2 副騎士団長は策を練る
それからすぐに、俺はつきあいのあった女性たちとのふしだらな関係を清算し始めた。
簡単にカタがつくとは思っていなかったし、金銭的な要求には誠心誠意応えるつもりで、ひたすら全員に頭を下げた。真摯に謝罪した。幸いというかなんというか、「まあ、お互い様だし、別れてもいいわよ」と言ってくれる令嬢がほとんどだったが、「一発殴らせろ」と拳を振り上げた女性もいた。二〜三日頬の腫れは引けなかったけど、自業自得だと甘んじて受け入れた。
やましい関係をすべて整理し終えた俺は、改めてリオラに怒涛の猛攻を開始する。
勤務時間内に声をかけるだけでなく、退勤後や週末にも会う約束を取りつけようと脇目も振らず躍起になった。とにかくデートだ。デートを重ねて、俺の恋情をアピールするんだ。
リオラは基本的に、誘いを断るようなことはしなかった。あとで聞いたら「断る理由がなかっただけです」と言われて膝から崩れ落ちたが、このときの俺は知る由もない。ガンガン押しまくるしかないと必死だった。
人気のカフェとか、話題の演劇とか、オープンしたてのレストランとか、手当たり次第にあちこち連れ回すうちに、リオラのほうも少しずつ心を許してくれるようになっていく。ふとした瞬間に能面の裏側が垣間見えることが増えて、その意外な可愛らしさに何度も悶絶した。こうなるともう、能面すら可愛く見えてくるんだから俺も大概やばい。
連れ回されることに対して、リオラは嫌がったり拒否したりしなかった。むしろ喜んでくれていたし、なぜか必要以上に感謝されていたと思う。
「私一人では来る機会などなかったと思うので」
リオラは淡々とそう言った。
一緒に過ごす時間が増えるにつれて少し気になったのは、リオラの自己評価が地べたを這い回るがごとく低すぎることだった。
何をするにも「私みたいな能面地味子が」とか「私なんかが、烏滸がましいです」とか、とにかく自己卑下がひどい。
やんわり否定してもその思い込みは想像以上に強固で、ブレることがない。
そんなこと、ないのに。
リオラは地味でも無愛想でもないし、俺にとっては世界一可愛いのに。
まあ、ちょっと能面ではあるけどな。あれはただ、感情が表に出にくいだけだ。
よくよく見ていれば、小さく笑ったり頬を染めたりするんだから。それがまた悶死するくらい可愛いんだが。
でもそういうのは俺だけが知っていればいいことで、世界中のやつらは一生気づかなくていいし気づかせるつもりもない。
「好き」とか「愛してる」とかそういうあからさまな告白はしないまでも、「会えるのが楽しみ過ぎて、約束した時間よりだいぶ早く来ちゃったよ」とか、「今日のリオラはまた一段と可愛いな。可愛すぎて、誰にも見られたくないな」とか、事あるごとに俺のほとばしる恋情を言葉にしてアピールし続け、いくらなんでもそろそろ気づいているだろうと見込んだ俺は、いよいよ腹をくくって勝負に出ることにした。
婚約を申し込もう……!
折しも、リオラの誕生日が近づいていた。
ちなみに、誕生日についてはリオラ本人ではなくアリス嬢に教えてもらった情報である。
俺が女性たちとの関係を誠意と謝罪をもって整理し、心を入れ替えて真剣にリオラに向き合おうとしていることをどこかで聞きつけたらしく、「来月、リオラの誕生日なんだけど」とわざわざ教えに来てくれたのだ。本当にありがたい。「リオラを傷つけたらただじゃおかないけどね」とまたしっかり釘は刺されたが。
婚約を申し込むにあたり、俺は給料の三か月分の金額よりもだいぶ高額なネックレスを購入した。俺の瞳と同じ色の希少な青いトルマリンがついたネックレスだ。最初は指輪を買うつもりだったが、いきなり指輪なんて渡されたらリオラは気後れするのでは、と思い直した。いや、日和ったわけではない。
そうして、リオラの誕生日に会う約束を取りつけようとした俺は、自分がどれだけ恥ずかしい思い違いをしていたのか痛感することになる。
「レグルス様には常々お世話になっておりますし、身に余るご厚意には大変感謝しております。でも誕生日を祝っていただくほどの関係ではございませんし」
当然のごとく誕生日を祝うつもりでいた俺に、リオラはまるで温度の感じられない落ち着いた視線でこう言ったのだ。
「いつも過分なお心遣いをいただき、申し訳ないなと思っていたくらいなのです。私の誕生日など気にせず、どうぞほかの方々と存分に楽しんでくださいませ」
唖然とした。
言葉を失った。
……待て待て待て。
誕生日を祝う関係じゃないって、なんだよ……?
