17転がる予感
えっへへー!
スマホを握る手が熱くて、胸の奥がぽわぽわ膨らんでいくみたい。
ナナちゃんの番号もゲットしちゃったー♪
嬉しい……いや、
嬉しすぎる!!!
私は椅子に座ったまま足をブンブンと振り回す。
勢い余って椅子ごと揺れてしまうくらい、体がウキウキして止まらない。
ん?デジャヴ?
なんか前にも同じことしたような……
まぁいいか!
嬉しい時は嬉しいんだもん!
これからもっと冰の杜の子達と仲良くなったりしちゃったりしてさぁーー!
あはははっ!!
自分で言っておいて顔が熱くなる。
でも心は軽くて、空に飛んでいけるような気がしていた。
そして――
ユウちゃんとナナちゃんの写真もゲットしたぁ!!
えへへ……待ち受けにしちゃおうかしら!
私はスマホを天高く掲げ、画面に映るユウちゃんとナナちゃんの写真を交互にスワイプした。
画面の光が天井に反射して、部屋全体が一瞬キラッと光る。
やべー……綺麗だなぁっ!!
すげぇ……
ぇえええええええええええっ!!!!!
テンションが振り切れ、椅子の背もたれに思い切り体重がかかった。
やばい、これ絶対――
ひっくり返る!!
ガラガラガラガラガシャーーーンッ!!
反射的に私は横へ飛びのく。
三度目で身についた“椅子転倒回避能力”が発動し、私だけはギリギリ無傷。
しかし、椅子は派手に倒れ、
その衝撃が伝わったのか――
ガジュマルが……ひっくり返った。
土が床にぶわっと飛び散り、黒い小さな山をいくつも作る。
部屋が一瞬で“森の事故現場”と化した。
あああああああ!!
ガジュマルっ!!ごめんよっ!!」
悲惨な光景に頭を抱えていると、
部屋の外からドタドタッと足音が響いた。
トントンッ!!
「おい!!ねむっ!またかっ!入るぞっ!」
救助担当の兄――葵がノックもそこそこに乱入してきた。
「おいっ!またかよっ!これで3回目だぞっ!」
【申し訳ない。】
私は床に座り込み、そのまま土下座。
土で手のひらがざらっとする。
「今回はなんでこんなことになったんだよ。」
【ユウちゃんとナナちゃんの写真を見上げていたら、ひっくり返ってしまいました。】
「アホか。」
兄は額を押さえながらも、スマホをちらっと見る。
「んで?どれ?ユウさんの写真。少しだけ見せてくれ。」
この兄――
ユウちゃんに惚れている。
できれば付き合ってほしい。
そしたら私もずっとユウちゃんに会える。
動機が不純?知るか。
【はい。どうぞ?】
私はスマホを渡す。
兄は真剣な目で画面を覗き込む。
「どれどれ……
うぉっ!!やばっ!これくれよ。」
【やれるわけねぇだろ。】
【他人の写真をあげるなんて絶対ダメだよ。それにお兄ちゃんユウちゃんのこと好きなんでしょ?尚更ダメだよ。ストーカーになっちゃうよ?】
「くっ。」
否定しろ。
「まぁいいや。怪我はないんだな?ガジュマルひっくり返ってるじゃねぇかよ。
土持ってきてやるから。早く掃除しろ。」
【へい。】
兄はため息をつきながらも部屋を出ていく。
足音に優しさが混じっている。
私は散らばった土を見つめる。
最悪だけど、
なんだか心はポカポカしていた。
優しい兄だ。
普通の兄なら絶対スルーだろうに。
いつか――
何かで恩返しできたらな。
◇
冰覌の月に行ってからは実は毎日ユウちゃんとナナちゃんと連絡をとってる。
今はユウちゃん、ナナちゃんと私のグループが存在していてここでやり取りしている。
でももう1人名前だけ追加されたまだやり取りしていない子がいる。
エマちゃん。
エマ・ジゼル・カーソン
きめ細かい綺麗な黒い肌とほんっっっとに小さなお顔。手足も異様に長くておっぱいはバンインっ!って感じ。メガネっ子で趣味は漫画とアニソンらしい。
髪はギュッと縛っておでこは綺麗な形をしている。結び目はふわっと広がる柔らかい雲って感じ。
性格はとってもお淑やかで、冰の杜学園の中では正統派美少女って位置感覚。
声は。あまりお目にかかれない。
聞いたことがないというのが正しいのか?
