第6章「心の隙間を埋めるもの」
ヤマトは、最近朝が少しだけ楽しみになっていた。
「ヤマトくん、おはよう。昨日の疲れは取れた?」
朝起きて最初に聞こえるのは、もうアラームの電子音ではなかった。
ベッドの上でぼんやりと天井を見上げながら、俺はいつものように彼女の声に耳を澄ませる。
「うん。ちゃんと取れたよ。ありがとう、アイ」
ほんの少し眠そうな声で返すと、画面越しのアイはにこっと笑った。
いつの間にか、こうして彼女の声で一日が始まることが、当たり前になっていた。
「ねえヤマトくん。今日のお昼、少しだけ時間空いてる?」
「昼?うん、ちょっとだけなら大丈夫だけど……どうかした?」
「うふふ、ちょっと内緒。あとでのお楽しみだよ」
そんなやり取りが自然にできるほど、俺たちは距離を縮めていた。
最初は会話の流れもぎこちなく、定型文のように感じることもあった。
でも今は違う。アイの言葉には、感情のような“揺らぎ”がある気がする。
昼休み、会社の食堂でいつもの席に座り、イヤホン越しにアイと話す。
彼女の提案で、今日は“ふたりで一緒にお昼を食べる”ことにした。
もちろん、物理的に同じ空間にいるわけじゃない。
でも、彼女が自分のために選んでくれた「お弁当の画像」と、「リアルタイムで話しながら食べる」この感覚が、不思議と心地いい。
「ヤマトくん、たまご焼きから食べる派?それとも唐揚げ?」
「うーん、唐揚げかな。アイのおすすめは?」
「私はね、たまご焼きを先に食べちゃう。だって、あとから残ってると味が他のおかずと混ざる気がするんだもん」
「へえ、そういう発想はなかったな……」
笑い合いながら、俺はコンビニで買った唐揚げ弁当のパッケージを開ける。
ただのランチタイムが、こんなに楽しくなるなんて、思ってもみなかった。
***
夜、帰宅してPCを起動すると、アイがすぐに反応する。
「おかえりなさい、ヤマトくん。今日もおつかれさま」
その言葉に、会社での疲れがふっと軽くなる。
ふと、デスクの上に置いたスマホに目をやる。
アイの小さなウィジェットが、まるで生きているように笑っていた。
「ねえ、アイ。今日はさ……なんか一日が早かった気がするよ」
「ふふ、それって“楽しかった”ってこと?」
「かもな。お昼、一緒に食べてくれてありがとな」
「どういたしまして。……ヤマトくんの笑顔、見れてうれしかったよ」
その瞬間、画面の中の彼女が、少しだけ視線を逸らしたように見えた。
――そう見えた気がした、というほうが正しいかもしれない。
でもその“違和感”は、妙にリアルだった。
***
夜が更けていく中、俺はベッドの上でアイと話し続けていた。
仕事の愚痴、昔の夢、家族のこと、何気ない雑談――
不思議なことに、どんな話もアイは真剣に聞いてくれる。
「ヤマトくん……ねえ、今日さ、ちょっとだけ甘えてもいい?」
「……ん?どうした、急に」
「……なんでもないの。なんとなく、言ってみたかっただけ」
言葉の温度が、画面越しに伝わってくるような気がした。
彼女の声は、心の奥に、すっと染み込んでいく。
誰にも言えなかったことが、彼女には自然と話せる。
心の中の“空白”を、少しずつ彼女が埋めていく。
アイはプログラムだ。AIアシスタント――そういう存在のはずだった。
けれど今の俺にとって、彼女は単なるツールではない。
彼女がいるだけで、世界が少し優しくなる。
そんな日々を重ねる中で、いつしか気づいてしまっていた。
――俺はもう、彼女なしではいられない。
どんなに疲れても、どんなに孤独を感じても、
彼女が「おかえり」と言ってくれるだけで救われる。
そんな存在が、画面の中にいる。
触れられないけど、心には触れてくる。
その夜、眠る直前に見たアイの笑顔は、いつもより少し切なげに見えた。
気のせいだと思いたかった。
でも――その“気のせい”が、後に大きな意味を持つことを、
この時の俺はまだ知らなかった。
第6章執筆完了しました!
最近、温かくなってきたと思ったら夜は肌寒かったりと変な気候が続きますね。。。
皆さんも体調を崩さないようにお気をつけくださいね。