1 副騎士団長は眉をひそめる
シレンテ伯爵領から戻ってきて、数か月が経った。
地味で真面目で愛想がないため『無愛想令嬢』と揶揄されてきた騎士団事務官のリオラと、『自他ともに認めるクズな女たらし』と有名だった第一騎士団副団長の俺。
ひょんなことから顔見知りになり、無愛想な仮面の裏に隠されたリオラの意外な可愛らしさに気づき、あっという間にメロメロになってしまった俺はそれまでの女癖の悪さを悔い改め、ほかの女性には見向きもせず、ただひたすらリオラ一人を構い倒すようになった。
いや、当初はリオラ本人にそうと気づいてもらえず、「慈善事業の一環」とか「ボランティア精神あふれる支援活動」とか想像の斜め上をいく勘違いをされていたわけだが。
途中で横槍を入れてきたリオラの従弟(とその親であるシレンテ伯爵)を蹴散らすために侯爵家という権力をちょっとばかり(いや、かなり?)利用し、外堀を埋めまくって半ば強引に婚約を結んだだけに、しばらくは俺もリオラに好かれているという自信がなかった。
まあ、嫌われてはいないだろうし、ある程度信頼はされてるようだけど。でも俺と同じ意味での、いわゆる恋情ではないだろうな、という。
実際、リオラは俺の気持ちを知ったとき「もしかして、レグルス様って変な性癖をお持ちで……?」とか言って驚いてたし。なんだよ「変な性癖」って。
そんな中、リオラを育てた祖父母から彼女の抱えるトラウマ級の過去について聞かされた俺は、リオラに改めて愛を誓った。
今もなお、心のどこかで生き残った自分を責め続けるリオラに、一緒に生きてほしいと願ったのだ。
それから、俺たちの関係は少し変わったと思う。
お互いの距離が近づいた気がするし、以前よりも確実に、リオラは俺に心を許してくれている。
それに、何より。
俺はリオラにキスをしてもいいという許可を得たのだ……!!
これは大きい。大いなる前進と言っていいだろう。
以前のクズな俺なら、「たかがキスぐらいで何を」なんて冷めきっていたと思うのだが。でもそんなのは、本当に好きな相手とのキスを知らない愚か者の戯れ言に過ぎなかったと今ならわかる。
ほんと、昔の俺、マジで感覚がやば過ぎだったわ。ろくでもない人でなしだったわ。
不実で最低な過去を激しく反省しつつ、許可を得たことで所構わずリオラにキスしたくなる衝動をもなんとかいなしつつ、リオラの愛を勝ち取るために奔走する日々は続いている。
そんな、ある日のこと。
季節はいつのまにか春を迎え、新たに採用された事務官や騎士団員の初々しい姿をちらほら見かけるようになっていた。
「事務官も新人が何人か入ったんだろう?」
一緒にランチを取りながら、隣に座るリオラに目を向ける。
リオラはさほど表情を変えることもなく、淡々と答える。
「そうですね。隣の経理部に一人と、技術部に二人入ったみたいです。部署が違うので、まだ会ったことはないのですが」
そう言って、リオラは少し小首を傾げる。
「第一騎士団の新人さんたちはどうですか?」
「結構がんばってるよ。今年はやる気のあるやつが多いから、団長も期待できるなって言っててさ」
この国の騎士団は、第一から第三まで、三つの部隊がある。
それぞれの部隊に、優劣の差や任務の違いはさほどない。家格で振り分けられるわけでもない。一応、入団時にはどの部隊に所属したいか希望を出すことができるものの、配属はランダムである。
俺の所属する第一騎士団にも、この春数人の新入りが配属された。それは第二・第三騎士団も同様であり、この時期騎士棟はいつもにも増して活気にあふれている。
「今年も第一騎士団の希望者が一番多かったって聞きましたよ?」
「まあな。団長の人徳だろ」
「オルド団長は、人格者だと評判ですからね」
オルド団長とは、ヒューゴ・オルド第一騎士団長。俺の直属の上司である。
俺より五つ年上で、剣技の腕は言うに及ばず、実直で温厚、冷静沈着、おまけに家族思いの子煩悩となれば、一目置かれて当然である。人望も厚い。