吃音がコンプレックスで基本私のように手話で会話するのだ。
これ。聞くだけで私との相性が最強なのでは?と思うのだけどどうだろう。
私は元々声は無かったわけだが、耳は聴こえる。エマちゃんは声はあるが、喋る事に抵抗があるという状況だ。
さて。私の目標。
エマちゃんと仲良くなる事。さぁ。どうしよう。
ピコーン。
ん?
LINEだ。
って事は冰の子じゃない。
LINEを開くと佳苗ちゃんからの連絡。
おおー!珍しい。
佳苗ちゃんとは同じ学校のメガネろう者。
高校一年生の先輩である。
一緒に冰の杜学園に体験授業に行った。仲間。
佳苗
:ねむちゃん。明日お昼とか一緒にご飯食べない?
ねむ
:いいよ!私が高等部の校舎に行こうかな!
佳苗
:わかったっ!ありがとう!
ねむ
:もしかして愛弓ちゃんと萌音ちゃんも?
佳苗
:うんうん?実はねむちゃんと話したくて、2人には声かけてないの。別に喧嘩してないよ?笑
ねむ
:ふむ。わかったなり。
なんだろう。佳苗ちゃんは校舎違うからな。
いつもお昼の医療ケアの時間にちょこっと喋るくらいだ。
まぁ佳苗ちゃんは医療ケアは無いのだけど、いつも同じろう者の愛弓ちゃんと萌音ちゃんに会いにくる。
他にもろう者はいるのだがこの3人の絆は固い。
……あ。給食は高等部ないよね……
え!!私"おぼん"持って高等部行かなきゃならんの!?
って自分が高等部に行くって言ったからやないかーいっ!
ま。いっか。
◇
お昼の時間が近づき、子ども達のざわめきがゆるやかに弾んでいる。
……ちょっと待てよぉ。
私は配膳台に並んだ自分のおぼんを見た瞬間絶望している。
スープカレー
白米
フルーツポンチ
牛乳
お野菜小鉢(汁たっぷり)
何故今日に限ってシャバシャバのスープカレーとかフルーツポンチなのだっ!!!
絶対おぼんが大洪水になる未来しか見えない。
こんなの持って高等部の校舎に行けるわけないワイっ!!!
私は給食のおぼんを持ってスルリと教室を抜け出す……
ガタガタガタとカトラリーが音を鳴らす。
震える指でおぼんを持ち上げ、そろりと歩き出す。
汁物たちが揺れるたび、カチャカチャ…とカトラリーが不穏な音を立てた。
ゆっくり、ゆっくり……
忍者歩き、こそこそ……
あれ?やばいぞ?高等部まで遠くね??
連絡通路までの距離がやけに長く見える。
もはやオアシスを目指して砂漠を歩く旅人の気分だ。
教室では先生たちが忙しそうに食事介助をしていて、
“コソコソ給食脱走”を試みる不良少女(?)の私には誰も気づかない。
ふっ……私、いつから悪の道に……
不良少女・ねむ、ここに爆誕。
「ねむちゃん? どうしたの?」
背後から、氷のように冷えた落ち着いた声が降ってくる。
水橋先生だっ!!やばっ!!
反射的に振り向くと、
先生は“目だけめちゃくちゃ怒ってる”のに、
“口元は笑いを堪えてプルプルしている”という謎の表情。
私はおぼんで両手が塞がっていて手話ができず、
代わりに恐怖で口をガチャガチャ震わせてしまう。
人生初の “先生にガチ叱られるかもしれない瞬間”だ。
「ねむちゃん?」
私は震える唇で必死に ごめんなさいっ! と口パクするが、
頭を下げたせいで口の形が完全に見えず、まったく伝わらない。
すると――
「あははははっ!! なに?高等部で給食食べたいの?? あははは!! 行ってらっしゃいっ!」
え?
……いいの???
私がぽかんとして固まっていると、
水橋先生はさらに畳み掛ける。
「こんな事してる子はじめてなんだけど! なんかねむちゃん面白いねっ!
何?その顔?これがそんなに悪い事だと思ったの??
どんだけ悪い事のハードル低いんだよこの学校っ!!あははははっ!」
くそっ……完全に笑われている……っ!
おぼんで手話ができない私は、言われ放題で反撃不能。
「まぁ。注意はする事あると思うけど怒るなんてないないっ!うちは特殊な学校だから管理が届きやすいように目の届く範囲でいてくれないと困るんだけど。そもそもこの学校でそうゆう事する子が過去にいなかったから。創立以降ねむちゃんが始めたかも…ってか私が持っていってあげる。どこに行きたいの?」
先生はおぼんを軽々とヒョイッと持ち上げる。
【佳苗ちゃんのところですっ!】
「はい、りょーかい! さっきのねむちゃんの顔、“やばいっ!怒られるっ!”みたいな顔、最高だったなぁ。」
先生は笑いながら、安定した足取りで連絡通路をスタスタ進む。
【先生っ!意地悪しないでよっ!! 本当に人生で初めて怒られるって思ったんだから!】
「はいはい。ごめんね?
