聖女を害した女
とある女性を預かって欲しい。
但し素性は明かせない。
そんな依頼が突然、本当に前触れ無く王都から届いた。
書状を手にセラー辺境伯爵は頭を抱えた。
また突然の無茶ぶりだ。
レイモンド・セラー辺境伯は28才、独身。
類い希とまではいかないがソコソコ整った容姿に、武芸で鍛えた身体を持つ男であるが、独身であるのには理由がある。
人間不信、中でも女性不信をこじらせているからだ。
その原因は、セラー辺境伯が貧乏であったこと。
それだけだ。
セラー家は辺境伯として代々この地を守ってきたが、平和な世が続けば段々辺境の重要性は下がっていった。
何も無い田舎。
そう評され、徐々に人は離れて行き、そして、人が離れれば税収が下がり・・・。
と、徐々に徐々に寂れていった。
レイモンドが当主となったのは18の時、既に破産の足音は間近に聞こえていた。
そんな所に嫁いで来たがるような女性はいない。
貴族子息として王立学園で学んでいた時も、女性達から見向きもされなかった。
「セラー?あそこは無いわ。」
と、口々に貶めていた。
陰口ですらなく表だって言われていた。
お陰で卒業パーティもパートナーは無く、“ぼっち”だった。
ただ、性格もあってか同性の友人は、それなりにできた。
学生時代の財産はそれだけと言っていいだろう。
卒業してすぐ、両親から辺境伯の座を受け継いだ。
両親は金策に疲れきっていたのだ。
今の地位を保てるのも時間の問題。
残りの時間レイモンドに少しでも辺境伯としての経験を積ませたいと言って隠居してしまった。
レイモンドは、落ち目になる一方の辺境領をどうにかすることもできず、ただ手探りで色々やっていた。
当然上手くいかない。
レイモンドは何でもした。
恥を忍んで友人に支援を頼んだり、王都の財政管理部に窮状を訴えたり、最後は神頼みをした。
元々この国は聖女信仰の強い土地だ。
代々聖女が結界を張り、魔獣から国を守ってくれる。
この辺境でも、いや辺境だからこそ魔獣被害はあり国の中でも信仰心の厚い土地柄だ。
レイモンドは領内の聖女を奉る修道院や祠を整備した。
だからなのか、偶然なのか。
レイモンドが19才の時に領地から温泉が見つかった。
借金の督促に来た友人に追加出資をするから開発しろと勧められた。
友人は腰痛持ちだった。
成功するかはわからなかったが、窮地を救ってくれた友人の腰痛が改善するならと試しに保養地として整備した。
すると、友人は劇的に良くなった。
レイモンドは、ただ単に粗食とか規則正しい生活が良かったのでは無いかと思ったが、友人が泉質が良いと触れ回ってくれた。
お陰で瞬くまに評判になった。
借金で疎遠になりつつあった元学友達も掌を返した。
レイモンドが手も口も出さなくとも、どんどん開発され、人が訪れるようになり、それは困窮していたレイモンドとセラー辺境伯領を救った。
数年で借金は返済の目処が経ち、後は富むばかり。
と、なった所で女性達の目の色が変わった。
塩対応からの、熱視線。
レイモンドは辟易した。
こんな風に、女性と言うのは変わってしまうのか。
女性不信に陥った。
更に、両親が変わった。
まだまだ自分たちは現役だとか言って口を出すようになった。
口は出すのだが、居城には戻らず、保養地の最高級ホテルの最高級部屋で贅沢をするようになった。
更に今まで聞いた事も会った事も無い親戚達が押しかけてくるようになった。
助けて欲しい時は助けて貰えない。
なのに、こちらが富んだ瞬間にたかりにくる。
遠いとは言え血が繋がっている人間ですらこうなのか。
レイモンドは人間不信になった。
誰とも会いたくなく、金銭的な心配が無くなったのを良いことに、屋敷に籠もるようになった。
幸い、温泉街は華やいでいるが、レイモンドの住む居城付近は手を入れていない為、相変わらずの寂れっぷりだった。
初めて訪れた人は、恐らく百人が百人、領都は温泉街の方だと思うほどの格差っぷりだった。
寂れた居城周囲でレイモンドは昔の貧乏だった頃の草臥れた格好で好きに過ごした。
放っておいても富む一方なので、政務もおざなりだ。
と、言うか時々両親がやってきて好き勝手するのでやっても意味がなかった。
だが、若くして隠居したようなレイモンドを世間は放っておいてくれなかった。
例えば、元学友達。
借金申し込みと一緒に疎遠になったヤツほど、すり寄ってくる。
田舎とバカにしていたのに、今は寂れた雰囲気が良いと言って態々レイモンドの居城を訪ねてくる。
イヤイヤながらも、話を聞けば、
「都会の生活に疲れてしまった。」
「出世争いに負けて疲れてしまった。」
など様々な愚痴をまき散らし、すっきりすると寂れた空気に飽きるのか温泉街に行ってしまう。
レイモンドは勝手な元友人達、知人達に呆れ、来ても会わないようになった。
数日滞在させてやれば何も無さに退屈して温泉街に行くような輩だ。
態々会う必要も無い。
レイモンドは素気なくしているつもりだったが、セラー伯爵領には癒やし効果があるという評判が広がり、レイモンドの所には、現実逃避をしたい人が紹介され、やってくるようになった。
中には、婚約者から逃げてきた等の訳ありの女性なども匿って欲しいなどと来るようになった。
辺境伯の城は古いが堅固だ。
城以外にも、領内には身を隠し、閉じこもるのには便利な場所や仕掛けも幾つかある。
つい最近まで自身が困窮していたレイモンドは女性に同情して、一時滞在を許した。
困っている人を助けになればと思ったのだ。
だが、その数はどんどん増えていった。
問題はすぐ起きた。
滞在費くらいは今のセラー伯爵領では問題にならないが、自称婚約者から逃げてきたはずの女性達がレイモンドにすり寄ってくる。
その行動はあからさまでレイモンドは受け入れていた女性達を全て追い払ってしまった。
