1 副騎士団長は慌てふためく
残念ながら、あの日の『リオラお持ち帰り作戦』は失敗したことを報告せねばなるまい。
「……今日はもう、帰さないから」
吐息まじりの掠れた声でささやくと、リオラはびくりと肩を震わせた。
そして、すっと顔を上げ、こう切り返したのだ。
「何を言ってるんですか? ちゃんと寮に帰りますよ」
「なんでだよ。リオラも俺のことが好きだってわかったんだから、もう遠慮しなくてもいいだろう? 今日はこのままずっと一緒にいたいし、片時も離れていたくない。心ゆくまで愛し合って、リオラの全部を俺のものにしたい」
「そ、そんな破廉恥なこと、真顔で言わないでください……!」
俺の胸を両手で押し返し、距離を取ろうとするリオラを、逆にぎゅっと抱きしめる。
「もう逃げられないんだから、覚悟して?」
「ダ、ダメです! そういうことは、きちんと、順番を守らないと!」
「順番?」
「つまり、ちゃんと、結婚してから……!」
「俺だって、さっきまではそう思ってたよ。リオラにとっては初めてのことだし、大事にしたかったから初夜まで手を出すつもりなんてなかった。でも、もう待つ必要は――」
「で、でしたら、初志貫徹してください!!」
「えー」
そんな攻防戦があり、結局は敗北したのだ。くそう、せっかくのチャンスだったのに。
でも、リオラが嫌がることは、したくない。無理強いもしたくない。真面目なリオラが「順番は守るべきです!」と言うなら、甘んじて受け入れるしかない。
これも惚れた弱みである。とほほ。
あれから、騎士団内でマリウスを見かける機会はぐんと減った。
さすがにまったく会わないということはないが、顔を合わせると決まり悪げに縮こまって、そそくさとどこかへ逃げていく。
当然、リオラの前に姿を現すこともなくなったらしい。
初めて同年代の友だちができたというのにこんな結末を迎えてしまって、さぞがっかりしているかと思いきや、案外リオラはけろりとしている。
「友だちなんて、きっとまたできると思うんですよ。それに私には、アリス先輩とか事務室のお姉さま方とか、レグルス様がいてくれますから」
ふふ、と小さく笑ったリオラを抱きしめたかったが、あいにく騎士団本部の廊下だったから間一髪のところで踏みとどまった。やばいやばい。
リオラの想いを知ってからというもの、俺の理性は常に試されている。
もちろん、手は出せない。でもいちゃいちゃはしたい。素直に好意を示してくれるようになったリオラが愛おしすぎて前後不覚に陥りながらも、俺は虎視眈々とリオラに触れて、キスして、嫌というほど甘やかす隙を狙っている。
とはいえ、リオラには「くれぐれもTPOは考えてくださいね」などと釘を刺されているから、好き勝手な真似はできない。くそう。
こうなったらもう、どさくさに紛れてうちに連れ帰って、なし崩し的に一緒に住み始めたらどうだろう、なんて密かに画策する日々である。リオラは「何ふざけたことを言ってるんですか」なんて本気にしていなかったけど、まんざらでもなさそうだったから計画実行の日は近い。
――――と、思っていたのに。
「一週間も会えてない? リオラ嬢に?」
意外そうな顔をするオルド団長の言葉に、俺は渋々頷いた。
「ここんとこ、いつ事務室に行ってみてもリオラの姿が見当たらないんですよ」
「休んでるんじゃないのか?」
「出勤しているのは、同僚に聞いて確認しています。でも、朝は寮に迎えに行ってもすでに出勤したあとらしく出てくる気配がないし、昼はもちろん、仕事が終わってから事務室に迎えに行ってもとっくに退勤したと言われてしまって」
「……それは、確実に避けられてるだろ」
薄々わかってはいたものの、認めたくなかった事実を突きつけられた俺はその場でがくりと膝をつく。
「やっぱりそうなのか……!?」
「お前、何をやらかしたんだ?」
「何もしてませんよ! リオラに避けられるようなことは絶対にしてないし、まったくもって身に覚えがないんです!」
「でも現に、避けられてるんだろう?」
「うっ……」
「本当に、心当たりはないのか? 最近、何か変わったことはなかったか?」
「いや、特には……」
「……ちょっと待て。あれは、いつだった?」
