2 副騎士団長は捕まえる
昼休み、意を決した俺は騎士団本部の事務室へと向かった。
案の定、リオラはいなかった。入り口にいた事務官にどこへ行ったかと尋ねても、「さあ?」としか答えてくれない。
俺はそのまま事務室の中に入り、リオラの机の隣の席に座る女性事務官の真横に立った。気配に気づいた彼女は、ゆるゆると顔を上げる。
「あら、レグルス副団長。どうしたの?」
「……悪いけど、ちょっと話がある」
正直、応じてくれるかどうかはわからなかった。
アリス嬢はリオラの元教育係であり、リオラにとって一番信頼できる先輩である。だから事情を知っていて、リオラに協力しているのだろうということは簡単に推測できた。そうじゃなきゃ、ここまでリオラに会えないなんて事態にはなり得ない。
もともと、俺とアリス嬢とはだいぶ微妙な関係だった。
同い年の俺たちは、実は学園時代から面識がある。俺がアリス嬢の友人と、一時期つきあっていたからだ。
でもそのとき、俺は別の令嬢ともつきあっていた。いわゆる二股というやつだ。あの頃の俺は「来る者は拒まず」をモットーにしていたから、「つきあって」と言われればすぐに快諾するという暴挙を繰り返していた。
……いや、我ながら、ほんと救いようのない馬鹿である。過去の自分、相当やばい。感覚がおかしい。黒歴史といってしまえばそれまでだが、とりあえずぶっ飛ばしたい……!
まあ、幸か不幸か、二股はすぐにバレてしまい、令嬢たちは二人とも罵詈雑言を残して去っていったのだが。
節操のない下劣な行為は一部の学園生に知れ渡り、俺は真っ当な女子生徒たちから完全に目の敵にされた。無理もない。自業自得である。
そんなわけで、アリス嬢とは学園を卒業して就職したあとも険悪な関係が続いていたし、リオラのことだって当初から「不用意に近づかないで」と牽制されていたのだ。
でも俺がリオラに本気になって、ただれた女性関係をきれいさっぱり清算し、リオラだけを溺愛するようになってからは、少しずつ認識を改めてくれていたらしい。
リオラとガルスの婚約話が浮上したとき、真っ先に教えてくれたのもアリス嬢だったし。
だが今回、リオラに何があったのかと直接尋ねても、アリス嬢がすんなり教えてくれるという保証はなかった。彼女は殊の外リオラを可愛がっているし、一方で俺のことは恐らくいまだに信用していない。俺は何もしていないと主張したところで、「顔を洗って出直してきやがれ、このすっとこどっこい!」なんて言われてもおかしくはないと覚悟していた。
藁をもすがる思いで硬い表情の事務官を見下ろすと、彼女は小さくため息をついて「いいわよ」と答える。
「私も、あなたには話しておいたほうがいいんじゃないかと思っていたの」
そう言って、アリス嬢は事務室の隅に置かれたソファへと俺を促した。そして、リオラに何があったのかを包み隠さず教えてくれたのだ。
「一週間くらい前にね、ある令嬢がリオラを尋ねてきたのよ。ミラビリス侯爵家の令嬢とか言っていたんだけど」
やっぱり……!!
予想通りの展開に、俺は思わず前のめりになる。
「その令嬢に何を言われたのか、詳しいことは私もわからないの。でも相当ひどいことを言われたんじゃないかと思うのよ。だって、それからリオラの様子がどうにもおかしいんだもの」
「おかしい? どうおかしくなったんだ?」
「なんか、心ここにあらずって感じでぼんやりしていることが多いし、妙におどおどしていて表情も暗いし、何よりあなたにはもう会えないって言い出して……」
「は? 俺に会えない? なんでだよ?」
「わからないわよ。でも『私なんか、レグルス様に相応しくないんです』とか言うのよ。レグルス副団長のことであの令嬢に何か言われたのなら、彼にもちゃんと話をしてみたほうがいいんじゃない? って言っても『しばらく時間をください』と言って聞かないし……」
「それで、逃げ回っていたのか?」
「あなたには悪いと思ったけど、リオラが会いたくないって言うから……。事務室全体で匿ったりこっそり逃がしたりしていたの。ごめんなさい」
申し訳なさそうに神妙な顔つきになるアリス嬢には、まったく腹が立たなかった。
それよりも、あの侯爵令嬢だ。いったい、何してくれてんだ。
あいつが何を言ったのかは知らないが、リオラを傷つけたことだけは、もはやこれ以上ないほど明白である。
どう落とし前をつけてやろうかと思いながら怒髪天を衝く勢いで立ち上がると、アリス嬢が懇願するかのような目をして俺を見据える。
「私、もうこれ以上あの子に傷ついてほしくないの。あの子はもっと幸せになっていいはずなのよ。だから、なんとかしてあげて。お願いよ」
そのやけに切羽詰まったようなただならぬ表情は、俺にある疑念を抱かせた。そして、一つの可能性が頭をもたげる。
「……もしかして、アリス嬢は知っているのか?」
俺の漠然とした問いに、ますます悲痛な表情を浮かべて彼女は答えた。
「……馬車の事故のことなら、知っているわ」
なぜ、と俺が聞くより早く、「これはリオラにも話していないことなんだけど」と前置きして、アリス嬢は話を続ける。
「私の母親がね、実はリオラの亡くなったお母様と同級生だったのよ。だからご両親の葬儀にも参列していて、そのときのリオラの様子を覚えていたの。葬儀の間中、リオラは一度も泣くことなく、取り乱すこともなく、ずっと無表情だったんですって」
その姿は、元シレンテ伯爵、つまりリオラの祖父が以前話してくれた痛々しい過去を否が応でも思い出させる。
――――『事故のあと、ショックのせいかあの子は言葉が話せなくなってしまってね。それに、まるですべての感情を失ってしまったかのように、笑いもしなければ泣きもしなくなったんだ』
「私がリオラの教育係に決まったとき、なんの気なしに母に伝えたら当時のことを教えてくれたの。本当に驚いたわ。事故に遭ったというだけでも十分ショックなのに、ご両親を同時に亡くして、いったいどんな思いで生きてきたんだろうって。きっと、想像を絶するようなつらい思いをたくさんしてきたに違いないって思ったのよ。それでも、そんなつらい過去を感じさせることなく一生懸命仕事に向き合おうとするリオラを見て、私はこの先何があっても、絶対にこの子の味方でいようって決めたの」
俺を見上げるアリス嬢の目に、薄っすらと涙が滲んでいる。
こんなにも心強い味方がほかにいるだろうか、と思う。
「……ありがとう、アリス嬢」
「あなたのためじゃないわ。リオラのためよ」
「……ああ、わかってる。それでも、言わずにはいられないから」
終業間際。
アリス嬢に「リオラは終業の鐘が鳴ると同時に退勤しているの」と教えてもらった俺は、廊下の壁に背中を預けて待っていた。
鐘が鳴り始めたと思ったらすぐにガチャリと事務室のドアが開いて、「お疲れさまでした」という聞き慣れた愛おしい声がする。
現れたリオラは、その視界に俺を捉えて息を呑んだ。
「……レグルス様――」
「ようやく捕まえた」