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天鵞絨の鼓動と花露〜運命の歯車が巡る時〜  作者: さくらもち
目覚めの季節、旅立ちの花
12/13

サクラの灯火


「ルカ!」


 鋭い声が飛ぶ。避難を終えたルドルフが遠くから叫んでいた。


「力に飲まれるな! お前が花を信じろ!」


――――俺が、花を……信じる?


 その言葉が胸に触れたとき、不意に記憶が蘇った。

 幼い日のこと。母の腕の中で、春風に揺れる桜を見上げていた。

 母の声はやわらかく、木漏れ日のように温かかった。


『まま、どうしてお花は、いつもいっぱい咲いてるの?』

『それはね、人を守るためでもあるし……道を示すためでもあるのよ』

『まもる……? みちをしめす……?』

『うん。疲れてる人の心をやさしく包んで、どこへ行けばいいのか迷ってる人に光をくれるの』

『そっかぁ……じゃあ、るかが泣いても、おはなはまもってくれる?』

『もちろんよ。ルカのことだって、ちゃんと守ってくれるわ』

『……じゃあ、るかも、おはなみたいに、だれかをまもれるひとになれる?』

『なれるわ。守る強さも、導くやさしさも、きっとルカの中に咲いていくから』

『ほんとに?るかも……おはなになれる?』

『ええ。ルカはね、いつかきっと、お花みたいに人を照らしてあげられる子になるの』


 小さな手を包んでくれたぬくもり。花びらがひとひら、頬に触れた感触。

 あの時の記憶が、胸の奥ではっきりと息を吹き返す。


(俺は……守りたい。怖いけど……でも、この街を、この人たちを……!)


