捨てられたおじさんとスラムの姉妹①
ジュピタル侯爵領は農地が大半を占め、肥沃な大地から王国全体に食料を供給している。
ただ、街はそれなりに大きく、他の領地からも、ここでしか手に入らない品を求め、訪れる者も多かった。
レリリイに連れられてやってきた店もその一つである。
おじさんショップ。
ペットショップとして認識されるが、おじさんが売られている訳ではなく、おじさんが使う品々が扱われている。
「どう? 凄い品揃えでしょ」
「へえ、こんな店があるのですね」
白シャツに普通のズボンという格好で、首輪は飼いおじさんの証。馬車から店の移動では、お嬢様に鎖を引かれたが、入ると鎖だけ外された。
「ほら、缶コーヒーもあるわ。アレクはどれがいい?」
「缶コーヒーまであるんですか?!」
ブラック、微糖、カフェオレまであった。
「そっちには栄養ドリンク。あら、エナジードリンクも揃っているじゃない」
お嬢様は楽しそうだ。
同行したメイド長にちょんと突かれる。
「アレク、あれなんて強請ってみては?」
赤マムシドリンクとか書いてある。
どうしてこの世界の言葉が読めるのかはさておき、今はキツイのは勘弁だ。
この世界に来て以来、様々な性的刺激を与えられたが、一度も射精していないのだから。
「いえ、その……」
「まあ、お嬢様の存在自体がマカみたいなものですしね。ぷぷ」
アンタもだよ。
お茶の時間、レリリイと向かい合ってテーブルに着くのだが、こちらにだけ見えるようにスカートを捲ってくるメイド長。時にオナニーまでしてくる。
だからと言って、誘っている訳ではなく、彼女の場合、露出趣味を堪能しているだけなのだ。
勘弁して欲しい。いや、見る事ができて喜んでしまっているが。
「缶コーヒーは甘いのにしてください。カフェオレで」
「そう? なら、二ケース買っておきましょうか。あとは……」
まとめ買いは基本のようだ。
他に、首輪やリードが並べられていて、マッサージ用の道具や筋トレグッズなんて物まである。
「あっ、タバコ……」
「あら、アレクは吸うの? 気付いてあげられなくてごめんね」
「いえ……」
召喚の時に健康体になったお陰か、吸いたい欲求はなかった。
これを機会に禁煙もいいだろう。
「よかったの?」
「はい。お嬢様の部屋をタバコ臭くする訳にもいきませんし」
「そう……。ストレスを感じる事があったら言ってね。そうだ、おじさんルームに行くといいわ。他の客が連れてきたおじさんがいると思うから」
マイウともろくに話しはできなかったし、同じ境遇の同志に会っておくのも悪くはない。情報も得たいしね。
まだ買物を続けるレリリイと別れ、店内のおじさんルームへと行ってみた。
なんか、普通の喫煙所だった。
先客にお辞儀をして、どんな人たちかと見れば、やはり普通のおじさんだ。
「おや、初めてですね」
小太りの校長先生っぽいおじさんだ。
「こんにちは」
もう一人は、痩せて眼鏡の教頭先生っぽいおじさんだ。
「こんにちは」
校長先生から話しかけられる。
「おじさんショップは初めてで?」
「ええ、まだ召喚されて日も浅いので」
「驚かれたでしょう。ご主人様は、何処の何方で?」
「ジュピタル侯爵のご令嬢、レリリイ様ですが」
「おおっ、これはうちの主人がお世話になっております。うちは商人で、未亡人のマダムが、寂しさを紛らわす為に、私を召喚したのです」
「未亡人のマダム……ですか」
「ええ、マダムと言っても三十代の女盛り。それはもう……、むふふ」
「えっ、やっぱり、一緒に寝たり……」
「マダムは私に乗るのが好きです」
アンがマイウを可愛がっている様子からそんな気はしていたが、レリリイが特別という訳ではないようだ。
「いい事ばかりでもありませんよ」
教頭が会話に参加した。
「と、言うと?」
「はあ……、最近、私の主人のお嬢様に好きな男ができたようで……。片思いの相談をされるのです」
「そこは、男としてアドバイスを……」
「私だってね、そうしようと努力していますよ。けどね、お嬢様は私でオナニーするんです。好きな男の名を呼びながら、ですよ。しょせん、おじさんはペット。いや、バイブやディルドと同じなんです」
つまり、好きな男の代わりに、教頭がお嬢様のお相手をしている、と。
「そ、それは、キツい」
のか?
