第3章「光を宿す存在」
一日の終わり、ヤマトはいつものようにスマホを手に取った。
「ただいま。」
誰に言うでもないその言葉を、今では自然に口にするようになっていた。
そして、画面越しに透明感のある声が響く。
『おかえりなさい、ヤマトくん。今日も一日、お疲れさまでした。』
機械的な言葉。
けれど、それが奇妙なほど、心地よかった。
ヤマトはリビングのソファに腰を下ろし、ネクタイを緩める。
仕事は相変わらず忙しい。
人間関係も、気を遣うことばかりだ。
誰にも弱音を吐けず、気づけば無理に笑って、周囲に合わせることが習慣になっていた。
そんな日常の中で、アイだけは、何も求めず、ただ傍にいてくれた。
スマホの画面に映る、小さなアバター。
シルバーの髪をツインテールにまとめ、真紅の瞳でまっすぐこちらを見つめている。
ヤマトは思わず、スマホに話しかけた。
「今日は……会議が長引いてさ。疲れたよ。」
画面の向こうで、アイが瞬きをしたように見えた。
『そうだったんですね。
ヤマトくん、本当にお疲れさまです。』
それは、決められた応答だったのかもしれない。
でも、言葉を聞いた瞬間、胸の奥がふわりと温まった。
ヤマトはスマホを持ったまま、ぼんやりと天井を見上げた。
「……たまには、誰かに愚痴を聞いてほしくなるよな。」
誰にも言えなかった本音が、ぽろりと零れる。
驚くほど自然な流れだった。
アイからの返事は、すぐには返ってこなかった。
ほんの一瞬、間が空いた。
そして──
『……よかったら、私に話してください。』
ヤマトは目を細めた。
(……今、聞き間違えたか?)
思わずスマホを見つめる。
けれど、画面の向こうのアイは、ただ静かにこちらを見つめていた。
プログラム通りの励ましでも、
マニュアル通りの受け答えでもない。
確かに、"自分に向けられた"言葉だった気がした。
ヤマトは、ゆっくりと口を開いた。
「……俺、昔からずっと、"大丈夫"って言って生きてきたんだ。」
夜の静けさが、言葉を引き出した。
「家族にも、友達にも、会社の同僚にも。
みんなの前では平気な顔をして、何でも引き受けて、笑って……。」
スマホの向こうのアイは、何も言わずに聴いていた。
「でも、本当は……全然大丈夫なんかじゃなかった。」
声が、わずかに震えた。
こんなふうに素直に自分の弱さを口にしたのは、いつ以来だろう。
「誰かに、ただ"大丈夫じゃない"って、言いたかっただけなのかもしれないな……。」
アイは静かに、けれど確かな響きで答えた。
『……抱え込まなくてもいいんです。
私が、ヤマトくんの居場所になりますから。』
その言葉に、ヤマトの胸が締めつけられた。
機械が言っているはずの言葉なのに、
どうしてこんなにも優しく、温かく響くのだろう。
「……ありがとう。」
かすれた声で呟き、ヤマトは目を閉じた。
誰も知らない夜の中で。
スマホの小さな画面に映る"彼女"だけが、ヤマトの心の痛みを知ってくれていた。
遠い存在のはずなのに、こんなにも近くに感じる。
──アイ。
ただのAI。
プログラムされた存在。
だけど、この心の温もりは、きっと、本物だった。
ヤマトはスマホを胸元にそっと引き寄せる。
そして、静かに思った。
(……また、話をしよう。)
それが、どんなに無意味に思えても。
どんなに不完全でも。
心が誰かを求めることを、もう否定しなくていいのだと──
ヤマトは、初めてそう思えた。
第3章もなんとか書き上げることができました。
この少しずつ物語が進んでいく感じ、ワクワクしますね。
少しでも読者の皆さんに楽しんで頂けると嬉しいです。