ご飯食べてなくて、腹ペコです。
感謝の言葉は、途切れることなく続いていた。
「ルカ、ほんと助かったよ」
「お前のおかげで、うちの倉庫も無事だったんだ」
「また畑、手伝いに来てくれよな」
一人一人の声は大きくない。
けれど、そのどれもが確かな重みを持ち、静かに胸へ積み重なっていく。
気づけば、子供たちも集まってきていた。
「ねえねえ! お花、どうやって出したの?」
「触ったらケガ治るの?」
「また見せてくれる?」
次々に飛んでくる質問に、ルカは戸惑いながらも小さく笑う。
「えっと……俺にもまだ、よく分からなくて…でも、みんなが無事でよかった」
その言葉に、子供たちはぱっと顔を輝かせた。
その無邪気な笑顔を見た瞬間――
胸の奥に温かいものが広がる。
だが同時に。
ふと、別の思いが頭をよぎった。
(……俺の家は)
笑い声の中で、急に現実の重さが戻ってくる。
胸の奥が、じわりと冷えていく。
ルカは無意識に視線を伏せていた。
その変化に気づいたのか、隣のルドルフが小さく声を落とす。
「……どうした」
ルカは少し迷い、それから正直に口を開いた。
「……家が、気になって」
言葉にすると、不安がはっきり形を持つ。
「……一度、帰ってもいいですか」
ルドルフはすぐに答えなかった。
代わりに、街の外れの方角へ視線を向ける。
そして、短く頷いた。
「そっか、ルカに家に行く前にシェイドが来て町に戻ったから家にはいけてなかったな…わかった、俺も一緒について行ってもいい?」
その言葉に、胸の奥で張り詰めていたものがわずかに緩む。
「はい、それはもちろん大丈夫です。」
二人は並んで歩き出した。
街の中心を離れるにつれ、賑やかな声は少しずつ遠ざかっていく。
代わりに、静かな音が増えていった。
修理の槌の音。
木材が軋む音。
遠くで鳴く家畜の声。
石畳の道は、やがて土の道へ変わる。
踏みしめるたび、乾いた土が柔らかく沈み、かすかな埃が靴の周りに舞い上がった。道の脇には、半ば倒れたままの柵や、まだ片付けきれていない瓦礫が点々と残っている。だが、それらの向こうでは、誰かが必ず手を動かしていた。
道はさらに細くなり、両脇には背の低い草が風に揺れている。街のざわめきは、もうほとんど聞こえない。
代わりに、風の音だけが静かに耳を満たしていた。
やがて、小さな丘を越えた先に――
見慣れた屋根が見えた。
赤茶色の瓦。
低い煙突。
入り口の横にある、小さな花壇。
ルカの足が止まる。
「……あ」
声が、かすかに震えた。
家は――
立っていた。
壁も、屋根も、扉も。
何一つ崩れていない。
花壇の土も、そのままだ。
朝露に濡れた小さな芽が、静かに揺れている。
しばらく、ルカは動けなかった。
そして次の瞬間、駆け出した。
扉に手をかけ、ゆっくり押す。
きぃ、と懐かしい音がした。
中は、少しだけ埃が舞っているだけで――
何も変わっていなかった。
その場に立ち尽くし、ルカは深く息を吐く。
肩の力が、すっと抜けていった。
「……よかった……」
それは、戦いのときよりも小さく、でもずっと重い言葉だった。
後ろからルドルフが静かに言う。
「良かったなルカ、家が無事で」
「はい、ルドルフさんの荷物も無事でした。」
「なんだそれは。まず自分に家が無事だったことに喜べよ。」
二人で家の中に入って、持っていた荷物を置いてどこからかおなかが鳴った音がした。
ぐぅぅぅ……
静かな室内に、不釣り合いなくらい素直な音が響いた。
一瞬、空気が止まる。
ルドルフの眉がわずかに動き、音のした方向へとゆっくり視線を向ける。
そこには――
耳までほんのり赤く染めたルカが、気まずそうに視線を泳がせて立っていた。
「……ルカ…?」
しばらくの沈黙のあと、観念したように小さく口を開く。
「……バタバタしていて、ごはんたべてなくて……おなか、すきました……」
その言い方があまりにも正直で。
ルドルフは一度きょとんと目を瞬かせたあと――
