【短編】そのご令嬢は、推し事中につき〜なぜか、推しにそっくりな王子様に求婚されました〜
「シルヴィア・ウインストン公爵令嬢に結婚を申し込みたい」
by.カイン・ハルトファン宰相
「愛しのシルヴィアにこの命を捧ぐ」
by.伝説の竜騎士、レナート・ヴァレンタイン
「私と、ずっと一緒にいてほしい…」
by.レビン・ケットシー公爵
そんな数々の猛アプローチの末結ばれたサイデリック王国の王太子、リアン・ウルフウォルト殿下からは
甘々な一撃を食らった。
「貴方を生涯愛すると誓おう。シルヴィアがいない未来など、いらない」
と、こんな妄想をしたのです。
いえ、したのDeath…
私はしがないフリーターでした。
その日は大好きなバンド、サイコ・メンタルのライブがありまして、その日は最推しのフロントマン、NAOkIのパフォーマンスがえぐかった…!
あの長身から繰り出される煽りは、観ていて心臓を掴まれるよう。
それでつい調子に乗ってモッシュしたら、スピーカーの前まで流れていきまして、たまたま耳栓を忘れていたもので、その夜は耳がキンキンして眠れなかったのです。
お風呂も入ったし、推しのボーカルNAOkIのSNSにもコメントしたし、あとは寝るだけなんだけど…
ああ、どうしようかな、明日早番で朝早いのにと焦りました。
そうだ、ちょっと小説でも読んで眠気を誘おうと思い立ちまして、読んだのが異世界転生もの。
文章から伝わる、ばっちばちに可愛いヒロイン。
きゅんきゅんなセリフの数々に逆に目が冴えてしまった次第です。
「あ、ダメだ。寝れないわ、こりゃ」
でも明日は6時起き。
時計は2時半でした。
とにかく目を瞑ろう。
すると、先ほどの甘々なセリフの数々が思い出されます。
でも待って、私ならどう言われたいかしら?と思ったらもう沼です。
まず大前提として、私は銀髪ゆるふわロングの愛されヒロインがいい。
それから、最低でもイケメン4人くらいから告られたい。
そして最後は王子様に求婚される流れで、その王子様はとりあえず推しのバンドマンにめちゃくちゃ似ているという設定で………
✳︎ ✳︎ ✳︎
「シルヴィア…シルヴィア…?」
「…っ!…はっ!」
なぜだろう。
NAOkIが不思議な服を着ている…?
っていうかなんで推しが私の目の前にいるの!?
気がついて動揺した。
「え!?な、NAOkI!?」
「…なおき?なんだそれは?」
思わず立ち上がると、ふんわり揺れた自分のものと思われる髪が揺れる。
(銀髪ぅーーー!?)
思わず私は髪を掴んで引っ張った。
痛い。
ちゃんと頭皮から生えている。
ヅラじゃない。
ぐいぐいと引っ張る。
(え、なんで?いつ染めた?いやいや、そもそも私こんなに髪の毛長くないし…)
視線の先の鏡で、自分と目が合う。
(いや、誰?)
どう見ても私じゃない。
すごい美少女がいる。
でも、その美少女は私が右手を上げれば同じく右手を上げ、メロイックサインをすれば同じくそうした。
「私、妄想のしすぎでおかしくなっちゃった?」
ボソッと言うと、推しの顔をしたその人は言う。
「妄想?僕のプロポーズを妄想だって?そもそもちゃんと聞いてたのかい?」
いやいや、まさかと思いますけども…
「リアン・ウルフウォルト殿下でいらっしゃいます…か?」
「そうだよ、本当にどうしちゃったんだ、君…」
(ヤダーーーー!!なにこれなにこれ!!妄想が現実に?いや、私が妄想の中に?)
よくわからないけど、多分そう言うことだ。
夢にしてはやけにリアルだし。
ちょっとつねってみた手の甲。
うん、ちゃんと痛覚もあるし。
「で?僕の渾身のプロポーズは受けてくれるのかい?」
「…!もちろんです!喜んで!」
(推しと同じ顔に言われたらそりゃそう言いますとも!!)
