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ホールを一人で飛び出してカツカツと勢いよく歩いた。王宮内の人気が無い方を目指してどんどんと進んでいく。
なんでだかまったくわからないが涙が出てきて、どうしてこうなってしまったのだろうと思う、それと同時に、なんだか胸が軽くなったような気もした。
人もまばらになっていき、適当に庭園を眺められるテラスへと出る。
外の夜の空気は澄んでいて少し肌寒いのが火照った体に丁度良かった。
「……はぁ、っ……ぅう」
婚約を破棄するにしても、こんな彼の成人目前じゃなくてもよかったはずだとか、これからどうしようという不安な気持ちが途端に押し寄せてきて、緊張から手が震えていた。
今まで彼に対してイラついたり怒っていたような気持もあったのだが、ああしてはっきりと言ってスカッとできたという気持ちもない。
いろいろな気持ちが織り交ぜられていて苦しいぐらいだがそれでも、不思議と後悔はしていない。
今までずっと彼の手を離さなかったのは小さな頃からああして面倒を見てきたからであると思うし、だからこそ、ヴィクトアの言った言葉を訂正してもらおうなんて考えになって、私自身もおかしくなっていたのだと思う。
「……フェリシア」
ふと、静かな声が私を呼んで、ハッとする。一瞬、カイが追いかけて来たのかと思った。
それでもその声は聞き慣れた、親しみ深い声ではなく、暴君シッターだと私をなじったヴィクトアの声だ。
もしかすると、彼はこうして私がカイと決裂するのを望んでいてああいったことを言ったのではないかと考える。
「っ、はぁ……何か御用ですか、フェルステル公爵閣下」
息を押し付けて、廊下からこちらを見ている彼を振り向く。
……目的は……何だろう。聖女の婚約者をカイから奪って、少しでも王族の力をそぎたかった? それとも王族の醜聞を貴族たちに見せつけることが目的?
彼のような力のある貴族が動くのは何かしらの利益が見込めることである場合が多い、だから先程の事が彼の望んだ結末であったなら、それをもとに彼が何を狙っているのかわかる。
しかし、こうして傷ついたカイの懐にもぐりこむのではなく、私の方へと来るヴィクトアの狙いは見当もつかない。だからこそ警戒した。
「……用事というか、ただ……俺はな……」
「急な御用でなければ、後日にしてください。……今は少し気分がすぐれないので……一応、お礼だけは言わせていただきます。何を望んでいるのだとしても気がつかせてくれてありがとうございました」
「……お礼って……」
私の言葉にヴィクトアは、なんだかバツが悪そうに首筋に手をやって視線を外して摩った後に、そのまま困った顔のまま歩み寄ってきて、胸元からハンカチを取り出して私に差し出した。
「そんなもの言われる筋合いねぇだろ、それにあんな風に騒動を起こすつもりじゃなかったんだ、フェリシア」
……?
お礼を言ってハンカチを受け取って涙をぬぐう。彼が何を言いたいのか、いまいちよくわからなかったけれども、すぐに私に何かを要求してくるわけではなさそうだった。
「ただ、あんたがその……あまり幸せになれそうになかったんで、色々思う所があってだな」
「……そうですか、お気遣いありがとうございます」
「いや、ただの善意ってわけでもねぇんだけど……」
煮え切らない態度の彼に首を傾げつつも、私は彼の耳についている小さな銀のピアスが廊下の光に反射しているのを綺麗だなと思って見ていた。
「昔から不憫だなと思ってたら、幸せになって欲しいなんていつの間にか思っててというか」
言い訳のようにそんな風に言う彼は、少し頬が赤かった。
「あ、男と別れたばかりの子に言う事じゃねぇよな。それはわかってんだけど……」
私の隣まで来てヴィクトアはそのまま柵に体を預けた。それからここまで言ってしまったからにはと、思い切ったように私を見下ろして難しい顔のまま続けた。
「俺なら少なくとも、対等に夫婦関係を結ぶし、フェリシアを好いているから、負担をかけたりしない。婚約を破棄するなら、俺との結婚を視野に入れてくれないか」
……あ、告白……だったんだ。
私は今更ながらに気がついて、ぱちぱちと瞳を瞬いた。
彼が何を要求してくるのかと警戒していたが、そういった不安は消えてなくなって、彼の行動の意味がやっと理解できた。
であれば今、私を追ってきたのは、他の誰にも先を越されたくないからと取れる。
それに、目の前にいる彼は恥ずかしそうで、でも、どこか嬉しそうでなんだか楽しそうだった。
自分が盲目にカイを愛してすり減っている間に、こんなに純粋に思ってくれている人がいるだなんてすごく不思議だ。
でも、一方的な愛情ではなく、こんな風に言ってくれる人と愛し合えたらどれほどいいだろうかと思う。
そういう風に関係を結べたらとても素敵だと思えたら、今までの鬱屈した感情は、清流に流されるようにさらりと消えていって気持ちも落ち着いて、少し笑みを浮かべられた。
「そうね……ありがとう。視野にいれておきます」
「是非、前向きに検討してくれると嬉しい」
「はい」
丁寧に答えると、ヴィクトアもとても嬉しそうに笑みを浮かべた。
婚約破棄を宣言して、その日のうちに次を見つけるなんて、とんだ薄情者かもしれないが、それでも心は穏やかだった。
それは縁を切った人の代わりにまた新しくかかわれる人が現れたからかだ。
だからきっと私がいなくなったカイにも、良い方へと導いてくれる人が現れてくれたらと願ってやまない。
そして今日限りで、私の暴君シッターという通り名は意図しない形で社交界から消えたのだった。