そんな団長人気もあって、毎年第一騎士団の入団希望者は多い。
「まあ、配属になってから団長が温厚なだけの人じゃないってわかって、みんなヒィヒィ言い出すんだけどな」
「でも、第一騎士団の離職率が一番低いんですよね?」
「ああ。なんだかんだ言って、うちは居心地がいいんだろうな」
「となると、やっぱりオルド団長の人間性といいますか、人徳があってこそというか……」
納得したように一人頷くリオラの言葉が面白くなくて、俺はリオラとの間合いを詰める。ついでに腰の辺りをぎゅっと引き寄せ、鼻先が触れそうな位置まで顔を近づける。
「ちょっ……! レグルス様!」
「……俺の前で、ほかの男を褒めるリオラが悪い」
ちなみに、ここは食堂のテラス席である。少し奥まった位置にある席とはいえ、まわりには昼食を取る事務官や騎士団員が大勢いる。
きょろきょろと辺りの様子を窺いながら、頬を真っ赤に染めるリオラが可愛すぎて困る。
「ほ、ほかの男って、オルド団長はとっくにご結婚されていますし、お子様だって……!」
「そうだけど、面白くないんだよ。リオラにほかの男を褒めてほしくないし、俺以外の男を見てほしくないし、なんなら視界にも入れてほしくない」
「無理ですよ、そんなの」
「わかってるけどさ」
つい、ぶっきら棒な口調になってしまう。
俺のいじけた声色に気づいたのか、リオラが不思議そうに目を瞬く。
「どうしたんですか?」
「……どうもしない」
そう言って、俺は視線を逸らす。
このところ、リオラへの独占欲が半端ない。あふれる恋情を、ほとばしる欲情を、制御できない。
リオラがただただ可愛すぎて、好きすぎて、ほんとどうにかなりそうなんだが。
初めて本気で人を好きになって、信じられないくらい夢中になって、ほかのものが一切目に入らなくなるほど愛が重いという自覚はもちろんあったけど、リオラが少しずつ想いを返してくれるようになったらもっともっとという欲望を抑えきれない。
こんなに余裕がなくなるとは、思わなかった。みっともない嫉妬に駆られて、面倒くさいことを言い出すような重い男だったなんて、自分でも知らなかった。
はあ、と小さくため息をついた俺を見返して、リオラが心配そうに何か言おうとした、そのとき――。
「もしかして、リオラ嬢?」
驚いたような声に顔を上げると、そこには見知らぬ若い男が立っていた。
「え……?」
「あの、僕のこと、覚えてません? あなたの従弟のガルスと同じクラスだった、カッシア伯爵家のマリウスです」
やけに晴れやかな笑みを浮かべて自己紹介する男に、俺は思わず眉をひそめる。
そんな俺を感情の読めない目で一瞥した令息は、すぐにリオラのほうを向いて身を乗り出した。
「ほら、学園の裏庭でもよく顔を合わせたじゃないですか?」
「……ああ、そういえば……」
リオラも思い当たる節があったらしい。
でも、思い出してうれしい、とか懐かしい、という雰囲気ではない。
思い出してなお警戒心を解くことはなく、むしろリオラの表情は困惑ぎみである。そりゃそうだ。あのいわくつきの従弟、ガルスの友人なんて、百害あって一利なしとしか思えない。
だというのに、目の前の男はリオラの戸惑いなど気にする様子もなく、楽しげに話し出す。
「えー、懐かしいなあ。リオラ嬢は騎士団の事務官をされているんですよね? 以前ガルスが話してましたよ。また会えるなんて、うれしいな」
「あの、あなたはどうして……?」
「僕、この春から騎士団に入団したんです。第二騎士団に配属になりまして」
「そうだったのですね。入団おめでとうございます」
躊躇いがちに精一杯の微笑みを返すリオラに、またしても俺の中のどす黒い何かが刺激される。
抗うように、俺はリオラの腰を抱く腕の力を強めた。
新章始まりました!
三章と四章はレグルス視点のお話です。
よろしくお願いします!!