4 副騎士団長は惚れ直す
「お前、ガルスか……?」
現れた男は、マリウスの前に立つ俺の顔を見てぴしりと固まった。
「……え、なんで……? リオラは……?」
その瞬間、俺はすべてを理解する。
「……そういうことか」
我ながら、ぞっとするほど毒を含んだ声が出た。
「ガルス、お前がリオラに会うつもりで、ここに呼び出したんだな」
「あ、いや……」
「マリウスは仲介役というわけか」
「あ……」
あっけなく目論見がバレてしまった若者たちは、わかりやすくしどろもどろになる。
「最初から、ガルスとの仲を取り持つつもりでリオラに近づいたのか?」
鋭い視線をマリウスに向けると、数秒逡巡してから観念したように「……そうです」と答える。
「……ったく、いい加減にしろよな」
吐き捨てるように、つぶやいた。
懲りずにまた横槍を入れてくる浅ましい根性も腹立たしいが、リオラの優しさと良心につけ込む傲慢な有り様のほうが余程腹立たしい。
忌々しげにため息をつくと、逆上したマリウスがいきなり噛みついた。
「な、何も知らないくせに、偉そうなことを言わないでください! ガルスはずっとリオラ先輩のことが好きだったのに、あっという間に横からかっさらっていったあなたのほうが非常識でしょう!」
「……は?」
「ガルスがリオラ先輩のことをどれほど好きだったか、あなたにわかりますか!? あなたたちの婚約が決まってから、ガルスがどんなに落ち込んで、どんなに打ちひしがれていたか……! とてもじゃないけど見ていられなかったんですよ!」
「それは……」
自業自得だろう、とはさすがに言えなかった。本人、目の前にいるし。
確かに改めてまじまじと見返すと、ガルスは明らかにやつれているし覇気がない。数か月前にシレンテ伯爵邸で会ったときの姿を考えれば、違いは一目瞭然である。
「女癖が悪くて不誠実で最低なあなたに、リオラ先輩を幸せにできるわけがないじゃないですか! だったら、長年リオラ先輩を想い続けたガルスのほうが――」
「ふざけるな」
問答無用で言い放つ。
圧倒的怒気に、若者たちは「ひぃっ」と小さな悲鳴を上げる。
「女癖が悪くて不誠実? いったいいつの時代の話をしてるんだよ。かつての俺が最低な人間だったのは認めるが、とっくの昔にけじめをつけて心を入れ替えたんだ。リオラを本気で好きになったからな」
「え……」
「リオラを好きになってから、リオラに対して不誠実だったことは一度もない。見くびるな」
低く抑えた声でそう言うと、目を吊り上げたマリウスが必死に何か言い返そうとする。
それを手で制して、俺は辺りを見回した。
「あのさ、そろそろ場所を変えたほうがいいとは思わないか?」
俺の言葉に、二人の若者ははたと気づく。
ここは、たくさんの人が行き交う王立公園の入り口である。
「こんな往来のど真ん中でいつまでも言い争っていたら、一般市民に迷惑をかけるだろう? そのうち荒事か何かだと思われて、見回りの騎士団員に通報されたらどうするんだ?」
我に返った二人は恐ろしく気まずそうな顔をして、「わかりました……」と頷いた。
◆・◆・◆
こんなこともあろうかと、公園の入口近くにあるレストランを予約していた俺は二人を個室に連れていった。
そこで待っていた人物を目にして、二人は呆然と立ち止まる。
「リオラ……」
生気のない顔をしていたガルスの目に、鈍い光が宿る。
マリウスはともかく、ガルスが一緒に現れたことでリオラも多少混乱しているらしい。「え……?」と言ったまま二人の顔を交互に眺めるリオラに近づいて、俺は事情を説明した。
「ガルスが……?」
リオラの眉間には、面白いくらい何本ものしわが寄っている。こんな顔も可愛いなんて、本当に反則である。
俺はちょっと吹き出しながら、リオラの眉間を人差し指でなでてやった。
「レ、レグルス様、何して――!」
「いや、なんか可愛すぎて」
「はい!?」
会った途端いちゃつき出す俺たちの甘い空気に、開いた口が塞がらないマリウスと仄暗い目で俺を睨みつけるガルス。
マリウスとの待ち合わせには俺が行くと言ったとき、リオラはすぐさま自分も行くと言い出した。
「レグルス様に頼ってばかりではいられませんから……!」
そう言って、ふんすと鼻息を荒くするリオラもまた可愛くて悶絶したが、正直連れていきたくはなかった。リオラの手を煩わせたくないとか嫌な思いをさせたくないとか、そんな聖人君子的な思いもあるにはあったが、邪な想いを抱くマリウスには会わせたくなかったのだ。
まさか、もっと明確に邪な想いを抱くガルスが出てくるとは思わなかったが。
知っていたら、絶対に連れてこなかったのに。
まあ、仕方がないなと諦めて、俺はひとまず席に座る。
「で? ガルスはリオラに会って、どうするつもりだったんだ?」
向かい側に座るガルスは、これ以上ないというほど険しい表情で一点を凝視していた。
そして何か言おうとして顔を上げ、切なそうにリオラを見つめる。久しぶりに会えたことで感極まっているのか、言葉が出ないらしい。
「リオラ先輩! ガルスはずっと、あなたのことが好きだったんですよ!」
おっと。間髪を入れずに助け舟を出したのは、マリウスである。
「あなたが学園に入学するとなって、シレンテ伯爵邸に来た頃からずっと、ガルスはあなたのことを想い続けてきたんです! それなのにグラティア副団長との婚約が突然決まって、ガルスは生きる気力を失って……! 本当に、廃人同然だったんですよ!」
鬼気迫る勢いのマリウスに、俺もリオラも思わず顔を見合わせる。
マリウスの言葉だけを切り取れば、確かに同情を禁じ得ない。
でもな。
何度も言うけど、自業自得じゃないか?
