3 副騎士団長は奪い去る
俺はアリス嬢に言われた通り、すぐさまシレンテ伯爵邸へと急いだ。
そして執事の制止を振り切り、応接室と思われる部屋に突入する。
「リオラ!!」
こちらに背中を向けていたリオラは、突然登場した俺に気づいて「え……」とつぶやき目を見開く。
俺はそんなリオラに駆け寄って跪くと、祈るようなまなざしで真っすぐに見つめた。
「リオラ、好きだ。好きなんだ。俺と婚約してくれないか?」
「……え?」
「いきなりこんなこと言っても信じてもらえないと思うけど、本気なんだ。もうずっと、俺はリオラしか見ていない」
「え……?」
明らかに困惑しているリオラと、「いきなり入ってきて何なんだよあんた!!」と鬼の形相で噛みつく青年。
こいつが例の従弟かと気づいたが、当の本人は動揺したのか、デートする俺たちを密かにつけ回していたことを自ら暴露してしまう。
思わぬ事実が発覚し、リオラはわかりやすく眉根を寄せた。内心「キモい……」と拒否反応を示していることが、手に取るようにわかる。
それから俺は、自分の気持ちを正直に、洗いざらいぶちまけた。
誰かを本気で好きになるなんて面倒くさいし馬鹿げていると思っていたのに、リオラに出会っていつのまにか本気で好きになっていたこと。
とはいえこれまでの俺の不誠実な言動を考えれば、にわかには信じ難いだろうということ。
もちろん、つきあいのあった女性たちとは全員別れたこと。
本当は、誕生日に婚約を申し込もうと思っていたこと。
俺のストレートな告白を聞いて、リオラは「あ……」とか「その……」とかしどろもどろになっている。いつもの無表情な仮面はとっくに剥がれ落ち、いっぱいいっぱいになって狼狽えている様は異常に可愛い。マジで可愛い。
何度でも言おう。俺のリオラが一番可愛い。
ただ、リオラ自身は俺の好意にまったく気づいていなかったどころか、「慈善事業の一環」なんぞというとんでもない勘違いをしていたらしい。
過去の自分を振り返り、どうせ信用されないだろうと明確な言葉を避けてきたことが裏目に出たのだ。遠回しに伝えたところで、リオラには何も伝わらない。今更ながらに哀れな現実を悟った俺は、半ば強制的にリオラを連れ帰ることにした。
「俺がどんだけリオラを好きか、嫌というほど思い知らせてやる」
そう言ってひょい、と横抱きにすると、驚いたリオラが「え、ちょっ……!」と言いながらじたばたと暴れ出す。
「こら、暴れるな。黙って抱かれてろ」
「ええぇぇ!?」
すぐ脇でリオラの従弟もぎゃーぎゃーとわめいていたが、後日正式にグラティア侯爵家から婚約を申し込む書簡が届くことを知らせると途端に押し黙った。ざまぁみろだ。
そうして、リオラを軽々と抱き上げたまま門の前に止めてあった馬車に乗り込み、ゆっくりと座らせる。
思いもよらない展開に軽くパニックになっていたリオラは、ちょっと怯えた涙目で俺を見上げた。
「あ、あの、レグルス様……」
「なんだ?」
「ほ、ほんとに、レグルス様は、私のことを……?」
リオラは顔を真っ赤にしながら、息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。
俺は左腕をするりと伸ばしてリオラの腰を引き寄せ、右手でリオラの手をそっと握って、指先に口づけた。
「好きだよ。俺の気持ち、やっとわかってくれた?」
「それは、その……」
「これからはもう遠慮しないから。だから諦めて、俺を受け入れてくれよ」
ねだるような視線でリオラを見返すと、リオラはなぜか少しだけ表情を硬くする。
「……あ、あの、どうしてですか? というか、私なんかのどこがいいのしょうか? 無愛想だし、能面だし、真面目過ぎて面白みもないし、地味だし可愛くもないし……」
「俺にとってはリオラより可愛い令嬢なんていないんだけど? リオラは俺のものだって世界中に宣言したいくらいだし」
「……も、もしかして」
「なに?」
「……レグルス様って、ちょっと変わった趣味をお持ちで……?」
「……なんでだよ!!」
◇・◇・◇
それから俺は、予告通り人目も憚らず、思う存分リオラを溺愛するようになった。
朝は騎士団の寮までリオラを迎えに行き、昼は当然のように昼食をともにして、退勤後はそのまま寮まで送るか、一緒に食事に行く。週末はどこかへ出かけたり、俺の屋敷に連れてきてのんびり過ごしたりする(リオラは「こ、ここがレグルス様のお屋敷!? 広いし豪華だし使用人いっぱいいるし畏れ多くてくつろげません!」とか言っていたが)。
やっていることは以前とさほど変わらないものの、「好きだよ」とか「可愛すぎる」とか「俺のリオラ」とか「愛しい人」とか、はっきりと愛の言葉をささやくことももちろん忘れない。
今までは、俺が何を言っても過剰なリップサービスくらいにしか思っていなかったリオラだが、ようやく俺の本気度を理解したのかいちいち真っ赤になったり挙動不審になったりする。
「レグルス様、恥ずかしいのでもうやめてください……」