当然、文句が出た。
折角相手を見繕ってやったのに。
と、文句を言う人も居たのだ。
だが余計なお世話だ。
人の面倒を見ている場合じゃ無い。
二度と受け入れない。
と、レイモンドは言ってやった。
実際、人の面倒を見ている場合では無かった。
外部の人間以外にも、内部の人間が五月蠅くなってきたからだ。
保養地で過ごしているのに満足していた親戚の親戚の親戚達までもが城に押しかけてくるようになったのだ。
“他の女性に取られる前に。”
と、思ったのだろう。
寂れた居城に、困窮した女性達の代わりに自分の娘や姪や寡婦やらが送り込まれてきた。彼女たちは勝手に自分こそがレイモンドの妻になると争い初めた。
レイモンドは、本当にウンザリした。
猟や、散歩など外に出歩き城に寄りつかないようにした。
留守の居城でどんな争いがあったのかわからない。
仁義なき親戚の諍いの結果、数人だけが残ったようだ。
五月蠅い事は五月蠅いが数が減った分かなり楽になった。
これで、一安心。
そう思っていた所に王都からの勅命だ。
全くもって嫌な予感しかしない。
しかも断りの手紙を返したのに次の日には女性はやってきた。
到着の場に偶然レイモンドは居合わせた。
気ままな散策に出ようとした所だったのだ。
目立たないが質の良い馬車が来たな。
と、思ったら老齢の女性が降りてきて門番に
「辺境伯に会わせるように。」
などと言い出している。
当然、そんな事は出来ないと門番は言う。
会わない。
入れない。
と、言うレイモンドの命令を忠実に守るようだ。
だが、女性は怯まずに封書を差し出す。
そこに推された封蝋にレイモンドは見覚えがあった。
王都からの物だ。
慌てて門番と女性との間に割り込んだ。
封書をその場で開けると、
先触れ通り、この女性の身柄を預かって欲しい。
そんな内容だった。
レイモンドが溜息をつくと、了承ととったのか女性が馬車に声をかけた。
中から降りてきた女性は一目でただ者ではないと感じさせる雰囲気を漂わせていた。
「しばらくお世話になりますわ。」
レイモンドよりも年下と思われるのに、どこか威圧感のある口調だった。
格好も仕草も一部の隙もない。
靴から手袋の小物まで一級品を身に着けている。
白銀の髪を縦に巻き、一房の乱れもない頭。
長旅であったろうに、疲れも化粧も崩れさえ見えない。
ピンと伸びた背筋、立ち姿の美しさ。
洗練された所作でレイモンドを圧倒した。
そのまま客間へと案内したが、レイモンドはその間に沸々と怒りがわき上がってきた。
こちらの事情を聞く前に、無理強いするとは幾ら王宮でもやって良いことと悪いことがある。
感情のままに
「私は、受け入れをお断りしたのです。名前も存じ上げない方。」
そんな事を言った。
「なんと無礼な!お嬢様にそんな口の利き方をするなんて。こちらは、療養に最適と聞いたからこんな僻地まで足を向けたと言うのに。お嬢様をこんな扱い・・。」
既に初老にさしかかろうとしている年齢の侍女が怒ってくる。
「ケリー、やめなさい。」
静かに女性は侍女、ケリーを宥めた。
そのすきにレイモンドは畳みかけた。
「色々ありまして、訳ありご令嬢を受け入れるのは止めたのです。そう断りの早馬を出したのですが、まさかご本人が、すぐいらっしゃるとは思いませんでしたので。」
「それは、こちらの不手際ですわね。ですが、このまま戻るにしても時間がありません。何処か別の所を紹介頂けません?」
そう言われればレイモンドも高位と思われる令嬢を無下に扱うことも出来ない。
「わかりました。数日。返答が来るまでご滞在下さい。」
「感謝致しますわ。」
ふわりと広がるスカート。
美しいカーテシーだった。
女性が苦手なレイモンドも思わず見とれる。
「まぁ、新しい方がいらっしゃったの?」
「またですの?迷惑ですわね。」
叔母とその娘の姪コゼットが無作法にも部屋に飛び込んできた。
仁義なき親戚戦争の勝者達だ。
「叔母上、コゼット嬢。突然部屋に入ってくるのは無礼ですよ。」
レイモンドが窘めるが、当然聞く耳も持たない。
「だって。この家に無理矢理入ってくる無礼者を見定めないといけないんだもの。」
「そうそう。」
二人はギャアギャアと語り出す。
言う内容が自己紹介なのが痛々しいのに気づいていないのが、何とも言えない。
「その方ですのね。王都から来る名無しさん。」
「何とか言ったらどうですの?手紙一つで乗り込んできて。この辺境伯領は渡しませんよ。」
勝手に客に話し出す。
「確かに来客をお断りする理由がお有りですのね。」
令嬢はレイモンドに言った。
「親族が失礼しました。このような事情でして、滞在をお勧めできません。」
「賢明な判断ですわね。」
令嬢は頷いた。
その間も二人は
「無視するんじゃないわよ。」
「高慢ちきな女ね。」
ギャアギャアとわめく二人にレイモンドは頭を抱えそうになった。
二人を完全無視して令嬢はレイモンドに言った。
「セラー伯。部屋に案内をお願いして下さる?」
レイモンドは反射的にその命令に従った。
ベルを鳴らして、メイド長を呼び部屋に案内させる。
メイド長も一瞬眉を顰めた。
だが何も言わずに、いや令嬢の眼差しの非難・・・メイド長なのに、感情を外に出すのか・・と語る目に黙った。
それから数日、令嬢は部屋で静かに暮らしていると言う報告を受け、レイモンドは彼女を放置した。
いや、感情的に無理だった。
と、言うのも王宮からは
「女性問題が起きるのならば、レイモンド自ら対応しなくても良い。トラブルから隔離し、丁重に預かって欲しい。」
と、言う命令書が届いたからだった。
有無を言わせない命令にレイモンドは腹を立てた。
そもそも、お上はいつも自分勝手だ。
こちらには義務ばかり押しつける。