そもそもマリウスは、ガルスがリオラにしてきたことをきちんと把握しているのか?
「……あの、マリウス様」
多分同じようなことを考えていたらしいリオラが、遠慮がちにマリウスを見返した。
「これまで、ガルスが私にどういう態度を取ってきたか、ご存じかとは思うのですが……」
「それは……」
「学園の裏庭で会ったとき、ガルスが私をからかうのを諫めてくれましたよね? いつもあんな感じで、ガルスは私を見下して馬鹿にしてきたんですよ? あれで『ずっと想い続けてきた』とか言われても、信じられるわけがありません」
「いや、ガルスはあなたのことが好きすぎて、自分の恋情を持て余していたんです! だからあなたを前にすると、必要以上に憎まれ口を叩いてしまって……。でも僕たちの前では、常に正直にあなたへの想いを口にしていたんですよ!」
…………うーん。
マリウスの話を聞いても、なんだそれ、としか思えないのだが。俺って、心が狭すぎるのか?
まあ、リオラに関することだから、なおさら寛容でいられるわけはないのだが。
でもその辺のことを抜きにしても、やっぱり理解に苦しむ。恋情を持て余すのは百歩譲って仕方がないとして、なぜ好きな相手に憎まれ口を叩くんだ? 自分の言葉で相手が傷ついても、何とも思わないのか?
なんてことを考えていたら、黙って俯いていたガルスががばりと顔を上げた。
そして――。
「リオラ、俺はお前のことが、ずっとずっと好きだったんだ……!!」
いきなりの告白である。しかも大声で。個室でよかった。
告白されたリオラはほとんど表情を変えず、ただ無言でぎゅう、と眉根を寄せている。
「お前がうちに来て、最初はなんて地味な女だと思っていたけど、そのうちどんどん惹かれていって……。でも母上はお前のことを忌み嫌って『あんな娘にこびへつらう必要などありません』とか言うし、俺が話しかけてもお前は全然相手にしてくれないし、だからだんだんひどいことを言うようになって……。そうすれば、お前は俺のほうを見てくれたから……!」
心の奥でくすぶっていた恋情を一気に解き放ったことで抑えられなくなったのか、ガルスはなおも一方的に言い募る。
「今までのことはほんとに悪かったと思ってる! 心から反省してるし、もう二度とあんなことはしない! だから、せめてもう一度だけチャンスをくれないか!? こんな最低な女たらしより、絶対にリオラを幸せにするから! だから俺を選んでくれよ!」
「お断りします」
呆気ない幕切れだった……!!
ガルス渾身の告白は、鉄壁の無表情を誇るリオラに一蹴されてしまう。
「……謝れば済むとでも思っているの?」
凍てつくようなリオラの声は、容赦なくガルスを貫いた。
「あれだけのことをしておいて、今更何を言ってるのよ?」
「そ、それは――!」
「私がガルスを選ぶわけないでしょう? あなたのせいでどれだけ傷ついていたのか、知らないくせに」
その言葉で、ガルスは息もつけないほどの衝撃を受けたらしい。夢から覚めたような顔つきになる。
目を伏せたリオラの長いまつげが、心なしか震えている。
「もっとも、あの頃はガルスに何を言われても、仕方がないと思っていたのよ。心のどこかで、自分は価値のない人間だと思っていたから」
「え……」
「でも、そうじゃないってレグルス様が教えてくれたの。レグルス様は確かに良くない噂の絶えない人だったけど、私にはいつも優しかったしレグルス様に傷つけられることもなかった。それどころか心から愛されて大事にされて、こんな私でも少しは生きる価値があるのかなって思えるようになったのよ。一緒に生きていきたい、ずっと隣にいたいと思えるのは、レグルス様だけなの」
このときの俺の気持ちが、おわかりいただけるだろうか……?
リオラがここまではっきりと、自分の想いを明かしてくれたことはなかった。キスを許可してくれたのだから、ある程度心を開いてくれているのはもちろんわかっていたのだが。
ずっと隣にいたいと願うほどの恋情を、この俺に抱いていたなんて……!!
意気消沈し、またしても廃人同然となったガルスはマリウスに引きずられ、二人はすごすごと個室を出て行った。
バタンとドアが閉まるや否や、俺はするりと腕を伸ばしてリオラをふわりと抱きしめる。
「……うれしすぎるんだけど」
「え?」
「リオラが俺のことを好きになってくれるなんて」
腕の中に閉じ込めた最愛を見下ろすと、淡い空色の瞳が柔らかく微笑む。
「好きにならないわけがないじゃないですか」
恥ずかしそうにつぶやいて、リオラは俺の胸に顔を埋める。
その耳元に軽くキスをしてから、俺は吐息まじりにささやいた。
「……今日はもう、帰さないから」
次回から新章です!
「帰さない」と言われてしまったリオラの運命やいかに……!?




