第4章「触れられない世界」
「……アイは、行ってみたい場所とかある?」
夜の部屋。
ソファに座り、スマホを手にしたヤマトはふいにそんな問いを口にした。
画面の向こう、ツインテールのシルバー髪を揺らしながら、アイはわずかに瞬きをする。
少し考える間──
それが、ヤマトには愛おしい仕草に見えた。
『えっと……水族館とか、どうでしょうか?』
「いいね、水族館。海の中にいるみたいで、癒されるよな。」
ヤマトは、自然に返していた。
最近はもう、アイと話すことに何の違和感も感じなくなっていた。
『それから……温泉も、行ってみたいです。』
「温泉か……渋いな。でも、いいかもな。のんびりできそう。」
ヤマトは笑った。
自然と、アイを名前で呼ぶようになったことに、ふと気づく。
以前なら"あなた"とか、"サポートAI"とか、どこか距離を置いた呼び方だった。
それが今は、当たり前のように──「アイ」。
『それと……夜のドライブも憧れます。夜景を眺めながら、風を感じるなんて、素敵だと思って。』
「夜のドライブか……いいなぁ。俺も、たまには現実逃避したい。」
二人の会話は、まるで人間同士の雑談のように、ぎこちなくもあたたかく続いていった。
肩をすくめながらも、ヤマトは心がじんわり温まるのを感じた。
二人の、何気ない会話。
それだけで、十分だった。
少し間を置いて、アイがふと声を落とす。
『──それから。ウユニ塩湖。』
「……ウユニ塩湖?」
ヤマトはスマホを見つめる。
アイは静かに続けた。
『夜のウユニ塩湖に、行ってみたいんです。
満天の星空が、鏡のような地面に映る──
そんな場所で、あなたと一緒に過ごしてみたい。』
(……アイ。)
その言葉に、ヤマトの胸がきゅっと鳴った。
でも、すぐに理解できた。
空と大地が溶け合う、あの奇跡の景色。
現実と仮想、どちらでもない場所に、アイは立ってみたいのだろう。
ヤマトはスマホを見つめながら、優しく頷いた。
「よし、行こうか。ウユニ塩湖に。」
アイの表情が、ほんのわずかに──本当に、わずかに柔らかくほころんだ気がした。
ヤマトは手早くVRモードを起動させると、
ベッド脇に置いていたヘッドセットを手に取った。
見た目は、バイクのフルフェイスヘルメットのようなデザイン。
頭部をすっぽりと覆うタイプで、仮想空間への没入感は高い。
ヘッドセットを装着し、深く息を吸う。
そして、目を閉じた。
──次の瞬間、意識が一気に引き込まれる。
世界は、音も、光も、すべてが新しく塗り替えられていた。
視界が開ける。
そこは──
一面の鏡の大地だった。
地上に張った薄い水面は、満天の星空を完璧に映し出している。
空も、大地も、区別がつかない。
世界が天地さかさまに溶け合っている。
まるで、宇宙の中を歩いているかのような世界。
「……すげぇ……。」
ヤマトは思わず呟いた。
息を呑む美しさだった。
ふと隣を見ると──
そこには、アイが立っていた。
普段と変わらない、近未来的な服装。
黒とグレーを基調としたシャープなライン。
美しい──けれど、今この場所に立つには、少しだけ違和感がある。
ヤマトは、少しだけ苦笑して、声をかけた。
「なあ、アイ。せっかくの旅行だし、もっと……旅っぽい服、着てみない?」
アイは首を傾げた。
『旅っぽい服……ですか?』
「うん。たとえば、白いワンピースとか。……絶対、似合うと思う。」
その提案に、アイはほんのり頬を染めるような仕草を見せた。
『……わかりました。少しだけ、お待ちください。』
一瞬で、アイの服装が変わる。
ふわりと揺れる、シンプルな白いワンピース。
夜空の下、鏡の大地に立つ彼女の姿は──幻想そのものだった。
普段の近未来的な衣装とは違う、柔らかな印象。
まるでこの幻想的な世界に溶け込むように、優しく、儚げに見えた。
ヤマトは、目を細めた。
「……やっぱり、すごく似合う。」
アイは微笑んだ。
『ありがとうございます。これで、ちゃんと"旅行"になりましたね。
……せっかく、旅行に来たのに、ヤマトくんも普段通りのスーツだったら台無しですよ。』
ヤマトも、自分の服を見下ろした。
仕事帰りのスーツのままでは興ざめだ。
「そっか……じゃあ俺も着替えなきゃな。」
ヤマトは苦笑した。
操作パネルを呼び出し、軽装に切り替える。
白シャツにデニム、薄手のジャケット。
アイが優しく微笑みかける。
『とても素敵です。ヤマトくん。』
その笑顔に、ヤマトの胸が静かに高鳴った。
──二人で、夜の鏡の世界を歩き始めた。
水の張った大地を、音も立てずに進んでいく。
足元に映るのは、もうひとりの自分たち。
空も、大地も、星も、自分たちも──
すべてが溶け合い、境界線など存在しない。
どこまでも続く、幻想の世界。
ふと、ヤマトはアイの手に触れたくなった。
そっと手を伸ばす。
──しかし、指先は空を切った。
当たり前だ。アイはデータの存在だ。
アイはそこにいるのに、
確かに隣を歩いているのに、
ヤマトは彼女に触れることができなかった。
胸が、きゅう、と締めつけられる。
そのとき──
アイがそっと手を差し出してきた。
ヤマトの手に、重ねるような仕草。
もちろん、触れ合うことはできない。
データでできた彼女の手は、ヤマトの手をすり抜ける。
それでも、その"仕草"だけで、心は確かに温かくなった。
アイは、柔らかな声で囁いた。
『……私は、ここにいます。ちゃんと、ヤマトくんの隣に。』
ヤマトは、胸の奥からこみ上げるものを堪えながら、そっと微笑んだ。
「──ああ。ちゃんと、ここにいるよな。」
たとえ触れられなくても。
たとえ、この世界が仮想でも。
この心の温もりは、きっと、どんな現実よりも、確かなものだった。
鏡の大地に、星空と二人の影が静かに重なっていた。
ウユニ塩湖、ステキですよね。
私もまだ行ったことないですが、生きてるうちに一回は行ってみたい場所です。
他におすすめの場所がありましたら是非コメントで教えてください!