困った時には助けてくれない。
レイモンドがお金に困り、恥を忍んで減税を願い出た時だって
色々難癖をつけて聞き入れてくれなかった。
なのに・・・だ。
レイモンドは、命令書通りに自分で対応するのを止めた。
執事やメイド長に命令書を見せて指示通りにするように伝えた。
それで仕事を終わった事にして、何も無かったように生活する事にした。
だが、レイモンドの人生は、レイモンドの思ったようにはならない。
くだんの名無し令嬢が問題を起こしたのだ。
問題と言うか苦情だが。
曰く、
部屋が気に入らない。出される食事が貧相。茶葉の質が悪い。メイドの質も・・。
等など。
そんな文句をつけられたと、レイモンドにメイド長が訴えてくる。
執事も眉を顰めて、不快感を隠そうとしない。
その上、
「あんな我が儘な人の相手はできません!」
おまけに叔母母子も、レイモンドを追いかけ回し、令嬢の事を言いつけてくる。
こんな事もあった。
隣国からの客人が、レイモンドの本宅を訪ねてきた。
保養地の方では無く寂れた城の方が興味があると。
確かにレイモンドの居城は歴史的には面白い建物かもしれない。
住み心地は良くは無いが。
断ろうかと思ったが、お忍びとは言え、国にとって要人だ。
レイモンドは接待する事にした。
だが、それが間違いだった。
何を勘違いしたか叔母がコゼットを嗾けてきたのだ。
田舎貴族の付け焼き刃で、外国の客に応対しようとする。
最初は笑っていた客も、不愉快さを隠さなくなった。
そこに更に間が悪く、令嬢とかち合ってしまった。
客人は令嬢に興味を持った様子で、話しかけ、令嬢もそつなく返答をした。
それで客人は機嫌を直した。
そこから、令嬢は、客人に請われてセラー領の説明までしていた。
どうしてそんなに詳しいのかと、レイモンドは呆気にとられたが、その態度が問題だった。
まるで、令嬢の方が主人のようだったのだ。
堂々とした振る舞いにレイモンドは内心不愉快になった。
逆に、客人は上機嫌で帰っていった。
令嬢の手袋越しに口付けを落として。
本当に女主人のようだった。
それ以降、使用人達の不満の声は更に高まった。
色々な事に口出しされ我慢が出来ない。
まるで、あの人が主人のようだ。
レイモンドも我慢の限界になった。
令嬢を執務室に呼びつけ、
「どういうつもりですか?いくら王宮からの預かりとは言え、ただの居候のあなたにとやかく言われる権利はありません。家政にまで口を出さないで頂きたい。」
と、はっきり言った。
「居候。そのような認識でらっしゃるの?」
令嬢は小首を傾げて言った。
突然、呼びつけたにも関わらず、今日の令嬢も完璧な装いだった。
肌を一切出さない。
「実際そうではありませんか。素性もはっきりしない、ただ丁重に揉め事から隠せと言われるだけ。令嬢に失礼な物言いかもしれませんが、胡散臭い厄介な預かり物です。」
「なるほど。」
令嬢は頷いた。
そこに叔母母子が突入してきた。
「まぁまぁまぁ。とうとうレイモンド様自ら、言って下さってるの?」
「そうですわ。このような方追い出した方が良いですわ。」
「この歴史深いセラー領には不要。いえ、不名誉な客ですもの。」
「本当、未だにお名前も名告らずに。」
「仕方がありませんわ。名告ることが出来ないのですもの。」
「えぇ、えぇ、名前は名乗れませんよねぇ。」
「あんな・・ねぇ。」
二人はわざとらしい言い回しで話し始める。
まるで質の悪い寸劇を見ているようなやり取りで言うには、
“王都では、先日聖女様が襲われた。
重症を負い今は療養されている。
暴漢を嗾けたのは、王太子の婚約者のある高貴な女性。
その女性は身分と外聞もあり、軟禁されていたが、辺境の地に謹慎を申しつけられた。”
「まぁ、まるで・・・。」
チラリと二人は令嬢に視線を送る。
「証拠は無いでしょう。下らないことを言うのはお控え下さい。」
侍女が口を挟んだ。
普通ならば、侍女風情が口を挟む場面では無い。
しかも、何よりも尊ぶ聖女様が害されたと聞いて、レイモンドは腹が立った。
そして改めて、令嬢に向き直った。
「あなたが素性を明かされない故、このような事態が起きるのですよ。」
「黙って聞いていれば!お嬢様になんて失礼な!!」
令嬢の侍女が怒り出す。
「お黙りなさい。ケリー。」
静かな声で制した後、令嬢は一息ついてから口を開いた。
「そうですわね。確かに名告らないのは無礼ですわ。素性の知れない者に警戒をするのは当然のこと。」
穏やかに言うと、改めて礼を取った。
初対面の人がするような儀礼的な仕草を、流れるように見せる。
「カロリーヌ・メル・ファセットですわ。」
きっぱりと言い切ったカロリーヌは堂々としていた。
「ファセット・・。やっぱり。」
「ファセット宰相の娘。」
レイモンドが呻くように言った。
ファセット宰相の掌中の珠。
才色兼備。
淑女の中の淑女。
王太子殿下の婚約者。
未来の王妃・国母。
それは表向きの噂。
裏では、
「やっぱり噂通りね。高慢で、学園でも聖女様の事を虐めていたそうじゃない。」
「火の無いところに煙はって言う物ね。」
ボソボソと話される内容はレイモンドも知っていた。
その話を耳にするにつけ憤っていたものだ。
この土地の者なら誰もが見もしない婚約者を嫌っていた。
何より他の地域よりも聖女信仰が篤い。
一気にレイモンドの令嬢、いやカロリーヌに対する嫌悪感が増した。
「そんな人を、この屋敷で匿うなんて。考えただけで怖気がたちますわ。」
「私たちも何かされてしまうかもしれません。」
「ねぇ。レイモンド様ぁ。何とかしてくださいません?」
甘えたコゼットの声。
いつもは気持ち悪く思える声だが、無性にレイモンドの心に響いた。
しかし、王宮からの命令はいいのだろうか?
