8月6日
結果、いま無事浮上できている気がします。
前回の独り言の次の日。さらに底に沈んだような一日で、ずっと頭に膜が張ったぼんやりした状態で過ごしていました。
いつもならとっくに浮上できているころなのに、なかなか浮上できる兆しが感じられず。その焦りも良くないのかもっと底に埋まっていくような感覚でした。
こういう時はとにかく顔が動きづらいと感じます。ニコリと口角を上げるのにも気合が必要です。
気を抜いたら膝から力が抜けて倒れこみそうでした。
仕事から帰宅して、フローリングの上に倒れこんでしばらく動けず固まっていました。全身がとにかく億劫で、指の一本も動かしたくありませんでした。
どれくらいその状態でいたのかわかりませんが、しんどい思いをしながら体を起こした記憶があります。
とぼとぼ家のことをして、いざ寝ようとベッドに入りました。しかし、頭の中に張られた膜が気になって眠気が来ません。暇つぶしにスマホをしていても集中できず、ついに閉じてしいました。
じわじわと競り上がってくるのは苦しさや悲しさ、寂しさでした。苦しくて溜まらないと誰かに助けを呼びたい気持ちでいっぱいになりました。
だんだん呼吸が浅くなってきて、ついに息をするのが苦しいほどの嗚咽が始まりました。涙が溢れてはとまり、しばらくするとまた溢れてくるような波の繰り返しです。
大声で叫びださないように必死に抑えていた気がします。
しばらく経って波が収まり、少し落ち着いたものの全く眠気が来ず、遅くまで起きていたようです。
次の日は、それほど変わらず沈んだ一日だったのではないでしょうか。なんとか浮上したいと考えていました。
また次の日、外出先で熱中症になりそうだったので木陰のベンチで休憩していました。座っているのが疲れてきたので、途中で横になりました。
見上げる視界には木漏れ日の指す緑でいっぱいでした。なんだか久しぶりにこんな景色を見た気がして、ずっとぼんやり見ていました。風が吹いて、周りの動いている人の音が聞こえて、なんだかようやく遠くまで来れたような気がしました。
それから徐々に浮上しはじめてきて、今日はしっかり浮上できたなと感じることができました。
ネットで見た話ですが、「自分に支配されすぎる」と良くないようです。ずっと自分の頭の中がうるさくて周りが見えないし聞こえません。
昨日から少しそれを意識しています。
極力、移動しているとき、電車に乗ったりトイレに行ったりあらゆる場面で頭の中をうるさくしない。
これが意外と難しく、気を抜くとあれこれ考え始めてしまいます。なので、外の景色や音に意識を散らすような感じで、頭の中に集中しないような方法を試しています。
これが底に嵌らない方法のひとつであれば幸いです。
ひとまず底にタッチして上がって来れた自分を最大限褒めたいと思います。
よく頑張りました。
おやすみなさい。