9 意外な反応
さらに1週間ほど経って、ナジマさんと黒木さんと音楽の先生、そしてこのところはもう堂々とずっと一緒に歌を聴いているジゼルさんとヤープさんの前で始めて『でんでんむし』を歌っていた時のこと。『ツノ出せ 槍出せ あたまー出せ〜』のところで、前よりも、というのは目覚めた後ではなく150年前よりもという意味だが、自分の歌う声が大きくなったことを感じた。最初の高くなるところも最後の低くなるところも喉が詰まらずに気持ちよく声が出せたのだ。リズムにものれていたし、嬉しくて、最近すっかりうまくできるようになったスマイル(ドヤ顔)でナジマさんたちを見つめたのに、みんなは微妙な顔をしている。
「ええと…あの?」
この歌も『さくらさくら』ほどではないけれど今に残っているものなのに、何だか喜ばれていないような気がする。メロディは間違っていないはずだし、そんなに難しい曲ではないのに、何が問題なんだろうと思っていたら、音楽の先生に、
「…その、歌詞にあるでんでんむし…カタツムリって、殻のある軟体動物ですよね?」
と聞かれた。軟体動物…?と思ったけれど、でもまあ間違ってはいないだろうと思って、
「そうですね、カタツムリとかマイマイとか言われたりもしていましたけど…渦を巻いた殻があって、葉っぱの上を移動して、先から目が伸びる?」
と頭の上に指で角を作って伸ばして見せると、みんな一歩下がった。
「え?」
明らかにいやがってないですか?と不思議に思って聞いてみれば、今のカタツムリは外来種が増えた上に気候の変化もあって大型化しており、平均でも大人の手の平サイズ、大きければ30cmくらいだそうで、寄生虫などのこともあり恐れられている生物だとのこと。その生き物が歌にされ、さらに私が楽しそうにリズムにのって歌っている理由がわからないと渋い顔をされた。私が、でんでんむしは小さくて可愛いイメージがあり、梅雨時には紫陽花の葉に乗っているイラストがよく使われていたと話すと、みんな驚き、感心していた。こういうところにも違いがあるのかと面白く思ったし、私の話を聞いてみんなが真剣にフンフンと頷いているのがなんだか微笑ましかった。
この後から、声も随分と自然に出せるようになり、辛さも減ったので、私はみんなに覚えている限りの歌、大体が小さな頃から家族に歌ってもらっていた童謡や小学校で習うような曲、を手遊びも入れたりしながら歌って聴かせるようになった。その時に歌われているモチーフがどのようなイメージなのか、どういう時に歌われるか、主に子どもの歌なので、学校の音楽の時間のことも一緒に話すようにした。と言っても私はあまり学校に通えていなかったので、マンガやアニメ、テレビや小説でどんな感じに書かれていたかや、オンライン授業で参加した時に知った様子が多かったけれど、それでもみんなが興味深そうに聞いてくれるのが嬉しかった。
質問されてもよくわからないものもたくさんあった。例えばジゼルさんからは、
「『さくらさくら』『ちょうちょう』『うさぎうさぎ』のように2度繰り返すのはなぜ?何か意味があるの?」
…そんなの昔の人も全員は答えられないと思う…それとも、私以外の人は知っていたのか…?と思いながら、
「…ごめんなさい、ワカラナイです…あ、でも呼びかけているのかも…」
呼びかけるって誰に?と心の中で自分につっこみつつ答える。
こういう時、みんなは特にがっかりとかはしないで一生懸命に聞いてくれているけど、なんとなく申し訳なくて、
「そう言えば、ちょうちょうは、本当はチョウだけど普通に子どもはみんな歌詞みたいにちょうちょって言ってました」
なんて言い訳がましく言ってみる。すると、
「最後の『ウ』はどうして省略されるの?」
なんと、さらに難しい質問が!言語学の知識が必要なやつだった!?