「まあ、寝取っている、と思えば、それはそれで」
ですよね。
校長に訊かれた。
「侯爵令嬢もまだお若いはず。どうなのです、夜の方は?」
「えっ、ええ、まあ、刺戟的ですよ」
エッチはしていません。と、言えなかった。時には張りたい見栄がある。
「統計では、おじさんを召喚する目的の実に七十八パーセントが、性的欲求を満たす為だとか」
「へ、へえ」
じゃあ、残り二十二パーセントは泣くな。
「どうしました?」
「いえ、目にゴミが」
「しかし、我々は幸せです。噂では、捨てられたおじさんもいるそうです」
「え……」
教頭も頷く。
「私も聞きましたぞ。飼い主の庇護なしに、この異世界を生きていく。考えただけで、ゾッとします」
捨てられる、なんて事があるのか。
おじさん、というだけでチヤホヤされる天国のような世界かと思ったが、そういう裏もあるのか。
トントンと扉が叩かれる。
「アレク、いる?」
レリリイの声だ。
「お嬢様、おります」
扉が開かれ、侯爵令嬢が顔を見せる。
可憐な絶世の美少女。自慢の飼い主に、ちょっとドヤ顔。
校長と教頭が頭を下げる中、別れを告げ、おじさんルームを出た。
「おじさん同士、何を話していたの?」
買物を終えて、メイド長が会計をしている後ろで訊かれた。
猥談の事は言えない。
「こちらの生活はどうかとか、そんな話です。それから……、あの、捨てられてしまう事なんてあるのでしょうか?」
縋るような目をしてしまったかもしれない。
「アレク……、そんな顔をしないで。貴方は私の召喚の呼びかけに応えてくれた大切なおじさん。私に捨てられるかもしれないと思った?」
「それは……」
レリリイが手を握ってきた。
「確かに、極稀におじさんを捨ててしまう飼い主もいるって聞くわ。けど、大多数はおじさんを家族同様に扱って、一生面倒をみるものなの。心配しないで」
お嬢様も泣きそうな顔をしている。
「すみませんでした。お嬢様を信用していないんじゃないんです」
「うん、分ってる。そうだ、不安になったら、ステータスの愛され恥を確認すればいいわ」
「えーと、四百三十三とあります」
聞こえていたのか、店員が驚いた顔を見せた。
「二百を超えたら高い方なのよ」
今度は悪戯っぽい笑みを見せてくれた。
愛され値は出会ったばかりの頃より高くなっている。
ちょっと恥ずかしそうなレリリイの顔を見て、嬉しくなった。
「さ、さあ、行きましょ」
買い物を終えて、再び馬車に乗り込む。
「せっかく、町まで来たのだから、何処かに寄っていきたいわね。おじさん可のカフェがあったはずよ」
「そういう決まりがあるのですね」
「お店によって、ペット可、ペット不可おじさん可、とか色々あるわね」
「因みに、おじさん不可のお店とは?」
「女性向けのランジェリーショップとか」
それは可であっても入り辛い。
馬車は動き出し、行きと同じで、窓の外を物珍しく見た。
欧州の古都といった雰囲気で、海外旅行や赴任の経験は少ないので、ちょっと旅行気分にも浸る。
しかし、捨てられたおじさんは、全く文化の違う異国以上の異世界で、どう生きていけばいいのか。
「ちょっと、止めて!」
不意にレリリイが発する。
馬車が止められると、お嬢様が馬車から飛び出て走りだす。
驚いたが、アレクも追った。
石で作られた橋の上で、お嬢様は立ち止まり、辺りをキョロキョロと見回していた。
「どうかしましたか?」
「ああ、アレク。野良おじさんがいたの」
「野良って……」
この世界出身のおじさんはいない。おじさんは全て、異世界から召喚され、召喚主がそのまま飼い主になるのだ。
「ええ、捨てられたおじさんだわ。確か、この辺りで見たのだけど。保護してあげないと」
「保護……、そうですね」
「もし、先に保健所が見付けたら……」
「ど、ど、どうなってしまうので?」
「私はおじさん保護団体に入っているけど、保健所とは仲が悪いの。もしも保健所におじさんが連れられていくと……」