と、言ったは良いものの、確か設定では、私は公爵令嬢だった様な気がする。…多分。
それってきっと、ものすごくお淑やかにしなきゃいけないんじゃないだろうか…と思うと少しだけ困った。
(っていうか、現実に帰れないとなると、ライブに行けなくない?福岡と大阪と名古屋のチケット取っちゃってるんですけど!?)
「…浮かない顔だな…本当は嫌だったかい?」
「あ、えっ…ごめんなさい…そんなつもりは…」
「君は、ハルトファン宰相や竜騎士ヴァレンタイン、ケットシー公爵とも仲が良かったな?」
(という設定のやつです!それは!)
「許せないな」
「え?」
「許せないと言った」
カプと首筋を噛まれる。
「!?!!!?」
「ふむ、誰にも触れられない様に印をつけておこう」
髪を耳にかけられた。
先ほどとは反対の首筋に、またも唇が触れる。
「しっ…失礼ですが…!この様なことをされては困ります!」
「困れば良いじゃないか。寧ろ僕が困っているんだ」
心臓が怖いくらいに早くなる。
「美しいシルヴィア…」
その言葉に私は思わずリアンと名付けたその王子様を跳ね除けた。
瞬間、私はハッとした。
「あッ!ご、ごめんなさ…」
少しだけ長い黒髪から覗く目は、私を悲しく見据えた。
何か確信めいた目だ。
「いや、こちらこそすまないね。調子に乗ってしまった様だ。後日改めて謝罪させて欲しい」
そう言って推しによく似た王子様は踵を返して去って行った。
(美しいシルヴィアは私じゃない。本当の私は、ただの何でもない平凡な…)
しかし、これは自分が作り出した世界だ。
なんでも好きに作り変えれば良いのではないか?
(ひとまず、容姿は前の姿に戻して、リアン様も平均顔で…私なんか誰も気に留めない……)
しかし、翌朝起きてみても、何故だか全然変わらない。
侍女のサリーに髪を結って貰いながら考えてみた。
私が妄想した部分とそうでない部分が入り混じっている。
要するに、想像しきれない部分は補完されている。
それは当然といえば当然だが、まず侍女のサリーとは程よく仲が良いと言える。
私は、そんな設定はしていない。
それから、意外なことに私は、この世界の外国語に堪能だった。
全然知らない言葉なのにスラスラと4カ国語を操れる。
不思議だ。
そんな面倒な設定もしていない。
なぜなら現実世界でも英語は不得手だったから。
いくら妄想の世界でも、絶対にしない設定だった。
サリーからそれとなく聞くと、私が諸外国に所用で赴くので、リアンは私の旅先の話を聞くのが好きなのだそうだ。
なるほど、たしかに知らない土地の話は面白いよねと思っていたら
「あら?お嬢様、首筋に何やら…これは虫刺されですか?」
とサリーに言われた。
「!!!???」
昨日、リアンに痕をつけられたところだ。
「お嬢様?」
「何でもない!何でもないの!」
「え、でも…」
「本当に何でもないのよおおおお!」
私は部屋を出て、力の限り走った。
妄想の中なのに上がる息。
苦しい。
でも全速力で走った。
住まいの城を抜け、全然設定してないのに綺麗な庭園が見える。
引き寄せられる様に駆けた。
オリーブの木の下、私は息を整える。
(どうしよう、目立つよこれ…)
そっと手を当てた首筋。
そこだけ、なぜだかすごく暑熱い。
(きっと久しぶりに全速力で走ったからよ…)
胸に手を当てる。
早鐘の様なリズム。
これは…
「フンフーーン…フフンフーン…クラーーーイ!!!モーーーオア!!!」
もうやだ!恥ずかしい!死にたい!!
