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天鵞絨の鼓動と花露〜運命の歯車が巡る時〜  作者: さくらもち
目覚めの季節、旅立ちの花
4/13

春の交差点に影が差す

春の陽射しはやわらかく街を包み、天鵞絨の都は朝から祭りの活気に満ちていた。


一年に一度、この街で開かれる「花祭り」。

森の神木〔天鵞絨の大樹〕に感謝を捧げ、四季の恵みを讃える行事である。祭りは四年を一巡りとし、春夏秋冬を順に祝う。今年は春。もっとも華やかで、人々の胸が待ち望む季節だった。


通りには、枝葉に結わえられた花飾りが風に揺れ、色とりどりの紙花が空を舞う。屋台は通りを埋め尽くし、香ばしい焼き菓子や花蜜の甘い香りが交じり合って漂っていた。歌声と笛の音、子どもたちの歓声が遠く近くに響き、街全体が一枚の絵のように鮮やかに染め上げられている。


その賑わいの中を、ルカは小さな籠を抱えて歩いていた。


背丈は平均より少し低く、肩までの紅の髪が春風に揺れて光を帯びる。澄んだ桃色の瞳は控えめで、表情には幼さと儚さが入り混じっていた。


「蜜蝋キャンドル……それから、スズランの花も」


籠の中には買い込んだ食材と小さな花束が入っている。


生活は決して豊かではない。

ルカは物心つかないうちに両親を亡くし、親戚の家を転々としたのち、今は村外れの小屋でひとり暮らしていた。今日も本当なら必要最低限の買い物だけして帰るつもりだったが……


街全体を覆う華やかさに、足は自然と祭りの方へ引き寄せられていた。


ふと、今朝方の夢を思い出す。


泉のほとりにそびえ立つ、天鵞絨のような幹の大樹。深紅から紫紺へと色を変えるその姿は神秘的で、枝葉から降り注ぐ光は花びらのように舞い散っていた。耳の奥にまだ残っているのは、静かに響いた声。


目覚めたあとも不思議と胸に灯る温もりは消えなかった。意味は分からない。けれど心の奥に染み入り、消えることなく残っている。


「……ほんと、おかしな夢だったなぁ」


自嘲するように呟いて、ルカは通りを歩いた。


「おや、ルカくん」


声をかけられ、振り返ると老婦人が花冠を編んでいた。淡い紫の花を手にし、皺だらけの手で器用に形を整えている。


「その花冠、春らしくってきれいですね」

「ありがとう。毎年この花祭りのために作っているのよ。花の命を讃える大切な日だからね」


老婦人はほほ笑み、針金で花を固定しながら話す。


「花って、いろんな意味を持っているんですね。何かを伝える言葉があるみたいで」

「そうそう。花言葉は昔から、人の心を映す鏡のようなものさ。大事な想いを託したり、願いを込めたりするんだよ。この祭りもそう。季節の花と一緒に、みんなの気持ちが飾られているの」


言葉には、花と共に生きてきた年輪の重みがあった。ルカは軽く頭を下げ、籠を持ち直して歩みを進める。


次に目に入ったのは花蜜パンの屋台。湯気を立てる丸いパンは香り豊かで、金色の花粉がかけられていた。


「お兄さん、どう? お祭りの味だよ」

「……じゃあ、ひとつください!」

「はい、どうぞ!アツアツだから気をつけてね」


渡された花蜜パンは手のひらにずっしりと温かく、かじれば外は香ばしく、中はふわりと甘かった。舌の上で溶ける蜜の優しい甘さに、思わず小さく息が漏れる。


通りを進むと子どもたちが紙花を振りながら駆け、犬を連れた老人が立ち話に興じる。祭りは華やかで、人々の笑顔がそこかしこに咲いていた。


けれど――ルカの胸には、ふとした隙間のような寂しさが浮かんでいた。


「……まあ、一人で行っても、ちゃんと見られないかな」


籠の中を覗き込み、独り言のように呟いた。華やぎはすぐ傍にあるのに、手に入らない。自分だけが外側にいるような、そんな感覚。


その時――


ドンッ。


「うわっ!?」「おっと、危ねぇ!」


横から勢いよくぶつかられ、ルカはよろけて籠を落とした。中から果物や花束、買ったばかりの花蜜パンが石畳に散らばる。


「す、すみませんっ!」


相手は酒瓶を抱えた中年の男。顔を赤くし、ふらつきながら謝りもせず人混みへ紛れていった。

慌てて拾おうと膝をつくルカ。しかし人々の足が途切れることなく往来し、果実はころころと転がっていく。


「待って……っ」


必死に手を伸ばすが、小瓶がつるりと滑ってさらに遠くへ転がった。


――その時。


「俺が拾うよ」


低く落ち着いた声が耳に届き、影が差した。見上げると、背の高い青年がそこにいた。やや長めの前髪が風に揺れ、若葉色の瞳がこちらを見ている。人混みの中でも堂々とした佇まいで、すっと膝をつき、散らばった品を拾い集めてくれた。


「これ、君のだろ?」


花束を籠に戻しながら、彼は口元にわずかな笑みを浮かべる。


「ありがとう……助かりました」


ルカは胸の鼓動を整えながら礼を言った。その時、一瞬だけ青年の手がルカの指先に触れる。温もりが伝わったが、それ以上の意味を見出すにはあまりに短い。


青年は立ち上がり、籠を差し出した。

「……中身、大丈夫か?」


ルカは小さく頷く。春の陽射しの下、喧噪の只中で、ふたりは初めて向かい合っていた。



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