なんてぷるぷると震えながら上目遣いで言われたら、可愛すぎてかえってやめられない。
そんな中、両親の手配してくれた婚約を申し入れる書簡がシレンテ伯爵家に届き、俺たちはその手続きと挨拶のため伯爵邸を訪れることになった。
シレンテ伯爵は、とても渋い顔をしていた。
といっても、この婚約を一ミリも歓迎していないというわけではないらしい。
シレンテ伯爵家にとっては、どういう形であれ由緒正しいグラティア侯爵家と縁続きになれるなんて喜ばしいことである。貴族家であれば、この縁談には一も二もなく飛びつきたいはずだ。
ただ、そうなると可愛い息子の(いや、俺にとってはまったく可愛くはないのだが)初恋の成就は断念せざるを得ない。
貴族家当主として、この縁談を逃す手はない。とはいえ、親としては苦渋の決断になる。そんな葛藤に我が身を引き裂かれる思いだからこその、渋い顔なのだろう。
まあ、俺にはまっっっったく関係ない話だけど。
挨拶もそこそこに書類の記入を催促すると、伯爵はちょっと自棄になってペンを走らせた。完成したそれを奪い取るように確認してから、今すぐ王城に提出するよう執事に言いつける。婚約に関する書類を王城に提出してしまえば、覆すことはほぼ不可能になるからだ。
ちなみにこの手続きの日、シレンテ伯爵令息、つまりリオラの従弟はもう一度リオラに会いたいなどとふざけたことを言っていたらしい。
「リオラが貴殿と婚約してしまえば、恐らく息子と会う機会はないに等しくなるだろう。最後にほんの少しだけでも、リオラと話をさせてやってくれないか?」
控えめながらもどこか有無を言わせない口調に、俺は隣に座るリオラの顔を覗き込む。
今度はリオラが、渋い顔をしていた。ぐっと眉間にしわを寄せ、何かをこらえるように視線を下に向けている。
それだけで、俺には十分だった。
「無理ですね」
リオラが何か答えるより早く、俺は事もなげに伯爵渾身の願いを一蹴する。
「え……?」
「ご子息は、リオラに密かな恋情を抱いているとお聞きしています。そんなやつに、俺の大事なリオラを会わせるわけがないでしょう?」
「いや、しかし……」
「そもそも、先日俺がこの家に伺った際、あなたのご子息はリオラに対して『お前は俺の言うことだけ聞いてればいい』だの『いつまで経っても可愛くない』だのと散々暴言を吐いていたんですよ? 普通、好きな相手にそんなこと言います?」
「それは……」
「どれだけ恋情を拗らせているのか知りませんが、これ以上リオラを不当な悪意にさらすつもりはありませんからね。息子の横暴な振る舞いを知っていながら、諌められなかったあなたを信用する気にもなれませんし」
容赦ない俺の言葉に、伯爵は気まずそうに目を泳がせる。
叔父として悪い人間ではないのかもしれないが、リオラの置かれた苛烈な環境を結果として放置し続けた時点で到底許し難い。リオラが必要以上に卑屈で自虐的で、自分への好意に疎過ぎるのも恐らくここでの生活が一因なのだろうし。
帰りの馬車の中で、リオラは意を決したような顔をして俺を見上げた。
「レグルス様、ありがとうございました」
「ん? 何が?」
「叔父にはっきりと意見してくれて……」
頼りなげな声は、どこか切実だった。
俺はなんだかたまらなくなって、リオラを抱き寄せる。珍しく抵抗もせず、俺にしなだれかかるリオラの甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
「俺はあの家での詳しい事情を知らないけど、リオラが幸せでなかったことくらい想像がつく。そんな場所に長居したくはなかったし、大事な婚約者を害するものは全部遠ざけたいんだよ」
「婚約者……」
「婚約の手続きが済んだんだから、リオラはもう、れっきとした俺の婚約者だろ?」
当たり前のことを言っただけなのに、リオラはぴしりと固まって「ソ、ソウデスネ……」なんて急に片言になる。
「なんで片言なんだよ?」
「わ、わかってはいたのですが、改めて言われると、ちょっと動悸が……」
「なんだよ今更。もう逃げられないからな」
悪戯っぽく笑うと、リオラはいつものようにポッと頬を染める。
それでも、目は逸らさなかった。
「逃げる気なんて、最初からありませんでしたよ?」
……え。
何それ。ちょっと。
「……リオラって、もしかして最初から俺のことが好きだったのか?」
「いいえ? 好きでも嫌いでもなかったですけど」
涼しい顔で淡々と答えるリオラに、がっくりと項垂れる俺。一瞬でも期待しちゃったせいで落胆がひどい。やっぱり、俺ってまだまだ全然ダメだわ。とほほ。
「でも、レグルス様ははじめから私には優しかったですから。巷の噂はいろいろありましたけど、レグルス様と一緒にいて嫌な思いをしたことは一度もなかったので」
そう言ってふんわりと笑うリオラに、俺はまたしてもずきゅん、と心臓が撃ち抜かれるのだった。
……俺の婚約者が可愛すぎて、もう爆ぜそう。