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私の母、コーデリアは、当時側妃であった聖女エリカに殺された。
エリカは召喚された聖女であり、幸運の女神の加護を持つとても美しい女性だった。神秘的な黒髪に、黒曜石のような黒い目。
その容姿に誰もが心を奪われ、当時王太子であったノアベルトお父さまもその美しさに心を奪われるはずだろうと誰もが考えた。
しかし父は母を愛し、正妃の座だけはどれだけ望まれてもエリカに渡すことはしなかったという。
元からそういう対立関係があったうえで母とエリカはノアベルトお父さまの妃となった。
先に子をなしたのは母だったが性別は女。それでも父は大層喜んだそうだ。けれどもその後エリカが産んだ子供は男児だった。
王太子が生まれたと世間は祝福ムードに包まれた彼女はこれで、ノアベルトお父さまの愛情も手に入れることが出来る。そんな風に思っていたのだと思う。
しかし、母はその後すぐにまた妊娠、その時にお腹に宿っていた子供の性別はわからない。
けれどもエリカはその状況に酷く危機感にさいなまれた。
せっかく手に入れた栄誉を手放したくない。そう考えた彼女は暴挙に出た。
私たちが乗る馬車に細工をして暗殺計画を企てた。非常に杜撰な計画だったにもかかわらず、子を妊娠していた母はそれを阻止することができず、あっけなくこの世を去った。
私は何とか生き残ることが出来たが、この成長の遅い幼い体ではきっと大人になる前にエリカに殺されてしまう。そんなことになっては母の仇が打てない。
だからこそ名前を変えて、特徴をかくして平民の地位に落ちてまで好機を待っていた。
そこからは本当に色々なことがあった。
エリカの暗殺計画のせいで足を負傷していたから、普通に雇ってもらえず明日食べる物に困ったり、かと思えば障害がある子供を探しているという奇妙なことを言っている貴族に拾われたり。
色々あったが一番、エリカへの復讐に近づいたのは、私の主であり、友である聖女フェリシアの存在だろう。
彼女はとても素晴らしい力を持っているが、両親に利用されノアベルトお父さまの治療に明け暮れるまいにちを送る羽目になっていた。
そんな彼女について王宮に入り侍女の振りをして、長年の準備を経て父にも話を通し、やっと私は仇を討つことが出来た。
つまりは彼女を殺した。罪悪感はない、ただ一つ残った問題がある。
それは母を殺され何もできずに残った子供、あの時の私とまったく同じ状況にある、腹違いの弟、カイの存在だ。
彼から母親を奪ったのは私だ。もちろん責任は持つ。
というか、カイにはもうすでに誰も頼れる人間はない。
エリカは召喚された聖女なので親族というものが一人もいないし、婚約者であったフェリシアもカイの元を去った。
つまりカイには自分についてくれる後ろ盾が一つもない。
これでは王太子という立場を維持することは難しいし、なにより正妃の長子である私が戻ったからには、今までの愚行を引き合いにだして廃嫡ということも可能だ。
しかし、そんなことをするつもりは毛頭ない。彼自身がどんなに甘えた精神をしていようと叩き直して見せる。それが私が利用したフェリシアにできる唯一の恩返しだ。
彼女が、カイの幸福を祈って別れたのなら、彼女の新しい生活を応援するためにも私がこの男を叩き直して立派な王にして見せる。
「っ、……、……お母さん、っ」
そう意気込んだのが一週間前。しかし、母の死からカイはいつまでたっても立ち直らずにエリカの部屋に入り浸り、涙に暮れていた。
母親譲りの柔らかな黒髪は艶を失い、柔らかで白い頬がエリカのベッドのシーツにこすれて赤く肌荒れを起こしている。
…………。
今日も今日とてそうして過ごすだけのカイに私は一旦考えた。どうしてくれようかと考えた。
しかし、彼の気持ちが落ち着くまでは、手を出さないでいてやろうと思っていたのにこの調子でいくと明日も明後日も同じ光景を見ることになりそうで、これ以上待つのは合理的に考えて無駄だと思う。
……というかこの人、そもそも、他人に甘えすぎなんですよね。
暗い部屋で嗚咽を漏らす彼に後ろから声をかけた。
「カイ、貴方そろそろ立ち直らないと、完全に側近に見捨てられますよ!」
声を大きくして言うが、カイはこちらに振り向くでも何かを言い返すでもなく、ただぐずぐずと泣いているだけだった。
せっかく指摘してやっていると言うのに、カイは私の事を無視するつもりのようでその子供みたいな態度にカチンときた。
人の上に立つ人間が自分の悲しみにばかり浸っていて、何もかもをないがしろにしていたらいつか人に見放される。
フェリシアのおかげで残っている多少の側近たちに見捨てられればカイは生活もままならない。
そうしてたくさんの人のおかげで生活をしているという自覚が足りない。
「そうしていつまでも無視を決め込んで何になりますか。そもそも貴方ね、今まで甘えすぎて生きてきたんですからさっさと立ち直って、自分の進むべき道に戻りなさいよ」
「……」
「母に甘え、婚約者に甘え、使用人に甘え、貴方一体何様なんですか。王族たるものまずは自分を律して責務を果たさなければ、これからも失う一方です!」
「……」
挑発しているはずなのに、カイはいっこうにエリカのベッドに縋りついている、振り向きもしない。
意地を張っていればこちらが諦めると思っているのだろうか。
「もう十分甘えたでしょ。エリカは死んだんです、切り替えて王座に就くための研鑽を継がなくては、きっとそうすればエリカも喜ぶんじゃないですか」
私が殺した女の事を、私がそんな風に言うのが彼にとってどういう風に映るのか、理解している。
今の言葉で少しカイが反応して、こちらに意識を向けたのが分かった。
「むしろそんな風に腐っていては、エリカが報われませんよ。だってほら今際の際でも貴方の事を何もできない子供なのだと案じていましたしね」
最低最悪だと言われてもおかしくないと思うし、実際嫌われたくない相手にはこんな事は言わない。
しかし、この甘ったれた王子にはどう思われてもいいので適当に煽った。
すると、おもむろにカイは立ち上がって、泣きはらした瞳をこちらに向けた。