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その日の夜、王宮の自室に戻ったが、すぐにどうにも落ち着かなくなってカイの部屋を訪れた。
舞踏会の時に言われた言葉がずっと引っかかっていて、そんなはずないという気持ちの方が間違いではないという事を確認したくて、ふてくされてしまったカイのそばに寄った。
「カイ、公爵閣下には明日にでも謝罪の手紙を書こうね」
優しくそんな風に声をかけながら、昼と同じようにソファーに寝っ転がって本を読む彼に、目線を合わせるようにドレスを整えながらも膝をついた。
しかしカイはまったく私の言葉に耳を貸さずに、無言のまま戦記物語を読みふけっている。
「大丈夫、今日は途中で放棄する形になってしまったけれどカイはまだ成人もしていない王族だもの皆も許してくれる」
「……」
「だから、次からうまくやればいいよ。きっとできる、私……」
励ますような言葉を続ける。しかし、シッターのようだと言われた言葉がちらついて自分の口調も言葉も、子供の機嫌をとるようなものではないかと疑問に思った。
「私、あなたを信じてるから、次の舞踏会には完璧に挨拶をこなして、皆をあっと驚かせましょう?」
「……」
……あれ……ああ、完全に怒っているというか……。
何かに気がついてしまいそうだった。しかし、私はそれを無視して言葉を続けようとした。
けれどもおもむろに起き上がったカイは、完全に無視するように私に視線も向けずに分厚い小説を投げつけた。
「っ」
バシッと顔に直撃して驚いて硬直するが、それも無視して彼は大股でずんずん歩いてベッドに向かっていく。
…………。
布団に入って今度はふて寝を始めるカイを呆然と見つめて、鼻がじんじん痛んで妙に腑に落ちてしまうような感覚を覚えた。
しかし、それを認めるのはあまりにも難しくて、うまく処理できずに私は戦記物語を抱えたまま首をかしげて、それからずっと頭がぼんやりしたまま過ごしたのだった。
しばらくカイに接触しないまま、ぼんやりしながら次の舞踏会までの日々を過ごした。
なにも手につかなくて、あの日に言われたことが頭の中をぐるぐると回っていた。
いつの間にか舞踏会の日がやってきて、自分の準備をせっせと終えて彼の側近からの救援要請にも対応せずに一人で会場に向かった。
舞踏会はいつもよりも数時間遅れての開催となり、待たされた貴族たちの雰囲気は最悪だった。
その会場の中で、私はカイの事をフォローするために立ち回るのではなく彼を探した。
彼とはヴィクトアの事だ。
彼は若い貴族の中では一番権力をもっている。きっと彼が私の事をあんな風に言っているから、周りの貴族たちも同調して暴君シッターなどという不名誉な通り名を言っているに違いない。
だから彼に訂正してもらえば、そんな話はなくなる。そう考えていた。
目立つ赤髪をしているので、彼は多くの貴族の中からすぐに見つかった。
声をかけようと近寄るが、彼の周りには付き従うように二人の男性がいて普段なら身内で楽しく話をしているところに割って入ったりしない。
そういう事をするのはあまり得意ではないけれど、そんなことは言っていられなかった。
「……あのっフェルステル公爵閣下!」
気がついてもらえるように彼を呼ぶ。私は彼と親しくはないのでファーストネームで呼ぶようなことはできない。
彼は私の声にすぐ反射するように振り向いた。その鋭い瞳が私をとらえて周りの貴族たちも珍しく他人に声をかけた私の動きに歓談しながらも注意を払っている様子だった。
「フェリシア!!」
しかし、私の意思とは裏腹に真後ろからカイの声がして、気がつくときつく二の腕を掴まれていて、耳元に向かって彼が叫んだ。
「なんで俺様に声をかけないんだよ!!」
どうやら貴族たちが注目していたのは私の動きではなく、カイの動きだったようだと気がつく。
それと同時に耳がキンとして痛みが走る。酷い耳鳴りがして振り向くと彼はまた癇癪を起こしているのだとわかる子供っぽい目をしていた。
始めに私を無視して接触を絶っていたのはカイなのに今日この場で自分に声をかけに来なかったことを酷く怒っている様子だった。
「フェリシアは俺の婚約者だろっ!!」
続けて耳元で叫ばれてからだが硬直する。
私の方が年上とはいえ、一つしか違わない。そんな相手にこんなことをされては恐怖を感じるということは、今の頭に血がのぼっているカイではわからないのだろう。
「俺が無視してたら何が悪かったが考えて、ちゃんと反省して機嫌をとってくれないと駄目なんだぞ!」
そのまま肩を掴まれてがくがくと揺らされた目が回って、目を血走らせて愛情の上に胡坐をかき、私という人間を保護者か何かだと勘違いしている男が必死に自分の主張をしていた。
……ああ、なんだ。
ふと頭の中には冷静な自分がいた。