そんな気持ちを打ち消す様に、ブンブンとヘッドバンギングした。
「何だそれは」
「この曲は、アメリカのデスメタルバンド、fish and chipsの曲よ。シーンの7弦ギターとピロレラの6弦ベースの重たいサウンドが特徴で……あ…」
「ふんふん、それで?」
「で…殿下……見てました?」
「頭を振っていたが、蜂でもいたのか?」
「っ!そうです!アシナガバチが…!」
ぜえぜえと息が上がる。
「おや?」
リアンは屈む。
私の脚に触れた。
「!?」
「君、裸足じゃないか。少し擦り傷になっているぞ」
「え?あっ…」
いつの間にか脱げたのか、裸足で立っていた。
リアンは立ち上がると、私をお姫様抱っこする。
「きゃああ!おろし…下ろしてください!」
「また裸足で歩かせるわけにもいかんだろう」
リアンは私を部屋まで運んでくれ、サリーが足を湯で洗ってくれた。
「ごめんなさい…」
「お、来たな」
庭園でお茶を飲みながら待っていてくれたリアンはこちらを見るとニコニコと笑った。
「先程は大変失礼しました」
ニコニコ笑顔のまま、私を見つめる。
(本当にNAOkIみたい…童顔で、切り揃えたワンレンボブ…声までそっくりだし…)
「所で"ですめたる"というのは、なんだい?」
私はお茶を吹き出しそうになる。
「いえ?初めて聞きました。なんですか?」
「なんですかって君がさっき…」
「さあ?知りませんね」
私は食い気味に否定してお茶を啜った。
少しだけ背中に冷や汗が伝う。
「ところで、昨日はすまなかったね」
「あっ…いえ…」
リアンが私の首筋をなぞった。
びっくりして硬直する。
「ああ少し痕になっている」
すごく意地悪そうな笑顔だ。
「これでは外を歩けません」
「いいじゃないか。僕はね、君を囲って誰の目にも触れないように、閉じ込めてしまいたいと思うのだよ」
なんという独占欲。
「それはちょっと…」
「冗談だ。それに虫刺されくらいにしか見えない」
確かにサリーもそう言っていたが、気になる。
「…失礼ですが、本日のご用件は?」
「おや、用がないと会いに来てはならないかな?」
妖艶な瞳が私を見た。
動けなくなる、何も言えなくなる。
すると突然、
「昨日は調子に乗ってしまったから…すまなかった」
リアンは頭を下げた。
「やめてください!頭を上げてください!」
(いやいや、王子様だよね!?)
私は懇願した。
「愛しい君に嫌な思いをさせたのは事実だから」
「いえ!嫌とかそういうのではなくてですね?急な事でびっくりしたというか…条件反射で…こちらこそ跳ね除けてすみませんでした…」
「おや?嫌じゃなかったのかい?」
リアンは立ち上がる。
私は自然に顔を上げた。
すると、おでこに唇が落とされた。
「!」
瞼、頬と伝う。
そして唇に触れそうな距離で止まった。
吐息がかかる。
「殿下、もうこれ以上は…」
「…なおきって誰だ?男の名前だろう?」
その名前の人と、同じ顔の同じ声で言う。
「…存じません」
「…そうか」
リアンは顔を引いた。
それ以上特に追求されることもなく、リアンは帰っていった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
次の日、カイン・ハルトファン宰相がやって来た。
想像では完全に「へのへのもへじ顔」だったけれど、すごいイケメンだ。
緑の髪に銀縁の眼鏡。
知的な雰囲気が漂う。
「シルヴィア嬢、もし宜しければ私に付き合ってもらえませんか?」
そう言われて馬車に乗り、着いたのは一面のラベンダー畑だった。
「わあ、素敵…」
「気に入ってくれましたか?」
「ええ、とっても!」
カインは私に向き直る。
翡翠色の瞳に吸い込まれそうになる。
「シルヴィア嬢…王太子殿下の求婚を受けたそうですね」
「は、はい」
思い出すと顔が熱かった。
「そうですか…それであれば、私は何も言うことはできませんね。貴方の人生に幸多きことを祈ります」
そう言うと、翡翠の瞳が細くなる。
私は少しだけ胸が締め付けられた。
カインは胸に手を当ててお辞儀をした。
「…ですが、どうか忘れないでください。私と言う貴方を愛した一人の男がいたと言うことを」
(私に、この人との思い出は…ない)
でも、精一杯の嘘をついた。
「はい。お約束します。ハルトファン様、これからもどうか殿下のお力になってください」
微笑んでから、お辞儀をした。
その夜は、全然眠れなかった。
そして次の日
「今度はレナート・ヴァレンタイン様が…」
サリーに言われ、窓の外を見ると、薄茶の髪に紺の制服姿が見えた。
階下へ降り、レナートを庭園へ案内した。
「殿下とご婚約されるのだな」
薄茶の髪と瞳。
色素は薄いが、対照的に頑丈な体つき。
なんとなく大型犬の様だ。
なんというか、可愛い系の男性だなと思った。
「おめでとう!シルヴィア!幼馴染としても、とても鼻が高いよ!よかったな!」
(えー!幼馴染だったのー!?)