「…子どもだから言いにくくて短くなっちゃったのかな…?」
「うさぎも?『うさぎうさ』みたいに繰り返した?」
「いや、それは…多分なかったと思います…でも、どうしてかはわからなくて…あ、でも小さい子にウサギを『ぴょんぴょんだね』って言うことはあったかも」
「ぴょんぴょん…」
「はい…犬はワンワン、猫はニャーニャー、ウサギはぴょんぴょん」
「なぜうさぎだけ鳴き声じゃないの?」
「…ごめんなさい、わからないです…っていうか、ウサギって鳴くんですか?」
「さあ…どうかしら」
と、こんな感じ。それでもみんなは150年前からやってきた私の話はそれなりに面白いのか、毎日飽きもせずに病室に来ては話を聞いて行った。こんなことなら、小学生の頃にテレビで放映されていた5歳児に何か聞かれて叱られる番組をもっとよく観て知識を蓄えておくんだった、と思ったりした。
ヤープさんはと言えば、いろいろな文章を私に音読させた。多くは教科書に載っていたものだったので懐かしいなと思いながら読んだ。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』は不思議なことに暗唱できたので自分でも驚いたし、学校教育ってすごいと思った。いや、学校にあまり行ってなかったけど、教室でみんなが読んでいるのを聴いてあの時は私も家で練習をしたのだった。ヤープさんはあまり表情を変えずに聴いていたけれど、後からジゼルさんが「あの人、感動しすぎて廊下でしゃがんで泣いてたわよ」と教えてくれた。何に感動してくれたのかわからないけれど、ヨカッタです…。
まあ、音読のおかげで、私にとってもだいぶ昔のことを思い出したのは楽しいことだった。例えば、小学校の高学年からはオンライン授業ができるようになったので、クラスの友達と端末で話すことができるようになったこと。みんなが給食を食べている時は、家でお昼を作ってもらって同じ時間に食べた。給食センターのウェブページに給食のレシピが載っていて、それを見ながらお母さんが作ってくれたのだった。ちくわのかば焼きや春雨と肉団子のスープ、凍り豆腐の揚げ煮…大好きだったな。そういえば、最初は感染症のことがあって、みんな前を向いて食べていたから、先生の横に置かれたタブレットから、みんながこっちを向いているのが見えた。時々家に遊びに来てくれていたりっちゃんと舞香の他、何人かは食べながら手を振ってくれた。そのうちグループで食べるようになってからは他の友達もできて、アニメやマンガの話で盛り上がれるようになって…すごく絵がうまかった敬人君とはマンガの貸し借りもしたし、描いた絵を送ってもらったりもした。敬人君は漫画家になりたいと言っていたけど、夢は叶ったのかな。
ジゼルさんもヤープさんもナジマさんも、私のとりとめもないこうした話をニコニコしながら聞いてくれた。ヤープさんなんて
「今も昔も、人とのつながりは幸せなものです。ユキ、あなたはこれからそういうつながりをたくさん作っていけますよ、楽しみですね」
としみじみ言って私の頭を撫でてくれたのだ。私はなんとなくしんみりしてしまった。そんなふうに撫でてもらって、それはナジマさんの医療的なマッサージとは違って、胸が締め付けられる感じがした。もしお父さんがここにいたら、こうして私の話を聞いて頭を撫でてくれたのではないか、同じように『雪、楽しいのはこれからだぞ』と言ってくれたのではないか、そんな気がして。
「…そろそろ休む時間だ。全く、あなたたちは雪さんに無理をさせすぎだ」
「あら、もうこんな時間?ホント、ユキさんごめんなさい、また明日ね」
「ユキ、明日は昔の『若者の言葉』について聴かせておくれ。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
モニタを見ていた黒木さんの一言で今日の調査は終了となり、部屋は私と黒木さんの二人になった。私はそんなに疲れは感じていないけれど、黒木さんの言うことは絶対だ。
みんなが帰ってからもモニタを見つめる黒木さんの顔がいつもより険しい気がする。
「あの…黒木さん、無理って?何か…」
「ああ、少しばかり心拍数が…」
そう言われて先程のみんなとのやり取りを思い出す。
「あ、ヤープさんに撫でられたんで、ちょっとドキドキしたかもです」
「…」
「でも、もう平気ですけど、?」
「うん、もうおさまっているが…さっきは」
「一瞬ですけれど、胸がギュッとなってしまいました」
お父さんを思い出したとはさすがに言いにくい。20歳にもなってと思われそうだし、そんな年配者に重ねられるのは、何歳かわからないけれどヤープさんも心外だろうし。だから、
「大人になってから家族以外の人、しかも男の人に頭を撫でられるなんてまずないですからね、驚きました、あはは」
明るくそう言ったが、黒木さんは
「…普段よりもだいぶ動悸が激しかったようだったが…本当に大丈夫か?」
と大真面目に聞いてきた。そんなにか?と思ったけれど
「大丈夫ですよ〜、少し照れちゃっただけです。もう平気ですし、後は寝るだけなので」
そう答えると、黒木さんは物言いたげな顔をしながらも部屋の明かりを落としてくれた。
「お休み、雪…さん」
「おやすみなさい、黒木さん」
『明日は若者言葉についてか、私もそんなに詳しくないけど、頑張って思い出そう』
黒木さんを見送った後、そう考えながら眠りについた。