 胸の奥で荒れ狂っていた力が、少しずつ形を変える。

 暴れるように渦を巻いていた花びらが、ふっと流れを穏やかにし、宙で舞い踊るように動き始めた。

 暴風のように吹き荒れていた花弁は、母の手に導かれるかのように柔らかく光を放つ。


 夜空に散った花弁は、街路を優しく照らす灯火に変わる。

 子どもたちの怯えた表情に淡い光が触れ、泣き声が少しずつ和らいでいく。

 老人の背を支えるように花弁が落ち、疲れ果てた足に一瞬の力を与える。


「……あ……」


 ルカの唇から震える声が漏れた。


「俺は……怖くなんかない。だって……花は、俺と一緒にいるんだ……!」


 その瞬間、渦巻いていた光が爆ぜるように広がり、畑にのしかかっていた瘴気を押し返した。

 シェイドが呻き声を上げ、黒紫の体をのたうたせる。

 濁った核が不気味に明滅し、周囲を覆っていた影がぎしぎしと軋むように震えた。


「まだだ……!」


 ルカは手をかざした。

 花弁は集まり、桜の枝のような形を作り出す。

 それはまるで春の木々を模した幻影。街路に咲き誇る桜並木が、淡い光の中に浮かび上がった。


 黒い影とサクラのがぶつかり合う。

 花弁が触れるたび、シェイドの体から黒い泥のようなものが削ぎ落とされ、地面に落ちては煙となって消える。

 だが、シェイドも黙ってはいなかった。

 地を這うように影を伸ばし、畑の道具や家の壁に触れる。

 触れられたものは瞬く間に紫の呪傷を広げ、そこから新たな黒い靄が噴き出す。


「ルカ、気を抜くな!」


 ルドルフが横から声を張り上げ、タンポポの綿毛をさらに飛ばした。

 綿毛は小さな光を帯び、シェイドの影に触れると防壁のように道を塞ぐ。

 影がじりじりと後退し、花と綿毛の光が交錯する。


 戦いは、まるで光の闇のせめぎ合いだった。

 桜の花は命を灯し、影はそれを塗りつぶそうと迫る。

 畑の上に、夜風と光の嵐が生まれていた。


 ルカは息を荒げながら叫んだ。


「もう……誰も傷つけさせない!俺が、この街を守るんだ!」


 強く願うたび、花びらが力を増して輝く。

 シェイドの影は抵抗し、黒い触手のような腕を伸ばしてルカへ襲いかかる。

 冷気が肌を刺し、恐怖が背筋を走る。


 だが、その瞬間、ルカの背後からルドルフの声が重なった。


「恐れるな! お前は一人じゃない!花も、俺も……みんなお前と一緒だ!」


 心臓が大きく跳ねた。

 視界が一気に開け、世界が鮮明に色を帯びる。

 花弁が渦となってシェイドの触手を切り裂き、黒い泥を吹き飛ばす。


 シェイドが苦悶の叫びを上げた。

 核があらわになり、激しく明滅を繰り返す。

 そこに花弁が集中し、光の槍のように突き刺さった。


 閃光。

 耳をつんざく轟音。

 影は悲鳴を上げながら崩れ落ち、黒紫の瘴気は霧散していった。


 残されたのは、花びらの光に包まれた静かな畑だけ。

 夜風が吹き抜け、土と草の匂いを運ぶ。


 ルカは膝をつき、荒い息を吐いた。

 花弁はまだ淡く舞っていたが、さっきまでの暴走の気配はなく、静かに夜を照らす光になっていた。


「……やった、のか……?」

 ルドルフがゆっくり歩み寄り、周囲を見渡す。

 影は完全に消え去っていた。


「ルカ……」


 彼はしゃがみ込み、少年の肩に手を置いた。


「よくやったな。本当に……お前が守ったんだ」


 ルカは唇を震わせ、ようやく言葉を絞り出した。


「……俺、できたんだ。花で……みんなを守れたんだ」


 目に涙が滲む。

 その涙を、夜風に舞う花弁がやさしく拭うように流れていった。


 ルカは膝をついたまま、深く息を吐き出した。

 胸の奥に残るざらついた痛みと、全身を貫くような疲労感。

 けれどその痛みさえも、今はどこか安堵に包まれている。


 静かだった。

 あれほど耳を塞ぎたくなるように唸っていたシェイドの声も、もうどこにもない。

 夜風が土を撫で、遠くで避難を終えた人々のざわめきが近づいてくる。


「……お兄ちゃん!」


 駆け寄る足音。最初に飛び込んできたのは、子どもの甲高い声だった。

 振り返れば、避難所から戻ってきた親子がこちらへ駆けてくる。

 母親に抱きつかれた幼子が、涙を浮かべながらルカを見て叫んでいた。


「ありがとう……お兄ちゃん!」


 その言葉に、ルカの胸がじんわりと熱を帯びる。

 自分が守りたかったもの。それは、この街に生きる人たちの笑顔だったのだと、はっきりと分かる。


「……俺は……」


 言葉を結ぼうとした瞬間、視界がぐらりと揺れた。

 喉に酸がこみ上げ、指先から力が抜けていく。


「ルカ!?」


 ルドルフが慌てて支える。

 少年の顔は青白く、汗で濡れていた。


「無理をしたな……。力を抑え込んだんだ、当然だ。しばらく休め」

「だ、大丈夫……俺は……まだ――」


 否定しようとしたが、身体が言うことをきかない。

 膝が震え、目の前が霞む。


「いいから休め」


 ルドルフの声は強いが、その手はどこまでも優しかった。

 彼の肩に支えられ、ルカはなんとか立ち上がる。


 その時、避難を終えた街の人々が続々と畑に戻ってきた。

 ざわめきが広がり、無数の視線がルカへ注がれる。


「……あれは……桜の花……?」

「まさか、こんなところで……」

「シェイドを……消したのか?」


 誰もが驚愕に目を見開いていた。

 恐れというよりも、ただ理解を越えた出来事を前に声を失っているのだ。

 闇を覆い尽くしていた存在が、光に溶けるように散っていった――その光景を見たばかりなのだから。


 人々の息を呑む音が、夜の空気の中で重なって響く。

 その沈黙を破るように、幼い子どもがルカを指差した。


「お兄ちゃん……お花、出したの?」


 無邪気なその声が合図になった。

 人々の間に再びざわめきが広がる。


「信じられない……でも、確かに見た」

「本当に……花がシェイドを消したんだ」

「奇跡みたいだ……」


 視線に混じるのは恐怖ではなく、驚きと戸惑い。

 そしてそこに、確かに小さな希望の色が差していた。


 ルカは胸がざわめくのを感じながら、言葉を探した。

 だがその背に、ルドルフがそっと手を置く。

 彼は堂々と人々に向き直り、声を張り上げた。


「見ただろう! 彼がいなければ、この街はシェイドよって呪傷や呪いに飲まれていた!」


 その言葉は迷いなく、力強かった。


「驚くのも当然だ。でもこれは現実だ。花は人を守るために咲いたんだ!」


 人々の瞳が揺れる。

 恐れではなく――少しずつ、安堵と感謝の色に変わっていく。

 誰かが「ありがとう」とつぶやき、やがてそれは小さな波紋のように広がっていった。


「ありがとう、ルカ!」

「助けてくれて、本当にありがとう!」


 次々に言葉が飛び交う。

 ルカは顔を上げ、まぶしいほどの笑顔を見た。

 胸が熱くなり、涙が頬を伝う。


「俺は……守れたんだね」


 呟いた声は震えていたが、確かな実感を帯びていた。

ルドルフがにやりと笑う。


「そうだ。お前はもう、ただの子どもじゃない。……花使いとして、第一歩を踏み出したんだ」


 花びらがまだ宙を舞っていた。

 月明かりに照らされるそれは、祝福の雨のように街の人々を包み込んでいく。


 その光景を胸に焼き付けながら、ルカは深く目を閉じた。

 次の瞬間、疲労に押し潰されるように意識が途切れていった。




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