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14氷見番屋街

バスを降りてから十五分ほど。

氷見駅の静かな待合室は、16時半の陽射しをガラス越しに受けて、床を淡く金色に染めていた。


夏に入りかけの6月。

湿度はあるけれど、海の近い空気はどこか軽い。

電車の本数が少ない地方の駅特有の、あの“時間が止まったような”空気が広がっている。


私は肩から下げた吸引機のベルトを直し、ベンチに腰掛ける。


(……やば。緊張する。)


スマホで16:30を確認するたび、心臓が跳ねた。


外から“コト、コト”と靴音が近づいてくる。

けれど、わざと振り返らない。

期待している自分がバレるのが恥ずかしいからだ。


「ねーむちゃんっ!」


澄んだ声が空気を割った。


振り返ると、そこに——

セーラー服姿のユウちゃんが、中腰になってこちらを覗き込んでいた。


白い半袖シャツに、グレー×黒のチェック柄リボン。

同柄のハイウエスト・プリーツスカートを合わせた、落ち着いたモノトーン系の制服で、胸元にはワッペン風エンブレムが入っている。


逆光を受けて、彼女の髪が柔らかく光る。

そしていつもの、あの宝石みたいなオッドアイ。

昼下がりの駅の光がその瞳の中に反射し、まるで本物の宝石がそこにあるかのようだった。


同時に、駅の外から数人の高校生が流れ込んで集団特有の空気が動く。


彼らはユウちゃんを見つけた瞬間、わずかに動きを止める。

きっと想像よりもずっと美しかったのだろう。

その視線がチクリと私の背中に刺さっていく。


【ユウちゃん!久しぶりっ!】


「そだねっ! 一か月とちょっとぶりだね!」


満面の笑みを浮かべるユウちゃん。

その明るさは、周囲の空気を一瞬で春に変える力がある。


「行こっかっ! ねむちゃんっ!」


【うん!】


私とユウちゃんの影が重なった瞬間、

背後から、ヒソヒソと小さな声が届いた。


「やば…あの子めっちゃ綺麗…」

「モデルじゃないの…?」

「目の色どうなってんの…?」


高校生たちの率直な感想は、

私の胸をぎゅっと締めつけた。


(……私、隣にいていいのかな。)


ここへ来るまではただ“嬉しい”だけだったのに、

周囲から見た“私たちの差”が急に重くのしかかる。


肩にかけた吸引機。

手話でしか会話できない私。

それに対して、完全に絵になるユウちゃん。


“美人と障害者”

そんな言葉が、誰にも言われてないのに頭に浮かぶ。


(……恥ずかしいな。)


そんな気持ちを隠すように下を向いて歩き出した時だった。


「おっ!ユウちゃん!! どしたの? 友達かい?」


駅員さんが声をかけてきた。

ユウちゃんはぱっと笑い、躊躇なく言う。


「そだよー! ねむちゃんっていうの!可愛いでしょー!? あげないよっ!今からご飯食べに行くのっ!」


その明るさ、悪気のなさ、そして“普通”な扱い。

それらが一気に胸に流れ込んできて、

さっきまでの不安がゆっくりと溶けていく。


「そっかそっか! 楽しんでいきなー!ねむちゃんも、氷見はええとこやちゃ!」


私は会釈してその場を離れた。


駅の外に一歩踏み出すと、

初夏の夕方の風が肌を撫でていった。

海の香りがほんのり混ざっている。


「さぁ!! 私に着いてくるのだぁ!氷見の魅力を私が教えてあげよぉ〜!」


ユウちゃんが大きな歩幅で、腕をぶんぶん振りながら前へ進む。

その背中は朗らかで、どこまでも真っ直ぐで、

見ているだけで元気が湧いてくる。


急にピタッと立ち止まり、

彼女は振り返って手を差し出した。


「手ぇ、繋ぐ? お互い迷子にならないように。」


(迷子になるのは……たぶん、私だけだよね。)


ふっと笑って、私はその手を握る。


温かくて、細くて、柔らかい。


ユウちゃんを見上げると、

夕方の光がユウちゃんの横顔を縁取っていた。

下から見ても、本当に綺麗な人だった。




【ユウちゃん。番屋街ってすぐ近くなのかな?】


夕方の氷見の街。

まだ日が残っていて、海風がふわりと通り抜ける。

私は肩がけの吸引機を揺らしながら、トコトコとユウちゃんの隣を歩いていた。


歩きながら話すのは少し苦手だ。

手話を見てもらうために、どうしても相手が私の方を向かなきゃいけない。

でも、沈黙のまま歩くのも変な気がして、つい手を動かす。


「極近だよっ!歩いて10分くらいっ!」


極近……?