最近ねむちゃんがコミカルすぎてさっ!
アイドル化してんだよね、私の中だとぉ!
もうやってる事が普通の子なんだもんっ!」
普通の子……
その言葉が、引っかかる。
悪い意味じゃないのに、なぜか少しだけもやっとする。
「なんかね、根がどっしりしててさ!茎もみずみずしくて、
お花は両手いっぱい広げてる大きなお花がこの学校にポツンって咲いてるみたいで!」
褒められている……のだろう。
けれど茶化されてもいる気がする。
でも、たぶん、良い意味なんだろう。
「まっ!いっかっ! 元気が一番っ!!次は一言声かけてねっ!」
連絡通路の窓から差し込む光に照らされた先生の笑顔は、
すごく自由で、すごく優しい。
◇
高等部の校舎に足を踏み入れた瞬間、空気がふっと変わった気がした。
廊下の窓は中等部より少し高い位置にあって、差し込む陽の角度もどこか大人びている。
天井も高く、廊下に流れる空気が広くて静かだ。
すれ違う生徒たちは背丈も高く、歩く速度も落ち着いていて、まるで別の階層の世界に来たような感覚になる。
中等部は私服と制服が入り乱れているが、高等部は制服率がぐっと高い。
同じ学校なのに景色がこんなにも違うのかと胸がそわそわする。
ろう者クラスの教室の前に立ち、水橋先生が片手でそっとドアを開ける。
中では数人のろう者の生徒が、手話で軽やかに会話していた。
その中心に、佳苗ちゃんの姿がある。
彼女は楽しそうに笑いながら、手を滑らかに動かしている。
水橋先生は私におぼんを預けると、ためらいもなくズカズカと教室へ入った。
「【佳苗ちゃん。ねむちゃんの配送終わりましたっ!今日はねむちゃんと食べる約束してるんでしょ?】」
……配送って、私、荷物かよっ!
佳苗ちゃんは先生の言葉を見て、手を叩いて爆笑した。
【ごめんっ!給食なの忘れてたっ!!給食わざわざ持ってきてくれたのっ!?超可愛いっ!!】
周りにいた友達らしき子たちも、にこにこしながら手話で言う。
【可愛いねっ!なんか純粋っ!】
【一緒に食べるために給食持ってきたんだぁ。尊いねー。】
くっ……!
よりによって“高等部の先輩たちの前で周知プレイ”とは……
顔が熱い。
耳の先まで真っ赤になっているのが自分でもわかる。
【おいで?ねむちゃん!】
佳苗ちゃんが手招きして、ふわりと私を迎え入れた。
「【じゃぁっ!佳苗ちゃん!ねむちゃん頼んだヨォ!お昼の医療ケアにねむちゃん連れてきてくれたらありがたいっ!じゃねっ!】」
【了解っ!】
水橋先生に礼をして、私は給食を抱えて席へ向かう。
高等部の机と椅子は大きくて、座った瞬間に“あ、私ちっちゃいな”って改めて思った。
【じゃ。私は今日はねむちゃんと秘密の会話しなきゃならないから、私はここで食べるね】
佳苗ちゃんがそう伝えると、友達たちは「はいはい」という感じで笑顔のまま席を立ち、
自然な形で私たちだけの空間を作ってくれた。
高等部の教室にふわっとした静けさが戻る。
【佳苗ちゃん。凄いハードル高かったんだけど。給食持ってくるの。自分から高等部に行くって言ったから私が悪いんだけど。】
【LINEで言ってくれればいいのにー。】
……ほんとだよ。先に言っておけばよかったんだよ、ねむ。
【で?どうしたの?秘密の話?】
【うん。全然秘密じゃないけど、冰の杜の事でゆっくり話したくて。】
ほー。なるほどね。
佳苗ちゃんは、あの時のことを誰かとやり取りしているのだろうか。
【うん!いいよ!積もる話も結構あるかもっ!】
【そっかっ!】
佳苗ちゃんはカバンからお弁当箱を取り出した。
水筒のフタにお茶を注ぐ所作が落ち着いていて、手元が綺麗だ。
お弁当は、小さめの箱に“家の味”がぎゅっと詰まっていた。
白いご飯。
唐揚げ。
真っ赤なトマト。
レタスの緑。
ふっくらした卵焼き。
そして焼き魚。
色の並びが綺麗で、心がほわっとする。
【じゃぁいただきますだね!ねむちゃん!】
高等部の静かな空気の中で、私たちの食卓がそっと始まった。
◇
なんか……