冷静な自分が、何処かで囁く。
そこに令嬢が、
「確かに、私がここに滞在するのは望ましくないかもしれませんわね。当初、私は修道院へ入る予定でしたもの。宜しければそのように取り計らって下さいません?」
カロリーヌがそんな事を言い出した。
「わかりました。お望み通りに致しましょう。」
レイモンドは、直ぐさま手配した。
望み通りに修道院へ。
中でも聖女信仰の篤い、今も厳格な戒律を守っている修道院へと受け入れ要請をした。
カロリーヌと侍女は、受け入れ可の返答を聞いた当日に移動していった。
これでようやく問題がいなくなった
レイモンドは、ようやく肩の荷を下ろした気持ちになった。
今まで通りの日常に戻った。
変わらない。
そのままで平和で、これがずっと続いていけば良い。
そう思っていたある日。
レイモンドの元に友人が訪ねてきた。
学校時代のクラスメイト。
クラス長をしていた秀才だ。
今は官僚の出世頭として注目されていると他の友人から聞いていた。
「どうしたんだ?君も疲れちゃったのか?」
激務で疲れて、田舎に気分転換に来たのかと思いきや、友人は真剣な顔で声を潜めて
「あのお方はどこだ?」
と、言ってきた。
「あのお方?」
誰だ。
と、レイモンドは聞き返した。
全く見当がつかなかった。
「・・・救国の乙女だ。」
「なんだい。それは。」
「国から要請を受けただろう。保護を。」
「悪いが全くわからない。」
「本気で言っているのか。」
友人は声を荒げた。
「悪いが本気で分からない。」
レイモンドは首を振る。
「数ヶ月前に、王都から保護要請が来ただろう。女性が二人来ただろう。何てことだ。僕は君を信じて推薦したのに。」
「推薦?あぁ、君の差し金か。」
レイモンドは急に不愉快になった。
かつて、貧乏だとバカにすることなく平等に接してくれていたクラスの秀才。
彼もレイモンドが少し裕福になったと見れば、聖女を害した罪人を押しつけてきたのだ。
「あぁ、急に来たよ。全く迷惑だった。以前、困窮している時は何もしてくれなかったのにこちらに余裕が出来たら、何でも押しつけてくる。聖女を害した罪人に、外国のお客様、果ては都会の生活に疲れた官僚・・・。」
チラリと友人を見て、真っ青な顔に厭味をぶつける。
「あのご令嬢は本人の希望で修道院に行ったよ。我が領で最も厳格な戒律で知られる所にね。」
「なん・・って事を!!!」
友人の顔は真っ青を通り越して紙のように真っ白になっていた。
「今!今すぐそこに案内しろっ!!」
怒鳴り、レイモンドの腕を引きずった。
「オイ。どうしたんだよ。」
レイモンドは
全く状況が読めなかった。
真っ青な友人に、懇願されて修道院に案内する。
様々な場所で修道女が奉仕作業をしている。
レイモンドが行くと、皆が膝を折って挨拶をしてきた。
そして、
「いらっしゃったお嬢様はとても真面目にお務めに励んでますよ。」
と、先に教えてくれたのだ。
「どこにいるのか!」
と、友人が詰め寄った。
案内された中庭で、
その中に交じってカロリーヌ嬢も燭台を磨いているのが見えた。
修道服では無く、落ち着いた色合いのワンピースを着ている。
肌の露出がない隙のない装いなのは変わらないが装飾品は着けていない。
髪も無造作に一つで纏めている。
友人はカロリーヌ嬢に駆け寄り、前に跪いた。
「失礼します。私どもの手違いでこのような扱いを・・。」
深く深く頭を下げる友人。
「あなたは・・。いえ、名前はお呼びしない方が宜しいでしょう。私は、今は修道女見習いですわ。」
「いえ、こちらの手違いです。連絡の不行き届きがあったようです。今すぐこことは違う所を用意します。」
焦る友人の姿をレイモンドは初めてみた。
いつだって冷静沈着だった男が冷や汗まで浮かべている。
「いいえ、私の希望通りですわ。私は修道院に入りたいと思っておりましたの。ですから満足しておりますわ。」
「そんなっ。」
友人はその場で崩れ落ちた。
「なんて・・なんてことだ。どうか。どうかお許しください。どうか。」
その場で手を地に突けて謝る友人。
「許すも何も。私は満足していますわ。私の望んだ通りになりましたもの。我が儘を許して頂けるなら、このままそっとしておいてくださいませ。私は次の務めが待っておりますの。これで失礼しますわ。」
「いえっ。それではっ。」
そこまで言って友人は言葉を呑んだ。
令嬢が振り返って人差し指を一本唇の真ん中に当てた。
静かに。
幼子に言い聞かせるような仕草は、彼女がするとどことなくチグハグに見えた。
だが、友人は我に返ったらしい。
周囲に視線を向け、黙り込む。
帰ろう。
そう告げたレイモンドに、友人は、修道院に留まりたいと言ったが戒律の厳しい所だ。
外部の人間は、入れる時間は決まっている。
領主であるレイモンドが話を通したから当日の訪問が出来ただけだ。
それで無ければ門前払いを食らっていただろう。
渋々、修道院から出た友人にレイモンドは話しかけた。
どうしてそんなに焦っているのかと。
理由を教えて欲しい。
と。
だが、友人は顔を顰めるだけだ。
レイモンドは、館についたら改めて聞こうと思っていた。
何とも嫌な予感しかしない。
だが、友人は、領主館に着くなり王都へ戻ると言い出した。
そして、止めるレイモンドに急ぎと言って戻っていってしまった。
一体何だったのか。
レイモンドは首を傾げた。
だが、もっと驚いた事に翌朝友人は戻ってきた。
ただ、今回は一人ではない。
三人の男を連れてきた。
友人は、修道院に案内しろ。
と、言ってきた。
鬼気迫る勢い。
目は血走り、顔色は悪い。
連れてきた三人の男は友人に落ち着けと言っている。
三人の男はフード付きのマントを羽織、その下には文官の服を纏っていた。
文官。
学生時代の俺が就きたかった仕事。
俺が領主になった時、冷たくあしらってくれたお陰で大っ嫌いになった人種だ。
だが、この三人はちょっと違う。
醸し出される高貴な雰囲気。
ただの官僚では無い。
と、いうか官僚自体ではないのか?
