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天鵞絨の鼓動と花露〜運命の歯車が巡る時〜  作者: さくらもち
目覚めの季節、旅立ちの花
11/13

花の渦

街から戻る道のりは、不思議なほど静かだった。 あれほど恐ろしい影に追われ、命を賭けて駆け抜けた場所なのに、今はただ木々が風に揺れているだけ。


ルカとルドルフは、並んで丘の上にあるルカの家へと歩いていた。 夕暮れの空は燃えるように赤く、雲の縁を金色に照らし出している。 沈みかけた太陽の光が街を長く染め、影を引き延ばしていた。 やがて赤は群青に溶け、夜の気配がじわじわと迫ってくる。 風が二人の頬をかすめ、湿った土の匂いを運ぶ。 森の木々は静かにざわめき、葉の間を小さな虫が飛び交っていた。


「……今日は、本当に、色々ありすぎましたね」


家の扉を開けながらルカが小さく笑うと、ルドルフは肩をすくめて答えた。


「まったくだ。小さい子どもを抱えて森を駆け回るなんて、いつ以来だったか……。だけど、無事に助けられてよかった」


二人は卓を挟んで腰を下ろし、ひと息ついた。 窓の外では、沈む夕陽が街を赤紫に染め上げ、家々の屋根が長い影を落としている。 森での戦いの余韻がまだ胸に残っていた。


ルカは手のひらを見つめる。あの時、桜の花びらが溢れ出し、シェイドを、呪いを浄化した。 けれど、あれは本当に自分の力なのか。 まだ確信を持てずにいる。


「……きゃああああっ!」


街の方角から、甲高い悲鳴が夜気を切り裂いた。 ルカは驚いて立ち上がり、ルドルフと視線を交わす。


「今のは……!」

「街の方面……シェイドか!?」


二人は同時に駆け出した。


丘を駆け下りると、夕闇に沈む街の外れ、畑の方角から黒い影がもやのように湧き上がっているのが見えた。 ぬめるような音が風に乗って届く。


シェイド―――――


昼間の森で遭遇したものよりも禍々しい気配を放っていた。 黒い体はどろどろと流動し、半透明の核が不気味に明滅している。 畑を耕す鍬や柵の木材に触れただけで、じわじわと紫色の呪傷が広がり、そこからまた黒い靄が立ち昇っていた。 風が吹くたび、瘴気がざわめき、空気が冷たく震える。


「急げ、街の人たちを避難させる!」


ルドルフは叫ぶと同時に手をかざし、使い花を発動させた。 黄色いタンポポの綿毛がふわりと宙を舞い、住人たちの上に漂う。 軽く触れると、綿毛が漂い、足元まで安全な道を示す。 遠くの畑にいる人々には、綿毛を飛ばして小声のメッセージを届ける。


「こっちだ、こっちに早く逃げろ!」


赤ん坊を抱えた母親は涙で顔を濡らしながら必死に走り、老いた農夫は腰を押さえながらも力を振り絞って歩く。 少年が妹の手を引いて転びそうになり、その度に綿毛が光を放ち進む方向を照らす。 家畜小屋から逃げ遅れた少女は恐怖で立ち尽くしたが、頭上に降りてきた綿毛が声を届けた。


「大丈夫だ、前へ進め!」


震える足で一歩を踏み出すと、隣の青年が彼女の腕を引き、共に走り出す。


ルドルフの額には汗が滲んでいた。 綿毛を強く飛ばすたび、耳鳴りがして視界がかすむ。 しかし立ち止まるわけにはいかない。 路地裏で泣きじゃくる子どもを見つけては綿毛を寄せ、母親の元へと導く。 火急の避難で荷物を抱え込もうとする人々には「命が先だ!」と声を飛ばした。


「こっちだ! 大きな通りを抜ければ広場だ!」


綿毛が次々と舞い、夜の街を照らす小さな灯火のようになった。 逃げ惑う人々の中には転倒して足を痛める者もいた。 だが、綿毛が巡り、別の住民が肩を貸して進む姿が広がる。 恐怖に支配されていた群衆の中に、少しずつ秩序が戻っていく。


ルカはその様子を胸に刻む。 自分の力ではまだ守れない人々も、ルドルフの使い花で命が繋がり、守られている――その光景に心が震えた。


だが、畑の縁で再び黒い影が立ち上がる。 体の半分以上が黒紫の瘴気に包まれ、触れるだけで恐怖が染み込む。 影は不規則にうねり、地面に触れるたび小さな火花のような光が散る。


「ルカ、俺が引きつける!お前はもっと遠くの方に街の人たちを非難させろ!」


ルドルフは叫び、綿毛をさらに遠くへ飛ばした。 声が震えていた。限界が近いのは明らかだった。


ルカは震える手を握りしめ、心の中で強く願った。


「……お願い。力を、俺に、もう一度花の力を……」


胸の奥から熱が突き上げる。 鼓動が耳の奥で反響し、世界の音が遠ざかる。 淡い桃色の光が粒子となって宙に浮かび、花弁の形を取る。 桜の花びらが、ゆっくりと、しかし確実に生まれ出て舞い始めた。


初めは指先だけで軽く広がる花びら。 風もないのに、ゆっくりと渦を巻きながら周囲に広がる。 花びらは宙で交差し、光を散らして、夜の影を押し返す。 足元の黒紫の呪いに触れると、ジュッ、と音を立てて剥がれ落ちる。 残ったのはブニブニとした黒紫の塊。 少し硬めのスライムのように蠢き、長い時間をかけてゆっくりと地に沈んでいく。


花びらは次々と生まれ、渦巻くように街路へ飛び散る。 屋根や石畳の上にも薄桃色の光が降り注ぎ、シェイドの存在感を徐々に押し返す。


「……また、花の力を使えた……!?」


ルカは驚きと恐怖の入り混じる声を漏らした。 人々は光に導かれ、ルカの周囲で身をかがめ、逃げながらも恐怖を少しずつ解きほぐされていく。 タンポポの綿毛が遠くの人々にメッセージを届け、道を示し、角を曲がるたびに新しい避難経路を作る。


ルドルフは振り返り、花びらと綿毛の光景を確認しながら叫ぶ。


「ルカ!制御しろ!やりすぎるな!」


ルドルフの声が背後から届く。


「でも……止まらない……どうして……!」


胸の奥で力が渦巻き、桜の花びらが暴れ狂う。


「落ち着け、深呼吸しろ!光を意識して――!」

「わ、分かってる……でも、体が勝手に……!」

「お前ならできる、大丈夫だ!」


ルカは目を見開き、必死に花びらをまとめようとする。 花びらは夜空で渦を巻き、街路や建物に衝突して跳ね返る。 遠くの子どもたちの悲鳴がかすかに聞こえる。


「もう……もうやめて……!!」


ルカは力の奔流に恐怖する。 だが、桜の花はもう止まらなかった。 街路、建物、畑の端にまで光が広がる。


ルカの全身に震えが走る。 胸の奥で力が膨れ上がり、夜空に舞う花弁は渦のように巻き、光の壁を作った。 シェイドはその中で悲鳴を上げ、体をのたうたせながら浄化されていく。 黒紫の呪いが、塊となって地に落ち、ゆっくりと吸い込まれていく。


だが、シェイドはまだ消えない。 光の粒はどんどん、輝いていく。 影もまた色を濃くし、周囲を覆っていく。


花びらの光と影の奔流が、街の夜を飲み込み始めていた。





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