それは“歩いて1〜2分”の事を指すんじゃないのか。

いや、ツッコミはやめておこう。

“ユウ基準”で世界が動いているだけだ。うん。


「ねむちゃん。いいよ?無理しないでも。私がマシンガントークで10分くらい乱射できるけど。」


実際すでに乱射されてる気がする。


「それとも私の猫の茶碗でも聞く?落語なんだけど。」


猫の……茶碗?


え、落語!?


「古典より現代の方が好きだったりする?そういえばさぁ現代の漫才とかも100年後には落語になるのかなぁ。」


いきなり視点が100年後に跳んだ。


「面白いよね。歴史って。昔はクラシックがポップス扱いなのに、いずれ途中からアメリカではジャズが今のポップス扱いになって、今ではクラシックもジャズも全くポップス扱いされて無いでしょ?」


ひゃあ……話題の移動速度が音速級だ。


「じゃぁ。私達の馴染みがあるポップスって何を指すのか。不思議だよね。ねむちゃんはお魚好き?」


どゆこと?急なドリフト方向転換で訳がわからないんだけど。


落語 → 音楽史 → ジャンル変遷 → 哲学 → 魚。


地球儀を投げ回しながら喋ってるみたいな会話だ。


【うんと!マグロと……ブリ!】


私は指文字で“マグロ”“ブリ”と表現する。

魚の名前って、手話に無いものも多いんだよね。マグロはありそうだな…ブリは…ググれば出てくるかも。


「ああ!ブリとかって手話ないのかなっ!

 そう考えるとさ!私達が漢字わからないのと一緒だったりしない?

 例えば“ドジっ!”て漢字ないんだよ!?知ってた?」


ドジ……うん、漢字無いんですか?……

って、この流れでそこに行くのすごくない?


「そっかー。じゃぁブリも手話で私が作るかぁ。

 氷見に住んでたらブリって手話は必要だろう。

 どおする?ねむちゃん。」


……どおする?って言われても。

手話の新作を依頼されるとは思わなかった。


【凄い難しいね……】


本音は“ブリは指文字でいいよ”なんだけど。


それよりも気になるのは、

ユウちゃんが——私の手話を見るために全く前を見ていないことだ。


車が来たらどうするの!?

歩道の段差につまずいたら!?

もう心臓が痛い。


でも……

凄いな、この子。


話す内容はめちゃくちゃ飛ぶのに、

私の手話は一つ残らず追ってくれる。

“会話しよう”って気持ちが全力で伝わってくる。


そういえば——

お兄ちゃんが言っていたな。ユウちゃん。


「動物病院に犬を忘れてた」


……もしかして。


いや、もしかしなくても。


今私たちがしている会話、

全部——


天然なんじゃない!?


いや、天然にしては精密すぎる……

でも、天然じゃなかったらあの行動は説明できない……


どうしよう。

ユウちゃんの思考が読めない。

でも一つだけわかる。


一緒に歩いてるだけで、楽しいっ!



「あ。そうだ。ねむちゃん。弟に会ってく?」


番屋街へ向かう途中、街路樹に囲まれた細い歩道で、

ユウちゃんが横断歩道の白線の上でピタッと止まる。

夕方の光がオッドアイの片方をきらりと照らした。


【うん。近くにいるの?】


「うん。そこの岸壁市場で働いてるよ?」


そう言ってユウちゃんが指さした先には、

富山出身の漫画家さん作の”忍者シャドウくん”の巨大な壁画が青空を背負って立っていた。

ど派手すぎて、やたら目に焼きつく。


そのすぐ奥に、黒い大きな建物。

“氷見漁業文化交流センター”と書かれた看板が風に揺れていた。


【あの中にいるの?挨拶だけでもしようかな? 忘れられたくないし】


言ったあとで気づく。

——いや、中学生って働いていいの?