「うんうん、あのお転婆シルヴィアが将来の王妃かぁ」
「もう、お転婆なんて、私も大人なのよ?そんなこと言わないで」
「貰ってくれる男なんていないと思って、俺が貰ってやろうと思ってたけど、良かったじゃないか」
と言ってニカっと笑った。
笑顔がなんとも可愛い。
そうか、幼馴染なのか…。
「言っとくけど、王妃になったからって俺たちの関係が消えてなくなるわけじゃないんだからな!」
「もちろんよ!大切な幼馴染だもの…」
(話を合わせてる感が否めない…)
レナートは私に手を伸ばそうとして、躊躇い、ぎゅっと胸の前で拳を作った。
「…あれ?なんだこれ」
レナートははらはらと涙を流していた。
「レナート…」
「違う違う。ははは…嬉し泣きだからこれは。…だから、頼むから…もう、行ってくれ…」
レナートは片手で顔を覆う。
私は何も言えず、踵を返す。
後ろから声がした。
「俺に早く貰われてろよ、ばか…」
「ごめんなさい…」
「なんてな。幸せになれ。このやろう」
私は何も言わずにその場を立ち去った。
(知らない顔の幼馴染。幼馴染という設定の。そんな設定になんてしてないけれど…ごめんなさい。私は貴方のことを一つも知らない…)
部屋に戻って扉を閉めると、涙が頬を伝った。
何の涙なのかわからなかった。
背中でコンコンとノックが聞こえる。
扉を開けると、そこにはやはりサリーが立っていた。
「レビン・ケットシー公爵がお見えです」
「えっ…今は…」
私の顔を見てサリーは言う。
「…お引き取りいただきますか?」
私はこの妄想の顛末を見守る責任がある気がした。
「いいえ、お会いするわ」
サリーに化粧を直してもらい、階下に降りる。
そこには神経質そうな男性が立っていた。
いかにも金持ち然とした格好だ。
白い手袋などこの世界では珍しくないのだろうが、この人に関しては一切の汚れを拒絶している様に見えた。
「それで?殿下からの求婚を受けたのですか」
「は、はい」
ガセポで出されたお茶の位置を直していたレビンは、その手を止めた。
「なぜ自ら困難な道を行くのです?貴方に王妃が務まりますか?」
「ええ、私もそう思います」
妄想の中とは言え、この世界が現実かもしれないという不安。
プロポーズを簡単に受けてしまったという後悔。
「私の妻となれば、貴方の幸せは約束されます。莫大な資金は貴方が自由に使って良い。私のことを愛さなくても良い。だから、大人しく私の妻になって頂けなかったのだろうか」
レビンの目は充血していた。
唇を噛んで、小刻みに震える。
私はその気迫に少し狼狽えた。
「もう、何もかもどうでも良い。私と一緒に誰も知らない所へ行きましょう。さあ」
レビンは私に手を差し出す。
でも、私はその手を取ることはなかった。
段々差し伸べられた手は下がっていき、ある所でドサっと力なく落ちた。
ミリ単位で座る位置まで拘っていたその公爵は、椅子の背にもたれる。
「…そうですか」
とだけ言うと、レビンは立ち上がり振り返りもせず歩き出した。
「私は貴方以外の誰かと愛によって添い遂げるつもりはありません。もし私が誰かを妻に迎えることがあれば…そこは誤解なきよう」
そう言って去っていった。
(私はとんでもない世界を作ってしまった。私の妄想によって誰かの幸せを壊しまくっているじゃないか!)
