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天鵞絨の鼓動と花露〜運命の歯車が巡る時〜  作者: さくらもち
目覚めの季節、旅立ちの花
13/13

陽だまりの夢、変わりだした"もの"

どれほど眠っていたのだろう。

 ルカはふと気がつくと、いつもの小屋ではなかった。


 陽だまりに包まれた部屋。

 窓から柔らかな光が差し込み、薄い生成りのカーテンがそよ風に揺れている。

 壁は淡い木目で、磨かれた床はどこか温かい匂いがした。

 見慣れぬソファに、幼い自分と両親が座っていた。


 父は新聞を片手にしながらも、時折こちらを覗き込んで微笑む。

 白いシャツの袖を肘までまくり、どこか休日の余裕を漂わせていた。

 母は分厚い本を膝にのせ、淡いブルーのワンピースを着ている。

 その胸元には、小さな花を刺繍したブローチが輝いていた。


 窓の外には小鳥が羽ばたき、庭には色とりどりの花が咲き乱れていた。

 黄色いラナンキュラス、白のアザミ、紫のアサガオ、白いズズラン。

 まるで季節がごちゃまぜになった夢の庭で、花々は風に揺れながら香りを届けていた。


『ママ、それなに?』


 幼い声が弾む。ルカはまだ四、五歳くらい。

 小さな手を母の膝に乗せながら覗き込んでいた。


『お花の本よ。昔から、人は花にいろんな願いを託し人を繋いできたの』


 母は指でページをそっとなぞりながら、穏やかに答えた。

 古い本の紙からは、インクと乾いた草花の匂いが漂ってくる。


『ふぅん……おはなって、すごいんだね』

『ふふ、そうね』


 母の声は春の風のようにやさしく、耳に触れるだけで心が和らいだ。

父がくすりと笑って口を挟む。


『お前も花の名前くらい覚えたらどうだ?なぁ、ルカ?』

『うん!おはな……ルカもいっぱいおぼえる!』


 胸を張ると、母が笑いながら髪を撫でた。


『じゃあ、ルカはどんな願いや言葉を花に込めたい?』

『えっとね……えっと……』


 幼い眉をぎゅっと寄せて考えるルカ。

 母の指先でページの花がぱらぱらと揺れるたび、小さな瞳は一層輝きを増していた。


 父がソファの背もたれに腕を置き、楽しげに見守っている。

 その眼差しはどこか誇らしげで、何よりも息子の答えを待ち望んでいた。


『……まもる!るかは、おはなに“まもってね”ってお願いする!』

『守る?』


母が柔らかく首をかしげる。


『うん。そしたらルカがないてても、まもってくれるでしょ?あとね、ママやパパのこともまもってくれるでしょ?』

『もちろんよ』


 母の笑顔はひときわ明るくなった。


『ルカのことだって、ちゃんと守ってくれるわ』


 小さな胸の奥にあたたかさが広がる。

 父の大きな手がぽんと肩に乗った。


『いい答えだな。だが、ルカ自身も誰かを守れるようにならなくちゃな』

『ルカも……まもれる?』

『なれるさ』


母がそっと囁いた。


『守る強さも、導くやさしさも、きっとルカの中に咲いていくから』

『ほんとに?るかのなかにもおはながさくの?』

『ええ。ルカはね、いつかきっと、お花みたいに人を照らして守ってあげれる、優しい子になって欲しいな』


 その言葉に、幼いルカは目を丸くした。

 胸の奥で芽吹いた小さな希望が、ふわりと温かく膨らんでいく。


 その時、窓から差し込む光が急に強くなった。

 光は花々を透かし、部屋全体を白く染めていく。

 母の唇が動く。――けれど、声は聞こえなかった。

 父の姿も光に溶けるように薄れていく。


『……ママ?…パパ?』


 幼い声は空に吸い込まれ、景色は霞んでいった。


――――――――――


 ルカは飛び起きた。

 全身が汗で濡れ、胸が激しく上下している。

 呼吸は荒く、肺に冷たい空気が無理やり押し込まれる感覚だった。


 ここは……昨夜、シェイドと戦った畑の脇。

 気を失うように倒れ込んだ場所のままだった。


 湿った土の匂いが鼻を刺す。

 衣服には夜露と汗が染み込み、草のざらついた感触が腕に残っている。

 耳を澄ませば、遠くで避難していた人々の声が響き、街はかすかにざわついていた。

 鳥の鳴き声、吹き抜ける風の音、地面に転がる小石が衣服に当たる小さな感触――

 現実は無慈悲なほど鮮明だった。


(夢……だったのか……?)


