ハンバートの意味
「ありがとうございます。失礼します」
彼の心遣いに一礼して、ピーターは教室の扉を開けて出ていった。
教室を出て、ピーターが向かったのは、便所である。
便所の個室に入り、鍵をかけた。
「いっつ……」
アイテムボックスから、包帯と消毒液を取り出して縛り、止血する。
そしてさらに、その上からHP回復ポーションを取り出して振りかける。
治癒力が薬効によって増幅され、傷がふさがり始める。
そのまま残ったポーションを口に含む。
「ぴーたー、だいじょうぶ?」
「大丈夫だよ、問題ない」
HP回復ポーションを飲みながら、ピーターは淡々と答える。
あの場所を離れたのは、単純である。
回復魔法を使ってもピーターには効かない。
それゆえに、もしそれをパンに知られたら悪印象を相手に抱かせてしまう危険性もあったのだ。
彼等にとって、回復魔法は存在意義そのもの。
それが効かない人間というのは、聖職者自体の全否定でもある。
彼の機嫌を損ねれば、彼の首は文字通り飛んでいく。
超級職、人の限界を超えたものとはそういうものだ。
だがそれよりも、直感が大きい。なんとなく、少しでも早くこの場から離れたい、離れなくてはならない。
そんな気がしていたから。
「それにしても、やっぱりポーションの効き目が悪いね」
理由はわかっている。
治癒限界が近いのだ。
通常、ポーションや治癒魔法は治癒力を引き上げて傷や病を治す。
そして、一日にできる治癒には限りがある。
それが治癒限界だ。
一度治癒限界に達してしまえば、治癒魔法やポーションはきかなくなる。
それどころか、逆にダメージを負うことになる。
早朝のトレーニングによって、治癒限界ぎりぎりまで筋肉を傷つけていることで、今のピーターは治癒限界寸前。
シルキーもある程度察していたのか、先日と本日のトレーニングはある程度軽めにしてくれてはいたが、
それによって、傷の直りが普段よりも、かなり遅くなってしまっている。
「回復魔法が効けば、もう少し楽なんだけどねえ」
ピーターのギフト、【邪神の衣】は回復魔法、浄化魔法、支援魔法、結界など言ったあらゆる聖属性魔法の影響を受け付けない。
それは、アンデッドを運用する分には有用なギフトだが……得られなくなる恩恵を考えれば、正直プラスともいえない。
せめてオンオフができれば、話が違ったのだろうが。
「本当に、何でオンオフできないんだろう?」
ギフトは基本的にオフにできない。
〈聖騎士〉ユリアのように、アクティブなタイプであればオンオフできるが、パッシブなものは無理なことが多い。
様々な冒険者を見てきたアラン曰く、パッシブのギフトを持っていたもので、オンオフの使い分けができた人物は一人もいないらしい。
中には、「あらゆる攻撃を物理ダメージに変換する代わりにあらゆる物理ダメージが十倍化する」ギフトや、「視力を失う代わりに、他の一つの感覚が異様に発達する」といった日常生活も満足に送れなくなるギフトもあるらしい。
日常生活に支障をきたさないレベルで良かった、と考えるべきなのであろうか、とアランからその話を聞いた時は思った。
「〈教皇〉、か」
ピーターは、先ほどまで自分の目の前にいた男の、飄々とした顔を思い浮かべる。
「世界最高峰の回復魔法、受けられるものなら受けてみたいんだけどね」
彼のつぶやきに、答えるモノはいなかった。
◇
全員の生徒に回復魔法をかけ終え、誰も教室からいなくなり、〈教皇〉一人になって。
彼は、今窓を開けて換気をしていた。
さきほどまでの授業が授業だったので、流石に窓を開けることはしなかった。
彼は常識というものからかけ離れた考えをするが、ちゃんとものを考えて行動しているのもまた事実である。
「さすがに教室から精霊に脱走されるのはまずいよねえ」という最低限のラインはわきまえた結果である。
〈教皇〉フランシスコ・チャイルドプレイは、授業や窓とは考えていた。
「ハンバート、ハンバートかあ、どっかで聞いたような、なんだっけ?」
先ほどの生徒ーーピーター・ハンバートのことである。
実践慣れしているのか、対応が早く、奇妙にも彼の回復魔法を拒絶した生徒。
回復魔法を拒否されたのはわからなくもない。
筋力トレーニングを行っているのかもしれない。
そうであれば、筋肉への負荷までリセットされる可能性がある。
対応が早いのも、悪いことではない。むしろ歓迎すべきことだ。
小首をかしげて考えていた彼だが。
「うー、ん?」
ふと、フランシスコは違和感を覚えて自分の体を見下ろして。
自分の|腹部に大穴が開いている《・・・・・・・・・・・》ことに気付いた。
「あら、ららら、これは」
どこか、力の抜けたような、実際に内臓が焼けているので力が抜けているパンの声を聞いて、隠れていたものが姿を現す。
それはオレンジ色の人の形をしたもの――ライト・シルフという名の精霊だった。
その精霊は光の扱いに長けており、光学迷彩で姿を今まで消していた。
それ故に、生徒のだれも、気づけなかった。
そして、パンが一人になったところで攻勢に転じ、防御貫通の光線を放ったのだ。
パンを狙ったのは、莫大な経験値を狙ってのことか、見た目が幼く弱く、組みしやすそうであると判断したからか。
あるいはその両方か。
いずれにせよ、ライト・シルフはパンに致命傷を与え、
「【エクスヒール】」
――られなかった。
彼の宣言とともに、一瞬で穴がふさがる。
それどころか、血の跡すらなく、服まで治っている。
「あっぶな、【エクス・オートリバース】だけじゃ間に合わなかったかも」
胴に穴をあけられたにもかかわらず、パンは飄々としている。
まるで、「擦り傷着いたけど、唾つけときゃ治るだろ」とでもいうかのように。
いや、実際に治してしまって、平然としていた。
「キシャアアアアア!」
「ああ、そうだ思い出した」
自身の攻撃を受けてもなお、落ち着きを崩さず、まったく効いていないパン。
その様子に狼狽したライト・シルフは、奇声を発してとびかかる。
それに対して〈教皇〉は人差し指を向けてたった一言。
「――【教皇権限】」
それだけで終わり。
ライト・シルフは一瞬で消失した。
まるで最初から何もいなかったかのように、一切の痕跡を遺さず消え失せた。
「いやあ、なるほど。やっと思い出したよ、ハンバートね」
パンは、先ほどまでの戦いや自分の傷は全く気にせず、
うんうんとうなずいている。
見た目十代前半の少年がうんうんとうなずいているさまは可愛らしくも映るだろう。
「ハンバートねえ、かつて私が消したはずの村の生き残りかあ。どうしよっかなあ、消すべきかな?消すしかないよなあ?」
彼のやってきたことと、彼の考えていることを知らなければ、だが。
「まーでも、あそこにいるってことは誰かの弟子ってことだよね。とりあえず様子見しようかな」
筋力トレーニングのことまで考慮すると、かなり候補は絞られる。
「色々根回しとかまで考えると、ひと月くらいかかっちゃいそうだなあ。急がないとね」
なんでもないことのように、食事を何にするか考えて決めたかのように一人でうんうんとうなずいて、〈教皇〉は教室を後にした。
後には、人っ子一人いなかった。
ただ、換気のためにあけられた窓から、風が強く吹いていた。
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