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こうして、機嫌よく過ごしていれば彼はただの子供で、性格は悪いがそれほど悪い人間ではない。しかし、私に向けてそんな表情をするカイに少しだけ胸がチクリと痛む。
だってそうだろう。この人はフェリシアの愛した人だ。そして彼女をあんなに苦労させた人。そのことについては許してはいないし酷い人だとも思う。
けれどもそれでもああなっていたのには理由があって、今ではそれは解消されてこうして普通の人並みになんだか幸せそうだ。
フェリシアが自分の隣でそうであってほしいと望んでいたのに、今は私のそばにいて笑っている。これはもしかしてとても彼女にとって屈辱的な事ではないだろうか。
私はフェリシアの事を想ってこうしているが、余計なお世話かもしれない、当てつけだと思われたら、とても悲しい。
「……なんだ?」
険しい顔をしていたからか、カイは怪訝そうな顔をしてそう聞いてきた。カイだってあんなにそばにフェリシアがいてくれたのに、どうして今のようにフェリシアに接してやらなかったのだろう。
「何でもないです」
「なんだよ、言えよ~。気持ち悪いだろ~!!」
「……」
……デリカシーのかけらもない。
駄々っ子のような態度にイラつきつつ、もうこうなったら直球にカイに聞いてみればいいかと観念して口にした。
「貴方、随分人柄もマシになったし、まともになりましたよね」
「うん、そりゃまあ俺様、やればできる男だしな!」
「……じゃあどうして、フェリシアの為にはそうできなかったんですか」
褒められて気分よく言った途端に私にそういわれて、カイは驚いたように瞳をパチパチとした。それから、ううんと首をひねった。
「フェリシアの事、好きではなかったんですか?」
すぐに答えない彼に、私は間髪入れずに聞いた。
しかし、それにカイは機嫌を悪くした様子で拳を振り上げてテーブルを叩こうとした後にぐっと思いとどまって、小さくトンッとテーブルをたたいてから「そんなことないぞ!」ときっぱりと口にした。
「じゃあ、どうして今のカイは私の隣でそんなにまともになったんですか」
「…………」
「私はフェリシアの一番の友人です。彼女のためのを想って貴方を立派な王にすると誓いましたが、それでも、順調に行き過ぎて少し心苦しいです」
まっすぐに思ったことを言えば、カイも言葉を聞いて真剣に悩んでいる様子で、しばらくは真面目に考えていた。
しかし数十秒したところで、自分でもよくわからなかったようでぐしゃぐしゃと頭をひっかきまわして眉間にしわを寄せてこちらを見た。
「……フェリシアの事は好きだ。愛してた。今でも……愛してる。ただ、ただ、なんかこう、なんだこう! 好きなんだ!」
「なんかこうと言われましても……」
「だから、フェリシアは、俺は大好きなんだけど、ゔゔーん? なんか……食べても食べても満たされないごちそう見たいだったんだ」
子供っぽい変なたとえ話をされて、私も首をひねった。するとバレッタが耳の部分を掠って痛みを伴う。
先ほどノアベルトお父さまに抱き着いたときに擦れてしまったのだろう。
片方の物を手に取って見つめる。片方だけではバランスが悪いので両方手に取ってそれを見つめた。
これは耳を怪我した私にフェリシアがくれたものだ。
「フェリシアは食べても食べても減らない美味しいごちそうみたいだったんだ。あればあるだけ欲しくなるけど減らないからずっとフェリシアがずっとほしくて堪らなかった」
「……」
「でも、どこまで行ってもフェリシアが手に入ったとは思えなくて俺だけのものになってほしいのに寂しくて苦しくて、悲しくて大好きだった」
意味が分からない事を言っていると思ったが、ふと彼の言った言葉に妙に既視感があって自分の中にも彼女に対するそんな気持ちが幼いころにあった事を思いだした。
「……愛してるけど、そばにいられないって言ったフェリシアの気持ち、今ならちょっとわかる気がする」
カイはそういって口をへの字に引き結んで眉を悲しそうに困らせた。
いつも無駄に自信満々にきりりとしているのに、彼女の事になるとすぐにこんな風になるのかとなんだか少しうれしく思う。
……たしかにフェリシアは、私だけのものにもなってくれなかったですね。
私は目的があったからそのことを受け入れて、自分の進むべき道を進んだけれど、それがかなったらカイのようにフェリシアの愛情が枯れるまでずっと奪い続けていたかもしれない。