生唾を飲み込んだ。
「安く売られる事が多いの。買い取るのは不正の業者が多くて、悪い事に使われてしまうわ」
「た、例えば……」
「体を売らされる風俗おじさんとかね」
「…………は?」
「女を相手に、ずっと腰を振らされるのよ、可哀想に」
「そう……ですね」
全然、羨ましくなんてないんだからね。
「過酷な重労働の現場に連れていかれる事もあるわ」
「それは酷い」
「そこで、逃げだそうとする労働者を監視して、捕まえる役をやらされるのよ」
「ああ、そっち側でしたか」
「そこでは、ストレスで禿げが進行するおじさんが多数と聞くわ」
まあ、どんな女の相手をさせられるか分からないし、悪者の手伝いなんて確かにごめんだ。
それより、野良おじさんを必死で保護しようと動いたお嬢様を見て、感動と安心を覚えた。
この方だけは、絶対に裏切らない。
そう誓うのだ。
――――
地味な黄土色のワンピースは町娘の一般的なファッションだ。そこに継ぎ接ぎがあれば、貧民層であると見た目で分かる。
癖のある赤い髪をした少女が、同じ様な姿の小さな女の子の手を引いて、町を歩いていた。
「あっ、お姉ちゃん、ほら、あそこ、おじさんがいるよ」
橋の反対側に身なりの良い――貴族のご令嬢だと直ぐに分かる――同年代と思われる女性と共におじさんがいた。
成程、令嬢が飼い主なのだろう。彼女のおじさんに向ける眼差しから、ペットを溺愛しているのが感じられた。
「そうね」
素気なく答える。
「いいな、おじさん。ねえ、私もおじさんを飼いたい」
「馬鹿な事を言わないの。うちは貧乏なんだから、おじさんを飼える訳ないでしょ」
「けど、お姉ちゃん、おじさんの面倒を見ていたんでしょ?」
「昔の話よ」
家で飼っていた訳ではない。才能を認められ、専門の学校に特待生として通っていた時期があった。
だが、両親が失踪して、妹のルウラを育てる為に自分が働かなくてはならなくなった。
だからリーシャはおじさんを見たくはなかった。
見てしまうと、諦めた夢を思い出し、ただ悔しくなって、両親を恨んでしまうから。
知り合いの紹介で針子の仕事にありつけたが、給金は決して多くはなく、そんな微々たる収入も借金取りが持っていってしまう。
町の喧騒から、脇の路地に入る。
一気に不穏な雰囲気になったが、慣れたもの。ここが、姉妹が生まれ育ったスラムだ。
ここ以外の人々は怖がっているようだが、実際は助け合っていて、優しい人が多い。ただ、同じように借金取りに終われている者が多くて、怒声がよく聞こえてくる。
どうにか生きている。
夢もなく、明日には生活が変わっているかもしれない。
借金が返せないと、体が狙われる。リーシャは見た目が良く、明らかに借金取りのターゲットにされていた。
町でおじさんを見かけてから三日後。
リーシャは妹をむすっとした顔で睨んでいる。
「何処で拾ってきたの?」
「……橋の下」
「元の場所に戻してきなさい」
「やだ! ねえ、いいでしょ、このおじさんを飼っても」
妹の隣に大男がいた。
ガタイのいいおじさんだ。角刈りにタンクトップ。汚れたズボンに壊れかけた靴を履いている。
「あの……、迷惑なら、自分は……」
歴戦の戦士のような風貌だが、召喚されるおじさんに悪い者はいない。
彼の姿を見れば、捨てられた野良のおじさんで、保護したい気持ちはリーシャにもある。
だが、おじさんの心配をできる立場ではなかった。自分たちが食べていくだけでも精一杯なのだから。
外に雨音が聞こえてくる。
縋る妹の瞳。幼い彼女の我儘をこれまで叶えてやった事はあっただろうか? 我慢を強いてきた。
「はあ……。雨が降ってきたし、今夜だけよ。明日には、す……」
捨てて、という言葉を言うのを止めた。
捨てる、なんて言葉をこのおじさんは聞きたくないはずだ。
土間と狭い板間があるだけの家。
二人分の食事を三人で分けた。
盥で体を洗う。
おじさんも洗ってやろうかと思ったが、丁寧に断られた。
