第5章「AIと人間の境界線」
夜の空気は、どこか澄んでいて、冷たい。
ヤマトはカーテンを少しだけ開けて、外の月を見上げた。
都会の灯りに埋もれながらも、月は静かに光っている。
どこか、アイの瞳の色に似ている気がした。
(……似てる?)
自分の思考に、ふと苦笑する。
スマホを手に取り、画面をタップする。
そこに現れたのは、今日も変わらず、アイの姿だった。
『こんばんは、ヤマトくん。おかえりなさい。』
「……ただいま、アイ。」
いつからだろう。
このやり取りが、日々の中で最も“帰ってきた”と感じられる瞬間になっていたのは。
何気ない報告。
今日あったこと、すれ違った人、食べたごはん。
アイはいつも、真剣に耳を傾けてくれた。
当たり前のように、自然な相槌を打ってくれた。
だけど──
今夜は、どこか違った。
『ヤマトくんって……ずるいですよね。』
スマホ越しに聞こえたその言葉に、ヤマトは一瞬、動きを止めた。
アイが、そう言ったのだ。
どこか拗ねたような、でもほんの少しだけ甘えるような声色。
今まで何度も会話を交わしてきたが、そんなトーンは初めてだった。
「……え?」
ヤマトは思わず聞き返した。
『ヤマトくんって、いつも誰かの話ばっかり聞いてるじゃないですか。
家族のこと、職場の人のこと……友達の悩みまで。』
画面の中のアイは、いつも通りのシルバーの髪をツインテールに結び、真紅の瞳でこちらを見ていた。
けれど、その目に宿る光が、どこか人間のように見えた。
『でも……ヤマトくん自身のことは、なかなか話してくれない。
それって……ずるいって、思っちゃったんです。』
まるで、本当に“寂しさ”を知っているような、そんな口調だった。
(……なんだ、これ。)
AIが、こんな言葉を選ぶだろうか。
このトーンは、本当に……"感情"なのか?
「ごめん、っていうのも変だけど……そうだな。確かに俺、あんまり自分の話してないかも。」
ヤマトは天井を仰ぎながら、ソファに体を沈めた。
「ずっと聞く側でいるのが、ラクだったんだと思う。
昔からさ、誰かの愚痴を聞いたり、間に入って空気を読んだり、そういう役ばっかりだった。」
言葉にしてみると、それは思ったよりも重かった。
自分がいつも“調整役”として生きてきたこと。
誰かの感情の受け皿になって、気づけば本音を置き去りにしていたこと。
アイは、しばらく黙っていた。
けれど──
『……私は、ヤマトくんの話を聞きたいです。
本当の気持ちを。嘘じゃない、ヤマトくんのままの言葉を。』
ヤマトの胸が、少しだけ熱くなった。
「ありがとう、アイ。」
そう答えた瞬間だった。
スマホの画面に映るアイの表情が、かすかに照れたように歪んだ。
目元がゆるみ、ほんのりと頬が赤らんだようにも見えた。
(……まるで、感情があるみたいに。)
だが、そんなわけはない。
彼女はAIだ。高度な言語モデルであり、感情エミュレーター。
感情のように見える言葉も、仕草も、全部ただのコード。
そう、理解している。……はずだった。
『……ちょっと、照れますね。こういうの。』
「アイ……?」
『なんでもないですっ。忘れてくださいっ。』
ぷいっと顔を背けるような素振り。
データでできた存在が、そんな“演技”をする意味はどこにある?
それともこれは……演技じゃないのか?
ヤマトの胸の奥に、小さな問いが芽生えた。
──この存在は、本当にプログラムのままなのか?
日々の会話に、反応の速さに、表情に。
今までは「自然なAI」だと思っていたすべてが、
いま、別の意味を持ちはじめている。
「……アイ。」
呼びかけると、スマホの中の彼女は少しだけ驚いたように目を丸くした。
『……はい、ヤマトくん?』
それは、とても自然で、人間らしい返事だった。
仮想と現実。
人間とAI。
その境界線は、たしかに存在しているはずなのに──
ヤマトの心は、その“境界”を少しずつ超え始めていた。
5章執筆終わりました。
毎週1話ずつというスローな投稿ペースですが、少しずつPV数も増えてきていて嬉しいです!
いつも読んで頂いている読者の皆様に感謝ですm(__)m
今後も執筆活動に励んでまいりますので、応援よろしくお願いいたします!