チャンシー家の研究
売り言葉に買い言葉状態になった後、シュエマイは席を外した。
「しかし、どうやって出ようかな」
この管、何かまずいものな気がする。
体ではなく、霊魂に干渉されているような感覚。
どうにかして逃げ出したいが、体が傷つくだけで抜け出せそうにない。
そもそも、下手に傷つくのはまずい。
先ほど、体に穴をあけられたばかりのはずだ。
つまり、治癒限界に達している可能性があり、これ以上傷を追えば軽症でも致命傷になる可能性がある。
するり、と管が外れた。
あまりにあっさりと、ひとりでに固定が解除され、ピーターの体が、くぼみからずり落ちる。
がしり、と受け止められる感触があった。
覚えのある感覚に思わず顔を上げると、やはりミク・チャンシーだった。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい、大丈夫です」
ミクに言われて、素直に頷いた。
「ここから逃げましょう」
「わかりました」
ピーターはリタを出して、部屋を出ることにした。
ちらりと、出る前に部屋を見る。
自分が取り付けられていたのがなにかを視認する。
それは、立てば百メートルを超えるはずの巨人像だった。
頭部があるはずの部分にはそれがなく、首のあたりが窪んでいた。
ピーターは、気味の悪さを背中に感じながら部屋を出た。
◇
「シュエマイ・チャンシーは何をしてるんですか?」
「わかりません。トラブルがあったらしく、その対処に回ると言っていましたが」
その詳細がわからない以上、さっさとここを抜け出してシルキーと合流するのが得策ということか。
というか、勘でしかないが、シルキーがトラブルの原因な気がする。
「父は、私を信用していますからね。だからこそ、私はこれほど自由に動けるのです」
それは信用じゃない、とピーターは思った。
師匠が教えてくれたこと。
自由を尊重する。
相手のことを理解して、相手にも事情があるのだと知り、それでもなお通したいと思う己の我を通すこと。
それは同時に、相手を一つの個として扱うということ。
まるで価値観が、立場が、境遇が違う、異なる存在として見るということ。
当然、何をしてくるかわからない。
だから、配慮する。
だから、相手を思いやる。
ときには、目的のために相手を妨害したりもするだろう。
相手を個としてみて、状況に応じて自分なりに対応する。
その中で芽生える関係というものを、きっと信用というのだ。
一方的に全て指示しているのなら。
それは単なる支配だろう、と。
相手を個としてみない、単なる駒として扱っている。
少なくとも、ピーターが想定する家族に対する振る舞いとはかけ離れている。
絶対にこうしなければならないという責任感を利用しているだけのものだ。
なのに、どうしていまだにこの少女はそんな父親もどきに従っているのだろうか。
いや、従ってはいないのか。
現在進行形で彼の意思に背いている。
「あなただけでも、逃げてください」
「…………」
「元々、実験は私のみで行う予定でした。あなたを混ぜることによって、更に強いアンデッドを作るつもりのようですが……うまくいくとも限りません。逃げてください」
ふと、疑問が二つほど湧いた。
「実験て、一体何をしようとしているんですか?あの男は」
「……そうですね、お兄さんには知る権利があると思います。かかわりがないとは言えなくなってしまいましたから」
確かに、実験に使われそうになったのだから、今更無関係とはいえないだろう。
「端的に言えば、兵器開発……強力な、対超級職とその撃破を想定したキョンシーの開発です」
「……!」
超級職より強いモンスター。
その開発や使役はモンスターを扱う人間にとっては至高の存在と言ってもいい。
何しろ超級職の数は武力の大きさを示す指標になり得るほど。
時に、彼らは数千の雑兵を屠ることがあるのだから。
それ故に、生産と制御が困難ではあろうが超級職を上回るモンスターは夢の兵器であった。
「そんなの作って、そのアンデッドを制御できるのですか?」