何か思い出したような顔をして、団長が俺を凝視する。
「お前が、あの年若い侯爵令嬢を保護したのはいつだ?」
「……二週間くらい前だったと思いますが」
「それだよ……!」
ひらめいた、とばかりに、団長は軽い調子で話し出す。
「あの令嬢、ずいぶんとお前にご執心だったじゃないか? ここにも何回か来ただろう?」
「そうですけど、ちゃんと婚約者がいるって最初に話しましたよ?」
「どう言ったんだよ?」
「え、『失礼ですが、婚約してらっしゃるのですか?』とか聞かれたんで、『もちろんしていますよ。この上なく可愛い婚約者とね』って」
「最初って、保護したときか?」
「そうですけど」
それは、二週間程前のことだった。
勤務中に仲間の騎士団員数人と王都の見回りをしていたら、花屋の店主から「迷子になったらしい令嬢が、路地裏で泣いている」という知らせを受けたのだ。
すぐに駆けつけると、若い令嬢がうずくまってしゃくり上げていた。
そのまま保護して騎士団の詰め所に連れていき、事情を尋ねてみると、まだあどけなさの残るその令嬢は涙をこらえながらこう説明した。
『……私は、ミラビリス侯爵家のカタリナと申します。実は、とある貴族令息との間に縁談の話がありまして、今日はその方と顔合わせの予定だったのです。でも十歳近くも年の離れた方との縁談なんて、どうしても受け入れられなくて……。先方の屋敷へ向かう途中、隙を見て馬車から降りて逃げ出したものの、道に迷ってしまったのです……』
ヘーゼルの瞳に涙を浮かべて切々と訴える令嬢の姿を見て、その場にいた若い騎士団員たちは共感したように大きく頷く。
でも俺は、なんというかまあ、後先考えない軽率な令嬢だな、なんて内心思っていた。だって、顔合わせに行きたくないからって馬車から降りて逃げ出して、そのあとどうするんだ?
十歳近く年が離れているなんて貴族同士の縁談にはよくあることだし、会ってみないことにはどんな人かもわからない。何より、政略的な意味合いのありそうなその縁談を自分の感情のままに放り出すって、貴族令嬢としてはどうなんだ?
そんな冷めた思いで対峙していたせいなのか、不意に令嬢が口を開いた。
『あの、失礼ですが、あなたは婚約してらっしゃるのですか……?』
どういうわけか、うっとりと俺を見つめる妙な視線に煩わしさを感じつつも、俺ははっきりきっぱり答えてやる。
『もちろんしていますよ。この上なく可愛い婚約者とね』
ふんわりと微笑むリオラの笑顔がふと脳裏に浮かんできて、俺は爆発的な多幸感に包まれた。あー、早く会いたい。一秒でも早く会って、触れて、とろけるほど甘やかしたい。
なんてことを考えていたから、そのときの俺の顔は自分史上最高に緩みきっていたと思う。
それからすぐに、ミラビリス侯爵家の者が慌てて令嬢を迎えに来た。いきなりいなくなったから、だいぶ探しまくっていたらしい。そりゃそうだろう。
令嬢が侯爵家の馬車に嫌々乗り込むのを見届けて、ひとまず一件落着、万事解決となるはずだった。侯爵家の縁談がどうなろうが、知ったこっちゃないし。
ところが、である。
翌日になって、令嬢は第一騎士団の執務室に突然現れたのだ。
「お世話になったので」とかなんとか言いつつ、「みなさんで召し上がってください」なんて侯爵家の料理人と一緒に作ったらしいお菓子を持参して。
それからも、何度となく令嬢はお菓子持参で現れた。
若い騎士団員たちは大喜びだったが、俺はお菓子なんてどうでもいいし、別に話すこともないから完全に放置していた。だというのに、令嬢はやたらと俺に擦り寄ってきて、なんだかんだと話しかけてくる。
例えば、「グラティア副団長と婚約されている方は、どんな方なのですか?」とか、「女性経験の豊富な副団長がお選びになったのですから、さぞ魅力的な方なのでしょうね?」とか、「まあ! 本部の事務室にいらっしゃるの? あとで覗いてみようかしら」とか。
どうでもよくね? と思っていた俺は、徹頭徹尾、塩対応を貫いた。聞かれたことにも、ろくに答えなかった。面倒くさいし、鬱陶しいとしか、思っていなかったのだ。
それなのに。
あの令嬢のせいで、俺はリオラに逃げられているのか……?