耐えきれなくなったように吹き出した。
「…っぷ、あははは!」
静かな家の中に、久しぶりの明るい笑い声が弾ける。
ルカはさらに顔を赤くし、肩をすくめた。
「そ、そんなに笑わないでくださいよぉ……」
「ふふ……うん、ごめん」
ルドルフは口元を押さえながらも、まだ少しだけ笑いを残した声で続ける。
「でもさ。なんていうか……安心した」
「え?」
「さっきまで命のやり取りしてたやつが、急に“腹減った”って顔してるんだぞ?」
少しだけ目を細めて、柔らかく言った。
「なんかさぁ、生きてるって感じがする」
その言葉に、ルカの胸の奥がじんわり温かくなる。
そしてルドルフは、軽く伸びをしてから言った。
「ん~……俺も、なんか思い出したら腹減ってきたな」
少し考えるように視線を巡らせる。
ルドルフの視線は、室内をゆっくりと巡った。
壁に沿って並ぶ木の棚には、素朴な陶器の器や、使い込まれた鍋が整然と並んでいる。
どれも新品ではないが、丁寧に洗われ、きちんと拭き上げられているのが分かる。
欠けた縁を補修した跡さえ、長く大切に使われてきた証のようだった。
梁からは、束ねられた干し草や薬草がいくつも吊るされている。乾いた葉が触れ合うたび、かさり、と軽い音を立てる。陽に干された青い匂いと、ほのかな甘さを含んだ草の香りが、室内の空気に溶け込んでいた。
窓辺の小さな台には、素焼きの皿がひとつ置かれている。
その上には、赤く艶のある林檎が三つ、静かに並べられていた。
朝の光を受けた果皮が、柔らかな輝きを帯びている。
傷ひとつないそれは、ただの保存食というより――大切に扱われている“特別なもの”のように見えた。
その隣には、小さな花瓶。
そこに挿されていたのは、白い鈴のような花――スズランだった。
細い茎の先で、いくつもの小さな花が静かに揺れている。風がなくても、ほんのわずかに震えているように見えたのは、窓から差し込む光の揺らぎのせいかもしれない。
控えめで、目立たない花。
けれど、その白は驚くほど澄んでいて、室内の空気に静かな清らかさを添えていた。
壁際には、蓋付きの木箱がいくつか積まれている。
そのひとつをルドルフが覗き込む。
中には麻袋に詰められた穀物が、きっちりと口を縛られて収められていた。袋の隙間からこぼれた粒が、床にいくつか転がっている。まだ新しく、黄金色の光を帯びていた。
別の箱には、塩で締められた干し肉と、布に包まれた根菜が並んでいる。乾燥した皮の間からは、まだしっかりとした張りが感じられた。
棚の隅には、小さな壺がいくつも置かれている。蓋をわずかに開けると、保存された豆や塩、香草の香りがふわりと立ち上った。
――十分すぎるとは言えない。
だが、決して乏しくもない。
数日どころか、しばらくは確実に暮らしていけるだけの蓄えが、そこにはあった。
そしてふっと思いついたように口を開いた。
「なぁルカ、よかったら――家にある材料、使っていいか?」
「え?」
ルカは目を丸くする。
「ご飯、作ってもいい?」
「え!? ルドルフさん、がですか? 俺作りますよ!」
慌てて身を乗り出すルカに、ルドルフは軽く手を振った。
「いいって」
その声は穏やかで、どこか照れ隠しのようでもあった。
「俺もさ。ルカの“花”に助けられたし」
少しだけ視線を逸らしながら、ぽつりと続ける。
「そのお礼ってやつ」
ルカは一瞬だけ言葉を失う。
戦いの最中では見せなかった、こういう不器用な優しさに触れて――
胸の奥が、じんとする。
小さく息を吸い、そして頷いた。
「……じゃあ……お願いします」
その返事を聞いたルドルフは、どこか満足そうに笑った。
「任せろ。見た目はともかく、味は保証する」
「見た目はダメなんですか?」
「そこは期待するな」
二人の間に、くすっとした笑いが落ちる。
戦いのあとに訪れた、静かな昼の光の中で――
家の中には、少しずつ“日常”の気配が戻り始めていた。




