春の名を持つ
少しの間、二人は黙ったまま考えていた。
窓の外では夕方の光がゆっくりと傾き始めている。
昼の明るさはすでにやわらぎ、橙色に近い柔らかな光が古い木枠の窓から静かに差し込んでいた。
その光は床の上をなめるように広がり、年季の入った木の机や椅子の脚の影を長く引きのばしている。
部屋の空気は穏やかで、どこかゆったりとした静けさに包まれていた。
窓の外からは、風に揺れる葉のかすかな音が聞こえる。
遠くの通りから届く人の声も、夕方の空気に溶けるようにぼんやりと響いていた。
そんな静かな時間の中で、ルドルフは腕を組みながらゆっくりと天井を見上げる。
考えるときの癖なのか、少し体重を片足に預けるように立っていた。
その動きに合わせて、風に吹かれて長めの前髪がふわりと揺れる。
髪の隙間からのぞく瞳は、若葉のような淡い緑色をしていた。
普段は前髪に隠れてあまり見えないその瞳も、今は窓から差し込む夕方の光を受けて、ほのかに色を浮かび上がらせている。
橙色の光が前髪の縁をやわらかく照らし、その奥で若葉色の瞳が静かに光った。
春に芽吹いたばかりの葉のような、やさしい色だった。
一方で、ルカは向かいに立ったままルドルフの様子を見ている。
考え込んでいるルドルフの顔を、じっと見つめていた。
濃いピンク色の瞳が、夕方の光を受けて小さくきらめく。
若葉のように静かなルドルフの瞳とは対照的に、ルカの瞳はどこか温かく、花の色を思わせるような鮮やかさを持っていた。
二人の視線がふと重なる。
春の葉と、花の色。
まるでこの季節をそのまま閉じ込めたような色が、静かな部屋の中で向かい合っていた。
ルドルフはしばらく考えていたが、やがて小さく息を吐く。
腕を組んだまま、ふと思い出したように口を開いた。
「にしても、名前どんなのがいい?」
ふと思いついたように、ルドルフが言う。
ルカはその声に顔を上げると、少し考えるように視線を落とした。
指先を顎に当て、小さくつぶやく。
「そうですね……」
言葉を探すように、ゆっくり続ける。
「ファミリア……ファミリア……」
その単語を何度か繰り返す。
まるで音の響きを確かめているようだった。
やがて、ふと思いついたように顔を上げる。
「家族……?」
濃いピンク色の瞳が、少しだけ輝く。
ルドルフはその言葉を聞き、長い前髪の奥で若葉色の瞳を細めた。
「そうだな」
納得したようにうなずく。
「ファミリアは家族の意味合いもあるな」
その言葉を聞いたルカは、少し嬉しそうに頷いた。
それから、少しだけ遠慮がちに続ける。
「じゃあ……」
一瞬ためらってから言った。
「春家族はどうでしょう」
部屋の中に、その名前が静かに落ちる。
ルドルフは一度だけ瞬きをした。
長い前髪が揺れ、その奥で若葉色の瞳が少しだけ細くなる。
「春家族か……」
名前を口の中で転がすように繰り返す。
窓から差し込む夕方の光が、二人の影を床に長く伸ばしていた。
やがてルドルフは、ふっと笑う。
「いいな、それ」
腕をほどき、軽くうなずいた。
「それにしよう!」
ルカの表情がぱっと明るくなる。
「春家族」という言葉が出てから、二人はしばらくその響きを確かめるように黙っていた。
窓の外では、夕方の光がゆっくりと色を変え始めている。昼の明るさはやわらぎ、橙色に近い光が古い木枠の窓から差し込み、部屋の中を静かに照らしていた。
木の床には長く伸びた影が落ち、机の上には紙や小さなインク瓶、そしてさっきまでアップルパンを食べていた皿やフォークがそのまま置かれている。外からは、どこか遠くの通りのざわめきと、風に揺れる葉のかすかな音だけが聞こえていた。
ルドルフは机の端に軽く腰を預けたまま、腕を組んで考え込んでいる。
「春家族、か……」
小さくつぶやく。
開けてあった窓からやさしい風が流れ込んできて、長めの前髪がふわりと揺れ、その隙間から若葉色の瞳がのぞく。夕方の光を受けて、その緑はどこか柔らかい色に見えた。
ルカは少し緊張したようにルドルフの顔を見ている。
自分が言った名前がどう思われたのか、気になっているのだろう。
ルドルフは少しだけ考えたあと、ふっと笑った。
「あぁいや、いいとは思うんだけどさ」
腕をほどきながら言う。
「この世界中の昔の言葉とか、別のところの春の言葉って結構いろいろあるんだよな」
「え?」
濃いピンク色の瞳がぱちりと瞬き、少しだけ首を傾ける。
思いがけない話題だったのだろう。ルドルフの言葉の意味を探るように、その顔をじっと見つめた。