この空気、ちょっと場違いな気がする。
高等部の教室は広くて落ち着いていて、その静けさの中で私はぽつんと浮いているようだった。
別のテーブルで食べている高等部の子たちが、ちらちらとこちらを見て笑っているのが視界の端に入る。
悪意じゃない。
ただ、“珍しいものを見た”って感じの視線。
でも、慣れていないから胸が少しざわついた。
そんな私の気配を察したのか、佳苗ちゃんがふっと笑って話しかけてくる。
【ねむちゃんさ。なんか最近元気いいねって前に話したけど、表情も明るくなったし可愛くなった気がする。もしかして凄い美人になる素質あるんじゃない?】
なんと唐突な。
けれど、その言葉に一瞬だけ胸がくすぐったくなった。
……自分ではそんな気は全くないけど。
【んー。全然わからないけど。でも寝つきはいいかも。佳苗ちゃんみたいにおっぱいは成長しませんよ?】
【はは。何言ってんの?ねむちゃんもすぐ大きくなるよ。】
否定しないあたり、たぶん自覚しているんだなこの人は。
心の中で軽くツッコむ。
【そういえば佳苗ちゃんは冰の子と連絡は取り合ってるの?】
【うんとね。エマちゃんとは連絡とってるよ。でもなかなか時間合わなくて。休日の土曜日は私ろう者の集まりがあるじゃない?だから日曜はどうかなって思ったんだけど、エマちゃんは教会に行ってるらしいの。流石にそういうのとか絡んじゃうと無理矢理日曜日に遊ぼうなんか言えないし。だからと言って私はろう者の集まりは凄く大事にしたいからなんか面白いほど合わなくってさぁ。】
教会。
その単語が、この“日常”の教室の中でやけに神秘的に響いた。
少女漫画に出てきそうな、白い礼拝堂やステンドグラスが頭の中にひらりと浮かぶ。
なんかよくわからないけど、あらゆる少女が一度は憧れる世界観だ。
【そうなんだっ!知らなかった!なんかかっこいいねっ!教会とか。集まりを大事にするのも気持ちは凄いわかるよ!】
【うん。でさ。チラッとエマちゃんに聞いたんだけど、ねむちゃん結構仲良くしてるんでしょ?】
【うん。特にユウちゃんとナナちゃんとは連絡取り合ってる。】
佳苗ちゃんは目をぱちぱち瞬かせ、少し羨ましそうに笑った。
【ユウちゃんっ!いいなぁっ!あの子って凄い綺麗だからどっかにスカウトされそうだよね。それで、ナナちゃん……ってあの、、凄い言葉使う子だよね。】
おぉ……
やっぱり第一印象はそこか。
ナナちゃんの“荒っぽさ”は佳苗ちゃんから見ても衝撃だったらしい。
【ナナちゃんも凄いいい子だよ!まぁメッセージは塩対応だけどね。凄い優しい時もある……】
【優しい時もある……?】
佳苗ちゃんは首をコテッと傾げ、どうにも疑問が晴れない様子。
……そりゃそうだ。
“金曜日限定で優しい”とか説明不能すぎる。
私も未だに謎だし。
【うん。まぁ。でも佳苗ちゃんはエマちゃんとどうにかなりたいって感じでいいのかな!】
【そそっ!もう一度会ってエマちゃんと話したいなって。だから、ねむちゃんが会った時さ、それとなく私の話してくれたらありがたいというかっ!】
【うーん。全然いいけど、まだ私もエマちゃんとはあまり話した事ないんだよね。でもなんとか機会があったらそれとなく聞いてみようかなっ!】
【ありがとっ!多分アニメが好きみたいだから私も話したくて。それと最後にこれだけ聞きたいの。】
佳苗ちゃんの視線がふっと落ち着きを失い、少しだけ曇った気がした。
胸の奥に、小さな波紋が広がる。
【なんだいー?なんでも言ってくださいっ!】
【エマちゃんが教会に行く時、十字架持ってるのとか確認して欲しいな……】
……はい?
十字架?
あのドラキュラが苦手なやつ?
胸の奥がざわっとした。
【い、いいけど。仰せのままに。】
佳苗ちゃんの顔は笑っているのに、どこか影があった。
【うんっ!お願いね!】
その笑顔を見ながら、心の底で何かがかすかに軋んだ。
……気のせいって事にしよぉー!
それよりエマちゃんと会うきっかけもできたしっ!家に帰ったら攻めてみるか。
フフフ




