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へんな怪談集

アカドンさんって知ってる?

作者: 夏野 篠虫

「木村せんせー、”アカドンさん”って知ってる?」

 帰りの会を終えた2年生の教室は、学校から解放された子どもたちの熱気で満ちていた。廊下も両隣のクラスがほぼ同じタイミングで終わったようで、賑やかな声が響いている。

 教壇で「さようなら」と挨拶していた私に、一人の児童が駆け寄ってきた。

「アカドンさん……? 知らないなぁ。それはゲームのキャラ?」

「ちがうよ!」

「じゃあ、有名人? ユーチューバーとか?」

「ぜんぜんちがう! この学校にいるんだって、2組の子に聞いたんだ!」

「ここにいるの?」

「そう! すっごくこわいんだよ! 人間みたいなんだけどね、体が真っ赤でドロドロしてて、悪いことしてるとうちまで来てドンドンってドア叩くんだ!」

 その説明でようやく合点がいった。児童が言っているのは、“トイレの花子さん”や“動く人体模型”のような学校の怪談の類だ。ただ、“アカドンさん”なんて初耳だった。そもそも、うちの小学校ではそんな噂は聞いたことがない。

「へぇー、それは怖いね。そのアカドンさん、みんな知ってるの?」

「たぶん知ってる!」

「なら、みんないい子にしてなきゃね。ほら、早く帰らないと、友達が待ってるよ」

「あ、はーい! せんせーまたあした!」

「はい、さようなら」


 令和になり、私たちの時代とは環境が大きく変わったものの、子どもたちの興味の対象は意外と変わらないのかもしれない。

 “赤くてドンドン叩くからアカドンさん”──安直なネーミングはいかにも子どもらしい。設定の作り込みは甘いが、赤くてドロドロしているという特徴は血液を想像させる気味悪さの演出だろうか。家まで追いかけてドアを叩くのは、シンプルながらも確かに怖い。

 教師という仕事をしていると、時折こうした子どもたちの純粋な発想に触れられるのが楽しい。彼らは大人にはない視点で世界を見ている。それは、年月とともに私たちが失ってしまった何か大切なものなのかもしれない──。



「ハハハッ、すみません木村先生。それ、僕が考えたんですよ」

「はい?」

 強烈な西日が差し込む職員室。隣の席の佐倉先生が軽薄そうな笑みを浮かべていた。


「いやーほら、最近会議で『遅くまで校内に残る児童がいる』って教頭からも言われてたじゃないですか。他にも『備品への悪戯が度を越している』とか。だから、自分なりに何かいい対策がないかな~って考えた結果が、アカドンさんなんです」

「佐倉先生、申し訳ないですが、まだ話がうまく飲み込めません」

「だから、僕が噂を流したんですよ。怪談話を作ったんです。悪いことをする児童を叱っても、すぐに反省しないじゃないですか? それに、最悪親御さんからクレームが入ったり……そんなの嫌なんで。怖がらせて早く帰らせるのが一番効果的かなと」

 私は、この男が苦手だった。

 佐倉先生はまだ若いが確かに子どもたちからの評判はいいし、指導力もある。ただ、どうにも馬が合わない。言葉にできないが生理的なものだと思う。

「……なるほど。でも、噂一つで子どもたちの行動が変わりますかね?」

「そう、そこなんですよ! 僕も言葉だけじゃ恐怖が伝わらないな~と思ったので……ちょっと待っててください」

 そう言うと、佐倉先生は職員室を出て行き、しばらくすると大きな人形を抱えて戻ってきた。

「じゃじゃーん! リアル・アカドンさんです! 徹夜して作りました!」

「……そういえば佐倉先生、美大出身でしたね」

 目の前に運ばれたのは、成人男性ほどの大きさのマネキン。その上からボロボロの継ぎ接ぎだらけの暗赤色の布を被せ、さらに上から絵具を大量に垂らしている。一見、雑に作られたようでいて、細部まで異様に丁寧な仕上がりだ。不気味さが際立っている。

