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ノックをして雨の日のこの時間はここにいるだろうと考えて中に入ると、彼の部屋のティーテーブルに置いてあった美しい花瓶が割れていて、丸テーブルの足がぼっきりと折れていた。
入ってきた瞬間にそれを目にして、カイはその壊れたテーブルのそばで木剣を握っていた。
「……アンジェラ……」
私を見て驚いて思わず名前を呼んだ。そんな様子だった。とりあえず部屋の中に入って、パタンと扉を後ろ手で閉めた。
それからカイのそばに寄って壊れたテーブルとカイを交互に見て説明を求めると、カイは焦ったようにしどろもどろになった。
「いや、これは。……ただ、そのなんだ。えっと~……」
「……部屋の中で剣を振り回すなんて、こうなることは予想できましたよね」
「それは、その~、アンジェラが急に来るとは思ってなかったし」
「言い訳するんですか?」
責めるように聞くと、カイは、むっとしてそれから、びしっと指をさして言ったのだった。
「そもそもこんなところに机を置いた使用人が悪いだろ! 俺様は悪くないっ!」
それを彼はとても当たり前のことのように言って、部屋の隅でおろおろしていた使用人に「早くかたづけろよ!」と偉そうに口にした。
外に出て自分の得意なことを見つけて多少は横暴もマシになったと思ったがまだまだである。
「貴方いくつですか。悪いのは貴方です! 認めなければ練習用の木剣は没収します」
手を伸ばして、カイの木剣に触れると、カイはとても驚いた様子でそれを持って引き下がる。
剣を習い始めたら部屋の中でも振り回し始めるなんて、まるで子供みたいだ。
しかし、普通の部屋の中では大人しくなんて言う当たり前のことが守れないのならば、剣技なんて教えない。
「さぁ、返しなさい」
「い、いやだ!」
「じゃあなんて言うんですか? 私はただ、貴方の横暴に怒っているだけです木剣はもう部屋で振り回さないと約束すれば奪う事なんてしません」
小さな子供に説明するみたいに言い聞かせると、木剣と私を交互に見てそれから「……悪かった」としょんぼりして口にした。
「使用人にも自分の失態でこうなったことを詫びて手間をかけるんですから、お願いしますといいなさい!」
「ごめん、お願いします」
「は、はいっ」
侍女は頭を下げながら早速片付けに取り掛かって、私ははぁっと息をついた。まったく気を抜けばすぐにこれだ。
まるで躾のなっていない子供を育て直しているような気分だ。
「ではあとは任せて私の部屋に行きましょうか。私たちがいても邪魔ですし」
「お、おう!」
「木剣はそのまま持ち歩かないでください鞘をもらったでしょう! ベルトに通して真剣もそのように持ち歩くのですから慣れてくださいね」
「おう!」
返事だけは元気よく帰ってきて、呆れながらもカイを連れて私の部屋へと戻った。
それからテーブルに座ってお茶を淹れてもらう。向かい合って改めて座ると、カイはやっぱりここ半月ほどの期間でそれなりに健全そうな顔つきになった気がする。
フェリシアと婚約していた時は、エリカの束縛もあって変なストレスが掛かって妙な歪み方をしていたように思う。
エリカには人形のように従いながら、そのストレスをフェリシアで発散して解消していた。
だからこそ本来ただ、わがままで子供っぽく、良くも悪くも素直なだけの割と実直なカイは、きちんと好きな人を傷つけている事にも傷ついていた。
それでもカイにはその状況を脱却する手段がなく、フェリシアが自分からカイの事を考えて離れた。
私の復讐でエリカもいなくなった彼は、ただの子供っぽいあほに戻った。
……これで国王が務まるかは正直微妙なとこだけど、後は周りにつく人次第ですかね。
計算高く、有能な人を側近にすれば多少はバランスが取れるかもしれない。
「これ美味しいな、アンジェラ。宮廷パティシエが作ったのか?」
「……そうですよ。気に入ったのなら使用人つてにでも褒めて、自分のお茶の時間にも出してもらえばいいんじゃないですか」