ぎゅっと目を瞑る。
(もういい、どうかもう醒めて!)
だが、その願いも虚しく目を開けても銀髪の髪がはらりと垂れた。
ぽつり、ぽつりと雨が降る。
「お嬢様、雨が…濡れてしまいますから中へ。……お嬢様?」
サリーの言葉は聞こえるけれど、滑って内容が入ってこない。
「雨…雨だわ」
力なく言った。
「そうです、じきにここも雨が吹き込みます。傘を持って来ましたので、中に入りましょう」
雨といえば、私が好きな一曲。
こんな時は音楽に限る。
妄想の世界をぶち壊すように大声で叫んだ。
「血の雨を降らす!お前に絶望を!」
サリーは突然のことにポカンとした。
後ろから声がする。
「その曲は何だ?」
「私が一番好きなサイコ・メンタルっていうバンドの曲で、ボーカルNAOkIの童顔とデスボイスのギャップで女性ファンは虜に…」
「うんうん、それで?」
「……殿下…いつからそこに?」
うーんと考えてリアンは言う。
「血の雨を降らす…とか歌っていたな…」
私はパクパクと口を動かすばかりで言葉が出ない。
「また出たな。なおき…好きなのか?」
その言葉に、私は鼻の奥がツンとした。
「おい、どうした?シルヴィア?」
「私はっ…」
立てなくなって、その場にしゃがみ込む。
リアンがそっと肩に手を置くのを感じる。
「私はシルヴィアなんかじゃないんです…!私は殿下のことも、カイン様のことも、レナートのことも、レビン様のことも…会ったことがない…。初対面です。でもっ…みんながシルヴィアを知っている…」
リアンは黙って聞いた。
涙が溢れて止まらなくなる。
「私はシルヴィアの人生を乗っ取ったのか…あるいはこの世界は現実ではなく、私の想像の産物なのかも…」
言って、はっと口を押さえた。
「君の想像?シルヴィアを乗っ取った?面白いことを言うなあ」
私は少しだけ言葉に違和感を感じて、顔を上げる。
唇を片方だけ吊り上げて笑うリアン。
雨が吹き込んできた。
でも、サリーは時が止まったかの様に動かない。
私を雨から庇う様な格好のリアンは、少しだけ濡れている。
「顔も格好も違うけど…君、いつもライブに来てくれてる子だよね?…香澄ちゃんでしょ?」
「え?な、NAOkI…?」
「思い出したよ。…そう、なんだか最近引っかかっててさ。頭の中に靄がある感じだったんだよね。何か大事なことが思い出せなくて。でも、そう、思い出した」
「やっぱり…やっぱり殿下はNAOkI…さんだったんですね?」
「あー、NAOkIでいいよ」
信じられない。
いや、もともと信じられない世界にいるわけだけれども。
「あの、私のこと覚えてくれていたんですか?」
「覚えてるよー。俺たち、自分で言うのもなんだけど、女子ウケするバンドだから、ガチのメタル好きって実は少ないんだよね」
「あ、はい。まあ、確かに」
「でも君はメタル好きでしょう?よくファンレターもくれるし、SNSのコメントも読んでるけど、音楽知ってる人の意見だなって思って。派手な見た目の子も多いけど、真面目そうだから逆に目につくし」
と言って笑った。
急に恥ずかしくなる。
「バイトで、あんまり派手な髪とかピアスはダメで…地味な見た目のファンでごめんなさい…」
「ごめんごめん、そういう意味じゃないんだ。俺は好きだよ、君の見た目も、それだけじゃなくて面白い意見も」
「え…?」
NAOkIが照れてる!