ルドルフはそんなルカの反応を見ながら、軽く指を一本立てる。
「たとえばさ」
そう言うと、少し思い出すように視線を上へ向けた。
夕方の光が長い前髪の縁を淡く照らし、その奥で若葉色の瞳がゆっくりと動く。
「スプリング」
軽く言葉を転がすように発音する。
ルカは小さく「へえ……」と声を漏らした。
ルドルフはそのまま指を動かし、もう一つ挙げる。
「それから……プランタン」
今度はさっきよりもゆっくりとした発音だった。
音の響きを確かめるような言い方だ。
ルカは少し感心したようにうなずく。
「ほへえ……」
それでもまだ完全には想像できないらしく、どこか不思議そうな顔をしていた。
苦笑しながらルドルフはさらに続ける。
「フリューリング」
「…ふみゅ…ふりゅーうぃ……あはは、それは少し発音が難しいですね」
ルカは思わず苦笑する。
舌の上で言葉を転がしてみたが、うまく言えなかったらしい。
ルドルフも肩をすくめた。
「まあ、そうだよな。俺もちゃんと言えるようになるの少し大変だった」
あっさりと同意する。
それから、何か思い出したように軽く指を鳴らした。
「あ、あとさ」
指をもう一本立てる。
「あと、プリマベラ」
その響きが、静かな部屋の中にゆっくりと落ちた。
夕方の光が差し込む静かな空間に、その言葉だけがやわらかく広がっていく。
ルカはその音を確かめるように、小さくつぶやいた。
「プリマヴェーラ」
その響きが、静かな部屋の中に落ちる。
ルカはその言葉を口の中で繰り返した。
「プリマ……ヴェーラ……」
口の中で不思議そうな顔をしている。
少し不思議そうな顔をしている。
「それも春なんですか?」
「ああ」
ルドルフはうなずいた。
「たしか、どこかの国の古い言葉だったと思う」
そう言いながら、ゆっくり窓の方へ歩く。
窓辺に立つと、夕方の光が横から差し込み、長めの前髪を淡く照らした。
その奥で、若葉色の瞳が外の景色をぼんやりと映している。
「小説の資料で読んだことがあるんだよ」
ルドルフは窓の外を見ながら言う。
遠くの空はすでに夕焼けの色を帯び始めていた。
それから、ゆっくり振り返る。
「国によって昔使われてた、春の呼び方って結構違うらしい」
ルカは感心したように聞いていた。
「ルドルフさん、やっぱり物知りですね」
「いや、ただ本書くために色々読んでるだけだよ」
ルドルフは少し照れくさそうに笑う。
それから腕を組み直す。
「でもまあ……」
少し考えるように言葉を区切る。
「せっかくファミリアの名前なんだし、ちゃんとしたのにしたいだろ?」
ルカはすぐにうなずいた。
「はい、そうですね」
さっきより少し真剣な表情になっている。
二人はしばらく黙って考え込んだ。
窓の外では、夕方の空がさらに色を深めている。
橙色の光が、少しずつ赤みを帯びてきていた。
ルカは小さくつぶやく。
「スプリング……」
少し首をかしげる。
「うーん……」
ルドルフも同じように考えていた。
「プランタンも悪くないけどな」
「でも、ファミリアの名前となるとこれもちょっと言いにくいかもしれません」
「確かに」
ルドルフは苦笑する。
また少し沈黙が落ちた。
夕方の空気が、静かに部屋を満たしている。
しばらくして、ルカがふと顔を上げた。
「さっきの……」
少しだけ遠慮がちに言う。
「プリマヴェーラっていうのはどうでしょう」
その言葉に、ルドルフは一瞬だけ目を瞬いた。
「プリマヴェーラ?」
「はい」
ルカはゆっくりうなずく。
「なんだか……きれいな響きだなって」
濃いピンクの瞳が、少しだけ楽しそうに輝いている。
ルドルフはその言葉を口の中で繰り返した。
「プリマヴェーラ……」
夕方の静かな空気の中で、その音がゆっくり広がる。
そして、ふっと笑った。
「うん、いいじゃん」
あっさりと言う。
ルカが驚いたように顔を上げる。
「本当ですか?」
「ああ」
ルドルフはうなずいた。
「響きもいいし」
それから、少しだけ楽しそうに続ける。
「小説の中に出てきても、違和感なさそうだ」
ルカは思わず笑ってしまった。
その笑い声が静かな部屋にやわらかく広がる。
ルドルフは腕をほどき、軽く言った。
「じゃあ決まりだな」
ルカも大きくうなずく。
二人で決めた、初めての名前。
それはまだ生まれたばかりの、小さなファミリアの名前。
二人のファミリアの名前は――
『ファミリア=プリマヴェーラ』
夕方の光の中で、その名前は静かに生まれた。
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