?」
「小林渚。学校二位の」
一気にざわつく。
磯貝先輩――野球部キャプテン。
顔よし、性格よし、運動神経抜群。
学校一の人気男子と言っても過言じゃない存在だ。
……そういえば。
昨日、旧校舎の裏で見かけた告白。
あれ、よく見てなかったけど、磯貝先輩だったのか。
相手の小林渚は、美少女ギャルとして有名で、男子人気も高い。
校内ではよく、
「清楚でスタイル抜群の高梨派」
「元気で距離近めな小林派」
で分かれていると聞く。
そんな彼女に振られるとは……。
そのとき、当の本人――磯貝先輩が廊下を通り過ぎた。
無表情。
……いや、よく見ると拳が強く握られている。
「ちっ……」
小さく舌打ちする音が聞こえた。
プライドを、思いきり傷つけられたのだろう。
正直、俺には関係ない話のはずだ。
……はずなのに、なぜか胸騒ぎがした。
俺は気持ちを切り替え、教室へ向かう。
だが――
その日は、授業がまったく頭に入らなかった。
放課後。
高梨聖。
旧校舎。
その三つの単語が、頭の中をぐるぐる回っていた。
⸻
放課後。
俺は少し早足で、旧校舎の裏へ向かう。
誰もいない。
風で枯れ葉が転がる音だけが響いていた。
しばらくすると、後ろから軽い足音が聞こえる。
「おっ、もう来てるね!」
振り向くと、高梨さんが手を振っていた。
今日も、無駄に眩しい。
「早速なんだけどさ」
彼女は少しだけ声を落とす。
「今後一ヶ月のお願いなんだけど……
私の“秘密のボディガード”になってほしいんだよね」
「……ボディガード?」
思わず聞き返す。
「うん。私、一応こういう仕事してるでしょ?
最近、この辺ちょっと治安悪いし」
確かに、妹が絡まれた件もある。
納得はできる。
……ただ一つ気になるのは。
「俺、飛べるだけだけど?」
「あはは、それで十分じゃん」
軽い。
「何かあったら、一緒に逃げればいいし。
最悪、空飛べるでしょ?」
この人、本当に俺をヒーローか何かだと思ってないか?
とはいえ――
断る理由は、最初からなかった。
「……わかったよ」
「でしょ?」
彼女は、勝ち誇ったように笑う。
「秘密ばらされたくないもんね」
その言葉に、背中がひやりとする。
こうして、“秘密の契約”は成立した。
⸻
下校は、並んで歩いた。
距離が、近い。
「ね、好きな食べ物は?」
「え? ハンバーグ……かな」
「王道だね。嫌いじゃない」
「じゃあ、趣味は?」
「星を見るのが好きで……近くの丘に行く」
「え、なにそれ。ロマンチックじゃん!」
彼女は目を輝かせた。
「今度、一緒に行こ?」
……今度?
それ、普通にデートじゃないか。
「き、機会があれば……」
「約束ね」
無邪気に言われ、返事を断れなかった。
そのまま彼女の家まで送り届ける。
立派な一軒家だった。
「じゃあ、明日もよろしくね。
何かあったら連絡するから!」
手を振る彼女を見送り、俺は一人で帰路につく。
……やばい。
この一ヶ月、絶対に平穏じゃ終わらない。
そのとき。
「ふーん」
背後から、誰かの声がした気がした。
振り返る。
――誰もいない。
ただ、暗闇の奥で、
何かが“こちらを見ていた”ような気がして。
俺は、無意識に拳を握りしめていた。




