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無理を言った自覚はある。だからこそ受け入れてくれるのならば、どんな生活でもいいと思っていたし実際にそう手紙にも書いた。
だからヴィクトアの方も気を使ってくれたのだと思う。
手紙の返信はすぐに返ってきて、フェルステル公爵邸にいる。
屋敷についてからは、使用人を紹介してもらって荷ほどきをして、屋敷の案内を受けた。
嫁入りに来たというのに私の荷物は極端に少なくて、そのことについて私についてくれた侍女であるゼルマとティアナは気にしている様子だったが、指摘はされなかったので気にしない事にした。
こうして無理言って急におしかけて結婚してもらったことについても、とても恥ずかしい事だし、持ち物が少ないのだって貴族としては喜ばれたことではないだろう。
……わかっていて実家を飛び出してきたつもりだったけれど、いざこうして着てみると実家よりもずっと緊張する……。
一挙手一投足まで誰かに見られているような気がして、出迎えてくれたヴィクトアとも上手く話ができなかった。
体がカチコチに固まってしまっていて、部屋に入ってソファーに座ってからは、だらだらと冷や汗をかいたまま固まった。
変に贅沢をしていた実家の様子も妙な緊張感があったが、こちらのお屋敷はとても厳粛な雰囲気をしていて、さすが古くからあるエルフの血が濃い一族だという印象だ。
歴史を感じる屋敷の作りなのに、センスの良い家具や壁紙を使っているおかげで時代遅れには感じない。
こういう家が本当に高貴な身分の方が住まう場所なのだろうと思う。
そんな場所に嫁に来たのだと改めて認識してしまって、場違いな気すらしてくる。一応は聖女である私だが、なんせ頭がいいわけでも人望があるわけでもない。
果たして、義両親に受け入れてもらえるだろうか。
考え出すと止まらずに、焦りすぎてくらくらしてきた。前回、魔力を使ってからそれほど期間があいていないので魔力が少ない。
魔力が少ないと体調がよくない。
「フェリシア様、こちらは一度お預かりしてクリーニングいたしますが、他は収納しておきますから、明日からご着用いただけます」
「ええ、ありがとう」
「フェリシア様! 一応以上で荷ほどきが終わったのですけど、生活に必要なものがあれば随時仰ってくださいね!」
ゼルマは上品に、ティアナは元気に言ってそういって、彼女たちの丁寧な仕事にお礼を言ってから、必要なものと言われて、ティアナに目線を向けた。
「あの……魔力草ってある?」
実家にも王宮にも用意があったのできっとあるだろうとは思っていたのだが、新しい屋敷のルールにはできる限り従いたいので控えめに聞いた。
するとティアナは元気に「もちろんです!」と答えた。
それにほっとしたのもつかの間、彼女は続けていった。
「焚きますか、それともハーブ湯に?」
当たり前のように聞かれて、私は目をぱちぱちとさせて、無言になった。
……焚く? 魔力草を??
魔力草をそんな風にしたら煙がもくもく出てしまわないだろうか?
もしかすると私の知らない“当たり前”が彼女の中にはあって、何か食い違っているのかもしれないが、彼女たちが当たり前の思っていそうなことをわざわざ聞くというのも憚られて「いえ、そ、そのままください」と口にした。
これで、何故そんなことを?と聞かれたら、すんなりと情報交換できたのだが、ティアナは何も指摘せずに了承した。
それから洗濯に出す用のドレスを持っているゼルマとともに部屋を出ていく。
初対面である彼女たちが居なくなったことと、それから魔力草が手に入りそうなことに少し安堵してソファーの背もたれに深く沈み込んだ。
ほっと息をついてそれから、今日の食事時にでも義両親に急に転がり込んだ非礼を詫びて、再度、ヴィクトアにお礼を言わなければならないだろうと思う。
それから手紙で打ち明けるはずだったことを手遅れかもしれないけれど彼に伝えて、両親の件についても一言言っておいた方がいいだろう。
急いで住まいを移してから、あと出しになってしまったのは申し訳ないが黙っていることもできないはずだし……それに。
考えて、自分に与えられた部屋を見回した。
清潔なベットに、広々とした間取り、綺麗に整えられているこの部屋の居心地はいい。
居場所があるということは割と大切なことでそれを与えてくれたというだけでも非常に助かる。
だからこそ助けてくれた彼に私は真摯でいなければならないだろう。まだまだどんな人なのかわからないところが多いが、何とかやっていくしかない。
……うん、それがいい。
納得してこくりと頷いていると、ノックの音がして、それから扉が開いた。
そこには紙にくるまれた魔力草を手にしているヴィクトアの姿があった。
「……ヴィクトア様」
驚いて、また緊張から硬直しつつもその手元にある花を見つめる。
可愛い黄色いお花が咲いていて、そういえば確かにこの草には花が咲く時期だ。
確か正式名称はセントジョーンズワートなんて言っただろうか。これを摂取すると魔力が回復しやすく、さらには活力も溢れるなんてスグレモノだから通称として魔力草と呼ばれているのだ。
「フェリシアが欲しがってるって事だったからな。持ってきた。入っていいか?」
「ええ……どうぞ」
そう言うと彼は人好きのするような笑みを浮かべて、私のそばまでくる。それから丁寧に花を手渡してくれた。
自分の予定では夕食時に色々と話をしようと思っていたし、彼は忙しい人のはずで出迎えてくれはしたものの、こんな些末な用事で登場する人ではないと思っていた。
まだ話をする心の準備はできていないし、私の話すべきことを一旦置いておいて、何を話せば当たり障りがないのかわからない。
「なんか硬いな。緊張してんのか?」
「あ、はい」
「それにヴィクトア様なんて呼ばないでくれよ。ヴィクトアでいいし、気軽に接してほしい」
「……」
言いつつも彼はローテーブルをはさんで向かいのソファーに座って、こちらに視線を送った。綺麗な緑の瞳は神秘的で、見つめられると心拍数が上がってまた眩暈がした。
それに彼がそんな風に言って距離を縮めてくれようとしているのに、無言で返すのは流石に無礼だと思う。
けれども、まだ私は何も自分の情報を開示していないし、彼の気遣いをありがたく受け取っていいだろうか。
「……フェリシア?」
「ごめんさない。最近魔力不足でぼんやりしていて」
「なんだそうだったのか、あまり無理はしない方がいいぞ。魔力を慢性的に使いすぎると魔力の回復が遅くなる可能性もあるしな」
「……そうね」
「フェリシアは聖女なんだから、ことさら体を大切にな」
「ええ、ありがとう」
優しく言われて、嬉しく思ったがすでに手遅れだ。
しかし、聖女のことを話すいい機会かもしれない、そう考えて、手元にある魔力草を一つつまんでプチンと切って口に運んだ。