2 副騎士団長は愚痴をこぼす
「へえ、従弟の友人ねえ……」
執務机を前にして、悠然と座る黒髪の偉丈夫がニヤニヤと含み笑いをしている。
「団長、何を面白がってるんですか?」
「いや、だってさ。お前のそういう顔、初めて見るし」
「……どういう顔ですか?」
「うーん、数か月間、毎日タンスの角に小指をぶつけ続けたときの顔かな」
「……なんですかそれ」
まったくもって意味がわからないが、オルド団長は自分がひねり出した例えにひどくご満悦な様子である。
「要するに、イラッとするんだろ?」
「そりゃあ、まあ」
ガルスの友人であるマリウス・カッシア伯爵令息に偶然出くわしてから、一週間が経った。
あれから、あいつはちょくちょく俺たちの前に姿を現す。昼時が多いが、仕事が終わってリオラを寮まで送ろうとすると、見計らったように出てくることも多い。
俺が一緒にいるときは挨拶程度ですぐに消えるが、勤務中とか俺のいないときにリオラがあいつに遭遇すると、なんだかんだと話しかけられて足止めを食らうらしい。
鬱陶しいやつだ。
リオラが言うには、「他愛のない世間話で終わることもあるんですけど、騎士団内の規則とか書類関係について聞かれることもあるので無下にもできなくて」とのこと。
入団したての騎士団員にとってはわからないことも多いだろうし、友人の従姉で面識もある事務官のリオラにならあれこれ聞きやすいのだろう。
とはいえ、どうしたって胡散くささは否定できない。
なぜなら、学園在学中のカッシア伯爵令息とのかかわりについて、リオラはこう言っていたのだ。
『私、学生時代は友だちと呼べる人がいなかったので、お昼はだいたい一人で裏庭に行ってこっそり食べていたんです。でも、私の卒業が近くなった頃ガルスがそれに気づいたらしく、わざわざ友だちを引き連れてからかいに来るようになったんですよ。その中にあのマリウス様もいたんです』
学生時代のとんでもなく寂しいエピソードを平然と暴露するリオラに、俺はどう返せばいいかわからないながらもひとまず無言で抱きしめた。
一人寂しく昼食を取るリオラのそばにいてやりたかった……!
それにしても、何なんだそのエピソードは。ツッコミどころしかないんだが。
恐らく、あの初恋拗らせ男のガルスは、本当はリオラと話したいがために裏庭に足を運んでいたのだろう。
でも会ったら会ったで、リオラを見下したり馬鹿にしたり、嫌がらせのようなことを繰り返していたに違いない。本当に、あいつは馬鹿なのか? まあ、馬鹿だな。確実に馬鹿だ。
長年、誰よりもリオラの近くにいたくせに、その圧倒的な強みを生かすことができなかったんだから。
好きなら好きで大切に大切に囲い込んで、ぐずぐずに甘やかせばいいものを。真逆のことしかできないなんて、理解に苦しむ。そんなの、気を引くどころか嫌われて当然だろうよ。
しかも、友だちを何人も引き連れての嫌がらせなんて、どういうことだ。その友人たちも何なんだ。ガルスに苦言を呈するような、まともなやつはいなかったのか。嘆かわしい。
『あ、もちろん、ガルスに対して言い過ぎじゃないか? とかそうじゃないだろ、とか意見してくれた人もいましたよ? マリウス様もその一人でしたけど、ガルスは全然聞く耳を持たなくて』
……ガルスのやつ、本当に救いようがないな。マジでわけがわからん。まったくもって理解不能、未知の生物である。
とまあ、そんな話を聞かされたものだから、ますますカッシア伯爵令息、いやもうマリウスでいいや、マリウスの神出鬼没でわざとらしいしつこさが鼻についてどうしようもない。
「でも別に、リアラ嬢を口説いている感じでもないんだろう?」
穏やかな口調で尋ねるオルド団長に、俺はむすりと答える。
「今のところはそうですけど、本心はわかりませんよ」
「ここんとこ、リオラ嬢は可愛くなったと評判だからなあ。盗られやしないかと心配なのか?」
「もちろん、それもあります。でもちょっかいを出されること自体、嫌なんです」
「お前、意外に狭量なんだな」
驚いたように目を丸くするオルド団長を直視できなくて、俺は思わず顔を背ける。
婚約して以降、無愛想な無表情が通常運転だったリオラに、控えめながらも笑顔が増えたという噂話は絶えない。
纏う雰囲気はどんどん柔らかいものになり、ふんわりと微笑むリオラを目の当たりにして、今までとのギャップに心臓を撃ち抜かれる男どもが続出していると聞く。
はっきり言って、面白くない。
俺だって、あのギャップにやられたことは否定しない。いや、完全にあのギャップに堕ちたのだ。我ながらちょろかったとは思うが。
でもこんなにも早く、リオラの能面の裏に隠された純粋無垢な可愛らしさが周囲に知られてしまうとは。
――――知っているのは、俺だけでよかったのに。
「リオラ嬢が変わったのは、お前のおかげだろう? 女性は愛されることで美しくなると言うしな」
「それは、そうかもしれませんけど……」
「誰がちょっかいを出してこようと婚約しているのはお前なんだし、そんなに心配することはないと思うが」
「あのマリウスとかいう野郎がどういうつもりでリオラに近づくのか、狙いがわからないから心配なんですよ。口説く気がないなら、何のために近づいてくるんですか?」
「まあ、確かにな。でもヴィクトルにそれとなく話を聞いてみたが、あの新入りに目立った問題はなさそうだったぞ。真面目で正義感が強くて人懐っこい、ごくごく普通の若者だと言っていたし」
ヴィクトル、というのは、第二騎士団の団長である。
確かに、直属の上司が評する通り、職務上問題があるかと問われればノーと言わざるを得ない。騎士団員として、職業倫理に反することをしているわけではない。
でもなあ。
だからこそ、気になるというか。
新入りのくせに、リオラの孤独を知っていて助けようともしなかったくせに、今更近づいてきて何なんだ、という苛立ちはどうにも隠せない。
それに、俺のリオラに気安く話しかけるな、というどす黒い独占欲が心の奥底で沸々と湧き上がる。どちらかというと、そっちのほうが重症なんだが。
もう誰の目にも触れないところにリオラを閉じ込めて、俺だけのものにしてしまいたい。そんな衝動が、有無を言わさず俺を責め立てる。
「リオラ嬢も変わったが、お前も変わったよな」
不意に団長がからりと言うから、俺は弾かれたように顔を上げた。
「そう、ですか……?」
「ああ。あっちこっちの女性と浮名を流しては派手に遊び歩いて、相手がちょっとでも本気になったら容赦なく切り捨てていたお前が、一人の女性に心を奪われて思い悩む日がくるとはな」
「あ……」
「後先考えず、無責任に快楽だけを享受していた頃とは勝手が違うだろ」
「……はい」
「まあ、これでお前も、人の心はままならないってことが身に染みてわかったんじゃないか?」
ううぅぅ。手厳しい。ぐうの音も出ない。正論過ぎる団長の言葉に、俺は辛うじて「そうですね」と返すことしかできない。
「誰かを本気で好きになったら、楽しいばかりじゃ済まないだろう? 焦って空回って必死になって、せいぜい振り回されることだ」
はっはっはー、と高笑いする団長に、言い返すことなどできるはずもなかった。
レグルスは一度誰かにきちんと説教されたほうがいいよ、と思ったもので(苦笑)