彼がおいしいといったのは私が気に入っているシフォンケーキだ。砂糖をたっぷり使った果実のソースがかかっている。
しかし、そう返事をしてから彼が言ったことが不思議でカイがケーキを口にパクパクと運んでいくのを見ながら聞いた。
「しかし貴方、せんべいとかいう東邦の塩辛いお菓子が好きではなかったのですか?」
使用人からはそういう風に聞いているし、フェリシアと共にカイとのお茶会に参加した時は、いつも変なお菓子が出ていた。エリカの故郷の味らしいので文句も言わずにフェリシアは口にしていたが私は好きではない。
「…………」
私の問いかけに対してカイは、視線だけできょろきょろと部屋を見まわしてから私に視線を戻して、もごもごと喋りずらそうに「別に好きじゃない」とぎこちなく言った。
その言葉を聞いて、それなら彼の食の好みのほうも、もしかしたらと思って聞いてみた。
「では、パンよりお米の方が好きというのはどうですか」
「…………パンの方がが好きだ。バターいっぱい使ったやつ、さくさくの」
「貴方、大の魚好きで、エリカと一緒にお魚料理ばかり食べてましたよね?」
それを見てこんな内陸部の国で何でそんな風に育つのだろう、とカイには思っていたし、エリカは異世界の住人なので王宮の人間も仕方ないと考えていた。
「……」
しかし、カイの表情を見ればどうやら、母親と食の好みが似ているわけではなかったらしいとわかる。
なまじ外見が似ているせいで気がつかなかったが、感性はこちらの国の人間に近いのかもしれない。
剣を握っても、特に怖がる様子もないし、魔法も楽しむように使っている。剣にも魔法にも嫌悪感を示していたエリカとは大違いだ。
「……この世界の中で、お母さんだけが本当の一人ぼっちなんだって、ずっとお母さんは言ってた」
カイはふとシフォンケーキを食べながら思い出したようにそう言った。それから私を見て少し悲しげに続ける。
「だから、俺を産んだんだって。この世界の異物が自分一人だと寂しいから一緒に二人ぼっちになるために俺をこの世界に産んだ」
「……」
「俺がこの世界に馴染めないように、俺の出自にふさわしくない名前を付けたんだ。馴染めずにずっとお母さんとこの世界の異物でいられるように」
……たしかに高貴な身分に比べて短すぎる名前だと思っていましたけど、この国でも聞いた覚えのある響きだったので完全にスルーしてましたね。
「ただどれだけ俺がお母さんに寄り添っても、お母さんは故郷に帰りたがって俺を本当に自分と繋がっている人だって思えなかったみたい」
「……」
「当たり前だよな。だって俺、お母さんの好きなもの本当は全然好きじゃなかったんだし……だから、お母さんがずっと寂しがってたのも当然だ」
「でもそれは、カイのせいではありません」
何故だか、悲しそうにそういう彼に私は思わず口にしていた。
彼がこんな風に弱音を言うのは珍しい、まったく考えてもいないと思っていたからこそ意外に思って反射的に口が動いた。
「何なら今から名前を変えますか!」
彼女はもういない、だったら思い悩ませるためだけの名前など捨ててしまえばいい。思い出は良い事だけを心の中にしまって置ければそれで十分だ。
「……どんな風に?」
「カイ……カイ……カインハルトとか、どうですか!」
真剣に考えてそう言ったのだがカイは、ぶっと吹き出してゴホッと咳き込んだ。
どうやら喉にケーキが詰まったらしく、急いで紅茶を飲んでから、カイは改めて無邪気に見えるあどけない笑い方をした。
「アハハッ、カインハルト!? 似合わねぇ〜。俺様が?」
「何ですかせっかく考えてあげたのに、人の好意を無下にして」
「あ! いや、違うぞっ、柄じゃないだろ俺!」
「……まぁ、そうですね。カイは、カイですから、貴方がいいなら構いません」
そう言って私もシフォンケーキを口に運んだ。
それから「そうだな、俺は俺様!」とわざわざ口にしている間抜けな様子の彼を見た。