嘘だ嘘だ!
それこそ妄想だ!
「あの、いつからこの世界に?」
「多分、プロポーズのあたりから…かな?その前のリアンの記憶もあったはずなんだけど、今はもうプロポーズよりも前のリアンの過去は思い出せない。何でこの世界に来ちゃったのか分からないんだけど。…今も夢みたい」
NAOkIは肩をすくめる。
「ごめんなさい…私のせいで…」
「なんで君のせいなのさ」
「私が変な妄想をしたから…」
恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
「うん?変な妄想?よってたかって口説かれるっていう?」
「だけじゃなくて!その…NAOkIにプロポーズされる…という…」
ブハッと盛大に笑う推し。
くしゃくしゃの笑顔がかわいい。
「それは俺も同じことを考えていたからかもしれないなあ。ファンに手を出すみたいで声かけられなかったから」
「え?えええええ!?」
「まあ、だから、そういうこと」
「嘘だ!そんなわけない!まだ妄想の中にいるんだわ!やだもう!」
「こら!ちゃんと聞きなさい!」
肩を掴まれて立たされた。
雨はいつの間にか、粒のまま空中で止まっていた。
動くたび、水滴に触れる。
「俺も、君とこうやって話がしたかった。あわよくば付き合いたいと思った!わかったか!?もう妄想って言うのは禁止!」
「は、はひ…」
「この世界が終わる前に…福岡公演、来てくれるだろ?」
こくこくと頷いた。
「ちゃんと迎えに行くから、待ってろ。良いな?」
「は、はい…」
少しずつ霞んでいく景色の中、NAOkIは私の唇に柔らかくくちづけを落として消えた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「今日は来てくれてありがとう。最後の曲です」
ああ、あの雨の曲だ。
私はドセンで頭を振る。
福岡公演が終わった。
ロビーで何となく待っていたけど、ある疑問が。
(なぜ電話番号だけでも伝えなかったのか…)
そもそも、シルヴィアだった時とは全然姿が違う。
覚えてくれていたとはいえ、なんだかものすごく無理がある様な気がしてきた。
(何を期待して…馬鹿みたい。ただの妄想の延長よ…夢を見ていただけ。…帰ろ…)
踵を返すと、ガシッと腕を掴まれた。
振り返ると、帽子を目深に被り、黒縁メガネで髪を束ねて、マスクをしている、不審な男だった。
びっくりして飛び上がると、その男は人差し指をマスクの上に当てた。
「しーっ。バレちゃうから」
「えっ…!なっ…なお…」
「ああもう!こっち来て!」
私は手を引かれて走り出す。
しばらく走って路地裏に入った。
二人で息切れを笑うと、NAOkIが言った。
「なんで帰ろうとするんだよ。約束しただろ」
「だって、妄想…それに姿もシルヴィアと違うし…」
「妄想っていうの禁止だってば!」
まったく!と言って、NAOkIはプンプンしていた。
ごめんごめんと言って宥めると、長身のNAOkIが私を見下ろす。
そして、突然ぎゅうと抱きしめられた。
「わわわ!」
「言っただろ。香澄ちゃんのことは見た目も含めて好きなんだって」
「くっくるしい…」
「あっ!ごめん!」
NAOkIはパッと離れる。
ふふっと笑いが漏れる。
「なんだかとっても不思議です」
「あの世界以上に不思議なこともねぇだろう」
NAOkIは両手で私の顎を包む。
「うん、やっぱり香澄ちゃんが好きだ!」
たくさんの甘々なセリフよりも率直な好きが一番嬉しい。
きっと私の顔は真っ赤だろう。
熱のこもった瞳で見つめられた。
しばらく見つめ合うと、突然NAOkIは口を開く。
「ほら!返事は?」
「はい!私も推しじゃなくて、一人の男性としてNAOkIが好きです!」
「よく言えた!偉い偉い」
はははと笑って、抱きしめあった。
この話はここでお終い。
でも、妄想じゃない現実の世界で私たちは幸せになる。
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