それとも健康な子は問題ないのかな。


「よっし。行こっ!」


シャドウくんに見送られながら、建物の自動ドアをくぐると、

中は思っていたよりも広くて静かだった。

天井が高く、潮風と展示の木の匂いがほんのり混ざっている。

人は少ない。もう閉館間際らしく、館内には館内アナウンスの残り香だけ。


“ひみの海探検館”の看板が、妙に地元感のある手書きフォントで掲げられていた。

入り口をくぐると、まず受付の気配があり、壁際にはレンタサイクルの自転車が整列している。

ここは「展示室」というより、漁港の倉庫をそのまま“学びのホール”に仕立て直したような空間だ。


奥へ進むと、体験展示が急に現代へ切り替わる。

4面の大型スクリーンに囲まれるVRシアターでは、「天然のいけす富山湾」や「氷見の漁師体験」などの映像が、視界の端まで押し寄せてくる。


その奥で、一目でわかる人影がある。


蒼い瞳、くっきりした西洋の顔立ち。

レオ君だ。

彼はブリ型の巨大オブジェを、布で黙々と磨いていた。


が、こちらに気づいた瞬間、動きがぴたりと止まる。


「おー!ねむじゃん!どしたの?? もう終わりだよ?探検したいのか?」


“ねむじゃん”。

もう呼び捨て。距離感ゼロ。

これが氷見の子のテンポなのか……。


「いや!ねむちゃんが今遊びに氷見に来てるんだよぉ! レオも久々だからおいでよ〜」


ユウちゃんは背伸びしながら両手をぶんぶん。

大人でもあのテンションについてくのは難しい。


「おー!何?これからどっか行くの?

俺、今職業体験中だから遊べないよ?」


あ、そうか。

バイトじゃなくて“体験学習”か。


にしても、この姿勢、良すぎない?

ブリ磨き職人みたいだ。


レオ君は布を置き、軽やかにこっちへ歩いてくる。


「おう!久々!もっと氷見にこいよ。何してんだよ。この前、猪捕まえたけど食べにくる?

俺が血抜きしたんだ。食ってみたいだろ?」


い、猪……?

いきなりジビエってやつ……?

脳が処理できず、ちょっと固まる。


【久しぶり!レオ君。んー……どうだろう。猪って食べられるのすら知らなかったんだけど】


「お前遅れてるな。今は猪が流行ってんだよ」


いや絶対流行ってねぇよ。

でも、言い切るところがまたかっこいいんだよなぁコイツ。


「いいねっ!ねむちゃんさ!今度芦名の家くる? お泊まりとかどお?みんなねむちゃんに会いたがってるし!」


えっ!?

芦名家……お泊まり!?

急展開すぎて息止まったんだけど。


【いいの!?嬉しいっ! 絶対に行きたい!】


「はは〜っ!これは村でお祭りだねぇ!いろんなご馳走作らないとねっ!レオもなんか考えといて!」


「俺が?肉しか料理できねぇよ。そういうのは姉ちゃんかナナ。あとは母ちゃんに頼めば?」


「私達がおもてなしした方が楽しいじゃ〜ん!ってことで!お仕事サボるなヨォ〜!じゃね!」


「あ?挨拶終わり?ねむと俺ほとんど話してねぇけど。まぁいいや。ねむ!姉ちゃん頼むなっ!」


【あ、う、うん……】

どっちかって言うと私が頼まれる側なんだが!?


会話の情報量が多すぎて、

言葉の洪水に飲みこまれてる感覚。


レオ君は颯爽さっそうきびすを返し、またブリ磨きに戻っていった。

その横顔が、なんだかやけに誇らしげだった。


【すごいね。体験学習なんて。レオ君えらい】


「そだねぇ。えらいね。もう一年生くらいからずっといろんな体験学習してるから、もう何周目かわからないよ?」


一年生から?

いや、待って。


【ずっとこんな事してるの? レオ君】


「んー、ナナとレオはずっとこんな感じかなぁ。

ナナはよく魚の加工とか手伝うし、仕分けもするし。お土産で魚持って帰ってくるよ?

お金は高校生からしかもらえないけどねぇ」


【ってことは……もう働いてるって事だよね?】


「んー、そうだねぇ。外から見るとナナもレオも“働いてる”ねぇ。

偉いよねぇ。尊敬できるよねぇ。“体験いつまでしてんだよっ!”ってね! あはは!」


いやいやいや。

私、小学一年生のころ、

孤立と欠席と引きこもりで、

“働く”なんて概念すらなかったのに。


そして今現在も、頭の片隅にもないのに。


いいのかこれ……?

私、外の世界についていけるのか……?