ジロジロと不躾な視線を送る俺に、友人は再び修道院へ案内するよう繰り返し言う。
レイモンドは断った。
実際無理だった。
戒律が厳しく、外部から接触を断っている修道院だ。
そうそう頻繁に面会が出来る訳では無い。
「この方達の身の上は保証する。だから入れてくれ。令嬢に会わせてくれ。」
「いや、身の上の問題では無い。あの修道院は外部からの客は基本受け入れないんだ。昨日だって特例だ。」
「ならば、押し入るのを黙認しろ。」
友人とは思えない、物騒な言い分。
三人の内の一人、一番身分が高いと思われる男が
「理由も言わず無理は通るまい。」
と、言った。
「しかし、それでは。あの方の。」
友人は言う。
「良いのだ。」
男がフードを取った。
顔が露わになる。
その顔にはさすがにレイモンドにも覚えがあった。
「王太子。殿下。」
慌ててその場に跪く。
「良いのだ。楽にしてくれ。」
「なぜ。」
「わが婚約者を迎えに来たのだ。修道院へ案内してもらえないか。」
レイモンドは慌てて修道院へ使いを出した。
早馬を飛ばし、後を馬車で追う。
王太子殿下達が乗ってきた馬車の御者台に友人と一緒に乗り、事情を聞かされた。
今回一緒に来たのは、王子、宰相のご子息、そして騎士団長のご子息だと。
何故来たのか。
カロリーヌを迎えに来たのだ。
保護しに来たのだ。
カロリーヌがいなければ国が滅んでいたかもしれない。
聖女を虐めていたというのはデマだ。
本当は、聖女が隣国の王子と共謀して我が国の宝を持ち出そうとした。
それを令嬢が身を挺して止めた。
だが、その代償として令嬢は傷を受けた。
聖女のスキャンダルを表に出せず、令嬢が悪者となる噂が流れた。
当初、王宮で匿っていたが、噂は大きくなり、避難させる事になった。
令嬢の心を癒やし、匿う場所として、レイモンドの領地を友人が推薦した。
はっきりと内容は書けなかったが、大事な人を預かってもらう為に手紙を出したし、十分な経費も前払いしたはずだ。
どうして、こんな事になったのだ。
友人は恨めしげに言う。
だが、レイモンドは何も知らない。
連絡など直前の一通しか来ていない。
経費なども知らない。
知らないとしか言いようが無かった。
呆然としたレイモンドに友人は
そうだろうな。
と、言った。
“どうして。”
と、言った口で
“そうだろうな。”
と、友人は言ったのだ。
それにはどこか諦めが感じられた。
レイモンドへの諦めが。
時間が無く、療養先に心当たりが無いかと問われてセラー領を挙げた。
レイモンドなら令嬢を引きうけてくれると思い込んでいた。
そんな風に友人は続けた。
だが、内情を調べるべきだった。
学生時代の認識のままでいた自分が甘かった。
いくら、時間が無く、周囲に知られる訳にいかなかったとは言え、事前調査を怠った自分たちの落ち度でもある。
友人に謝られたレイモンドの立場は無かった。
更に友人は続けた。
レイモンドの領では、不正が行われているようだ。
お前は気づいていないだろう?
と。
馬を駆りながら、レイモンドはこれ以上無く打ちのめされていた。
聖女を信じていた。
自分を苦境からすくい上げてくれた存在だ。
なのに、当代は我が国を売ろうとしたらしい。
にわかには信じられない。
その上、信じていた部下達がレイモンドに大切な報告をせず握りつぶしていたこと。
その裏にはコゼット達が暗躍していること。
彼らはセラー領を乗っ取ろうとしていること。
父親達も潤ったセラー領をもう一度統治したいと思い、内情をかき回していること。
それらは令嬢がこちらにやってきてから、令嬢が気づいた事だ。
令嬢が、セラー領が不当に親族に搾取されているらしいこと。
そこに隣国の関与もあることを察知して知らせてくれたから、提出書類を再検査出来たこと。
気づいた令嬢が冷遇されていないか友人が探りにきたのだと。
種明かしをされた。
話がほぼ済んだ頃、修道院に着いた。
王太子、側近の二人が入れるようにレイモンドが交渉する。
だが、院長は聞き入れない。
殿方が入れるのは月に一度だけだ。
それ以外はダメだと。
何よりも令嬢が面会を拒絶していると。
もう、戻るつもりは無いと。
そう告げられる。
帰り、領の館で、レイモンドは、王太子に叱責では無く、感謝の言葉をかけられた。
「私たちの事情に巻き込んでしまったな。彼女が路頭に迷わなかったことだけでも感謝している。」
その言葉をレイモンドは冷や汗をかきながら聞いた。
王太子は、来月また来ると告げて王都へ戻っていった。
お礼に友人をこの領地に残していくと告げて。
レイモンドは、友人の助けを借りて、領内を見直した。
帳簿を突き合わせ、叔母親子と癒着していた執事やメイド長を処罰した。
父親も領内の寂れた区域に隠居させた。
簡単に抜けだせない場所だ。
そうして色々整理すると、驚くほど領内の治安が改善した。
今まで上がっていた苦情が激減した。
領の税収見込みも、ほぼ1.5倍になった。
お陰で、手をつけられなかった事業へ投資できるようになった。
より一層、領地が栄えるだろう。
セラー領の未来は明るかった。
晴れないのはレイモンドの気持ちだけだ。
盲目的に信仰していた聖女。
それに裏切られた。
信じていた部下。
呆れながらも放置していた親族。
信仰心はともかく、自分の甘さが招いたことだ。
成功して以降、気を緩めてしまった
後悔しかない。
レイモンドは、毎日を悔恨の中で過ごす。
何故、自分は、あんな事をしてしまったのか。
学生時代、貧乏人と侮られていた悔しさを知っていたのに。
自分は、人を偏見の目で見ないと心に決めていたのに。
立場が変わると、易々と人は志を変えてしまう。
自分で自分が許せなかった。
償いのように領地経営に力を入れ、得た収益を修道院や孤児院困っている人に還元するようにした。
自分にかける資金は最小限にした。
屋敷でレイモンドの世話をする従僕や召使いも。
甘い汁を吸おうと寄ってくる人は拒絶した。
仕事関係以外の人付き合いをしなくなったレイモンドだったが、例外があった。
王子と、その側近達だ。
特に王子はレイモンドを一方的に友人と認定したようで、気安く接してくるようになった。
