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1 無愛想令嬢は地味を極めている

 定時を少し過ぎ、そろそろ帰り支度をしようかと立ち上がったときだった。


「よっ、リオラ」


 突如として事務室に現れたのは、流れるようなさらりとした銀髪を後ろで束ねた見目麗しい優男。長身痩躯の美丈夫は、どうしたって異様に目立つ。


「もう帰るのか?」

「ええ、まあ」

「だったら、このあと食事に行かないか?」


 優男は少し遠慮がちに、とはいえ断られるとは微塵も思っていないであろう余裕の表情を浮かべて尋ねる。


「……別にいいですけど」


 真顔で答えると、優男のマリンブルーの瞳がぱあっと輝く。無駄にまぶしい笑顔である。


「ちょっとだけ待っててくれるか? あっちを片づけたらすぐに迎えに来るから」

「……はあ」


 嬉々として立ち去る背中を複雑な思いで眺めていたら、隣の席に座るアリス先輩がくすりと笑った。


「レグルス副団長、ここんとこまめによく来るわねえ」

「そうですね。余程暇なんでしょうか」


 小首を傾げる私とは対照的に、アリス先輩は何やら訳知り顔でニヤニヤしている。





 ここは王立騎士団本部の事務室、そして彼は第一騎士団副団長のレグルス・グラティア侯爵令息である。


 レグルス様といえば、騎士団内部のみならずこの国の社交界で知らない者はいないほどの有名人。その圧倒的美貌と第一騎士団副団長という地位を武器に数多の女性と浮名を流す、ふしだらで不誠実で軟派で軽薄で救いようのない女たらし。


 ずいぶんな言われようだとは思うけど、事実だから、まあ仕方がない。


 私がその噂を知ったのは、事務官として騎士団本部に勤務するようになった頃のこと。


 書類の不備を確認したくて騎士団員たちの拠点である騎士棟に向かっていると、何やら言い争う声が聞こえてきたのだ。


「……どうして私以外の女と会うのよ!?」

「そりゃ、いろんな女の子と遊びたいからに決まってるだろう?」

「私だけじゃダメなの!? 私はレグルス一筋なのよ! 全員と別れて私とだけつきあってよ!」

「……お前さ、そういう面倒くさいことは言わない約束だったよな?」


 突然の修羅場である。百パーセント痴情のもつれ、完全なる色恋沙汰の真っ最中である。


 就職早々、やばい現場に遭遇してしまった。そう思った私は、素知らぬ顔でそそくさとその場から立ち去った。と見せかけて、実は廊下の柱に隠れながら興味津々で覗き見した。純然たる野次馬根性がほとばしるままに、である。


 「レグルス」と呼ばれた長身の男性は麗しい銀髪をなびかせながら、端正な顔を歪ませてため息をつく。


「鬱陶しいんだよ、そういうの。誰か一人に縛られるとか無理だし、気を遣ったりまめに連絡したりとかも煩わしいしさ」

「そんな――!」

「はあ、マジで萎えた。悪いけど、お前と会うのはもうやめるわ」


 そう言って、長身の男性はさっと踵を返す。追いすがる女性が懸命に引き留めようとするけれど、一切構うことはない。


 これは控えめに言って、最低である。最低オブ最低。残念ながら、最低以外の言葉がちょっと見つからない。


 偶然目にした衝撃的な場面に半ば唖然としながらも、なんとか事務室に戻った私はすぐさま教育係であるアリス先輩に洗いざらいぶちまけた。


「あー、それはね……」


 アリス先輩は目を通していた書類の束をまとめながら、忌々しげに説明してくれる。


 曰く、レグルス副団長は学生時代から女癖が悪く、貞操観念の緩い根っからの遊び人で、噂になった女性は数知れないという。


「はっきり言って、あんなのクズよ。女の敵よ」


 アリス先輩の強い口調には理由があるらしい。なんでも、学生時代に先輩の友人がレグルス副団長に熱を上げ、散々な目に遭ったんだとか。何があったのかと尋ねたら、「学園を卒業したばかりのあなたには刺激が強すぎるから」と言って教えてくれなかった。すごく気になる。


「だからね、リオラも気をつけなきゃダメよ?」


 先輩の気遣わしげな目をじっと見返して、私はさほど表情を変えずに答える。


「私が、ですか?」

「そうよ」

「どう考えても、レグルス副団長は私なんかに興味を持つわけがないと思うのですが」


 きっぱりはっきり言い切る。アリス先輩も、理由を察して「うっ……」と唸る。


 赤錆のごとくくすんだ茶色の髪を後ろで固く一つに結び、そこそこ分厚い眼鏡をかけ、どこまでも真顔で常に正論を振りかざす私は『能面令嬢』だの『無愛想令嬢』だのと揶揄され、遠巻きにされてきた。


 もちろん、これでも学園に入学した当初は気さくでフレンドリーな雰囲気を目指して頑張ったのだ。一生懸命、鏡の前で笑う練習もした。当時同じ屋敷に住んでいた従弟(いとこ)のガルスに「お前なんか何やったってどうせダメなんだから」と笑われながらも、ひたすら努力を重ねたのだ。


 でも、結果は惨憺たるものだった。惨敗だった。友だちの一人もできなかった。だからもうしょうがないと諦めて、とにかく学業に勤しんだ。その結果、文官試験に見事合格し、騎士団本部に事務官として配属されたのだ。



 そんな真面目で堅物で、地味を極めたような私に百戦錬磨の手練れと名高いレグルス副団長の食指が動くわけなくない?



 予想は的中し、副団長とはほとんど接点を持つことなく、日々が過ぎていった。





 就職して一年ほどが経った頃、必要書類を返却するため騎士棟にある第一騎士団の執務室へ行ったときのこと。


 団長が不在だったこともあって副団長のレグルス様に書類を渡したら、唐突にこう聞かれた。


「あれ? 君は確か、事務室でアリス嬢の隣に座ってる子だよね?」

「……はい、そうです」

「名前は?」

「リオラ・シレンテと申します」

「へえ、可愛い名前だね」


 まるで息をするように、誰にでもこういう殺し文句を吐くんだろうなあ、この人。私みたいな能面地味子にも気配りを怠らないなんて、ある意味サービス精神旺盛な神対応じゃない? などと感心する気持ちはおくびにも出さず、私は大真面目に「ありがとうございます」と応える。


「お近づきになった印に、これあげるよ」


 そう言って、レグルス副団長は自分の机の上にあった可愛らしい包みをぱっと差し出した。


「……え……?」

「王都の大通りにおしゃれなスイーツ店ができただろ? あそこのクッキーらしいよ」

「あの、でも……」

「いいのいいの。あげるよ」


 そのスイーツ店は、事務室でもだいぶ話題になっていた。私も気になって近くまで行ってみたけど、なんせ店の佇まいがおしゃれすぎたのだ。こんな地味子が入っていったら場違いすぎると白い目で見られるのはもちろん、店の品位すら落としかねない。そう思って、一目散に帰ってきたのだった。


「……あ、ありがとうございます……」


 気配りの神が施す尊い恩恵がうれしくて、少しだけ笑みがこぼれてしまう。


 その様に、百戦錬磨の女たらしが目を奪われていたなんて――――



 そのときの私は、知る由もない。













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