ふと入り口を見ると氷見の風がひんやり頬を撫でる。

海の匂いと夕日の色だけが、やけに優しい。



岸壁市場を出ると、すでに “氷見漁港場外市場・ひみ番屋街” の文字が遠くに見えていた。

その看板の下から海風がふわりと吹き抜け、潮の匂いが鼻先に触れる。


(いよいよだ……ここでつまみ食いするんだよね……楽しみっ。)


私とユウちゃんは、港へ続く大きな橋を渡る。

橋の下では海面が光を反射し、きらきら揺れている。

右手には広い公園。芝生の匂いが混じった風が足元を撫でる。


少しだけ視線を上げると視界の先には、海の向こうにそびえ立つ巨大な山々――立山連峰。

私の住む高岡から見る立山は“壮大”という言葉が似合うけど、

氷見から見る立山はちょっと違う。


海の上に浮かぶ“巨大な氷の壁”。

神話みたいな光景だ。


「ふふーん♪行くよーねむちゃんっ!」


ユウちゃんはスキップでもしそうな勢いで前を歩く。

制服のスカートが風でふわっと揺れて、背中越しに陽光が反射している。


(うん。……やっぱり綺麗だな、この人。)


道路を渡ると、いよいよ番屋街の入り口だ。

子どもの頃に来たことはあるらしいけど、今日見る姿はほとんど記憶と別物。

お店のテントや木造の屋根がリフォームされて、少しお洒落な観光地みたい。


中に入ると、ほとんどのお店はもう閉店準備をしていた。

でもフードコートはまだ灯りが暖かく、海の匂いと揚げ物の匂いが混じって漂っている。


「おー!ユウちゃん!珍しいねぇ。友達?今日は家族と一緒じゃないんだ?」


食堂のおじさんがユウちゃんに声をかけてきた。

馴染みの客なんだろう。話し方が完全に“家族みたいな”距離感だ。


「うん。レオは岸壁市場の方で、ナナは加工場にいるよ!私は友達とおっちゃんの塩アイス食べようと思って。だからアイスちょうだい?ねむちゃん何か食べたい?ここはアイスと氷見牛のメンチカツとコロッケが美味い気がする。」


気がする……って。

その曖昧さが良い。


【うん。私コロッケとメンチカツ食べようかなっ!】


食券を買い、カウンターへ並べる。

厨房から揚げたての油の香ばしい匂いが漂ってきて、思わずお腹が鳴りそうだ。


「はーい塩アイスと、コロッケとメンチどうぞー!」


トレイを受け取り、近くのテーブルに座る。

視線を周囲に向けると、観光客はまばらで、代わりに学生服の子がちらほら。


制服姿の私とユウちゃんも、その雰囲気になぜか馴染む。

違う学校の学生服なのに、ここに“居てもいいんだ”という安心感がある。


トレイの上は、黄金の暴力だった。衣の表面がまだ“パチ、パチ”と小さく鳴っていて、湯気がふわっと立つ。メンチの端からは肉汁の匂い、コロッケからはじゃがいもの甘い香り。鼻が先に食べはじめる。


「カレーも美味しいんだけどねー。氷見牛カレー。今日は違うの食べさせたくて。」

氷見牛なんかあるのか…松阪牛ってのは聞いたことがある。


【何?紹介してくれるの?】


「フッフーン♪内緒ー♪」


自慢げに顎を高くあげて見下ろしてくる。

その仕草もいちいち絵になる。顎のラインがほんとに綺麗。


ユウちゃんは、私のトレイを見て、ちょっとだけ眉を寄せた。

「ねむちゃん、それ……喉に引っかからない?? 小さく切ろうか?飲み込める?」


【甘いなユウちゃん。私は幼少期、地獄の嚥下えんげ(飲み込む)トレーニングをクリアした女。

食べる機能に関しては、そこらの健常者より強靭なのだよ!ちなみに少しだけ喉の形を病院でトランスフォームしてある。】


「……! トランスフォーム!?」

ユウちゃんの目が、「トランスフォーム」の指文字あたりでキラキラと輝きだした。


……ただの手術です。。。


(言わなくていいか!)


私はドヤ顔で、メンチを両手で持ち上げる。

一口。ガリッ。衣が砕けて、次に“じゅわっ”と肉汁が舌の上に広がった。熱い。うまい。危険。思わず目が細くなる。

多分ユウちゃんは誤嚥ゴエンを心配してるらしい。食べ物が気管に入ってしまうアレだ。


私には声帯がない。 人間は飲み込む瞬間、声帯を閉じて気道に蓋をする。私にはその“蓋”がないから、普通ならダイレクトに気管へ落ちていく。

しかも声帯がないと、咳き込こむ事もできず、吐き出すこともできない。 つまり一度入ったら――窒息まっしぐらだ。

だからこそ――嚥下は、私にとって命がけの戦いだった。

噛み砕き、唾液と混ぜて塊にし、食道へ送り込む一瞬のタイミング。 姿勢、呼吸、舌の動き。毎日毎日、うまくいかなくて泣いた。

でも今は、身体が勝手にやってくれる。“普通に食べられる”って、こんなに静かで、こんなに誇らしい。


もしここで誤嚥してしまったら?