レイモンド自身は王子の訪れは気が重い物だったが、身分が身分なのでレイモンドも邪険に出来ない。
王子達は時間が出来ると、セラー領にやってくる。
三人揃っていることもあれば、二人の時、はたまた王子だけの時もあった。
そして、レイモンドの居城に一泊して帰っていく。
観光や保養目的では無い。
目的はカロリーヌのいる修道院だ。
いつも面会を断られるのに、それでも通っている。
最近は院内にも入れて貰えないのにだ。
実はレイモンドも入れて貰えなくなった。
カロリーヌが滞在している修道院と言うことが漏れたらしく、訪問する人が増えたのだ。ただでさえ外部との接触を最小限にしている修道院なのに、面会希望者の中に強引にカロリーヌを帰すよう院長に迫る人がいたらしい。
警備隊が出て騒ぎを収めたが、修道院は面会を取りやめた。
面会日が無くなったので王子は、来れる日にセラー領を訪れるようになった。
例え入れなくとも、近くまで寄りたいのだと言う。
言葉通り、終日修道院の外で彼女を待ち、日が落ちてからレイモンドの居城に訪れる。
夜遅くに帰す訳にいかず、レイモンドはやむなく王子を居城に泊めた。
居城には召使いは最小限しかいない。
だから、ホテルを使って欲しいのだが、王子はレイモンドの居城の方が良い。
で、無ければ帰ると言い張るのだ。
仕方なく、レイモンドは王子をもてなす。
レイモンドの居城には、今、料理人がいない。
食に興味の無くなったレイモンドはパン・チーズ・ワイン程度の食事しか摂っていなかった為、料理人は解雇したのだ。
解雇しても温泉街の方で料理人は引く手あまただ。
紹介状を持たせて解雇したので、喜ばれた程だった。
レイモンドはそんな食生活に文句は無い。
だが、さすがに王子に出すのには気が引けて、誤魔化すように酒を振る舞ったのが間違いだった。
王子は、酒に溺れた。
貯蔵庫に眠っていた銘酒だったのもいけなかったかもしれない。
王子は飲むと語り始めた。
他で語れない、後悔の日々を。
レイモンドの事を同じ過ちを犯した仲間だと思っているらしく王子の口はとてもなめらかに過去を語る。
大体出だしは一緒だ。
「君は、どこまで顛末を聞いている?」
から始まる。
酔っ払った王子様は、毎回レイモンドに初めて話す気持ちでいるらしい。
酔っ払いとはそういうものだ。
城に最低限の人、いや、ほぼ無人という安心感もあるのだろうか。
「いや、ほぼ聞きました。」
レイモンドも面倒になって適当に相手をする。
そういう扱いが心地よいと言って王子は更にレイモンドに懐く。
悪循環だ。
だが、どうしようもない。
王子はレイモンドを気にすること無く話を続ける。
「じゃあ、聖女が現れたと言う話も?」
なんて、噛み合わない返答をする。
人の反応を気にすること無く話し続けられると言うのも王子にとっては、ここでしか出来ないことらしい。
仕方なくレイモンドは話を纏めた。
少しでも話が早く進むように。
「はい。前任の聖女様が高齢で、全然仕事が出来ないままご逝去されて、聖女に幻滅してた時に斬新な考えの同い年の聖女様が現れて、腑抜けになったって教えてもらいましたよ。」
酔っ払いに敬意も何も関係ない。
そんな態度のレイモンドに王子は笑うばかりだ。
「そうそう。僕は聖女信仰って無かったんだ。」
グラスを眺めながら一人語りを続けていく。
「それまで務めてくれた聖女は、年を重ねて力が衰えていたしね。何とか聖女としての体裁を保つだけで精一杯だったんだ。それで、前聖女は旅立ってしまった。
“やっと役目から解放されると、肩の荷を下ろした。”
と、言ってね。疲れ切っていたんだろうね。役目に縛り付けられる。一生を捧げる。それは素晴らしい事なんだろうけど、とても窮屈に見えた。僕も、僕自身も王になるために学業に縛り付けられていた。身につまされて、聖女に関係する事に嫌悪感を抱くようになったんだよ。」
案の定、レイモンドが纏めた事を、王子は言い直した。
酔っ払いは自分の言いたい事を言いたいようにしか言わない。
レイモンドは帳簿を見ながら、適当に相槌を打った。
ただ、次にカロリーヌの話題が来ると内心は身構える。
王子はレイモンドの予想通り喋り続ける。
「僕は、常々、その事を一番近しいカロリーヌに伝えていた。
彼女はねいつも僕を窘めてくれたよ。
先入観で人を見てはならない。
って、ね。
彼女はね、いつも正しかったんだ。
彼女の正しさが僕は息苦しかった。
彼女はカロリーヌ・メル・ファセットで有るために他人にも自分にも厳しい人だった。
正しくて高潔で、強くて。
彼女の事が頼もしくも有り、鬱陶しかった。
長じるにつれて、段々と鬱陶しさが勝ってきてしまった。
僕は彼女から離れようとしていたんだ。
そんな時だよ。
聖女が現れたのは。
とても可愛らしくて。
何よりも無邪気な人で、僕は夢中になったよ。
聖女に対して、良い感情を持っていなかったからか、それを覆されると反動もあって盲目的になってしまった。
聖女といると心が洗われる。そんな気持ちだった。友人にも紹介したよ。
皆、僕と同じ感動を味わったんだ。
なんて言うか、心の枷が放たれるような感じがしたんだ。
そう、彼女はその無邪気さで、僕らの枷を外してくれた。」
ウットリとその頃を思い返しているのだろう。
王子様は語り続ける。
「僕たちは生まれた時から重荷を背負っている。
その辛さを分かってくれてた。
それは中々無いことなんだよ。
僕は、生まれた時から恵まれていると言われ続けていたから。
僕だって、僕の悩みがある。
なんて思っていた。
それを、言葉にして、同調してくれて、わかってくれる人がいる。それだけで、今までの鬱屈した思いが解き放たれたような気持ちになったんだ。」
「そうですか。」
レイモンドは適当に相槌を打った。
「ねぇ。生まれた時から道が決まっているって幸せだと思うかい?」
「どうでしょうね。」
レイモンドは、また適当に相槌を打つ。
今の世では、ほぼ全員が生まれた時から生きる道が決まっているからだ。
親の職業を継ぐ。
継げなければ自分で職業を探す。