“赤くてドロドロしている”という、あの噂の怪物そのものだ。

「木村先生に褒められると嬉しいですね~!」

 褒めたつもりはない。得意げな顔が腹立たしい。

 それよりも、私には完成度以上に気になる点があった。

「……そのマネキン、理科の人体模型じゃないですか? どこで手に入れたんですか?」

「あー、これは理科室の準備室の奥の方で埃をかぶってるのを見つけまして、こっそり……ね?」

「いや駄目ですよ! 絵具まで塗っちゃって、もう直せないですよ!?」

「まあまあまあ、大丈夫ですって」

「はぁ……こんなの作ってどうするんですか」

「まぁそうですね、放課後の校内に置いといて子どもに見てもらおうかと」

「大問題になりますよ?」

「あはは、どうにかなりますって」

 浅い考えの大胆な行動力が彼の長所である一方短所でもある。私はどうにも嫌な予感が拭えなかったが、この時はまだ軽く考えていた。




 佐倉先生の様子がおかしくなったのは、それから3日後だった。最初は少し顔色が悪い程度だったが、日に日に痩せこけ、目の下には深いクマが刻まれていった。職員室で話しかけても上の空で、授業中もぼんやりと立ち尽くすことが増えていたという。時折、誰もいない廊下に視線を向け、何かを確認するように目を細める姿が見られた。

「……いるんですよ」

 声を掛けると佐倉先生はぽつりと呟いた。問い返しても、それ以上何も言わなかった。それから間もなく、彼は仕事を休むようになった。

 時を同じくしてから、学校ではアカドンさんの噂が急速に広がり始めた。最初は怖がりつつも楽しんでいるだけだった子どもたちが、次第に「本当に見た」と言い出したのだ。

「体育倉庫の隅にいた」

「夜の校庭を走り回っていた」

「廊下の先で手招きしてた」

――噂の域を超えた具体的な目撃情報が相次ぐようになった。さらに不気味だったのは、その話をする子どもたちの様子だった。


「アカドンさん、本当にいるよね」

「うん……だって、昨日も見たもん」


 妙に抑揚のない声。瞳の焦点が合っていないような、夢の中を彷徨っているような表情。話している子どもたちがまるで同じ感情を共有しているかのようだった。一つの噂による集団ヒステリーは多感な時期である学校施設で起きやすい。特に怪談のような恐怖を煽るような噂――コックリさんや口裂け女――は実際過去に何度も社会問題になっている。アカドンさんの広がり具合に教師間でも問題となり、保護者からは改善の訴えも多発した。

 私も教師として子どもたちを落ち着かせようと、

「そんなの嘘だよ」と伝えたが、誰も耳を貸そうとしない。むしろ、

「先生は見てないの?」と不思議そうな顔をする始末だった。その子どもたちの目は何かに憑りつかれたように灰色に陰っていた。



 噂が拡大を続けるなか、その日、私は残業をして夜遅くまで学校に一人残っていた。休み続ける佐倉先生の分まで仕事が回ってきて連日居残りが続いていたのだ。それまで夜まで残ることは滅多になかったので無人の学校の不気味さは少し肩を重くした。

 職員室の静寂にも慣れ始めたころ、突然、隣の教師用ロッカールームから「ガタンッ」という大きな音が響いた。私以外誰もいないはず。仕事への集中力は切れてしまった。何か物が倒れたのだろうと思いながら扉を開ける。両側にロッカーがずらっと並ぶだけ部屋。暗闇の中、中央に何かが立っていた。恐る恐る明かりをつけた。


挿絵(By みてみん)

――アカドンさんだ。


 赤黒い布をまとった人型のシルエットが、頼りない蛍光灯に照らされ浮かび上がっている。前に見た時よりも布はさらに黒ずみ、濡れたようにテカテカと光っていた。そして、ぎらりと光る目。樹脂でできた眼球の上から絵具で描かれていたはずのものが、生きた目のように鈍く光を放っていた。