「いえ、通常の手段では不可能でしょうね」
アンデッドは、怨念を吸い込めば暴走する。
ましてや、超級職クラスの戦闘能力を誇るものであれば、一つの災害であろう。
このマギウヌス自体が壊滅しかねない。
では、いかなる下法を使うというのか。
「私たちの家系は、〈僵尸〉という職業のものが定期的に生まれます。アンデッドに変わる職業なのですが、【霊魂固着】と言うスキルによって、怨念を受けても暴走しません。このスキルを、制御に使おうというのが、研究の根幹です」
「……っ!」
ピーターは、ミクの説明が理解できた。
できてしまった。
「つまり、あなたをあの巨大キョンシーに融合させて、制御しようっていうんですか?」
「そうですね」
「冗談じゃない……」
娘を、戦争のための道具にするなど、もはや外道が過ぎる。
「でも、それならしぬわけじゃないんじゃないのー?」
リタの疑問はもっともだ。
姿が変わろうと、精神はあくまで彼女のまま。
ならば死んだことにはならないのではないか。
一見人でなしの発言に聞こえるが、そもそも本体のことを思えば、容姿など文字通りまやかしでしかないリタだからこその発想ともいえる。
だがそれは単に融合させただけならばの話。
「兵器としての研究なら、人の心を残しておくはずがないよ。邪魔なだけだからね。そうでしょう?」
「はい、魔術的制御によって、記憶と自我を完全に消去された状態で運用されます。そして、ソレはきっと死んでいるのと同じです」
「同感ですね」
『違いありません』
怒りが沸き上がってきた。
首を切り落として何らかのアイテムで仮死状態にして運んだ時点で、まともな情などないと思っていた。
実の娘でありながら、人とも思わず、冷遇しているのだろうと。
なお悪い。
彼女のことを何も見ずに、スキルだけを見ている。
そしてその態度は、ピーターに対しても恐らく変わらない。
「ですが、父の様子が変わりました。事情は分かりませんが、貴方と私をまとめて融合させるつもりの様です」
「なるほど」
ピーター・ハンバートの持つギフトは、【邪神の衣】。
これは、聖属性魔法の効果を全て打ち消すというもの。
そう、アンデッドの天敵である聖属性を、だ。
それすなわち、そのギフトを転用できれば、最強のアンデッドが作れる可能性はある。
問題は融合先にもギフトが適用されるのかだが、【降霊憑依】したピーターや、パーティメンバーにさえも適用されるものなのでおそらく効果圏内だろうと推測できた。
「じゃあ、さっさと逃げましょうね、こんなところにいたら命が幾つあっても足りません」
「私はいけません」
「はい?」
気づいた。彼と、少し後ろにいた彼女の間にうっすらと透明な壁が見える。
それは、ここに来る時にはまるで気づかなかったもの。
意識はなかったので無理はないが。
「これは、もしかして結界ですか?」
「ええ。……どうやってあれをお兄さんが抜けたのかはわかりませんけど、少なくとも私には無理です」
どうやら、外からの侵入と、内からの脱出を拒む機能があるらしい。
アルティオスなど、ハイエストの都市にある結界と仕組みは同じものであろうか。
ピーターがどうやって抜けたのかはわかる。
あれは、シルキーなどが使う障壁魔法とは違い、聖属性魔法の一種だ。
つまり、ピーターのギフトである【邪神の衣】で無効化できるということなのだろう。
逆に言えば、ピーターがこの壁に気付くことなく通り過ぎていった以上、あれは聖属性由来の結界であり、アンデッドである彼女には越えられない壁だ。
そして、ここを出れないということは、彼女には選択肢がない。
実験動物になるという道しか。
いや、或いはもう一つだけあるかもしれない。
彼女の言葉が、言葉通りの意味でしかないのであれば、或いは。
ピーターは、提案をしようとして。
「何をしているのかな?」
シュエマイの、底冷えするような声が響いた。
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