決まっている方が楽なのだ。
「そう思うよね。僕もそれが当然だと思っていた。
小さい頃から、父のようになるのだと思っていた。
だけどね。
ふと思ったのだ。
これで良いのかと。
何よりも自分に王たる資質があるのか疑問に思っていた時だった。
自分たちの適正が、ないのではないか。そんな風に悩んだ時もあって、僕の友人も同じだったんだけど、聖女様は、彼女は何故か僕たちの気持ちが手に取るようにわかるかのようだった。
言葉一つで重荷を取り払ってくれた。
僕たちは一人の人間として自由だ。
そう告げてくれたのだよ。
そんな事を言ってくれる人は、今まで誰もいなかった。」
王子は同じ内容を言葉を換えて繰り返す。
“聖女が自分の気持ちをわかってくれた。”と。
その時の王子がどれほど聖女に頼っていたのか。
まとまりの無い話が、逆にリアルに状況を語っているかのようだった。
王子はグラスに残ったワインを煽った。
すると突然笑い出した。
感情の振れ幅が大きいのも酔っ払いの特徴だろう。
王子は笑った口端を歪ませて皮肉げに言った。
「冷静に考えればそれもそうだよね。
自由って耳に心地よい言葉だけど、義務もあるんだよね。
僕は、自由じゃない代わりに、特権を享受している。
並大抵じゃ無い特権だ。
だって王子様なんだから。
この国一番の特権。
それを受けているのに、自由をも主張するなんて。
なんて愚かで傲慢な事を考えていたのか。」
今度は王子は溜息をついた。
「僕はわかってなかった。
あんなに学んだのに。
高名な教師をつけてもらったのに。
最高の教育を受けさせてもらって、全く生かせていない。
基本的な事を理解していなかった。
頭では、机上の論理でしかわかってなかった。
自分事としてはわかっていなかったんだよ。
だから、聖女の軽い言葉に流されてしまったのさ。」
「カロリーヌはいつも冷静だったよ。僕に噛んで含むように説明をしてくれた。
聖女にも話してくれた。聖女の生まれた国では自由があったかもしれない。だけど、ここは別の国なのだと。常識が違うのだと。」
「僕は反発した。聖女も理解しなかった。こっちの世界がおかしいと言う彼女の言葉に同調さえした。
身分制度。
貧富の差。
人は平等であるべきで、人は最低限の生活を保障されるべきだ。
法で決まっていると。
それは彼女の生きていた国の法なのだろうね。」
フゥと、王子は溜息をつく。
「この世界には、この世界の理があって歴史がある。
それを踏まえずに自分の常識を振りかざす。
それこそ、その国の人々を踏みにじる行為だと、僕は彼女を諫めなければならなかった。
王子ならば、僕がすべきだった。でも僕がしなかったからカロリーヌがしたんだ。
“あなたの国の法が制定されるまでにどれ程の血が流れたのか、その過程を知っているならば他国の政情においそれと口は出せないはず。”
そう言ったカロリーヌに聖女は
“怖い。頭が固い。”
と、だけ答えたよ。
多分、過程を知らなかったんじゃないかな。
今ならわかるよ。急に、他の国。いや世界の常識を押しつけるなら、それだけの覚悟がいる。
で、なければ悪戯に人の心を弄ぶのと同じだ。
聖女はその気持ちが全く無かった。
法制度の事を口にしながらも結局の所は自分が一番大事で、自分らしい人生を歩む事が何より大事だったんだ。
聖女は良く言っていたよ。
“人生は一度!悔いの無いように、自分の時間は自分の為に使うべき”
って、それで、周囲が犠牲になっていてもね。
構わなかった。
気づかないからね。
構わないよね。」
フフフと王子は自嘲気味な笑みを溢す。
「聖女は自分の気持ちに正直に、自分を何より大事にしていたよ。
聖女っていうのは清らかであるべき。
清貧であるべき。
そういう常識を押しつけられると反発したんだ。
彼女は楽しい事は楽しい。
欲しい物は欲しい。
自分を犠牲にするのはおかしい。
そう言って、自由に行動したんだ。
恥ずかしい事に僕も影響を受けてしまっていた。
かなりの無駄遣いをしてしまったよ。
民が納めた税金だというのにね。
その頃になると、カロリーヌは、激しく僕を糾弾したよ。
聖女もね。
当然だよね。
国庫を食い潰す王太子なんて、害悪だ。
それでもカロリーヌは僕に情を感じてくれていたんだろう。
僕の仕事を引きうけてくれていた。その上、王太子の婚約者として割り当てられていた予算と、彼女の個人資産で僕の無駄遣いを補填してくれていたんだ。そんな事も知らずに、僕と聖女はカロリーヌをあしざまに罵ったよ。支出書を見て使途不明金がこんなにあるなんて言ってね。僕たちが使っていたって言うのに。」
はぁ、と、今度は溜息をついた。
「聖女はね、ひとしきり自由に行動した挙げ句に、僕に言ったよ。
好きな人が出来たから応援して欲しい。
って。
不思議な事に、その時の僕は、なんて正直な人なんだろうって感動さえしたんだよ。
おかしいよね。
その人と逢瀬をしたいから、聖なる泉へ立ち入らせて欲しいって言うんだ。彼女が召喚された場所だよ。そこは初代聖女が投げ入れた聖遺物が眠っている所だ。普段は立ち入り禁止だよ。僕は愛しい彼女が望んだ事だから叶えないといけないと思ったんだ。そこで、鍵を開けて二人を通した。全く間抜けだよね。聖女の相手はね。」
「隣国の王子でしたね。」
レイモンドは答えた。
もう何回も聞いた話だ。
「そうそう、隣国の王子。我が国の属国扱いの友好国。
留学と言う名の人質の彼は虎視眈々と、チャンスを狙っていた。
我が国から主権を取り戻すチャンスを。
そこに色狂いの王太子と、その側近。
そして、お花畑な聖女とカードが揃ったんだ。
チャンスを逃さない訳はないよね。
聖女は全く利用されたってわかってなかったよ。
可哀相で、何とかしてあげたい。
一人で頑張っている彼を助けてあげたい。
って思っていたらしいよ。
カロリーヌに言わせれば
“自分に靡かない殿方が珍しかっただけでしょう。”
なんだけどね。本当に、冷静だった。
僕よりもずっと為政者としての素質があったよ。」
だって、聖女の心情も企みも全てわかっていたから。
誰もがカロリーヌの言うことを聞かない。