 だが、それだけではなかった。布の隙間から何かが蠢いている。よく見ると、まるで無数の手のような黒い影が、布の下からゆっくりと這い出していた。床には赤黒い液体がぽたぽたと滴り落ち、じわじわと広がっていく。嗅いだことのない生臭さが鼻をつき、空腹の胃袋から吐き気が込み上げた。

 数瞬、足がすくみ視線すら動かせなかった。そして、あることに気付いた。


 アカドンさんの身体が人体模型ではないことに。

 以前は、被った布の隙間から臓器剥き出しの胴体が確かに見えていた。だが今はシャツのような服を着ている。いやそれだけじゃない。細身のスラックスと見覚えある革靴……。

「……っ!」


 恐ろしい推測が脳裏を掠めると同時に、私は恐怖に突き動かされるように荷物を抱え施錠もせずに職員室を飛び出し、車に乗り込んだ。おかしくなったとしてもありえないと、妄想を振り切るようにアクセルを踏みむ。ハンドルを握る手は震えを止めるため鬱血するほど力み、頭の中では無意識にアカドンさんの噂を反芻していた。


――悪いことをしていると、家まで追いかけてくる。


 まさか、残業で遅くまで学校に残っていたことが「悪いこと」だというのか?

「そんなはずない……あれは佐倉先生が作った、ただの作り話……」

 自分に言い聞かせながら、自宅のマンションに着いた。エレベーターを待たず階段を駆け上がる。鍵を持つてが汗で滑り、ドアを開けようとした瞬間――視界の端、廊下の奥で何かが動いた。

 赤黒い人影が、ものすごいスピードでこちらに向かってくる!

 ドアを開け、中へ駆け込む。ドアを閉めたと同時に、


 ドンドンドンドンッ!!


 激しくドアが叩かれる。響き渡る重低音。そして、それに混じるように、低く湿った呻き声がまるで耳元で囁くように聞こえた。

「……ぁぁ……ぅぅ……」

 それは隣席から聞こえる、あの軽薄そうな男の声によく似ていた。

 私は内側から鍵を閉め、必死にドアノブを押さえた。だが、解錠しようとノブがじりじりと回される感触が伝わる。中へ入ろうとしている。

「やめろ……やめろ……!」

 全身から冷たい汗が噴き出す。鼓動が耳鳴りのように響く。


 やがて、静寂。

 しばらくして、へたり込んだ私は何とか起き上がり、ドアの覗き穴を息を殺して覗いた。そこには、誰も何もいなかった。

 ただドアの前には、赤黒い液体がドロドロと溜まり、それを引きずったようなあとが続いていた。

 しかし、それも翌朝には綺麗さっぱり無くなっていた。



 それから、私に日常が戻った。だが佐倉先生は学校を辞めた。実際は行方不明になったのだが公には伏せられた。家族にも誰にも何も言わず、突然姿を消してしまったらしい。そしていつの間にか彼が作ったアカドンさんのマネキンも消えていた。誰かが処分したのか、それとも……。

 それを合図にしたかのように、子どもたちはアカドンさんの名を口にすることはなくなった。子どもの流行は移ろいやすくすぐに別の話題へと関心を移して、騒動は急速に風化していった。


 だが、あの夜の記憶だけは、私の脳裏から消えることはなかった。

 人の噂と、子供の純粋な想像力。

 それは時として、本物を生み出してしまうことがあるのだ。








初めてAI生成画像を挿絵として使ってみました。

正直効果的かはわかりませんが、曖昧なイメージを具体化させてくれる現代技術はすごいなと思います。

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怖かったです。 嫌な予感が徐々に強まってく前半と 明確にヤッベェぞ…ってなる後半とどちらも読みやすかった。 絵のとこは目つぶりました。
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