いやそもそも、ほかの女との関係なんてとっくに全部切ってるっての!
え、まさか。もしかして、俺の気持ちが全然伝わってない……?
あれだけ激烈に、しつこいくらいわかりやすくアピールしてたのに、全然届いてないってことなのか!?
マジで!!?
そのあとのことは、あまりよく覚えていない。
とにかくショックが大きすぎて、どうやって帰ってきたのかも記憶にない。
だって、まさか、俺の愛情がリオラに一ミリも伝わってないなんて、そんなことある!?
リオラは、俺が繰り出す精一杯の口説き文句も愛に溢れた過剰なエスコートも、お世辞とか社交辞令とか手厚いおもてなしとかくらいにしか思っていなかったのだろう。なんで!? 普通にわかるだろ!?
……いや、わかってなかったからこそ、こんなことになってんだよ。と、ひとしきり反省する俺。
――――だったら、わからせるまでだ。
ちょうどその頃、領地にいる両親から今後のことについて話し合いたいという手紙が届く。
現グラティア侯爵である父は、そろそろ家督を俺の兄に譲りたいと思っているらしい。俺はこのまま騎士団員として生きていくつもりだし、副団長に抜擢されて生活にもまったく困っていないのだが、父親としては複数所持している爵位のうち伯爵位を俺に継がせたいと常々話していたのだ。
話し合いに応じる旨の返事を出すとすぐ、俺は一週間の休暇を申請して領地に向かった。
リオラの誕生日が間近に迫ってはいたが、どうせ当日会うことはできないのだ。だったら一刻も早く領地に帰って、今できる最善の策を講じるしかない。
屋敷に到着するや否や、俺は婚約したい相手がいることを力強く宣言した。
両親は、泣いて喜んだ。愚かしく度し難い俺の噂は領地にも若干届いていたようで、だいぶ気を揉んでいたらしい。そりゃそうだよな。不肖の息子で、本当に申し訳ない。
そのうえで、グラティア侯爵家からリオラの身元引受人であるシレンテ伯爵宛てに、婚約を申し入れる書簡をできるだけ早く送ってくれることになった。
格上の侯爵家から縁談を申し込まれたら、正当な理由なく断るのは難しい。
多少、強引で卑怯なやり方だという自覚はあったが、俺もなりふり構っていられない。きっちりと外堀を埋めまくって、リオラを口説き落としてみせる……!!
とんぼ返りで王都に戻ってきた俺は、その足で騎士団本部の事務室へと向かった。
退勤後に食事でも行こうと誘って今度こそ勝負に出るつもりだったのに、どういうわけかリオラの姿が見当たらない。
たまたま席を外しているのだろうと思い、それならしばらく待ってみるかと廊下の壁に背中を預けたときだった。
「レグルス副団長!」
外出先から戻ってきたらしいアリス嬢の声に、俺は顔を上げる。
「ああ、アリス嬢、リオラは――」
「今すぐ、シレンテ伯爵邸に行って!」
「は?」
「早くしないと、リオラの婚約が決まってしまうのよ!」
「はあ!?」
アリス嬢の説明によれば、リオラは先週、シレンテ伯爵邸に呼び出された際に叔父である伯爵から息子との縁談を持ち掛けられていたらしい。
リオラとしては、ずっと自分を蔑んできた相手に実は好かれていたという衝撃の事実を知らされたところで迷惑でしかないのだが、今日はその話し合いがあるため仕事は早退したのだという。
これまで、リオラは伯爵家との関係をあまり話したがらなかった。学園に在籍中は伯爵邸で世話になっていたことや二つ年下の従弟がいるということは教えてくれたが、決して楽しそうな雰囲気ではなかったし、むしろ思い出したくないとでもいうように忌々しげな顔をしていたのだ。
だいたい、学園を卒業後伯爵邸を出て騎士団の寮に住んでいる状況を考えても、関係が良好でないことは容易に察しがつく。
それなのに、縁談? 婚約?
ふざけたまねをしてくれる。
そんなこと、この俺が許すわけないだろう……!!