冷却期間を置いていつもの通りに、冷静になって両親に言われた通りにちゃんと彼の婚約者を成し遂げられるつもりでいたのに、その気持ちはあっけなく崩壊した。
すでにヴィクトアの言葉によってずっと前からヒビは入っていたのだと思う。
でもそのヒビを埋めるために今日、ヴィクトアにあの言葉を訂正してもらえば、まだ何とかやっていけるはずだった。
しかし音を立ててガラガラと気持ちは崩れてなくなってしまう。残ったのは妙な喪失感で愛情が失われる瞬間は一瞬なのだと悲しくなった。
「それをなんだ、俺が冷たくしたらすぐに他の男に……声をかけたりして……」
カイは段々と勢いを失わせていって、どうしたらいいのかわからなくなってしまったまま、私はそれを疑問に思って彼の視線の先を見た。
そこにいるのは意外なことに……というか、先ほどまで声をかけようとしていたから当然なのだが、ヴィクトアがいて彼は冷静な顔をしていたけれども、その瞳には軽蔑の色が浮かんでいた。
「……女性にそんな風に手をあげるもんじゃねぇだろ」
つぶやくように言って私の手を引いた。
そのまま一歩踏み出してカイから離れると、カイはなんだか今までよりもずっと小さく感じた。
「ま、他人の婚約関係に口だすほど野暮じゃなねぇし……婚約者を子ども扱いして甘やかすだけのあんたもあんただと思うしな」
「……」
呟くような声で言われて、やはりヴィクトアの批判はカイにだけではなく私自身にも向いているのだとわかる。
「何を俺様のフェリシアに言ってんだ! 行くぞ! こんなバカバカしい集まりもう二度と参加するもんか!」
ヴィクトアの声はカイには聞こえてはいなかったものの、何かつぶやいた事だけはわかった様子で、勢いを失っていたカイは、また怒りだし乱暴に私の手を取ろうとする。
彼らのどちらの言葉にも反応を返せないでいる私に、ヴィクトアは更に続けて言った。
「ただ、そのままでいいのか?」
その小さな問いかけは、ヴィクトアはそのままではよくないと思っているという彼なりの言葉だと理解できた。
それは悪意からくる言葉ではないと、直感的に理解できる言葉だった。
カイに手を掴まれて数歩進む。
こんな集まりとカイは言ったが、社交の場を儲けて情報交換をすることだって、こうして豪華絢爛な舞踏会を開くことによって権力を示すことだって立派な仕事だ。
そうして何回も言い聞かせてきたし、理解して進まなければ、カイに未来はない、彼は国王になるのだ。
カイに失望してカイの治世など認めないという人間が多数になった時、今の王族は終わりを迎える。
それは私も彼も望む未来ではない。
そして私がカイのそばにいることでそれを助長しているだけなのだとしたら……。
「……待って」
手を振り払ってその場に踏みとどまった。
今まで彼を傷つけないように、彼がどうにか機嫌よく公務を勧められるように努力を続けてきた。
お互いに良い方向に向かうために。
しかし私ではいっこうにそうできる気配もないし、傍から見てこのままではよくないと思われるまで来てしまった。
「私、もうこれ以上、あなたのわがままや横暴に付き合ってあげることは出来ない」
「何言ってるフェリシア! お前は俺のでずっと俺のそばにっ━━━━」
パンッと歯切れのよい音が響いた。周りからいつの間にか朗らかなワルツの音も貴族たちの歓談も消えていてしんと静まり返っていた。
「この婚約! 一度、白紙に戻しましょう。……私たち一緒にいても、いいことはない」
カイは初めて受けた頬の痛みに驚いたまま固まっていて、今まで散々私に乱暴をしていたのに、自分は頬を打たれただけで子供のように涙を瞳に浮かべて傷ついたように私を見た。
「フェ、フェリシア……?」
「……」
「嘘だろ。だって、お前は特別な、聖女で、王族に必要な……」
「私の義務はすでに果たしきっている、だから、あなたの為にも私の為にも選択をさせてもらいます」
婚約破棄、それは私の中に常にあった選択肢だ。私は治療が必要な人の為に、婚約して準王族という形で国王陛下に聖女の力を使っていた。
だからこそその義務が終わっている今は、私は自分の選択で彼の元を去ることが出来る。
そのことだってきちんと伝えていたはずだ。それをまったく取り合わずに、ありえない事だと思い込んでいたのはカイだけだ。
「……」
私の言葉に言い返すことができなかったらしい彼は黙り込んで、自分が被害者かのように俯いて静かに涙をこぼした。
これが嘘でないことはわかる。けれどももう、手遅れだ。
カイは私を信じて無償の愛情の上で暴れまわりすぎたし、私は誰かを育て導くということが向いていなかった。
「……さよなら。手続きは私が勧めるから」
それだけ言い終えて、私はカイを置いて身を翻した。
こうして置いていっても、カイが追いかけてきて何かを提案したり自分から更生すると言い出したりはできない人間だと私は知っている。
ただいつも愛情を口を開けて待っているだけの幼子にも等しい人なのだ。