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屋敷に帰るとフェリシアはすでに夕食を終えて、温室にいるらしい。
彼女が俺に秘密を明かしてくれてからはもうしばらく経つがベルナー伯爵夫妻の件にきちんと方がつくまでは、女神としての仕事はとらないようにしていて、現在は頻度と人選を教会と交渉中だ。
しかし、プライベートで使いたいからと小さな小屋のような温室を立ててほしいとお願いされて、俺は工場みたいな巨大なものを建てようかと提案したが、人を呼びたいなら、と言われて合点がいった。
つまりは、俺と彼女の為だけだから小さな温室がいいと言ったのだろうと考えて、速攻で建てた。
あまりに早く出来たのでフェリシアは随分驚いていたが、彼女が喜ぶ顔を見られたので満足だった。
それから、たまに温室にいるという話は聞いていたが、呼ばれたことはない。
けれども、今日は雨も降っているから疲れているだろうということでお呼びがかかった。
今日でベルナー伯爵家の事が片付いたから記念になのか、単に彼女の配慮なのかはわからなかったが、俺は急いで温室へと向かい、少しドキドキとしながら、ランプの光だけで優しく光る温室の中へと入っていった。
中には何も植えられていない鉢植えがたくさん置かれていて、中心には木製の大きなベンチに休めるようにクッションが置いてある。
花がない温室というのは非常に殺風景で寂しいものだがフェリシアがただ一人そこにいるだけで俺にとっては随分華やいで見える。
「フェリシア。遅くなってわりぃ、途中で抜けてこようかとも思ったんだがこれで最後だから」
……だからこそ、俺自身もケリをつけるために閉会まで見届けてきた。
彼女が一人で彼らを説得に言ったあの日、明らかに乱暴をされた様子で、アンジェラから事態を聞いて猛烈に腹が立ったが、それでもそこまでの事態が起こったからこそフェリシアが自分を頼ってくれて、こうして、気がついてくれたという事もあるので、日々何が正解なのか思い悩んでいる。
「……うん。沢山時間を掛けてくれてありがとう、ヴィクトア。私もあの人たちの事はきちんと気持ちの整理がついたよ」
俺よりもよっぽど思う所があるだろうフェリシアだったが、あれ以来は取り乱す様子もない。
ただいつものように朗らかな笑みを浮かべてベンチに腰かけているだけだった。
すぐそばまで行くと「ここに、座ってね」と彼女は丁寧に言う。
ここというのは、つまり彼女のすぐ隣、完全に夫婦の距離感だ。間違っていないし、そうしようとも思っていたがそう言われると少し気恥ずかしくて、笑ってごまかした。
セットになっているローテーブルにはすでに温かい紅茶が用意してあり、手に取って口にする。
「自分一人だけで頼れる人がいなかったら、今もこんな風にあの人たちと縁を切ることは出来なかったと思う。あなたには助けられてばかりで、正直、気が引けてしまうこともあるけど……」
言い淀んでそれから隣にいるフェリシアは俺を見て、その瞳の中をのぞくように俺も見返した。
彼女は少しもじもじしていて、言葉を探している様子で沈黙が流れる。
温室のガラスを雨粒が打って綺麗な音を鳴らしていた。
雨なんて嫌な思い出しかないが、この子といるとなんだかそれすら特別な音な気がしてきてしまうのは、この子との出会いが雨だったからだろうか。
「……でも、私は私にできる事を、あなたに返すね。ずっとそばにいたいと思うから対等になりたいの」
そういって、長い前髪を横によけて普段、伏せったり微笑んだりして見えないその瞳の奥を俺に見せた。
普段のあれは意図的にやっていたのだとわかるぐらい、まん丸な目をしていて、瞳も髪とおそろいの青い色をしていた。
しかしなによりその右側の彼女の眼の中には瞳孔の上にかぶるように花の紋様が光で刻まれていて思わずごくっと息をのんだ。
結婚してからそれなりに一緒に過ごしてきたというのに、常にそこにあった物にまったく気がついていなかった。
「これからは隠す必要もないし、ヴィクトアにはすべてを言っておくと決めたから……これからあなたの治療をしたいと思うんだけど……」
続けて彼女はそう言ったが俺はどうにもその話題についていけず、思わず頬に触れて、その顔を、瞳を間近で見つめた。
「……不気味?」
心配そうに眉を寄せて言う彼女の瞳は、俺を下から上に見上げていてその眼球が動くごとに花の女神の聖痕も当たり前のように動いて、彼女にきっちりと刻まれているのだとよくわかる。
「いや……不気味じゃねぇよ。ただ……」
手に取ってもっとじっくりと見たいぐらいには美しい。けれどもそんなことを言ったら怖がらせるだろうし、それに、驚いているのはその聖痕のすばらしさだけではない。
「やっと、あんたの本当の顔が見られた気がして……いや、今までのかウソだとかそういう話じゃなくてな」
なにが言いたいのか自分でもわからなくて、言葉を探しつつもフェリシアを見つめ続ける。
フェリシア自身は少し恥ずかしそうだったけれど、お構いなしだった。
つかみどころがないと思っていたフェリシア自身がそこにいるような気がして、隠し事があってどこか不安定な彼女ではなく、俺が欲しかった彼女の信頼の証がここにあるようだった。
「……あんたは、こんな顔をしてたんだな。芯が強そうな良い目だ」
「ありがとう」
「可愛い」
結局頭の中で色々考えたけれど、頭の悪そうな一言に集結してしみじみしながらそういった。
パチパチと瞬きするたびに消えたり見えたりする聖痕が不思議でしばらくそうしていると、ふと目が合ったまま、柔らかい感触が唇に触れて、間近で光る瞳を見た。
ゆっくりと離れていって、笑みを浮かべるフェリシアはお茶目で、この先俺の心臓が持つか疑問に思った。