彼女の情はとても甘美な味をしていて、一緒にいて心地がいい、そばで眺めているだけで心が落ち着く、まるで優しい香りがする私の為だけに咲いている花のようだった。
しかし、そんな人間はあまりにも都合がよすぎる。誰にでも与えるという事は誰も選ばないのと同じだ。
横髪が落ちてきてしまったので耳にかけて、次にフェリシアにあったら言うべき助言を考えた。
フェリシアは誰にも頼らないし、一緒にいて心地がいいが、同時に不安になる。どこにもいかないでほしいという幼稚な欲望を煽るような性質を持っている。
それを克服するには、人を選んで愛することだ。
区別をつけて誰かを優先すること、一人を特別に愛するということは、それ以外をその他大勢として区別をつけることに他ならない。
「……お、おお、お前! みみみみ、耳っ、みみ!」
しかしそんなことがあのフェリシアにできるのかと考えたが、言うだけ言ってみてもいいかもしれない。
「なんです、うるさいですね。私今考え事をしてるんですが」
「い、いいや耳!! 痛くねぇの? うわっ」
「うわって何ですか無礼な。痛くもかゆくもないです! ほら」
カイがうるさいので思考を止めて彼を見た。
驚いているのは、私の耳の上半分がそぎ落ちているからだろう。
自分の部屋にいるので油断してバレッタを外してしまったが、そう言えば彼には見せたことがなかった。
自分の手で耳の傷跡に触れて見せるとさらに「うわぁ~、ぞわぞわする!」とカイは言って自分の耳をかくすように覆った。
「なんで貴方がそんな風に言うんですか。まったく子供はうるさいですね」
呆れてそう言うと、カイは恐る恐るテーブルに手をついて、こちらに乗り出してきて、不躾にも唐突に私の耳の傷の淵を撫でるように触れた。
「うわぁ~」
「……誰が触っていいといいましたか?」
突然のことに腹が立ってそう言うと、びくっとカイは震えてそのあとぱっと手を離した。
「……ご、ごめん」
「…………仕方ないですね。今回だけです! それに他言無用です」
睨みつけるとすぐに謝罪をしたので、はぁっとため息一つで許してやることにした。どうせ、彼とは結婚するのだから、今更隠すつもりもない。
いつかはこうして見られていたのだから今だろうと、いつかだろうと同じだ。
しかし、もっと怒られるかと思っていたらしくカイは驚いた様子で、私を見つめて、それからニカッと子供っぽく笑った。
「アンジェラは怒った顔ばっかりだな。それでなんでそんな事になったんだよ」
見られたということは聞かれるだろうと思っていたので、用意していた言葉を適当に言った。
「馬車の事故の後、私は王女アンジェラとして、国民にも貴族にも見つかるわけにはいかなかったんですよ」
「なんでだ?」
「エリカに殺されるかもしれなかったからです。だから、髪は薄汚く汚して色をごまかし、顔は自分で殴って形を変えました」
「……」
「ただ、このエルフの血が強く出ている普通の人よりとがった耳はどうしても隠せない」
言いながらカイを見る。想像すらしていなかった話だったようで驚いていて、なんだかそれが妙に面白かった。
「だから、尖っている部分をそぎ落としたんです。これなら平民のアンだと名乗っても誰も変に思いませんから。どうです、納得出来ましたか?」
彼にとってバツが悪い話だという事がわかっていたけれど、それもわざとそう聞いた。別にそんな風に思ってほしくて話したのではないし、正直そんな反応は期待していなかった。
しかし、私の言葉にカイは無言になって、しばらく考えてから「お母さんのせいで」と呟くように言った。
それを聞いてすぐに訂正した。私は人殺しだ。どんなつらい過去があろうとそれは変わらない。
こうしている今だって母を殺した仇だと言われて、カイに刺されても文句はない。
「カイ、貴方のせいではありません」
「……でも、すごく痛そうだ」
「それでも、これは私の復讐という醜い犯罪の代償です。それに……貴方は無神経にでも、笑っていた方がまだましです」
挑発するように言うと「んなっ、なんだと!」とすぐに煽られてカイはいつもの調子で私に食って掛かった。
それに笑って返して、バレッタを丁寧に付け直す。
この傷をフェリシアに治さないで欲しいとお願いした時、私は初めて彼女に復讐の為に生きているという話をした。全部は話さなかったけれども、本来の姿ではないという事を伝えた。
すると彼女はとても長く考えた後に、私の耳をこのままにすることを了承してその復讐までもを許容した。それでも見捨てないしそばにいる。
そう言ったフェリシアは確かに私にもとても魅惑的に見えたような気がした。