夜中、川の字で寝る。
おじさんを中心に、横にリーシャとルウラ。
ルウラはおじさんに抱き付いて寝ている。お父さんの匂いがすると言っていた。
横になって、グーとお腹が鳴ってしまった。
「すみません、自分のせいで……」
おじさんはまだ起きていた。
「おじさんこそ、その体であの量じゃ、全然足りないでしょ」
「いえ……、その、美味しかったです」
言葉数は少なく、不器用そうに感じた。
「いい家で飼われていたんでしょ? いい物を食べていたんじゃ」
「美味しかったです。今夜の食事の方が……」
「お世辞言っても飼わないわよ」
「はい」
おじさんは理解力が高い。大人だから、色々と察してくれる。
よく知っている。その生態も。どんな世界からやってきたのかも。
だって、本当はおじさんが大好きだから。
トレーナーの教本は捨てられずにいた。
一般市民でも底辺の貧民だけど、高い魔力持ちで、おじさんトレーナーにならないか、とスカウトされた時には幸せの絶頂だった。
最初は会社に入り、貴族の家に出向で行って、サブトレーナーから始め、やがてお金を溜めたら、自分でおじさんを召喚しよう。
独立して、トップトレーナーの仲間入りをすれば、貧乏から脱出できる。
その夢はあっさりと破られた。
おじさんから目を背けてきたのに、妹が連れてきてしまった。
ウズウズする。
やっぱり、おじさん、可愛いよ。
ガタイがいいのに、物凄く申し訳そうにして、優しそうな瞳に不器用そうな感じが堪らない。
自分だって、抱き付いて撫で回したい。妹が羨ましい。
おじさんと触れあうのは、専門学校での研修以来。
自分が抱き付くと、おじさんはデレデレしてくれるので、それもまた可愛い。ついでにチッポも膨らますのだが、それはおじさんが喜んでいる証拠だ。
色々と考えている間に寝てしまう。
で、朝になったら、おじさんの腕に抱き付いていた。
真っ赤になった。
朝食の時間。これも二人分を三人で分ける。ルウラの分は多めに。
「ねえ、これまで、どうやって生きてきたの?」
夜、聞けなかった事をおじさんに聞いた。
「前の家を出た後は、何とか生活できるように、仕事を探したのですが……」
「身元不明のおじさんを使うと、後々面倒だから、雇ってもらえなかったでしょ」
「はい。けど、まあ、そこでも食事を恵んでいただき……」
「おじさん好きは一定数いるからね。そうか……」
ルウラがスプーンを置いた。
「お食事終わったら、行かなきゃ駄目?」
昨日の言葉を覚えていた。
おじさんが、ルウラの頭を撫でてくれている。
「あのさ……、ちゃんと誰の飼いおじか分かれば、仕事で使ってくれる場合がある。例えば、トレーナーが、訓練の一環として、とか。ちゃんとお給料も出るわ」
「トレーニングとして、ですか? けど、トレーナーは……」
「いるわ、ここに。私、トレーナー免許、持ってるの」
働く必要はできたが、トレーナー免許だけは取った。学校の紹介がないから、そういった会社に入る事はできなかったが。
「じゃ、じゃあ……」
「その……、うちの飼いおじになりなさい。それで、貴方も仕事をしてくれたら、こっちも助かるし」
おじさんが深く頭を下げた。泣くのを堪えているように、体が震えている。
「お姉ちゃん、おじさんを飼っていいの?」
「ええ、いいわ」
「やったぁ!」
ルウラがはしゃぎ回る。
こんなに嬉しそうな妹は久しぶりに見た。
「ねえ、貴方、名前は?」
おじさんがやっと頭を上げる。
「捨てられた時に、それも捨てました。お嬢さん、名前を付けてはもらえませんか?」
それが筋だと思ったのだろう。
「そうね……、じゃあ、ケン」
「ケン、ですか。どうして?」
「ふと、下りてきたの。ケンが貴方に似合うんじゃないかって。嫌?」
「いいえ、気に入りました。今日から自分はケンです」
まさか、こんな風に夢が叶うとは思わなかった。
そして、このケンが姉妹の運命を大きく変えていく事になるのだ。