信じない。
誰もがカロリーヌを悪と見做した。
僕も、友人も、彼女の家族達でさえ聖女の言うことを盲目的に信じていたのに。
なのに、彼女は僕たちを、この国を見放さなかった。
聖女が、泉から聖遺物を取り出して渡そうとした。
受け取った隣国の王子はね。
受け取れなかった。
聖遺物は聖女では無い物が触れれば、災いが起きる。
そんな知識も無かったんだろうね。
聖遺物は火を放ち、隣国の王子は熱さに耐えかねて地に落とした。
隣国の王子の手が焼けただれてしまった事に聖女は絶叫した。
愛しい彼をそんな風にした物体を聖遺物なんて思えない。
だけど、隣国の王子は持って帰りたい。
聖女はあろうことか踏みつけて火を消そうとしたんだよ。
聖遺物に対する敬意も無く、自分の事しか考えない私利私欲に塗れた女性が聖女の資格を有するはずもない。
聖女はその場で資格を失ったらしく、今度は彼女の足を焼いた。
その現場をカロリーヌは見ていたんだ。
と、言うか、僕の行動を掴んでいた彼女は、近衛を呼んで待機させていたんだ。
僕は入り口で待機していて、カロリーヌから詰問されて怒って、帰そうとしていた。
だけど、中から叫び声が聞こえて、皆で泉まで駆けつけてみたら、隣国の王子と聖女が呻いて踞っていた。
その横には、赤々と燃え続ける聖遺物があったよ。
このままでは消えてしまう。
焦ったよ。
燃えつきてしまっては、この世に災いが来る。
言い伝えは知っていた。
けど、僕には何も出来なかった。
聖遺物に触れれるのは、清廉な乙女。聖女のみ。
資格無い者は触れてはならない。
触れれば命を失う。
そうも言い伝えられていたから。
僕も、近衛達も動けなかった。
そんな中、彼女だけは違ったよ。
彼女は聖遺物を手にして、泉に戻した。
言葉にすると簡単だけど、凄絶な光景だったよ。
美しかった手が焼けて、衣服が燃えて、皮膚が焼ける匂いがして、うめき声が聞こえた。
熱さに耐えかねて、手で持てなければ腕でも支え、最後は抱え込むようにして泉に返した。
衣服は燃え落ちて、下から肌が覗いていた。
焼けた肌がね。
だけど、誰も指摘できなかった。
近衛団長がマントで彼女を覆ってあげて、救護室に搬送していった。
後から、随分痕が残ったと、聞いた。
僕は見たことが無いから。
医師から聞いただけだ。
カロリーヌは傷を負った。
肌も人に晒した。
それだけで婚約者の資格は無くなってしまった。
王妃っていうのは、広告塔でもある。
傷がある事は受け入れられない。
だけど、その原因を作ったのは僕なんだよ。
面会に行っても会っては貰えない。
謝罪をしたくてもさせて貰えない。
王族たるもの簡単に頭を下げてはいけない。
下げないように、行動を律するべき。
教えを守って下さい。
私は、この国の宰相の娘として、この国の役に立てたことを何よりも誇りに思っております。
その気持ちを汲んで下さるならば、私のことはお忘れ下さい。
そんな伝言だけ残して。
彼女は、会ってくれない。
その上ね、彼女は父親の宰相と打ち合わせて、自分が悪者になる噂を作って流したんだ。
聖女と友人の王子を傷つけ、聖女は休養していると。
彼女は罪を償って、謹慎。
真実は全く違うのにね。
あぁ、隣国にはちゃんと真実が伝わっているよ。
そこは大丈夫。
僕もちゃんと仕事した。
今はしっかりと目が覚めているからね。
聖女もちゃんと、言い含めて仕事をしてもらっているよ。
毎日毎日、祈りの日々を送って貰っている。
それしか出来ないから。
仕方ないんじゃ無いかな。
自由を何より望んだ聖女様には辛い毎日だろうけどね。
僕も、毎日、頑張って生きているよ。
カロリーヌが望んだように、立派な王子として、ちゃんと。ちゃんとやっている。
ただ、辛辣な彼女の及第点が貰えるかは心配だけど。」
グラグラと王子は頭を揺らした。
もうすぐ倒れ伏しそうだ。
あ~。
とか、
う~。
なんて言い出している。
「どんなにやってもカロリーヌには敵わない。
いつだって、僕の脳裏から離れないよ。
身を焦がしても国を守ろうとした、彼女の姿が。
唇を噛みしめて、噛みしめすぎて血を流して、血走った目からは涙をボロボロ流して・・・鼻水まで出てたかな。それでも聖遺物を離さない、彼女の勇姿はね。
勇ましくて、痛々しくて、それでいて神々しかったよ。」
王子様の口から嗚咽が漏れた。
やっと泣ける所まで来たらしい。
王子様と言う生き物は外では泣けない。
極限が来ても泣いてはいけないんだそうだ。
そう、カロリーヌ嬢に言われたそうだ。
「本当の聖女は彼女なんだろうね。
僕の、僕の代の聖女は彼女だったんだよ。
僕は、彼女の思うようにしてあげたい。
静かに修道院で過ごさせてあげたい。
でも、顔を見て謝りたい。
許されるなら、僕の横に戻って来て欲しい。
前のように冷静に、辛辣に、僕を・・・。」
そこまで言って、王子は机に突っ伏した。
長い長い王子の独白。
いつもここまで辿り着かなければ王子は眠ることが出来ない。
常に罪悪感に苛まれ、失った大事な物を惜しんで、愚かな自分を嘆いている。
それを聞くレイモンドは、更に落ち込むのだ。
そんな風に国を救った彼女を、何故あんな風に扱ったのか。
カロリーヌは、滞在させてくれた礼にとレイモンドの所領を救ってくれさえしたと言うのに。
レイモンドも、ワインを呷ろうとして止めた。
王子は、ここに来た時だけ酒に溺れ気持ちを吐露し、普段は真面目に政務を果たしている。
それが、カロリーヌの願いだったからだ。
優秀な為政者たること。
それを王子は全うしようとしている。
レイモンドも、レイモンドの仕事を全うするだろう。
そうして、領地が安定して、修道院も安定したら、カロリーヌの生活は穏やかな物になるだろうか。
そう思って、職務に励むしか、今のレイモンドには、報い方がわからないのだ。
すっごい長くて申し訳無いです。
読んで下さってありがとうございます。
大変、申し訳無いのですが、もし、もしご感想を頂けても中々返信出来ないかもしれません。
本当申し訳ありません。
書くので精一杯で、、、。
書きかけいっぱいで何とかしたくもがいております。