吸引機があるので心配ない。


【だいじょうぶ。これ、最高。】


「……え、すご。普通にいった。」

ユウちゃんの目がまんまるになる。私はついでにコロッケも持ち上げる。サクッ、ほくっ。中がふわっと崩れて、じゃがいもが甘い。熱で口の中が軽く火傷しそうなのに、止まらない。


見たか。これが“過去の努力の証”だ。


そんな中で、ふとWhatsAppのやり取りを思い出す。


【私と話したい事があるって言ってたけど聞いていいかなぁ。】


「そだそだ。そうそう。エマがさぁ。ねむちゃんの事気になっててさ!毎回毎回うるさいんだよね。今日も一緒に来いって言っても『私の事なんか覚えてない!』みたいなだだこねるのよ。バカだよねぇ。だからよかったら、休日とか一緒にご飯とか本屋さんとか行ったりして遊ばない?って言おうよって!もちろんねむちゃんいいならだけどさ。それにろうの子も連れてきてもらってもいいしね!どうかな!」


(え、エマちゃん……そんなふうに思ってくれてたんだ……?)


胸がきゅっとなって、すぐにやわらかくほどけた。


【私でよければ。是非っ!こっちからお願いしたいくらいだよ。】


「そお?んなら言っとく!いいねぇ!順調っ!」


そんな会話の最中だった。


ちょこん、と見知らぬ子が空いている椅子に座った。


「久しぶりだね。元気?」


優雅で、静かで、どこかお姉さんみたいな声。

でも、誰かわからない。

スカーフで顔の髪の毛をすっぽり隠しているからだ。


私は固まる。


「おー!ナナー。お仕事終わったんだ。今日は早いね。」


ナナ?

あのナナ?


私の思い浮かべるナナちゃんは、

•気性が強い

•目つき鋭い

•無表情でぶっきらぼう

•社会不適合気味で

•どこか危うい雰囲気


そんな印象だったのに、目の前の彼女は――


声も態度も優しい。柔らかい。まるで別人のようだ。


「あ。これね。ヒジャブっていうの、ナナは金曜日だけこんな感じ。覚えといて?」


ユウちゃんが、ナナちゃんの頭をぽんぽん撫でながら説明する。


ヒジャブ……?

あれってどっか異国の文化だよね……?

なんでナナちゃんが……?


「ごめんね。挨拶だけしようと思って。ねむちゃん、もしかしてこれから冰覌ひみの月にいくの?」


冰覌の月?初耳……

でもナナちゃんの声が優しすぎて、頭が追いつかない。


「ちょっとぉ!ナナぁ!なんで言っちゃうの!?バカァ!!」


テーブルをバタバタ叩いて全力で地団駄踏むユウちゃん。

対してナナちゃんはすっと背筋を伸ばし、柔らかく微笑みながら見上げて続ける。


「じゃ、漁港にレオと終了報告してくるね。そのあと私がみんなの分、担当するよ。」


「いいの!!?それならねむも喜ぶと思う!!」


ナナちゃんは軽く会釈して、静かに歩き去っていった。

その後ろ姿は、氷の上を歩くみたいに静かで上品だった。


【あのユウちゃん。ナナちゃんって本当はあんなにおとなしいの?】


「ん?あれは金曜日だけだよ?明日になったらまた暴れん坊に戻るの。

 色々思う事あると思うけど、ナナなりのアイデンティティがあるんだ。」


"あいでんててー"カッコよ……


金曜日だけ。

ナナちゃんのリセットの日。


世界が違う、って思ったけど……

この子たちは、ただ自分なりの“普通”を持ってるだけなんだ。


【なんか…凄いね。住んでる世界が違う気がするよ。】


「一緒だよ。違う文化がちょっと乗っかってるだけ。

 家に帰ったらヒジャブ脱いで、普通に私達みたいに喋るよ?

 ただちょっとおとなしいけどね!ムフフっ!可愛いんだよねぇ!」


私はついていけないことだらけだけど、

ユウちゃんの「全部普通でいいじゃん」という空気に救われる。


考えると知恵熱が出てきた。


「ほれ。塩アイス。ねむちゃんも食べ?お顔真っ赤よ?」


差し出されたアイスをノーハンドでぱくり。


「んーー!可愛いねぇ!ねむちゃんっ!芦名家に来る?妹になってよっ!」


……いやいや。

私のほうが歳上じゃぞ、ユウ……


嬉しさと照れが胸で爆発し、私は小さく息を吸った。

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