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母を亡くした次の年の雨季の事だった。酷い頭痛に悩まされながらも王宮でのパーティーに参加していた。
誰が主催のどんな趣旨のものだったかは覚えていないが、フェリシアの事だけはよく覚えていた。
彼女は王太子の婚約者という立場でありながら、非常に主張のない子供だった。
どんな嫌味を言われても、笑顔で受け流し、カイ王太子殿下のわがままを常に聞いてやって彼を立てて、ニコニコしている地味な子供。
聖女ではあるが伯爵家の出身であまり魔力量も多くない。
本来ならば、よっぽど器量が良くなければ王室に迎え入れられることなどないはずの彼女は、国王陛下が病床に臥せっているゆえに、その治療係りとして将来の王妃の座に就いた。
多くの高貴な令嬢が狙っていた王妃の座を特別な力があるというだけでかっさらっていったフェリシアは、同じ令嬢たちに好意的に思われていない。
むしろその逆で、その日は彼女があまりに大人に頼らないのをいいことに、雨の中庭に置き去りにした。
ガーデンパーティーの最中に雨が降り出し、パーティー会場を王宮に設置されていた温室へと移し、少年少女たちは、暗い空にしとしと降る雨の中でのきらびやかなパーティーを楽しんでいた。
何かあった時の為の大人の使用人もいたが、フェリシアを守ろうとする人間は誰一人おらず、彼女は締め出されて温室の外でぼんやりと空を見ていた。
雨粒がフェリシアの頬を伝って落ちて、ドレスを濡らし彼女の青い髪を項に張り付かせる。
気温はそれほど低くはないので、すぐに風邪をひくというほどでもないが、それでも、将来の王妃という座が約束されている彼女をこのまま放置しておくのは、いくら子供のやった事とは言え体裁が悪い。
この集まりに参加している全員がそういう事をする、賢くない子供だと大人に烙印を押されるのも癇に障るので、助けてやろうとと打算たっぷりに俺は彼女を見ていた。
話しかけてきた令嬢を軽くあしらって、温室のガラス越しにフェリシアを見ると、いつの間にか彼女の周りには、花が咲いていて淡く光を帯びていた。
…………?
突然の出来事に数分前の記憶を疑って何度か目をこすってみたが、そこにはやはり青い花が咲いていて、ぼんやり光っているように見えた。
周りの反応はどうかと伺ってみるが、誰一人、騒ぎ立てもしないフェリシアに興味を失って誰もフェリシアを見ていない。
俺にだけ見えている幻覚かと思うぐらいには妙な光景で、その雨の中でフェリシアは一人笑っているような気がした。
それを見てなんだか堪らない気持ちになって、急いで外に飛び出した。
傘をさして、タオルを使用人からもらって彼女の元へと駆け寄った。
「ベルナー伯爵令嬢っ」
声をかけるとふとこちらに向いて、いつものごとくぼんやりとしているその顔を俺に向けてふんわり微笑んだ。
「……?」
すぐそばまで来てから、あの変な花を摘み取って見ようかと考えて地面を見た。
しかし、いつの間にか花はなくなっていて、ただ彼女がそこにいるだけだった。
「……それ以上そこにいては、風邪を引いてしまう。使用人も声をかければきちんと対応してくれるだろ、中に入ろう」
やっぱり幻覚だったのかもしれないと思いながらも、諭すようにそういうとフェリシアは少し考えてから、フルフルと首を横に振って「気にしないで」と軽やかな声で言った。
「気にしないでいられるわけねぇだろ。あの令嬢たちは今回は流石にやりすぎだ」
強がる彼女に頭の痛みと面倒くささで強くそう言った。
しかし、フェリシアは俺のその言葉を聞いて、背後にある温室にいる彼女たちを見てからやっぱり「大丈夫」と口にする。
それから、やっと俺と目を合わせた。
「私に優しくすると、あなたまで何か言われるかもしれないし、気にしないで。……それに、私、雨好きなの」
「そんなわけないだろ。植物じゃあるまいし」
「……どうだろう。私、本当は花なのかもしれないから」
「は?」
「雨も浴びてみると気持ちいいし、植物なのかもしれない……だから、大丈夫、心配してくれてありがとう、ヴィクトア様。見えるところにずっといたのが悪かったね……じゃあこれで」
雨の中、丁寧にそう言って彼女は小さくお辞儀をしてサクサクと芝生を歩いて去っていく。
王宮の方へと戻るのだろう。
小さくなっていく背中を見て、俺はただ、何もできずに呆然としてしまって、まったくよく判らない彼女の事を考えた。
別に心配したわけではなく、打算があって助けてやろうとしただけだし、自分が植物かもしれないという意味もまったく分からないし、心配させないための冗談だとしても面白くない。
しかし、それなのにフェリシアと来たら、いっちょ前に俺の立場の心配をして、一人で勝手に去っていった。
俺自身の心配をされたことに、多少なりともプライドが傷ついたような気がしたし、柔らかく笑っていた彼女にいいからついてこいと言いたくなった。
だって一人で去っていくその背中はあまりにも、寂しく見えるし、たしかに彼女の言う通り、美しく咲いては、あっけなく散る花のように儚く見えた。
けれども人間が植物のように無力で、何も望まずどこまでも環境に翻弄されるはずがない。
きっとどこかでフェリシアだって、自分の幸せの為に今の不幸から抜け出すために動き出すはずだ。
そう思いながら気がつけば彼女の事を社交界で見つけるために目で追っていて、常に彼女の情報を気にしていた。
しかし、どんなに成長してもやはりあの時と同じ無力なお花のまま、ただ受け入れるばかりのフェリシアに腹が立ってイラついてしまっていた。
いつはらりと花弁を落として散り行くのかと、弱っていくフェリシアを見ながら苦しくなってきて、ついには手を出した。
あの日に追えなかった背中を追って、あんたは人間だろと言えなかった言葉を今更言うような気持で、きちんと良い方向に望んで生きることを選んでほしくてフェリシアの手を取った。