 母と父の顔、声。あまりに鮮やかすぎて、記憶と区別がつかない。

 胸がじんじんと熱い。

 まだ夢の中にいたい。光に包まれたあの部屋に帰りたい。

 しかし現実は、土の冷たさと傷の痛みで否応なく意識を引き戻してくる。


 ふと視線を落とすと、自分の爪が淡い桜色に変わっていた。

 驚いて瞬きを繰り返す。


 爪先からじわじわと光が滲み出す。

 その光が色へと変わり、透き通った桜色が指先を染めていく。

 次の瞬間、淡い光を放つ模様が浮かび上がった。

 それは小さな花弁――サクラの花を模したような紋だった。


「……な、なにこれ……っ!」


 ルカは慌てて両手を見つめ直す。

 指先が震え、心臓が早鐘を打った。

 喉が渇き、言葉がうまく出てこない。


 恐怖。困惑。


 けれど、その奥底でほんの少しだけ芽生える、説明できない誇らしさ。


「目を覚ましたか」


 声に振り向けば、ルドルフがいた。

 腕を組み、しかし目は鋭くルカの爪に注がれている。

 一瞬驚きの色が走ったが、すぐに真剣な眼差しへと変わった。

 その視線に射抜かれているようで、ルカは思わず肩をすくめる。

 だが次の瞬間、彼の表情はわずかに和らいだ。


「……気分はどうだ?」


 声はいつになく穏やかで、心配を押し隠したような響きを帯びていた。

 ルカは息を整えながら、胸を押さえた。


「……ちょっと、だるい……頭が重い感じ……」

「昨日、無理をしたからな。シェイド相手にあれだけ花を使えば、身体への負担も当然だ」


 ルドルフは静かに言い、ゆっくりと歩み寄る。

 その長身の影が、ルカを包むように覆いかぶさった。

 彼は膝を折り、ルカと同じ高さに視線を落とす。


「立てそうか? 無理ならしばらく横になってろ」

「……だいじょうぶ、ちょっとびっくりしただけ」


 ルカは爪を見下ろし、震える指を握り込んだ。


 淡い桜色と、浮かぶ文様。

 どれだけ瞬きを繰り返しても消えないそれに、息が詰まる。


 ルドルフはルカの手をそっと取った。

 大きくて温かい掌が、少年の手を包み込む。


「怖がることはない。……これは“Before”だ」

「び、びふぉあ……」


 声がかすれる。


「ああ。花使いの中でも、選ばれた者にしか現れない。……爪の色と模様は、リーダーの証だ」


 言葉は重いが、口調は落ち着いていて、安心させようとする響きがあった。

 ルカは瞬きを繰り返し、思わず問い返す。


「……俺が……リーダー?」

「そういうことだ」


 ルドルフは短く頷く。

 けれどすぐに言葉を重ねた。


「だからといって、すぐに何かを背負えと言うつもりはない。お前はまだ子どもだ。まずは、理解して受け止めることからだ」

「でも……」


 ルカの声は震え、爪を隠すように胸元へと抱き寄せる。


「俺なんかに……そんなの、できるわけないよ……」


 ルドルフはしばし目を閉じた。

 やがて、低く柔らかな声が落ちる。


「できるかどうかを決めるのは、今じゃない。未来のお前自身だ。……Beforeが現れたということは、その可能性があるというだけのことだ」


 ルカは小さく首を振る。

 胸の奥で、夢の母の言葉がよみがえる。


―――『ルカはね、いつかきっと、お花みたいに人を照らして守ってあげれる、優しい子になって欲しいな』


 どうしても、その続きを聞きたかった。

 でも思い出せない。

 光に溶けた母と父の姿が胸を締めつける。


 ルドルフは、ルカの沈黙に気づいたのか、ゆっくりと立ち上がり背を向けた。

 そして少し振り返り、やさしく言う。


「……怖ければ、隠していればいい。無理に誰かに見せる必要はない。俺以外には、まだ知らせなくてもいい」

「……ほんとに?」


 ルカの声はか細い。


「ああ。大事なのは、お前の心と身体だ」


 ルドルフの瞳は真剣そのもので、どこか父親のような兄のような温かさを帯びていた。


 ルカは胸の奥にわずかな安堵を覚え、爪をもう一度見下ろした。


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